>> 罪人と死者の神






 亡者のうめき声が風の呻りのように聞こえる中、冥府の中でも最も深くそして最も暗い場所で、ダウドは身じろぎせずただ横たわっていた。
 彼の肉体はすでに死んでおり、本来なら冥府にて少しずつ少しずつ自我を失い、やがて一つの魂に集約されるというのがこの先にある運命のはずだった。
 だが、今はデスの計らいによりダウドはその自己を保ったまま、冥府という暗がりに存在していた。


「本来はこんな慈悲など授けたりはせんのだが」


 ダウドの傍らにはデスが鎮座している。
 ダウドがこのような温情を受けた理由の主たるものは、どうやらダウドの死にサルーインの陰謀が関わっているというのがおおきいようだった。

 かつてデスは兄弟であるサルーインやシェラハとともに光の神たちと争った……というのは人間たちの語る伝承の中にもある。
 それからどのような経緯があったのか、というのは定かではないがデスはサルーインたちと袂を分かち、光の神たちの軍門へ下っていった。
 そして今は冥府にて、正しく魂が循環するように目を光らせる役割を請け負っている。

 弟でありその戦の主犯格でもあるサルーインは、ミルザの力を得て闇の果てに封印されたという。
 妹のシェラハがどのような運命を辿ったかは知らないが、漠然と「神格を奪われた」という話だけは伝わっている。

 兄弟たちがそのような処罰を受ける中、冥府とはいえ神格のままであるデスの待遇がかなり良い事から、兄弟たちの元を去る時に何かしらの「入れ知恵」を光の軍勢にしていたのだろうと、そう思うのもあながち間違ってはいないのだろう。

 デスの容姿は人間の骸、そのもののような姿をしている。
 それが彼が冥府の神となってからの姿なのか、それ以前からの姿なのかは定かでは無かったが、虚になった目に痩せさらばえた身体は初めて見た時ダウドを萎縮させた。やはり冥府の神は恐ろしくおぞましいものなのだと怯え、泣き出しそうになる恐怖を覚えたのもつい最近のように思える。

 だが話してみたデスは存外に物わかりがよく、また慈悲深い神であった。
 寡黙であるが何かを語る時はその深淵から吹く風のように陰鬱な声とは裏腹に優しい語調で話すし、配下に任務を与える時も無理をしないよう念押しをする、そういう所作がよく見られたものだから (人間なんかよりよっぽど優しいんだな) とダウドは思った程だった。

 そんなデスも、とりわけサルーインとシェラハに対しては特別な思い入れ、とでもいうのだろうか。
 複雑な感情が入り交じっているようで、それがダウドの温情に繋がったようだった。

 デス曰く。


「長兄として、弟のしでかした事により本来死ななくてもよい犠牲があったのだから、それと知ってそしらぬ顔をするのは道理ではないと思うのでな。これがお前の慰めになるかはわからないが、せめて別たれた親友が来るまでここで待つ、その猶予を与えよう」


 という事だ。
 デスとしてもこんな事をしたところで何が解決する訳でもないというのは分かっていたのだろう。
 だが、死者を蘇らすのにはそれなりの対価が必用になるというのが「魂の循環」にある理であり、それを破るとあらゆる部分で綻びが出るのだという。


「弟の不作法で迷惑をかけてすまない……」


 デスは抑揚のない声で呟くように謝罪をする。
 デスから聞いた謝罪はその一度だけだったが、それに深い後悔と何も出来ないもどかしさが含まれているのをダウドは何となく理解した。

 それから、ダウドは冥府よりジャミルの姿を見守っていた。
 
 ……自分を殺してしまった事により、深い罪悪感に苛まれる姿。
 その「きっかけ」がアサシンギルドであり、またサルーインである事を知り、サルーインと戦う決意をもって立ち上がる背中は神々しささえ感じられて、隣で笑っていた親友がずっと遠くにいってしまったのだと改めて実感する。


「ディスティニィストーンは他人の運命を絡め取る。お前の親友は、どうやら運命に選ばれたようだ」


 その姿を見たデスは呻るような声で言う。
 彼がいうには、ディスティニィストーンというものはただの宝石ではなく、宝石事態が持ち主を選び、選ばれた持ち主に英雄としての資質を与える、そのようなものなのだという。

 それが戦士ミルザが手にした時からそのような加護があったのか、それとも戦士ミルザが命を賭したからこそそのような加護を得たのか。
 あるいは加護のある宝石に、戦士ミルザがより強い奇跡を与えたのか、それは判別できないというのがデスの言葉であった。


「光に向かって立ち上がる姿は、エロール好みだな。きっと俺の所にくる事はなかろうよ」


 もしおまえの友がもっと業が深ければ、あるいは。
 そう言いかけてデスは口ごもると、 「どうせいずれ全ての魂はここに来る」 と独りごちる。

 デスの言う通り、エロール好みの光を背負った戦士となったジャミルは、エロールによる神々の試練を受け、それからサルーインの潜むイスマス城地下へと赴いていった。


「……弟は、目覚めたばかりで己の力がかなり衰えている事も知らぬ。目の前に現われた人間が、ただの人間ではない事も。以前に存在した古代人とも違う事すら知らぬ。その上エロールの加護を受けた武器まで持っているんだ。心配せずとも、神殺しは成されるだろうさ」


 仲間と連れ立ってサルーインの元へ赴くジャミルに対して、デスはそう予測した。
 世界が終るかのような獣の軍勢が現われる中、無数の魂が冥府へおくられる。その光はまるで流れ星のように次々と冥府へ降ってくるように見えた。

 だがその中に、ジャミルの姿はない。
 光の彼方に消えたように見えた親友は、神殺しをなし得てもまだマルディアスのどこかで生き続けるのだろう。

 恐らく光の英雄として。


「もう、おいらはいいや。ジャミルの姿を見なくても、いずれここに来るなら……」


 ダウドはデスにそう告げる。
 それは、サルーインと戦い英雄となった親友はすでにダウドの知っているジャミルではないような気がしたからだ。

 そして神を倒してもなお生き続ける。
 ジャミルにはきっとこれからも長い生があるのだから、きっと自分の事も忘れていってしまうのだろう。

 自分が忘れられた世界で幸せになるジャミルを見守るのは、ダウドにとって辛かった。
 ひょっとしたら隣にいられたかもしれない、という辛さ。そして以前の親友とは違うかもしれないという辛さで魂が弾けそうになる。


「それでも、あやつを待つのだろう」


 そう言われ、ダウドは迷う。

 例え操られていたとはいえ、自分はアサシンギルドにいた。
 罪の無い人を殺した記憶も今ははっきりと思い出せる。
 背負った罪業は重い。自分は闇の人間であり、罪深い存在だ。

 光の神に見出されたジャミルとはもう、生きる世界が違うのだ。
 どうせ別たれるのなら、待っても仕方ないじゃないかと、そう思っていたからだ。

 だからそれを告げようと口を開けば、まるでそれを見越したようにデスが先に話し出す。


「……お前が如何様に思っていたとしても、きっとあやつはお前に会いたいと思うがな。親友、というのはそのようなものだろう」


 魂の記憶をデスは読む事が出来るのだろうか。
 迷っていたが、自分が会いたいという気持ちもある。


「迷いが断ち切れぬ魂は正しく循環しない。規律を守るためにも、待っていてくれないか?」


 デスにもおされ、結局ダウドはジャミルが来るまで待つようにした。


「神に魂はないが、もし魂がこの場所に廻ってくるのなら……俺だって、弟と妹を待っていたいと思う。お前はそれが出来るから羨ましい」


 冥府の王であるデスに、ヘンに説得されてしまったというのもある。
 普段は魂を廻らすだけのデスだが、自分に肩入れした事で情が移ったのかもしれないと、ダウドは思った。
 だとしたら、彼は本来優しい神だったんだろう……。

 そうして、何年。何十年たったのだろう。
 冥府の時の流れは曖昧で、少しうたた寝をしていただけだったようにも、随分長い眠りから覚めたようにも思える。


「おまえの親友(とも)が来たぞ」


 そう告げられて目覚めた時、ダウドの前に現われたのは彼が知るまだ若い頃の姿のジャミルだった。
 サルーインを倒した後もまだ生きていたはずなのに、こんなに若い姿なのはなぜなのか。そう思ってデスに聞けば、魂は決まった形をもたない故にダウドのイメージする姿に自然と変わっていった結果だろうとデスは告げた。

 もし死んだ時の姿で会いたかったのなら、そうする事も出来るとデスは続けたが、それは断る事にした。
 自分より年上になったジャミルを前にしたら萎縮してしまって、敬語でも喋りそうでいやだったからだ。


「ダウド! ダウドか、会いたかったぜっ!」
「ジャミル……」


 ずっとまってた親友は、変わらぬ姿でダウドへと駆けよってきた。
 これまで生きてきた記憶と想い出が溢れるように蘇り、ダウドは泣き笑いのような顔をしならぽつり、ぽつりと話をはじめた。

 サルーインと戦うまでの姿と、ダウドがそれを見るのをやめてからジャミルがどうしていたのかという話。
 エスタミルの片隅で狡い盗みを繰り返していた頃、失敗も多かったが何となく楽しかったという想い出。
 そして、洗脳されていたとはいえ、親友を手にかけてしまった苦悩と悲しみから絞り出すように 「ごめんな、悪かった」 と、ジャミルは告げる。

 ダウドを手にかけてしまってから、世界の色が変わってしまったような気がしたとも。
 それからもずっと、傍らにダウドがいない事実が自分の心の空虚さを埋める事はなかったとも……。


「あれは、おいらだって悪いんだ。おいらの事で悩む事なんてなかったのに……」


 ダウドは自分の事など忘れていると思っていたし、忘れてもらっても構わないと、そう思っていた。
 だがジャミルは 「そんな事はない」 と告げ、親友へ真剣なまなざしを向ける。


「俺だって善人じゃないからな……もしアサシンギルドの暗殺者がお前じゃなければ、俺はきっとこうならなかった……サルーインを憎む程に強くはなれなかったよ。
 ……俺は、お前に許しを乞える立場じゃないと思っている。けどさ、俺はおまえの仇討ちになればと思って我武者羅に強くなっていったんだぜ。
 英雄ってのになった後も、お前の許しになればって色々してきたけど……。

 いつだって、隣にお前がいてくれたらとか。
 もしお前がいてくれたら、きっと別の事が出来たんじゃないかとか……そういうのをずっと考えて生きていたんだ」


 それが本当だとしたら、ジャミルの人生を自分の死が縛り付けてしまったのだろう。
 だとしたら、自分は罪深いと思う。
 一人の英雄の生涯を、自分の罪悪感で縛ってしまったのだから。

 もしそれがなければ、もっとジャミルは自由に生きていけたのだろうか……。

 やはり自分は必用のない人間だったのだ。
 英雄と呼ばれる男をエスタミルに押し込もうとして、死んでからもなお羽ばたける英雄に消えない罪を背負わせてしまったのだから……。

 ……だがジャミルがいくのは光の神その下だ。
 罪業にまみれた自分の所ではない……それだけが、ダウドにとって救いに思えた。


「さぁ、そろそろ行こうぜ」


 そういって歩き出すジャミルを前に、ダウドは悲しげに目を伏せた。
 ジャミルは英雄。自分は、殺し屋だ。
 冥府を廻ったとしても、おなじ場所に行けるとは到底思えなかったし、自分はジャミルと同じ道を歩めるとは思っていなかったから。


「ごめん、ジャミル。おいら、そっちにはいけないよ」


 静かにそう告げる。
 だがそれでいいとも思えていた。魂が循環する前に、ひと目でも親友に会えて、お互いに話せて、お互いを許す事が出来る時間があったのだから。


「何いってんだ、おまえは俺の相棒だろ? ついてきてもらわないと、俺が困るんだがなぁ」


 ジャミルは子供のように頬を膨らませて、やれやれと大げさなジェスチャーをする。
 エスタミルにいた頃と同じ癖を見て、ダウドは自然と笑みがこぼれていた。最後に見る姿が昔のままのジャミルというのは幸福な事だろう。


「……でも、ジャミルは生きている間、ずっと正しい事をしていた。それこそ、光の神に認められる程だよ。すっごいよね。それに引き替え、おいらは殺し屋だ。人を……罪の無い人を、殺していきた、から……おいらの道は血塗られてる。一緒に、行けないよ」


 そういって俯くダウドの頬をぐいっと伸ばして、ジャミルは笑う。


「ばーか、カンケーねぇって。大体、殺してる数なら俺の方が多い。サルーインの化け物を沢山殺してきた。英雄ってのは、そういうもんだからな」
「でも、それは……」
「人間側には正しくても、ゲッコ族みたいな……サルーイン側の立場からすれば、大量の同胞殺しだぜ? ……命を奪った事にはかわりねぇよ」
「だ、だけど」
「うるせぇなぁ! ……俺は、お前と一緒に行きたいんだよ!」


 ジャミルはそういい、夢中になって手を握る。


「……俺は、もうお前と離ればなれになるのは御免だ。だから……お前の行く所に俺がいく。それで、いいだろう」


 そして冥府の王、デスを見据えた。
 デスもまた悠然と杖を構えながら。


「……罪あるものが救いのある場所へいくのは規律違反だが、そうでないものが罪あるものとともに過ごすのは別に、何ら制約はない。好きにするといいだろう」


 そう言って、扉を開けた。
 この先にあるのは地獄か、煉獄か、あるいはもっと酷い場所かもしれない。けれども。


「さ、いこうぜ相棒」


 ……やっと会えた親友は、自分を望んでくれている。
 自分を許して、共に歩もうとしてくれている。
 ただそれだけで幸福すぎるほどだったから。


「……うん、いこうジャミル。二人だったらオイラも何処だって怖くないさ!」


 ダウドは自然と、笑顔になる。
 それは冥府の王が初めて見た笑顔であり、誰も幸せにできない彼が初めて誰かを幸福にした瞬間でもあったのだ。






 <幸せは誰かの中にもある>