◆ No.221: 中世美術館 (2007.4.29) ◆
フランス語では、美術館も博物館も「Musee(ミュゼ)」なので、ひょっとすると「中世博物館」と訳したほうがいいのかもしれないけれど・・・、とにかく、今日、そこに行ってみた。
ここは、こちらに来てまもなく見つけたところで、うちのアパートから歩いてすぐのところにある廃墟のような怪しい建物で、興味津々だったのだが、でも、ここは閉館時間がちょっと早い。・・・つまり、ちょっと早めに練習を切り上げないと来れない、という、なんとも無粋な理由でいままで来れなかったというわけ。
でも、きょうは、さっさと切り上げて出かけてみた。
この美術館に入って最初に展示されているのが、コインや、小さな金属の装飾品のようなもの。コインは、現在の硬貨同様、細かいレリーフが施されている。ぱっとみた感じ、けっこうつまらないものが並んでいるかんじなのだけれども、美術館をひととおり見終わった後、この、細かい細工がこの時代のテーマのひとつのように感じる。
全体としては、ほとんどの展示品が教会関係のもの。ほかには、王族関係らしき、小さな装身具など。
どちらにしても、驚かされるのはその手の込んだ細工の細かさだ。
素材は、金属や、木や、象牙などが使われているが、いずれにも、人間の技術の限界に挑むような細かい細工がなされている。たとえるなら、ジュエリーの彫金師のような細工。
そのさまは、500円玉くらいの大きさの中に、まるで宇宙が詰まっているような密度の濃い細かさ。
ふと上を見上げると、そこにも、同じような細かい細工の天井があった。そこにも同じような宇宙がある。
この美術館にはタピストリーがたくさんあり、この美術館の目玉となっているようだ。
しかしながら、その図案は象徴的なもので、ぼくにはその意味するものはわからない。
等身大かそれより小さめの彫刻もたくさんあった。やはり、イエスやマリア像が多いが、他にもいろいろあった。ひとつひとつの表情などを見て歩いたが、生々しい感情のようなものは感じられない。作者の意図するようなものも感じられない。
ただ、この彫刻像たちを見て思ったのは、特にイエスやマリアのまわりでうろたえている一般の人たち、・・・そういう人たちの表情が、とても凡庸で、その凡庸さがなんだか妙にリアルだったということ。
特別教養もないような、凡庸で朴訥な顔をした人たちがいて、目の前のイエスの惨事にただただうろたえてる・・・そんなところが、妙に写実的でリアルに感じられた。
廃墟のような、なんだかインパクトのある外観の美術館。
タピストリー等が並ぶ展示室。
おそらく象牙だと思うけれども、これは実際はとても小さなもの。
各部分の天井の装飾にいたるまで、とにかく細工が細かい。
タピストリーの展示室。上を見上げると、小さな装飾品を
そのまま拡大したような天井があって、驚く。
関係ないけど、美術館の入り口の脇にある井戸。
昔話に出てくる井戸の、実物のようなかんじ。
ちょっと覗いてみた。
この美術館の展示品たちから受けた印象をひとことで言うと、じぶんからは遠い時代にあって、作品、あるいは作者と、なにかしらの意思の疎通のようなものをとることはできないような、そんなかんじ。・・・あるいは、当時の価値観としては、そういうものは排除されているのかもしれないけれども。
いずれにしても、紫式部くらいの時代のものを、外国人のぼくが感覚的に(あるいは本質的に)理解するのは難しいだろうとは思う。
その点、装飾美術館の相対的な中世の展示は、ぼくにとっては分かりやすかったなぁ、などと思う。
逆に、バロック以降の年代のものは、それがどういう種類のものであれ、なにを意図しているのかさっぱりわからないということは起こらないのだけど、それは、きっと、バロック時代に、現代のぼくらにも通じるような大きな価値観の転換があったんだろうなぁ、などと思う。
それは、きっと、なにかすごい出来事だったに違いない。
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