> アイラさんは女として扱われたい




 いっつも、あいつは……。

 シグは、そうだった。



 「よぅ、アイラ! 今日もいい筋肉してるなッ! 腕なんか、丸太くらいありそうだぜ!」



 キレイだね、とか。

 可愛いね、だとか。


 女の子が喜びそうな言葉を使って私を誉めた事なんて、一度だってない。


 それどころか。



 「おぉっと、悪い悪い……着替えてた所だったか。でもま、アイラだったら別にいいよな! 見た所で、どっちが胸でどっちが背中だか解りやしねぇもんな!」



 私が部屋で着替えている時も平気な顔して入ってきた上、そんな風に笑って済ます。

 そんな、バカで、鈍感で、デリカシーのない男だから、私の事誉められないのは仕方ないって思っていたけど……。



 「おッ……リン、今日は可愛いじゃ無ぇか、新しい白衣か? 似合ってるぜ、それ!」



 リンちゃんが少し着飾れば、可愛いと笑って誉める。



 「シリカ、何時も悪いな。あんまり無理すンなよ!」



 シリカちゃんが工房にこもって武器作りをしていれば、労いの言葉をかける。

 他にも、金鹿の女主人とか……私以外の女の人には、シグは割と優しい言葉をかけているのだ。



 ……シグと私はわりと付き合いが長い。

 私がまだ傭兵だった頃から背中を預けていた相棒だし、冒険者になってからはずっと彼と一緒だった。


 だから彼が私を、女の子という視線じゃなくて、背中を頼れるパートナー。

 仲間という視線で見ているのは、何となく解るから、仕方ないと思っていたけど……。



 その日。

 久しぶりに宿に泊まり、一日ゆっくり休めると聞いて、宿のお風呂を借りた時。



 「ふぅ……いーいお湯ねー。やっぱり、エトリアの宿まで戻ればお湯に入れるのがいいなー。迷宮の泉に行けば元気にはなるけど、こうやってゆっくりはできないし。お風呂みたいに沸かして入る事はできないもんねー。ふー、生き返るー」



 暖かな湯が私の身体を滑り、傷ついた身体の痛みさえ忘れさせてくれる。

 一時の至福を楽しんでいる所、がちゃりと、無造作に扉を開け。



 「……誰ッ、勝手にお風呂に入ってきたのは……リンちゃん?」



 怯える私の気なんて知らず、ずかずか部屋に入り込んだと思うと、湯気の中から私の姿を見つけたシグが。



 「……わっ、先客が居るなぁと思ったら、何だアイラかよ!」



 照れた様子も、恥じらいも何一つ見せないまま。



 「ま、いーよなアイラなら男みてぇなモンだし! 悪ぃ、アイラ……背中流してくんねェか? シェヴァに頼もうかと思ったんだが、あいつ俺と風呂に行くよりシュンスケと買い物行く方が面白いからって、さっさと出かけちまったんだよな」



 まるで男友達に頼むようにそう言ってのけた時。

 流石の私も、堪忍袋の緒が切れた。




 「もーッ、このバカ男、筋肉バカ、脳筋ばかー!」



 傍にあった手桶をとにかく全力でシグの顔めがけて投げつける。

 流石に湯煙ごしとはいえ、シグの反応は早くて当たる事こそなかったが、床にぶつかり壊れた音がする。



 「なっ……何怒ってンだよ、アイラっ……てか、バカバカ言うな、バカバカ言うヤツがバカなんだぞ?」


 「女の子が入っている所にズカズカあがり込んで、女の子の裸見ておいてっ……ゴメンも言わずに背中流してくれ、って、もぅ、どういう神経してるのアンタは! ……もっと他に言う事あるでしょうが、ばか!」


 「そう言うけどっ、別にいいだろここ、混浴だしよォ……」


 「混浴とか関係ないのっ、もぅ……アンタの事なんかもぅ知らないッ! 背中なら根性で一人で流してなさい、ばか!」



 手元にあったオケをとどめにもう一つ、シグの頭めがけて投げつけ、私は傍においてあったタオルを取ると逃げるように浴室を後にした。



 ……シグが、私の事を女の子扱いしてないのは解ってる。

 今までもされてないし、きっとこれからもされないんだろう。


 そんな事解ってる。


 私はリンちゃんと違って女の子らしく、お淑やかに振る舞える訳でもないし。

 シリカちゃんみたいに、素直に振る舞う事も出来ない。

 金鹿の酒場にいるマスターさんみたいに、労いの言葉を優しくかけてあげる事だって出来ない。


 戦う事しか知らなかった傭兵あがりの、粗野で野蛮な女なんだから、それは仕方ないって、心の何処かで諦めているんだけど……。



 「なんでだろ……」



 リンちゃんみたいにお淑やかになれないのが。

 シリカちゃんみたいに素直になれないのが。

 マスターみたいに、優しくなれないのが。


 だから何時までたっても、シグに女の子として見てもらえないのが……最近は、凄く辛くて……苦しかった。



 着替えて街に出れば、エトリアは今日も数多の冒険者達が行き交い活気に満ちている。


 道端では荷馬に果物を乗せた商人が品の言い果物をアピールする。

 裏路地の安宿では、うちこそ一番安くて安全だと若い冒険者を呼び込もうとする。


 その中には、幸せそうに手をつなぐ若い男女の姿も少なくなかった。



 「昔は……」



 傭兵あがりの私は戦場が日常の場だったから、街とか商店とか。

 そういう、賑やかな場所には出慣れていなくって。


 初めて見た大都市では人の姿に圧倒され、何処に行っていいかわからず、ただ、キョロキョロして立ち止まる私の手を、彼はよく引いてくれた。



 『こっちだぜ、アイラ。ほら……手ぇ出せよ!』



 そう言いながら伸びる、傷らだけの大きな手。

 戸惑いながら握ったあの手の温もりを、私の右手が覚えている。


 あの時はただ、夢中で彼の手を握りしめていただけだったけれども……。



 何故だろう。

 今、思い出すと心臓がどきどきする。


 あの時は全然、大丈夫だったのに……。



 「なんだろうな、これ……なんだろう?」



 そう、最近はずっとそう。

 シグは、リンちゃんにばかり優しくしているような気がする。

 シリカちゃんにばかり、笑顔を向けているような気がする。


 以前はそんな事思いもしなかったし、思っても全然気にならなかったのに……。



 「もぅ、剣の事ばっか考えてるバカ男……もぅ、ばかばかばか、ほんとばか!」



 他人に笑顔を向けるシグの姿は、思い出すだけで、少しだけ頭に来る自分が居る。

 腹もたつし、怒りたくもなる。


 だけど、何より不思議なのは、こんなに腹がたっているのに、こんなに怒っているというのに。

 なのに何故か……彼の傍に居たい、彼の顔が見たい。



 そう、思うようになる事だった。



 「……どうしよう、あんなにバカバカ言っちゃって、バカはバカなりに気にしてるかな。でもなぁ……私悪い事、してないし。謝るのもイヤだしなぁ」



 悪態をついて出てきた手前、すぐにシグの前に顔を見せるのも何となく憚られる。

 手みやげに、酒の一つでも買っていけばシグの性格だ、きっと何もなかったように笑ってくれるんだろうけど、何故かそういう気分にもなれない。


 会いたい気持ちに戸惑ったまま、行く宛もなくふらふらと道を歩く私の肩に。



 とんっ、と、軽い衝撃が走る。



 「あ、ごめんなさい……考え事してて……」



 驚いて顔を上げる私の目に入ったのは。



 「謝って済むのかなァ、姉ちゃんよォ!」



 唾を飛ばしそうまくし立てるのは、私より大柄な男だった。


 エトリア目指して新しくやってきた冒険者だろうか。

 いや、それにしては随分と小汚い。


 冒険者に憧れはしたが、なりきれず落ちたチンピラか何かだろう。


 酒の匂いがする男が3人……いや、4人はいる。

 皆、私より大柄な男で……知らない間に、私を取り囲んでいた。



 「……謝っているでしょう、だからもぅ、そこを通して」

 「だから、謝って済むかと言ってるんだよネェちゃん!」



 チンピラの常套句を並べて、一人の男が私の手を掴む。


 知らない間に囲まれていた……。

 違う、考え事をして歩いている間に、男達に囲まれていたんだ。

 ぼーっとしていた私の隙を、付け入られたのだ。



 「とにかく、こっちに来いよ……楽しませてもらうぜ」



 男の一人が私の手を掴み、半ば強引に裏路地へ連れだす。


 油断……してたかな?


 普段背中に居る相棒の姿は、今はない。

 いつもより冷たい背中を感じながら……男達に引きずられる形で、私は暗い、路地裏へと引きずり込まれていった。



 ・


 ・


 ・




 空が、大分暗くなってきた。

 腕が、身体が……痛い。



 4人の男を相手にするのが…………こんなに辛くて、痛い事だったとは思わなかった。



 床に倒れ、空を見上げる。

 ボロボロになった服の裾は、男らがいかに乱暴に私を扱ったかを物語っていた。



 「……私、汚れちゃったかな?」



 傷だらけになった身体で空を見る。

 身体が、中からじんじんと痛む。

 傷だらけになった両手を眺める、私の隣には…………。



 殴る所がない位にボコボコにした、4人の男が倒れ伏していた。



 身体を起こし、男たちに目をやれば。



 「ひぃっ、すすすす、すいませんでした! すいませんでした! 貴方がさばみそギルドのっ、猛牛アイラさんだとはつゆ知らずっ、ぶぶぶ、無礼を働きまして!」



 一人の男は、情けない声を上げる。


 猛牛 とは、私の意志に反してつけられた二つ名だ。



 何でも、斧をもって戦う私の姿があたかも猛る牛の如き蛮勇を感じるからだ、と誰かが呼び始めたらしいけど……。



 「あらあらあら、チンピラさん。女性に猛牛って呼び名は、アイラさんどうかと思うけどなー?」



 握りしめた拳をちらつかせながら近づけば、チンピラは泣きそうな顔で地面に額をこすりつける。



 「ああああ、ごごご、ごめんなさいごめんなさい、白鳥のアイラ様と今日からお呼びします!」

 「はいッ、よろしい! では、各人。これ以上殴られたくなければ、二度と女性に無礼な事をしないように……」

 「ははは、はいッ、当然です、白鳥のアイラ様!」

 「はぃはーい、今度したら、二度と使い物にならないようにしてやるんだからね……それじゃ、いってよし!」

 「ははは、はい!」



 男たちは私の号令を聞くと、蜘蛛の子を散らすように去っていく。


 後には一人。

 男たちとの格闘ですっかり、ボロボロにすり切れた私だけが残った。



 「やっぱり、私じゃ……リンちゃんみたいにお淑やかとか、無理かな」



 一人、空を仰いで呟く私の言葉に。



 「……猛牛アイラが、リンみたいにお淑やかで可憐に振る舞うのは……まぁ、無理だろうな」



 聞き慣れた声が、言葉をかえす。



 「……シグ?」



 振り返ればそこには、何時から居たんだろう。

 頬を掻きこちらを見つめる、シグの姿があった。



 「どうしてこんな所に居るのよ?」

 「どうしてって……相棒が知らない男連中に腕ぇ無理矢理捕まれて路地裏に連れ込まれている所見かけりゃ、助けに行くのが普通だろ?」



 シグはそう言いながら、周囲の様子を見渡す。



 「まぁ、俺の出る幕もなく全部、テメェの力でねじ伏せちまった訳だがな……はは、流石アイラだ。気持ちいい喧嘩だったぜ!」



 そしてそう呟くと、悪戯っぽく微笑んだ。



 「何言ってんの、もっと早く助けに来なさいよ! 男4人なんて結構面倒だったんだから!」

 「はは、悪かった悪かった。いや、俺も入ろうと思ったんだが……如何せん、お前のあの勢いだろ。俺がなまじっか入るより、かえって効率がいいかと思ってよ! 流石、俺の背中を預けられるだけあるな!」

 「シグが来てくれればもっと早く片づいたに決まっているでしょ! 男4人なんて結構面倒でッ……ほら、こことか、こことか怪我しちゃったんだからね!」



 私は頬を膨らませ、自分の額を指さす私の私の髪をあげると、シグは。



 「何だよこんな小さい傷でぎゃぁぎゃぁ言うなんてらしくねぇな、こんなの……」



 柔らかな感触が、額に触れる。

 それが、唇であるという事。

 シグが私の額に口付けをくれているのだ、というのを理解するのには、たっぷり数秒の時間が必要だった。



 「……ツバでもつけときゃ、治るって。な?」



 鈍感で、デリカシーがなくて、おまけに何でも無頓着な男。

 戦闘と酒の事しか頭にない、バカで純粋で……だけど憎めない男の唇は……彼の性根といっしょ。


 優しくて柔らかくて……そして、暖かかったから。



 「もぅ……相変わらず、大雑把なんだから」



 私も自然と笑顔になる。


 言いたい事が、一杯あった気がした。

 でも今は、この笑顔の前で何も考えられない。


 顔が何だか紅くなる。

 何だろう、変な感じ。


 でも……イヤな感じじゃない。

 さっきまで胸の中にあった怒った気持ちも、もぅ、すっかり居なくなっていた。




 「じゃ、戻るか……行くぞ、アイラ!」



 彼の大きな手が私の方に伸びる。

 彼の手は昔と変わらず大きく、暖かく……私の腕を包み込んで、互いに手を握りしめ、雑踏へと走り出す。




 私は、リンちゃんみたいにお淑やかじゃない。

 シリカちゃんみたいに素直になれない。

 金鹿の女主人みたいに、優しくなる事もできないけど。



 ……そんなありのままの私を受け入れてくれた、彼の傍に居る事が出来る。

 今はただそれが、嬉しかった。




さばみそギルドではダブルヒロインシステムを採用しております。