>  眼の恐怖





 世界樹の迷宮。

 そう呼ばれる迷宮を擁するエトリアで、その日。

 とある冒険者ギルドに所属するメンバーたちが、テーブルを囲み話し込んでいた。


 「とにかく、この依頼(クエスト)は俺が受けるンだからなッ!」


 そう息巻くのは、褐色の肌と、新雪のように輝く髪が印象的な一人の冒険者だった。

 派手な外見と腰から伸びる鞭から、ダークハンターを生業としているのだろう。


 大きめな目と輝くような金色な瞳が美しく、小柄でやや幼い顔立ちをしている故に年齢ははっきりと解らない。

 少年にも、青年にもとれる小柄な男である。


 「そう言うがな、シェヴァ。お前がやるにゃ、ちょっと荷が重いと思うぜ、これはよ」


 そんなダークハンター……シェヴァを諫めるのは腰に鉄の剣をぶら下げた一人の青年だった。

 使い込まれた剣は子どもの背丈ほどはありそうだが、青年はおそらくそれをナイフとフォークを使うより巧みに扱うのだろう。

 そう、彼は荒事を生業とする冒険者の中でも特に戦闘に長けた、ソードマンと呼ばれるモノであった。


 「何だよ、シグ。俺がそんなに軟弱に見えるってのかよ!」


 激しい調子でソードマン……シグに詰め寄るシェヴァの額を押さえながら、シグは困惑の表情を浮かべる。


 「いやさ、軟弱だって訳じゃ無ぇよ。ただ……この依頼(クエスト)は、お前が請け負うにゃ少々危険だって言ってるだけだぜ?」


 シグはそう言いながら、顎に手をやり考える素振りを見せた。


 「樹海の魔物……森の破壊者を一人で退治してこい、だったよな」

 「そうだよ! 大丈夫だって、もう俺も、ベランダの冒険者なんだから!」


 恐らく、ベテランと言いたいのだろうがこの程度の誤作動はシェヴァにとっては日常茶飯事だ。

 最早ギルド内にそれを突っ込むものは居ない。


 「そう言うが、森の破壊者はあの丸太のよーなぶっとい腕で豪快な攻撃を仕掛けてくるんだぞ? お前みたいに薄着で定評のあるダークハンター、あいつの攻撃を回復させているだけで詰むぜ?」


 シグの言う事も最もであった。

 森の破壊者の鋭い爪は数多の冒険者達を屠っている。

 生半可な装備で挑むのは、それでこそ自殺行為である。


 「この依頼は、お前のように軽装備しか出来ない奴より、俺やアイラみたいに重装備を固められる奴の方が向いてると思うがね」


 シグはそう言いながら、少し放れた場所に座る一人の少女に目配せする。

 その視線に気付いたのか、少女は立ち上がるとシグの隣に並んで言った。


 「そうそう、シェヴァさんはここでドーンとまってて、ここはアイラさんにまっかせなさーい!」


 燃えるような赤毛と紅い瞳を持つ少女の容姿は可憐だが、その背中には自身の背丈程はありそうな大斧が背負われている。

 新米の冒険者が、ハクを持たせるために大仰な武器を背負ったり、扱えない武器を揃えたり。
 というのはよくある光景である。

 だが彼女の武器がハッタリで背負われているものではないという事は、その刃先についた傷や使い込まれた痕跡から充分に見てとれる。

 彼女もまた、シグと同様荒事を生業とする、ソードマンと呼ばれる存在である。

 荒事はお手の物なのだ。


 「わざわざ、シェヴァさんみたいな可憐な男の子が行かなくても、私がドーンとやっつけたげるわよ!」


 アイラはそう言いながら、自慢の斧に手をかける。


 「そうだ、アイラが素手で鉄板をも穿つ筋肉で倒してきてくれるから、シェヴァは無理しなくてもいいんだぜ」


 さらにシグがそう付け加えれば。


 「誰が鉄板を穿つ筋肉よ! 誰が大ナマケモノと見まごう肉体よ! 誰が乙女というより男女(おとこめ)よ! このすかぽんたーん!」


 アイラの豪腕が、シグの横っ面を捉えた。


 「ふごぇっ!」


 悲鳴とも叫びともとれぬ奇声をあげ、シグはその場に倒れ込む。


 「ふぉ、ふぉら……見ただろ、アイラの黄金の右腕。これならどんな凶暴な森の破壊者であろうと、一撃だ……ガク」

 「大げさに倒れないでよ、少し撫でただけでしょう!」


 あれを撫でたと言い張るなら、間違っても寝所を共にする事は出来ないな。

 その様子、一部始終を見ていた周囲の男たちは皆一様にそう思った。


 「とにかく、皆でやっつけに行くならまだしも、一人で倒しに行くって依頼なら、私やシグに任せた方がいいって。ね?」


 改めてアイラはシェヴァへ笑顔を向ける。

 その笑顔は、相手を確実に仕留める事の出来る時のみ見せる笑顔であり、彼女の相棒を長く勤めているシグが最も信頼している笑顔である。

 だが。


 「いやだね」


 アイラの笑顔を前にしても、シェヴァはまだ折れなかった。


 「アイラちゃんが強いのも知ってる、シグが俺よりずっと打たれ強いのも、見りゃわかるよ。だけど、俺はどーしても、この依頼を受けたいんだよ!」


 あくまで我を通そうとするシェヴァに、ずっと黙ってそれを聞いていた一人の男がようやく口を開いた。


 「そう言うがな、シェヴァ」


 男は静かな口調で言うと、その紅い瞳をシェヴァへと向けた。

 長く伸びっぱなしになっている黒髪に、すり切れたボロのマントともマフラーともとれぬ布を首にまいている事から、男があまり外見を気にしない性質であるのは一目瞭然であった。

 その細く華奢な肉体とは裏腹に、両腕には甲虫を思わす無骨な手っ甲がつけられている。

 この手っ甲は、自然の摂理を編み数多の術式をあやつる理の探究者……錬金術師(アルケミスト)特有の装備である。

 彼らはこれを用い、数多の奇跡とも思える術式を行使するのである。


 「何だよ、シュンスケ。お前までダメって言うのか!?」


 激しく詰め寄るシェヴァに、シュンスケは自らの手っ甲を眺めながら応えた。


 「お前は適してないと言っているのだ。そう、森の破壊者は鋭い爪を持ち人の血肉を裂くだけでなく相手を恐慌状態に陥れる叫びもまた得意としているのだぞ。敵の叫びを受けて無防備なお前では、あいつの爪にとても耐えられないだろう?」

 「そんなの……シグやアイラちゃんだって一緒だろ!」

 「お前よりは耐久力がある、大きな違いはそこだな」


 手っ甲の調子があまり良くないのか。

 シュンスケは幾度かそれをつけなおしながら、シェヴァをそう諭す。


 「ほら、な。うちの参謀であるシュンスケもそう言ってる訳だし。まま、ここは俺やアイラに任せておけって」

 「そうそう、シェヴァさんには向いてないのよ、ねぇ、リンちゃん?」


 そこで、アイラの傍らに居た少女は不意に声をかけられ驚いたように顔をあげる。


 「え、ぼ。ボクですか!?」


 短い髪を綺麗に整えた大きな瞳を持つ少女は、一見すればこんな粗野な冒険者が集まる場所は適さない、あどけない可憐な少女であっただろう。

 だが彼女が着る白衣と、傍らに掲げる薬のつまった鞄が彼女がここにいる理由を示していた。


 彼女はメディック。

 迷宮に挑む冒険者たちを影で支える、治療のエキスパートである。


 「ボクは、よく解らないけど……その、シグは強いから、シェヴァさんはここで待っていていいと思いますよ。ほんとは、シグも危ないから行かないでほしいけど……」


 リンはそう言いながら、もじもじ指遊びをしている。


 「ほら、リンも行くなってさ。だから、任せておけって、な。こういうのは、俺の仕事だから……」


 ギルドの誰もが、シェヴァが一人で地下に潜る事を望んでいなかった。

 だが。


 「うるさいうるさいうるさいうるさーい! とにかく、俺が行くっていったら行くんだ!」


 シェヴァだけはそれを認めようとしない。

 一人、半ば強引に依頼を受けると。


 「待てよ、シェヴァ! こら、勝手に出かけるな!」


 止めるシグの声も聞かず。


 「見てろよッ! 俺が、女の子みたいにちっこくて華奢で軟弱な奴じゃねぇ、一人前の冒険者なんだって事、見せてやるからな!」


 そう言いながら、一人、世界樹の迷宮へと、飛び出していくのであった……。



 ・
 ・
 ・



 樹海磁軸をつかえば、一瞬で森の破壊者が潜む階層までたどり着ける。


 「よっし、準備万端ッ!」


 傷薬等を揃え、シェヴァは一人迷宮へ踏み居る。


 「背中が妙に寂しいなぁ、一人旅ってこれだからイヤだよ……」


 そう言いながらシェヴァは、一人で居た頃を思い出す。

 ……考えてみれば、一人でこうして行動をするのは何時以来だろうか。


 一歩迷宮に踏み出しながら、シェヴァは漠然と考えていた。


 ……物心ついた時、両親と呼べる存在はいなかった。

 だが、孤独だとは思わなかったのは傍らに仲間と呼べる孤児達が居たからだろう。


 同じように行き場を無くし、街の片隅に集まって毎日バカみたいな話をする。


 草、泥、汚水。

 口にできるものは何でも口にした。


 プライド、身体、命。

 金になるものは何でも金にした。


 だけど誰もそれを汚れた事だと蔑まなかったのは、皆同じような境遇だったからだ。


 口にするのもおぞましい真似もされた事があるが、それでも笑っていられた。

 だが一人、一人。

 隣に居る仲間の数は減っていく。


 日々を生きるのに己の命を削っていた連中ばかりだったからか。

 気付いたら……一人になっていた。


 そしてそんな自分も、皆と同じよう、誰にも気付かれぬまま、死のうとしていた。



 「財布を盗んだ餓鬼はお前か!」

 蔑まれ。


 「出せ、全くだから貧困街の餓鬼なんざぁ嫌ェなんだよ!」

 殴られ。


 「ほら見て、薄汚い街の餓鬼が殴られてるわよ」

 「これで少しは景観がよくなるでしょう?」

 「だってあいつらは汚水だって飲み下し、尻に金を挟ませるような連中ですものね」

 汚れた芥だと罵られながら、消えていく運命だった自分に。



 「……大丈夫だったか?」


 誰かが手を差し伸べる。

 紅い目と、無骨な手っ甲を持つ、陰鬱な雰囲気を持つ男……。


 彼は名をシュンスケ・ルディックと名乗った。
 その仕事は、自由人とも無法者とも呼ばれる存在……冒険者だった。


 ……思えば、一人で行動をするのはあれ以来だ。

 あの時、シュンスケに命を助けられてからはずっと彼と連んでいた気がする。


 「……今日は居ないんだよな、シュンスケ」


 不意に不安にかられ、振り返ったその時。

 ルビーを思わすけばけばしい体色をした粘液状のモンスターが眼前に迫っている事に、シェヴァはようやく気がついた。


 「うぁっ、危ねッ!」


 とっさに身をかがめ、素早く腰の鞭を振りかざせば、パチンと泡が弾けるようにその化け物は姿を消す。


 スリーパーウーズ。

 森にやってきた冒険者らに音もなく忍びより、眠りを与え無防備にする厄介なモンスターだ。


 「ふぃ、危ねぇ危ねぇ。よく考えたらここ、森の破壊者以外にもきっついモンスターが居るんだったよな」


 器用に鞭を丸めてから、それを腰に引っかける。


 「……考え事なんてしてる場合じゃねぇよな、うん」


 そして一人そう呟くと、改めて暗く、深い迷宮を見据えた。


 森の破壊者を、一人で倒す。

 今回の依頼は、そうあった。


 剛毛に覆われた分厚い毛と、鋭い爪。

 数多の冒険者を血の海に沈め、時には同じ階層に潜むモンスターさえ血祭りに上げる飢えた獣。


 まさに森の破壊者と呼ばれるに相応しい孤高の獣は、一人で相手をするには難儀な相手だ。

 だがそれは即ち、一人で倒す事が誉れという事にも繋がる。



 「相変わらず女の子みたいな顔してるよな、お前は! 細いし、もっと鍛えろ!」

 ギルドのメンバーであるシグにはそう笑われ。


 「いいから、可憐なシェヴァさんは下がっていて! ここは私が仕留めるから!」

 女性であるアイラにも、そう言われ。


 「シェヴァさんは、何か女の子みたいだから、一緒に居ると安心するんですよね」

 リンにまでそう言われる程、女性的な自分の容姿。

 シェヴァはそれを気にしていたし、何より……。


 認めて欲しかった。

 自分を、男として……一人の、冒険者として。


 「よし、ここだなッ」


 扉を前に、一人呟く。

 この奥に、自分が求める強敵……森の破壊者が、居るはずである。


 扉に手を伸ばせば、微かに震えているのが自分でも解る。


 「違っ、これは武者震いとかだから! 別に、怖い訳じゃねぇーから!」


 震える自分の手を押さえ、シェヴァは一人、扉を開く。

 そこに 「奴」 は居た。



 叫びとも怒号ともとれぬ咆吼を響かせ、巨大な両手を虚空に掲げ。

 ただ破壊を求める、血に飢えた獣……。


 森の破壊者と呼ばれる存在は獲物を。

 自らの爪で粉々に砕く相手を求め、森の中を彷徨っていた。


 「居た……」


 シェヴァの持つ鞭の手に、汗が滲む。

 息をのみ、自然と身体が震えてくる。


 今ならまだ戻る事が出来る。だが……戻ってしまえば意味はない。

 また、ギルドの仲間達に、脆弱な男だと笑われるのだろう。


 それは……イヤだ。


 「……ここだッ、森のクマさんめ!」


 鞭を震わせ音をたてれば、森の破壊者。

 その視線は、シェヴァを捉える。


 「お前に恨みがある訳じゃないけど、お前を倒す事で喜ぶ奴が居る以上……俺と勝負だ!」


 闘争心溢れる瞳を光らせ、血の滴る爪を持つ獣。

 その獣を前に、シェヴァは自らの鞭を唸らせた。


 「先制、行くぜ!」


 一度大地を鞭で叩き、勢いをつけて獣を打ち据える。


 「アームボンテージだ!」


 ダークハンターはボンテージ技で相手の得意技を封じる事で真価を発揮する職業である事。

 シェヴァはよく心得ていた。


 それ故に、真っ先に相手の攻撃を封じる為、得意の技をふるう。

 だが。


 森の破壊者、その強固な腕は簡単に捉えられる程生やさしいものではなかった。


 とはいえ、シェヴァの鞭攻撃は思いの外驚異だったのだろう。

 腕に思わぬ傷を負った森の破壊者は、僅かにひるみシェヴァより少し間合いを取る。


 (しめたッ!)


 シェヴァは内心で歓喜の声をあげた。

 元々、鞭を振るうシェヴァが最も得意とするのは中距離戦である。


 この間合いであれば、森の破壊者の爪は簡単には届かない。

 だが、自分の鞭は充分に届く。


 自分にとって最も優位な場所を、相手からとってくれたのは僥倖という他にないだろう。


 立て続けに技を繰り出すか。

 シェヴァがそう思い、鞭を構えたその時。


 けたたましい咆吼が、森を振るわせる。

 同時に、鞭を振るおうとしたシェヴァの腕がとまった。


 ――恐怖の咆吼。


 それは、森の破壊者が得意とする技の一つである。


 この声に捕らわれたものは、恐怖を掻き立たされ、武器を振るう事も叶わず、無防備な姿を獣の前に晒すという。

 数多の戦士たちがこの声に捕らわれ、獣の力に抗う事も出来ぬまま、その爪の前に倒れた。


 シェヴァも――。


 「あ、あっ……あ……」


 今、まさにそういった冒険者の仲間に、なろうとしていた。


 (駄目だ、武器を……取らないと、攻撃を……)


 震えをおさえ、鞭をとろうとする。

 だが。


 「あ……」


 鞭は無常にも手からこぼれ落ちる。

 恐怖に支配された心は、戦士に武器の使い方さえ忘却させた。


 (マズイ、このままじゃッ……)


 殺される。 

 死の恐怖から逃れる為に、シェヴァがとった行動は、口の中を噛み、痛みの恐怖で自我を引き戻す。


 咆吼という形のない恐怖に支配された心を奮い立たすのに必要なのは、現実の痛みである事。

 冒険者となったシェヴァが持つ、生存術の一つである。


 だが、その懸命の知恵も……僅かに、遅かった。


 恐怖の状態が、冒険者であるシェヴァを一瞬ただの人にした。

 その一瞬が、命取りだったのである。


 気がついた時、森の破壊者はシェヴァが避ける事も不可能な場所まで接近し、その丸太ほどある腕を大きく振りかぶる。


 「しまっ……」


 避けるか、受けるか。

 その判断が出来ぬまま、素早い攻撃は繰り出され……。


 シェヴァの身体は、まるで鞠の如く跳ねとばされ、強く木に打ち据えられる。


 「あ……がはっ! げほっ……」


 口から血が漏れる。

 身体が、自由に動かない。


 顔をあげ、シェヴァが見た森の破壊者は……僅かに笑うかのように、その長い爪をシェヴァの身体に向けた。

 鋭い爪が、シェヴァの肌を撫でる。

 褐色の肌に線が走り、それにそってじわりと血が滲んできた。


 殺される。

 そう思うと同時に、殺すならひと思いに、という覚悟も芽生える。


 だが、森の破壊者はシェヴァを殺そうとはせず、滲んだ血を慈しむようその舌でなめ回した。


 「あッ……やめっ、ろ……んぅ…………んんんんッ!」


 獣の舌は肉が削げるような痛みを与えるが、同時に身体全体に痺れるような快楽を与える。


 「なっ、何するんだよ、このッ……」


 慌てて逃げようと身をよじるシェヴァだったが、木に打ち据えられた時、足にも相当なダメージを負っていた。

 思うように、動く事は出来ない。


 ずる、ずる。

 大地を這うように進むシェヴァの身体を、森の破壊者は簡単に押さえつけた。


 「ぐはッ……んん、っ……」


 内臓もそこそこにかき混ぜられているのだろう。

 軽く捕まれているだけなのだろうが、血を吐く程に辛い。


 だが、妙だった。

 常であれば一撃でこちらを屠る森の破壊者が、今日は妙に嬲るような真似をするが……何故だろう。


 それを考え、シェヴァは以前、仲間であるシュンスケより聞いた言葉を思い出していた。


 「魔物にとって人は餌にすぎない、が……一部の魔物は人を、それ意外の用途として確保する場合がある。どの魔物にその特性があるかは、はっきりとしないが……一部の魔物は、瀕死の獲物を慰み者にするそうだぞ、注意するんだな」


 仲間は、確かにそう言っていた。

 喰う意外の歓喜を得る為、弱った獲物を殺さずにおく魔物がいる、と。


 ……森の破壊者も、即ちそんな魔物だったのである。


 「ふっ……ざけんな! こんなケダモノにいーようにされてたまるかよ!」


 逃れるように身をよじれば、みしみし骨が軋む音がする。

 すでにシェヴァは、森の破壊者の腕、その下に捉えられていた。


 「やめっ、おまぇ……イヤだっ……」


 獣に背を向け逃げようと足掻くが、手足は思うように動かない。

 獣は笑うように吼えると、シェヴァの背中をその鋭い爪で撫でる。


 「ぁ!」


 焼けるような熱さの後、血が滴る。

 その血を慈しむように舐めると、巨大な獣はその爪でシェヴァの軽い鎧を引き裂いた。


 「やめっ、お前……もぅ、もう辞めてくれ! 頼むから……」


 必死の懇願も、獣の耳に届くはずもない。

 シェヴァの小さな身体を押さえ、ヤスリのような舌で舐る獣には一切の遠慮も慈悲もなく、肌を舐められるたびに皮膚をもっていかれる程の痛みと獣が持つ本能からの責め苦による、快楽とが運ばれてくる。


 「あ、あ、あっ……」


 小刻みに訪れる快楽は、シェヴァの身体を支配しそして……抵抗する事も叶わぬ程、身も心も衰弱させていった。


 「はぁ……はぁ、はぁ……」


 肩で呼吸を整えるシェヴァの前に、獣の体躯が迫る。


 「やめ……無理だッ、そんモン……無理……無理だ、無理だからッ!」


 イヤイヤと小さく首をふるが、元よりケダモノ。人の嫌がる仕草を理解できるはずもない。

 すでに身動きのとれないシェヴァを組み伏せた獣は、涎を垂らし近づいてくる。

 身の危険を察知するもすでにどうしようもないシェヴァは、目を閉じる事にした。


 眼前の恐怖からの逃避。

 すでに彼にはそうする事でしか、自分を保つ方法が残されていなかったからだ。


 目を開けた時に全て終わっていればいい。

 そんな覚悟を決めた、その時。


 「スタンスマッシュ!」


 激しい声と同時に、身体がふっと軽くなる。

 見れば目の前に斧をかまえた、アイラの姿があった。


 「大丈夫、シェヴァさん。まってて、とっとと片づけてきちゃうから!」


 アイラはそう言いながら、改めて斧を構える。

 だがその斧が二度目の攻撃を振るう前に。


 「大氷嵐の術式!」

 「追撃、行くぜ! チェイスフリーズだ!」


 シュンスケのはなった激しい氷の嵐を受け、シグが冷たい刃を振るう。

 それを最後に、森の破壊者は断末魔の叫びをあげその場に倒れ伏した。


 「大丈夫ですか、シェヴァさん?」


 その姿を見る前に、リンがあわててシェヴァの身体に触れる。

 ふ、っと身体が楽になる……キュアを使ってくれたのだろう。


 あれ程に痛めつけられた肉体が、すぐにでも動き出せる程度には回復していた。


 「全く、無茶しやがって……大丈夫だったか?」


 シグは跪き、シェヴァの顔をのぞき込む。

 シュンスケは黙って、愛用の……すでにマフラーだかマントだか区別がつかなくなった布きれをシェヴァの身体にかける。


 「ん、ん……ありがと、リーダー。大丈夫だった、けど……皆、どうして?」


 首を傾げるシェヴァに、シグは笑って。


 「いやぁ、俺は大丈夫だからほっとけ! って言ったんだが、シュンスケがどーしても心配で心配で、気が狂いそうだっていうからよ!」


 からかうように言った所でシュンスケに殴られたので、慌てて真面目な顔をする。


 「お前は火力はそこそこだが、打たれ弱いだろ。森の破壊者がタフだって事を考えても、お前だと打ち負けると思ってな。心配だから、ついて来たって訳よ」

 「……お前に何かあったら、俺が困るからな」


 後ろで控えるシュンスケが、こちらに聞こえるか聞こえないか解らない程度の声ででそう呟いた。


 ようは、自分では勝てる訳がないと。

 そう思われたから、皆ついてきたという事か。


 「……ごめん、みんな。俺」


 シェヴァの目から、自然と涙がこぼれる。


 「やっぱり俺っ……駄目だよな、皆がいないと……一人じゃ、満足に戦う事も出来ねぇ。足引っ張ってばっかりで……ゴメン、俺っ……」


 ……戦士として認めて欲しかった。

 その思いから受けた依頼であったが、結果として皆の力を借りる事になってしまった。


 自分の不甲斐なさから涙がでる。

 そんなシェヴァの涙を拭うと、シュンスケはその傍らに跪いた。


 「本当にバカだな貴様は」

 「ちょ、シュンスケさん! 何言ってんの! シェヴァさん、まだ傷ついてんだから少しは……」


 あわてて止めに入るアイラの言葉を聞かず、シュンスケは続ける。


 「……一人で戦う? 皆の力を借りて申し訳ない? バカ言うな。お前は、ソードマンにでもなったつもりか?」

 「でも、シュンスケ、俺っ……」

 「お前はダークハンターだろう? 封じ技を駆使し、絡め手を吟味し相手の弱点をついて攻撃する事を生業とし、他のメンバーを助ける事がお前の役割だ。 前衛で戦い、攻撃に耐えるのはお前の仕事ではない。お前は、そんな事すらも解らないのか?」


 シュンスケの言葉の意味、その全てを理解できずキョトンとした表情を向けるシェヴァに、シュンスケはさらに畳みかけた。


 「お前は、一人で獣を仕留める事が出来なくてもいいんだ。お前が敵を翻弄し、俺たちが相手を仕留める。そうする事が、出来ればいい」

 「でも……」

 「俺たちは、その為の仲間だからな」


 シュンスケの言葉に、アイラは大げさなくらいに頷く。


 「そうそう、無茶は私たちソードマンの仕事! で、ソードマンの無茶が通じない相手には、シェヴァさんの封じ技が大事なんだからね!」


 次いでリンが。


 「そうです……シェヴァさんの封じ技で救われた局面も多いんですから。シェヴァさんが駄目だなんて、誰も思ってませんよ!」


 最後にシグが。


 「……って訳だからよ。あんまり湿っぽい顔すんなって。俺たちは、普段通りのお前が一番好きなんだからよ」


 笑顔のまま、手を伸ばす。


 ……自分を何処か、頼りない男だと思っていた。

 シグやアイラと比べれば打たれ弱く、また攻撃にも威力が少ない故に、足を引っ張っていると。


 少しでも頼って欲しくて無茶をしたのだが……。


 「なんだ、俺……バカみたいだなぁ」


 シェヴァは涙を拭うと、シグの手をとる。


 「ごめん、皆。でも……これからもよろしくな!」


 自然と皆が笑顔に満たされる。

 依頼の達成は成らなかった、が……。


 シェヴァの中に潜んだ恐怖は、すっかり消え失せていた。




エロいう方がエロいんですよ……。