1947年 河島氏と二輪用のエンジンを造り始める
1948年 本田技研工業株式会社を設立
1949年 後の本田の金庫番となる藤澤氏常務として入社
1951年 ドリームE型で箱根登頂(4サイクル146cc)
1955年 第一回全日本耐久レースで優勝
1962年 4輪(S360)(T360)発表  鈴鹿完成
1964年 初のF1参戦 ドイツ、グランプリで初出場9位
1965年 F1メキシコ、グランプリで優勝
1967年 F1イタリア、グランプリで優勝
1968年 軽自動車初のオートマチック車発表
1969年 空冷式の1300cc発表
1971年 低公害エンジンのCVCC発表で世界的技術を見せつける
1973年 社長の本田宗一郎さんと副社長の藤澤武夫さん共に引退
1974年 軽自動車の生産を止める
1978年 ベルノ店と同時にプレリュードが誕生
1980年 一兆円企業へと躍進
1981年 宗一郎さん最高顧問が勲一等瑞宝章を受賞
1982年 この頃80年代より燃費でテクノロジロィを見せつけ始める
1983年 15年ぶりのF1復帰、ウイリアム、ホンダが暴れ始める
1987年 イギリスGPでホンダのエンジンがワン、ツー、スリー、フォー、フィニッシュ
1988年 F1は、ピケからセナの時代に入り、ホンダのパワーを阻止不可能に成って来る    
1989年 陰のMrホンダ藤澤最高顧問が逝く、NSX発表、トラクション、コントロール発表
1990年 久米社長から川本社長へと代わる
1991年 8月5日 本田宗一郎 84歳 逝去
1992年 4年連続のF1コンストラクターズ、チャンピオンを獲得しF1参戦を休止発表
1994年 ドライバー中心の車づくりをして来たホンダが、同乗者の為のオデッセイを世に出す
1996年 左右輪駆動力配分システムを開発
1998年 97年トップ経営者に選出された川本社長より吉野社長へ就任
1999年 排気ガス低出や燃費にこだわりつつ、静かに昔のネーミングを復活させて、Sを忘れず発進させる
2000年 またまたF1界ヘ殴り込み
2001年 VGSと言う、車速と舵角に応じてステアリングのギア比を無段階に変化させ、さまざまな運転状況に応じて理想的な操縦性を実現する世界初の機構を開発して自動車技術会賞 論文賞を受賞した
2002年 フィットの2002年国内累計販売台数が250,790台(自販連調べ)となり、国内の登録車販売において第1位になったと発表した。Hondaの登録車が年間の累計販売台数で第1位となったのは初めてである。


技術のホンダ

Hondaは、かねてから技術開発を進めてきた 配光可変型前照灯システム「アクティブ・ヘッドライト」が業界で初めて運輸大臣認定を取得、商品化に向けた公道テストを開始する。

 Hondaは安全を最重要課題の一つとして常に現実に即した総合的観点から技術開発を行ってきた。

 「アクティブ・ヘッドライト」は、事故を未然に防ぐための一次安全の研究である「Honda ASV-2」で開発したドライバーの認知支援システムであり、夜間の交差点やカーブなどでハンドルの切れ角や車速、方向指示器などから車両状態を検出し、ヘッドライトの反射鏡上部を進行方向へ動かすことで最適な配光を可能にし、社内テストにおいて視認性の向上に大きく貢献することが実証された。

 夜間の交差点やカーブなどにおける視認性を向上することによる、事故の未然防止につながる技術の一つとして 安全に寄与することを目的としている。


システムの概要
カーブでのハンドル操舵角および車速により、自車旋回方向を算出してヘッドライトの反射鏡上部(可動リフレクタ)を制御して旋回方向へ配光する。
交差点進入時、方向指示器に連動してヘッドライトの可動リフレクタを制御して旋回方向へあらかじめ配光する。その後、ハンドルの操舵角および車速により、カーブに進入すると同様な制御を行う。


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