先生も生徒も泣いた…

徳島新聞1982年4月9日朝刊

 このほど、徳島市文化センターで催された徳島市立高等学校第十五回定期演奏会に私は感動した。管弦楽部、合唱部の素晴らしい演奏もうれしかったが、何よりも演奏者(市高生と一部先輩)と超満員の聴衆とが心を通わせ、今春限りで同校を去る一人の教師を包んで演じた予期せぬシーンに、あふれ出る涙をとどめることができなかった。
 教師の名は川人昭夫氏。冗弁を許していただくなら、四十年春着任の音楽教師。四十二年十月、記念すべき第一回の定期演奏会で、なき大西亮氏(元城東高教諭)と共にタクトを振った。以降、第十五回まで川人氏の情熱は冷めることなく、県内屈指の充実した定期演奏会を絶やさず催している。
 プログラムはスメタナの「わが祖国」モルダウ(管弦楽)で始まった。第一回演奏会でも合唱部は「モルダウ」を聴かせている。美しいボヘミアの大地を貫くモルダウ川の奔放な流れと、同校創設以来の「自由・創造」の気風とを重ね合わすのは無理だろうか。
 左手で髪をかき上げ、時には汗をぬぐう川人氏の前に譜面台はなかった。「生徒の顔が見えるように、みんなと目が合うように」と、あとでその理由を人づてに聞いた。
 合唱が終わり、チャイコフスキーが終わり、アンコールの拍手がひとしきり続いたあと、場内放送は川人氏に送る詩を読み始めた。それは同校の四季を歌い、音楽の喜びと、音楽を氏から学んだ幸福を語り続けた。暗転した場内、そこだけが明るいスポットの中に立って、川人氏は肩を小さく震わせ、胸に抱えた大きな花束の陰に顔を埋めてうなだれていく。ステージの上ではバイオリンの女生徒が泣いていた。トランペットの男子生徒が泣いていた。静かな場内に、客席からもすすり泣きの音がひそやかに伝わってきた。
 アンコール曲は、湿っぽさを吹き飛ばすようなマーチだったが、指揮台の川人氏も、演奏する生徒たちも目をぬらし、まさに涙と共にラデッキー将軍をたたえているように私には思われた。クラシックの演奏会には珍しく、客席は手を鳴らしてリズムを取り、ステージと客席一体となったフィナーレだった。「演奏会は終わりました」のアナウンスがあっても会場を立ち去りがたく、多くの人がステージを見詰めて動かない。そのまま管弦楽部員がステージに残り、そこへ合唱部が合流し、プログラムにはない市高賛歌の大演奏が始まった。これに場内が和し、川人氏との別れを惜しむ歌声が波のように幾度となく高まって消えた。
 「自由こそ創造の母胎」と川人氏は、プログラムの中で書いている。受験競争のワク組みの中に入れられて久しい同校だが、人間学園を標ぼうする開設以来の自由な校風を保とうとする努力が、心ある教師と生徒たちによって続けられていることを信じている一人として、この夜の演奏会の予期せぬ進行に驚きながらも信じたことの裏切られなかったことを喜んでいる。
 側聞するところでは、受験科目以外の教科は軽んじられがちだという。芸術もその『軽い』部類と見られやすい。生徒たちの練習もままならぬと聞く。帰宅を促す力の方が強くなりつつあるともいう。そんな時代であるからこそ、なおさらこの夜の感動を伝えたい。音楽教師が生徒に残したものの重さを伝えたい。
(多田雄二記者)

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