◆ No.63: 音楽に大事なこと (2006.11.21) ◆
きょう、ちょっと迷惑かな・・・とは思いつつ、心の中で『ごめんなさい』と言って、少し朝練してからレッスンに出かける。
ちゃんと仕上がっていなかったのだが、レッスンの時には、少々とちりつつもなんとなく吹けてしまう。
「うん、まあいいよ。じゃ、来週は次の2曲やってきて。」と、いつもの倍の量の宿題が・・・
思わず、『ひえぇ~』という顔をすると、先生、『にやっ』。
それはともかく、3拍子の基礎練習をやっているときに、先生が『それは理解できないね。それは理解できない。』と言う。『なぜ理解できないかわかる?』と聞かれたので、う~んと考えていると、ジェスチャーを交えながらいろいろ教えてくれたのだが、3拍子の感じ方が日本人と違う。感じた拍子を音にして表現する方法も違う。
それを教えてもらったときに、思わず「おおー!」と日本語(?)で声を出してしまうと、(先生にとっては至極当然あたりまえにことに)ぼくが驚いていることに驚いたらしく、「これはね、音楽に大事なことだよ。リズムがあればコンサートのお客は音楽を理解できるし、リズムがないとお客は寝てしまうよ。」と、ジェスチャーを交えてユーモアたっぷりに教えてくださる。
3拍子に限った話ではないが、『何分の何拍子』を『リズム』としてとらえていて(つまり、何小節にもまたがる長~い時間の中の音楽のうねりみたいなものを『リズム』として感じていて)、それは音楽をわかりやすく伝えるために必要なものだととらえているようだ。
ポピュラー音楽は、何分の何拍子(先生はリズムと言っている)がドラムで簡単にわかるから、音楽がだれにでも理解しやすいんだ、というようなこともジェスチャーで教えてくれた。
室内楽では、練習不足もあって、音楽表現的なことに集中したときに、時々カウントをはずしてしまう。室内楽の先生に、「ちゃんと音楽を感じながらカウントする。これは室内楽では大事なことよ。」と言われる。
あと、「音楽の方向」に音を「はこんで!はこんで!」と言われる。この『音をはこぶ』感覚も、たぶん日本人にはない独特な感覚だ。(目標の音に一生懸命向かっていくのでなくて、『ひょいひょい』とはこぶ。できたときは音楽がとても楽しかった。)
そんな感じで、今日は『音楽に大事なこと』を両先生からたくさん教わってきてしまった。
ああ、いい先生につけてよかったなぁ・・・(しみじみ)
朝7時すぎ。まだ星が出ている。
だいぶ明るくなってきた9時すぎから少し練習してから出かける。
ちなみに、先週寝坊したわけがわかった。目覚ましの電池が切れかかっている。
おかげで、気になって、きょうは6時に目が覚めてしまった。
学校帰りに、リコーダーの先生を探しに、17区のコンセルバトワールに行く。
受付で「リコーダーの先生を探しているんですけれど。」というと、「なぜ?」と聞かれたので、「習いたいからです。」というと、「もう今年の登録は終わっています。」とのこと。
「一般の大人のコースもダメですか?」と聞いたら、やっぱりダメっぽかったが、「先生は木曜日にきます。木曜日。木曜日の午後。ではさようなら。」と言われる。
これ、どういうことだろう?
先生が「いい」って言えば、どっかに押し込んでもらえたりするんだろうか?
しかし、仮にうまくいったとしても、すでにフルートだけでもヒーヒー言ってるのに、リコーダーまで掛け持ちして大丈夫だろうか?
17区のコンセルバトワール。
ウチの最寄のメトロの出口にあるポスト。
落書きを消している。というか、落書きの上からペンキを塗っている!
落書きとペンキが何層にも重なっているんだろうか?
ああ、ここもさりげなくクリスマスになっている。
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