孔廟(の進士題名碑)

孔子廟です。
もちろん孔子を祀るところなんです。
創建は元の大徳六年(1302年)だそうで、その後何度か改修などされながら
明清そして現在まで残されました。
今は首都博物館とか。

ここで注目してしまったのは元・明・清の三代に渡る
進士題名碑、つまり科挙の合格者名簿が石刻されたものが
山ほどあるということでした。
写真もそればっかりです。

行ってみたら、たまたま題名碑の拓本をとっているおじさんがいました。
勝手に取っていいわけではないと思うので多分お仕事なんでしょう。
石碑に紙を貼り付けて、墨を塗りこんだ太鼓のバチみたいのでぼこぼこ叩いていきます。
さんざん周りをうろうろして写真とか撮っちゃってた余花さんには目もくれず
ずーっとやってました。結構力が要りそうだし何回も繰り返して墨を濃くしていくので
かなり大変そうでした。

      

『明史』のコーナーに「選挙志」抜粋の科挙試験コーナーがございます。
そちらにも他の写真を掲載してますので是非ご覧下さい。
宣徳二年の題名碑とか、「三元」商輅が進士を賜った時の碑とかもあって、
普段史料の上でしか見れないものを目で見れちゃうんです。

 

 

画像をクリックすると別ウィンドウが開いて拡大が見られます。

 

  拓本とり

これは清代光緒二十九年の題名碑です。拓本とってるおかげで全体の感じが見やすくなっていると思いますが、まず上にいつの科挙で何人くらいの合格者かというのを記した部分があって、その下にずらずら名簿が続きます。
百人以上いるので名前と出身地のみが書かれています。
でもおじさん、途中ちょっと休憩はしてましたが、何時間もずっとこの調子で拓本とり…。大変です。欲しかったな、出来上がったら。
     
  拓本とり2

完成はまだかまだかと待ってたんですが待ちきれずに(余花さんが)帰る直前に撮影したものです。上に比べるとずっと濃くなってます。まだやるんですかね。
おもしろいのは出身地のところで、普通は「名前+出身地」で例えば「張景星山西太平県人」と書いてあるんですが、時々「晋管漢軍正黄旗人」など、八旗の人もいたりするんです。清代ならではですな。
     
  清代光緒九年の題名碑(頭頂部)

題名碑本体の上に飾りをつけてます。龍と雲紋のもこもこした浮き彫りがしてあって装飾的です。篆書で「癸未科題名碑」と刻まれています。
明代の題名碑にはこういう飾りはなく、かまぼこ型というか、上が丸くカーブさせてあるだけで、彫刻も何もありません。3つ下の写真が明代のです。全然違います。
     
  清代光緒九年の題名碑(全体)

上のやつの全体像です。ひょろ長いです。明代のぬりかべのような題名碑と比べると非常にファッショナブルです。
足元の基段も上の石と同じように装飾がしてあって、その中間に題名碑がはさまってる感じです。下のほうの石にも装飾がしてあって明代との感覚の違いが興味深いですね。
あと気がついたのは名前の記入のところで、明代のものは大きめの文字で名前を刻んだ下に少し間を空けて、やや小さな字で出身地が刻まれています。清代のほうは全部同じ大きさの字で特に間隔あけずに名前出身地。見た目清代のほうがスマートっちゃぁスマートなんですが、明代のやつのほうが何となく人間味があって好きだなあ。
     
  清代光緒九年の題名碑(基段)

上のやつの足元です。側面には雲紋、正面には植物紋(椿か芙蓉?)が刻まれています。
実際上から下まで同じ石を使ってあるはずなんですが、真ん中が白く見えるのは漆喰か何かを塗ってるんじゃないかと思います。そのほうが見た目いいし。基段と本体のつなぎ部分の不自然な感じはそのせいでしょう。
     
  明代の題名碑(の群)

ぬりかべと言いましたが清代の題名碑に比べると実にのっぺりしたもんです。頭頂部に少し浮き彫りがしてあるくらいであっさりしてます。バランスはよさそうですが。
手前から2番目と3番目のやつとか見ると、表面が剥がれ落ちたりそれを修復したりした後が見られます。これもやっぱり素の石に何か上からかぶせてるんでしょう
     
  大成殿の丹陛へ上る階段の欄干と擬宝珠

孔子関連のものはほとんどよく見てなかったんですが、建物は故宮なみにすごかったです。まあ、ここの屋根は黄色だということですので特別なんでしょうね、やっぱり。
写真は階段脇のいわゆる手すり。細かいところまでやわらかい感じの彫刻がしてあって非常に美しかったです。大分汚れてほこりだらけだったんですが、掃除すれば輝くんじゃないでしょうか。
で、この擬宝珠、故宮や天安門にあるのとほとんど同じです。ちょっとチェック