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宗人府

役職名 人数
宗人令 1人 正一品
左宗正、右宗正 各1人 正一品
左宗人、右宗人 各1人 正一品

皇帝の九族(九代の親族。異姓を含まない九代の親族として、高祖、曽祖、祖父、父、自分、子、孫、曾孫、玄孫のこと。また、異姓を含む九代の親族として父族四、母族三、妻族二のこと。その他異説あり)の戸籍を管理する。適宜玉牒(皇帝の一族の家系図)の書き換えを行い、皇族の子女の出自(嫡出、庶出)や封ぜられた土地の名、相続、生死、結婚、葬儀や諡について記録する。

玉牒について

例えば・・・太祖洪武帝の子女の場合

男子二十五人

適庶 生母 封号その他(封年) 生没年 廟号 諡号
嫡一子 馬皇后 皇太子(洪武1) 1355-洪武25(1392) - 懿文
嫡二子 (木+爽) 馬皇后 秦王(洪武3) -洪武28 -
嫡三子 馬皇后 晉王(洪武3) -洪武31 -
嫡四子 馬皇后 燕王(洪武3)→永楽帝(建文4) -永楽22 成祖
嫡五子 (木+肅) 馬皇后 呉王(洪武3)→周王(洪武11) -洪煕1 -
庶六子 不明 楚王(洪武3) -永楽22 -
庶七子 (達定妃?) 齊王(洪武3)→奪位(永楽4) -宣徳3 - 無し
・・・以下18名

女子十六人

生順 封名 生母 下嫁(年月) 没年
第一女 臨安公主 不明 韓国公李善長の子李祺(洪武9) 永楽19
第二女 寧国公主 馬皇后 汝南候梅思祖の甥梅殷(洪武11) 宣徳9(71歳)
第三女 崇寧公主 不明 牛城(洪武17) 不明
第四女 安慶公主 馬皇后 歐陽倫(洪武14) 不明
第五女 汝寧公主 成穆孫貴妃 王寧 不明
第六女 大名公主 不明 指揮使李英の子李堅 宣徳1
第七女 福清公主 鄭安妃 鳳翔候張龍の子張麟(洪武18) 永楽15
・・・以下9名

このようなことが書かれていると思われる。

皇族からの願い事などを皇帝に伝え、才能ある者は引き上げて用い、罪あれば記録した。
初め、洪武三年に大宗正院を置き、二十二年にそれを改めて宗人府とした。同時に、親王に宗人府を取り仕切るようにさせた。
秦王の(木+爽)を宗人令とし、晉王の棡、燕王の棣を左宗正、右宗正とし、周王(木+肅)、楚王驍左宗人、右宗人とした。
その後は功績のあった一族の大臣に兼任させて、役人は置かないようにした。さらに、業務は全て礼部に移した。
その属官として經歴司に經歴1人/正五品があり、公文書の出し入れにあたった。

役職名 人数
經歴 1人 正五品

 

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