>  そのから、彼は生まれて





 それはある国。

 ある場所の物語。


 貴族制度の仕来りが色濃く残る土地で、ギュスターヴ・モーゼスが自分は他の子供たちと違う、と認識したのは4才の頃。

 収穫祭で子どもたちに配られている木工細工の玩具を指さして 「あれと同じ玩具が欲しい、あれを持って皆と遊びに行きたい」 とねだった時。



 「そのような振る舞いは、モーゼス家の嫡男として相応しくありません」



 そう、両親より窘められたその時からだった。


 モーゼス家の嫡男は庶民とは違う。

 完璧な礼法を身につけ、聡明で良い血筋の妻を娶り、跡取りとなる男子に同じような教育を与える事。

 ただそれだけの為に存在する。


 モーゼスの家に必要なのは格式を保つ事と、やさぬ事。

 ただそれだけのシンプルな事だが、それは生まれた時からのし掛かる重い鎖として長きに渡り一族にのし掛かっていた。



 幼い頃からそれを望まれた彼は、何時しかその重圧から逃れるよう、剣術に没頭していった。



 モーゼス家は元々将軍として、迫り来る蛮族の軍隊を蹴散らし、多くの兵士らを統率する事で現在の地位と爵位とを手に入れてた一族であった。

 その為、他の貴族らが粗野であるとあまり熱心に取り組まなかった武術に、嫡男である彼が没頭する事を咎める者は誰も居なかった。


 そう、咎める者は居ない。

 だが、誉める者もまた、居ない。


 すでに名家の中でも剣術など過去のもの。

 決闘と呼ばれる儀式も、最初から勝ち負けが決められた試合にしか許されない、形式上のモノと変化していた時代。


 モーゼス家の嫡男の趣味は咎められる事すらなかったが歓迎されるモノでもなかったのだ。


 だがそれでも、ギュスターヴは剣を振るい続けた。

 剣を握っている時だけ、すでに決まり切った自分の運命を忘れる事が出来たからだ。



 「頑張っておられますね、ギュスターヴ様」



 相手のない素振りを繰り返す事、数年。

 声をかけてきたのは、館に使える侍女の一人だった。



 「ですが、あまりご無理はされないでくださいませ。ほら、身体が傷だらけです」



 彼女は剣を振る彼を奇妙とも品位がないとも思わず、ただ彼の事を心配し労いの言葉をかける。


 侍女は名を ロスヴァイセ と言う。

 剣を振るう事を良しとしなかったモーゼス家で初めて、剣を振るう彼を認めてくれた女性であった。



 以後、彼女は剣を振るう彼の元に現れる事が多くなり、また彼も、変わり者である自分を受け入れる彼女に心を許すようになっていった。

 二人とも、若い男女である。

 親しみの感情が、熱病のような思いに変わるのに時間はあまりかからなかった。


 幼いと蔑まれる恋慕の感情だっただろう。

 だがギュスターヴは、その思いも何時か結ばれるものだと信じて疑わなかった。



 自分は、ロスヴァイセを愛しているしロスヴァイセも同じ気持ちでいる。

 それならば何の障害もないだろう。


 ギュスターヴはそう信じていた。

 自分が持つモーゼス家の名。


 その重さを、若く純真な彼はまだ知らなかったのだ。



 侍女であるロスヴァイセと愛を育むようになってから、数年の歳月が流れた。



 間もなくすれば自分も、婚姻を結べる年齢になる。

 しきたりと品位とでがんじがらめにされたモーゼス家も、自分と彼女となら変えていけるだろう。


 自信と希望に満ちあふれていた彼の前に、一つの縁談話が持ち上がったのはその頃だった。


 自分より上の爵位を持つ、ウェッソン家の淑女が晩餐会で見かけた彼をいたく気に入り、是非傍にという縁談であった。



 愛に燃えるギュスターヴにとっては馬鹿げた話である。



 だが、血を守る事にかけては何百年という歴史を持つモーゼス家にとってそれは、またとないチャンスであった。


 ただ力の強いだけの地方豪族が、田舎者が。

 同じ家柄の連中からそう蔑まれてきたモーゼス家にとって、本物の貴族らと血縁は望んで止まないものだったからだ。


 両親は、ギュスターヴを説得した。

 だが、彼が説得に応じない事を知ると、彼を隔離し力を削ぐ事にした。


 すでに街の破落戸らをも簡単に打ち払える実力を持っていたギュスターヴを脅す事は出来なかったし、もしちんぷら風情がギュスターヴの命まで奪ってしまったら本末転倒である。


 心を折るにはこれしかない。

 そう思い、彼が頷くまで彼と、ロスヴァイセを引き離す事にしたのである。



 だがそれでも彼は、自分の心がロスヴァイセにある事。

 また、ロスヴァイセに心変わりがないという事を、信じていたのだ。



 およそ一ヶ月の幽閉の後、それでも以前と代わりなく、目の輝きを失わない彼に、ある報せが入る。

 それは、彼がただ一人慕い、信じ続けた女性。

 ロスヴァイセがもう……何処にも居ないという、報せであった。



 一ヶ月ぶりに牢を出たギュスターヴが向かったのは、家ではなく彼女の元だった。

 だがそこに、彼女の姿はなくあったのは一枚の手紙のみ。



 『さようなら。せめて、あなたは一日でも長く、生きて、幸せになってくださいね』



 拙い字で書かれた、その手紙だけだった。



 何故彼女を、どうして彼女を。

 青年にとっては当たり前の質問に、モーゼス家はモーゼス家にとって当たり前の返事をした。



 「何故あの雌猫に拘るのだ、お前は。ウェッソン家の令嬢を正妻に迎える事が出来れば、それこそがモーゼス家にとっての誇り」


 「そうです、だいたいあの淫らな雌猫は、モーゼス家に取り入る事が出来るとでも思っていたのかしら」


 「ウェッソン家の令嬢を差し置いて妻として置く事は出来ないが、妾としてなら居る事を許してやろうと言ったのに、それを拒んだりするものだから……」


 「荷物をまとめて出て行きなさいと言っても、貴方がそれを追いかけていくのではないかと心配で……」


 「街の破落戸、ほんの二、三人を雇って可愛がってもらっただけだよ」


 「でも良かった、これでモーゼス家も安泰ね」




 自分の家が彼女にした事を知った時、ギュスターヴ・モーゼスという男は、死んだ。

 モーゼス家の誇りである剣を打ち壊し……。



 モーゼス家の亡霊に捕らわれた、ギュスターヴという男は、その日に死んだのだ。




 「さて、と……どっちの方に行くかな」



 打ち直されたばかりの剣を腰にぶら下げて、男は見知らぬ土地を行く。

 ギュスターヴ・モーゼスが死んだ後、一人の冒険者が生まれた。



 名はシグ。

 通り名は、まだない。



 「手っ取り早く強くなりてぇンなら、渓谷の方に言ってみるといい。あそこじゃ、始終ドンパチやってて……腕試しにはもってこいだぜ」



 安酒場の主人に言われ、男は頷き馬に乗る。



 「面白ェじゃ無ぇの。それじゃ、いっちょかき回してやりますか!」



 男は馬の鼻先を渓谷へと向走らせる。



 この冒険者が後に 「世界樹の迷宮」 と呼ばれる地に姿を見せるのは、それから数年後の事になる。




シグが貴族の息子という設定は、シグ本人も忘れている。