◆ No.94: バレエ「コッペリア」 (2006.12.22) ◆
きょう、昨日、音楽博物館で出会ったリコーダー奏者から、メールの返事が来ている!
まだちゃんと訳していないのだが、おそらくクリスマス・バカンスが終わった後に、予定が合えば会いましょう、という内容だと思う。
さあ、この日記書いた後に、がんばってお返事を書こう。
今年は男ひとりのクリスマスだが、なんだかいいクリスマスだなあ・・・。
きょうは、いよいよ、バレエ「コッペリア」の公演日!
チケットを買ってからの期待があまりにも大きいため、こんなに期待しすぎたらがっかりするかもしれないと思って、一生懸命落ち着いて出かける。
会場に入ると、席は前から実質2列目。オケピットの中も見え、左前方に指揮者も見え、しかも舞台まで適度な距離があるため、舞台全体が全部視界に収まる席。
かなりついているかも!
バスティーユのオペラ座。着きました。
右上の窓一面に子供の絵が見える。(写真では見にくいですけど。)
コートを預けるところ。
全体的に、和っぽい意匠のデザイン・モチーフがたくさん。
ああ、外から見えていた子供の絵、これなのね。
のびのびしたいい絵だね~。
ああ、日本でビデオで見た会場の本物だ!
開演。コッペリアの音楽自体は、音楽作品としてみれば平凡な作風なのかもしれないが、オケの生き生きとした演奏で、命を吹き込まれたような音楽で上演が始まる。
幕が上がらないまま上演が始まるが、この幕、半透明の幕だったようで、この幕から透けて見える状態で登場人物(コッペリウス)の心理描写をした後に幕が上がる。
舞台は、古い町並みを描いた古典的なかんじの絵が、ざっくり組み立てられたもの。
平面的な重い色調の絵のパネルが、現代的な軽い造形センスで組み立てられている。
(たとえるなら、『飛び出す絵本』みたいなかんじ。) そのため、全体の色調はとてもクラシックな印象でまとまっているにもかかわらず、どことなく新鮮な舞台。
幕が開いてからの照明は、ぱっと見た目は古典的なノーマルな印象。すべてのシーンを切り取っても、古典的な絵画のような美しさの陰影とハイライトを作っている。
(しかし、よく見ていると、自然に大切な部分に観客の視線が行くように、気づかないうちに非常に細かい調整をしているようだ。)
照明については、第二幕で一部、あっと驚くような使い方をされる。逆光の強い光線とスモークの中で、シルエットのダンサーがデュオを踊る。その背景で飛び出す絵本がばらばらになって、舞台係がわらわらと出てきて片付ける。・・・でも、そんな現代的な演出が挿入されても、全体を通してみたときの古典的な均衡の美しさは崩れない。
演出(話の筋書き)も微妙にあちこち変えられている。特に、人形作りのコッペリウスが現代的な病んだような独特の人格を与えられていて特徴的だったのだが、それでも、その演出が全体的な古典的な均衡の美しさを崩してしまうような浮き方はしていない。
衣装、そして、踊りそのものも、クラシカルな正統派のものだった。
でも、ダンサーひとりひとりの動きから感じられる心理描写には、どことなく現代的なセンスが感じられる。
・・・ああ、これらバランス感覚は、まるでこのパリの町並みそっくりだ。
全体として、古い町並みの景観をたもったまま、それに溶け込むような形で現代が取り込まれている。エッフェル塔のような、パレ・ロワイヤルの中庭の現代彫刻のような、ルーブルのピラミッドのような・・・
ちょっと大げさに聞こえるかもしれないが、それは、クラシック音楽の向かうべき方向、そのものを見た気がした。
古典的な均衡の美しさを保ったまま、でも、古臭くなく、新鮮な息吹きを感じるような音楽。ぼくもそういう音楽やりたい!
開演前の会場。
前方にある人形の設計図のような幕、後で半透明であることがわかる。
カーテンコール。上演中に写真を撮るようなはしたないことは、もち
ろんしていないけど、カーテンコールになると、会場のあちこちから
一斉にフラッシュが光りだしたので、ぼくもドサクサで撮ってしまう。
いろいろ細かいことをたくさん書いたが、じつは、これらは、今日いちばん心を動かされたものではない。
本当に心を打たれたのは、ダンサーの命から湧き上がってくるような動きそのものだった。
もうこれは、筆舌に尽くしがたいという感じで、なんというか、人間の(あるいはダンサーとしての現役生命の)それほどは長くはない命そのものが、いま、目の前で燃えているような、そんな瞬間を見てしまった、というような、(うまく書けないけれど) なにか、とても深いところで心を打たれたのだった。
そんなかんじで、今日は、ぼくにとって特別な一日。
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