>  黄の帰路で





 それは、世界樹の迷宮から戻りエトリアへと向かう最中の事であった。


 「痛ッ!」


 リンは不意にそう叫ぶと、その場に蹲る。


 「ちょっと、リンちゃん大丈夫!」


 驚いて振り返るアイラより先に、素早いシェヴァが彼女の元に駆け寄った。


 「あぁ……足を少しひねっているみたいだね、これ」


 笑顔で言うシェヴァに、リンは申し訳なさそうに頭を下げる。


 「は、はい……あの、すいません。木の根っこがでていて、それに躓いたみたいで……」


 しきりに謝るリンに、仲間たちが駆け寄ってきた。


 「大丈夫、リンちゃん。キュア必要そう?」

 「え、えっと……少し、休んでいれば大丈夫だと思うんですけど……」

 「でも、ここで休むのは危険だぜ。迷宮にまだ近いから、モンスターがでるかもしれないだろ。もっと町中に行かないと……」


 シェヴァはそう言いながら、シュンスケの方を見る。

 自分の意見に後押しが欲しいのだろうか。

 シュンスケは顎に手をあて少し考える素振りを見せてから、小さく頷いた。


 「……確かに、シェヴァの言う通りだな、ここは危険だが……どうする、リーダー?」

 「うおっ、そこで俺に振るかい! どうするって言ったってなァ」


 シェヴァからシュンスケに、シュンスケから自分に選択権をふられ、シグは驚いたような声をあげる。


 「どうする、ったって……ここでリンが回復するまで待つか、リンを背負ってでもして連れて行くしかないだろ?」


 そして、とっさに思いついた提案をきいたシェヴァは。


 「よっし、それじゃ、その役はリーダーがやる事、なっ!」


 そういい、シグの胸をポンと叩くと。


 「……えっ。リンちゃんなら、私が負ぶってあげてもいいけど、あれあれ?」


 何か言いたそうなアイラの手を引きながら、シグとリンを置いてエトリアへと戻っていった。



 「はぁッ! おい、何で俺がやらなきゃいけないんだよっ、シェヴァ! おい、待て!」



 シグの訴えは届く事なく、三人の影はエトリアへと消える。

 後には、シグとリン。

 二人だけが残されていた。


 「全く、シェヴァの奴ッ……体よく押しつけやがって」


 シグはそう呟きながら、リンの傍らに跪く。


 「……大丈夫か、リン?」

 「え。あ……はい、すいません、シグ……面倒な事を、押しつけちゃって……」

 「気にするなよ……アイツらに置いて行かれたのは腹立たしいが、リンの事は心配だからよ……ほら、よっと」



 そしてさして躊躇う様子もなく、リンの身体を抱き上げた。


 「あ……」


 すぐにリンは顔を真っ赤にして俯くと、ぱたぱたと少し足を動かしてから。


 「ご、ご……ごめんなさい、シグ。そのっ……ボク……重い、ですよね?」


 恥ずかしそうに、そう問いかける。


 「いや、全然重くねぇよ」


 重い、と答えたら失礼だろう。

 そう思いとっさにそう答えてから、シグは改めて腕にある少女の身体を抱きしめた。


 強く抱きしめれば、折れてしまいそうな程にか弱く華奢な少女の肉体。

 それは、迷宮で数多の敵を相手にするにはあまりにも小さく、そして儚げである。


 この肉体で、自分たちの後を追いかけ、戦うのは苦痛であろう。

 だが、それでも彼女はいつも、何も文句を言わず付き添ってくれているのだ。


 同じ年頃の少女であれば、こんな危険に付き合う必要もない。

 手足を傷だらけにして歩く必要もなく、暖かい場所で着飾ったりお喋りをしあって楽しんでいても不思議ではないのだろうが……。


 彼女はそれをしないのは、自分たちの迷宮探索。

 それに付き合っているからだ。


 「……ごめんな、リン」


 シグの言葉に、リンは驚いたように顔を上げる。


 「そんな……急に、どうしたんですか。シグ? ぼく、シグに何かいけない事しましたか?」

 「いや、そうじゃなくてな……何時も無理ばっかりさせて、ごめんな、って……」


 シグがリンを抱きしめる力が、自然と強くなる。


 「……こんな細ぇ身体で、俺たちの冒険に付いてきてくれてよォ。無茶もある、暴力沙汰も毎日だ。こんな厳しい戦いに、リンは文句一つ言わずに付き合ってくれるだろ? 無理させてるな、って思ってよ、だから……」


 自分が傷つく事には文句はない。

 望んで選んだ道でもあるからだ。


 だが彼女は、冒険者として生きる予定がなかった少女なのだ。

 自分と会わなければ一生、こんな血生臭い世界に縁もなく、もっと穏やかな日常に居る事が出来たはずなのだ、が……。


 「ごめんな」



 自分がそれに巻き込んだ。

 自分と出会わなければ彼女を、血と鉄の匂いがする道へ誘う事はなかっただろうに。


 その思いから、謝罪の言葉が口に出る。


 そんなシグの鼻先に、柔らかなものが触れる。

 見ればリンがその細い指先で、彼の鼻先に触れていた。


 「もぅ……ごめんは無し、ですよ、シグ。ボクは、好きでシグの傍に……皆の傍に居るんです」


 穏やかに微笑むリンの笑顔を、西日が明るく照らし出す。

 日の光が眩しかったからか、リンの細い茶色の髪がきらきらと輝く。


 シグの心臓が、一度大きく高鳴った。

 どんな魔物を前にしても揺らぐ事のない心臓が、一度、大きく。


 「でも……よ。リンくらいの女の子だったら、さ……もっと、お喋りとかしてぇ、だろ。綺麗な服着てよ、甘い物とか食べて……」

 「そう……ですね。確かに、お喋りもしたいな、って思います。迷宮では綺麗な服着れないし、甘いお菓子ももうずっと食べてない……」


 だけど、と彼女はそこで小声で呟く。


 「……ぼく、別にそういうの、いいんです。お菓子とか、お洒落とかより、シグと一緒に居るのが、いいんです……お喋りより、お洒落より、ぼくは、シグと一緒に居る時間が好きですから!」


 顔が赤く見えるのは、西日のせいだろう。

 だが、揺れるこの鼓動は一体何のせいだろうか。


 「リン……」


 身体を抱きしめる腕に、自然と力が入る。



 「あっ……痛いです、シグ……」

 「あぁ……悪い」



 迷宮ではない鼓動の高鳴りに戸惑うが、不思議とこの戸惑いも悪い気持ちはしない……。


 「リンがそう言うんなら……そうだな、少し……ゆっくり帰るか?」

 「えっ……悪いです、そんな、シグも迷宮探索で疲れているのにっ……」

 「大丈夫だって、タフさだけが取り柄のソードマンだぜ。それに……俺も、リンと一緒に居るこの時間が好きだからな」



 腕の中にある小さな身体から、弾けるような鼓動が聞こえる。

 だがそれも一瞬で、西日の光と迷宮からの風の音が全てかき消してしまった。


 「……だったら、シグ。あの、今日は、少しだけ……ボクだけのシグで、いてくださいね?」

 「あぁ」


 そして、互い笑顔になると賑やかな街へとゆっくり歩き出す。


 今日の疲れを癒すため、明日もまた迷宮に向かうため。

 大切な存在の隣に、少しでも長く居る為に……。



天然スケコマシ、ギュスターヴ坊ちゃん。