>> 幸せについての考察






 幸せについて本気で考えるようになったのは、アイシャがそばにいて暖かく微笑んでくれるのが当たり前の光景になりつつあった頃だろう。

 アイシャを幸せにしてやりたい。
 彼女の笑顔を眺めていたい。

 そんな思いを抱くようになってから、ジャミルは「アイシャにとって幸福とは」と真剣に思い悩むようになっていた。

 草原に無数の花が咲き乱れるのを見れば『この花をすべて摘み取って花束にしたら喜ぶのではないか』と思い、色とりどりの宝石を見れば『無数の宝石を星空のように散りばめればびっきりの笑顔が見られるのでは』と考え、豪奢なドレスを目にすれば『金糸で編んだ特注のドレスをあつらえたのなら彼女は喜ぶのではないか』と思い立つ。

 だがいつも、「そんなものは欲しくないか?」そう問いかけるジャミルを前に彼女は笑っていうのだった。


 「花は草原で咲いているのが一番綺麗だから、摘み取ったらかわいそうだよ」
 と。


 「宝石なんてで飾ったら重たくて動きにくいから、別にいらないよ」
 と。


 「ドレスなんて窮屈な衣装、なくたって大丈夫。私は草原を走る靴と、汚れてもいい服があれば平気だよ」
 と。


 ジャミルの思い描く幸福はことごとくアイシャの幸福と食い違い、結局何をしていいのかわからないままジャミルは今日も一人で満天の夜空を見上げながら寝ころぶのだった。


 (アイシャの幸せって何なんだろうなァ……)


 ぼんやりと夜空を見上げていれば、星が一つ滑り落ちるように流れていく。


 「あ、流れ星!」


 隣からそんな無邪気な声が聞こえたので驚いて振り返れば、いつから居たのだろう。柔らかそうな赤毛を風に揺らしながら、アイシャが隣に座っていた。


 「今日は星が綺麗だよね。私ね、クリスタルシティみたいな町並みもとっても素敵だと思うけど、やっぱり空に広がる星を見るのが好き。風で一斉に緑が揺れる草原が好き。どこまでも広がる海の青が好き……大好き」


 自然の中に身をゆだねる彼女の姿はどこか幻想的で、少し強く風が吹けばそのまま星空に飲まれて消えてしまいそうな気がしたから、ジャミルはそれが恐ろしくて思わず彼女の手を引き抱き留める。


 「えっ? あっ、じゃ、ジャミル?」


 彼女は驚き戸惑うような声を聞いて、ジャミルはやっと夜空は人をさらいなんかしない。そんな当たり前の現実に気づき、抱きしめた彼女から離れると紅潮した頬に気づかれないよううつむいた。


 「悪い、アイシャ。その……」
 「え? べべべ、別に、大丈夫だよ! そ、その、ちょっと驚いたけど……」


 アイシャは照れるように自分の上着その裾に触れる。
 ジャミルのした事によっぽど驚いたのだろう。その耳がかすかに赤らんで見えたのは月のせいだけでもないだろう。


 「ただ、何ってのかな……」


 ジャミルは何だか気恥ずかしくなり、視線をそらし頭に浮かぶ言葉を紡ぐ。


 「……アイシャにはさ、いっつも笑って励ましてもらってるだろ。俺も何かアイシャにしてやりたい、って思うんだけど……花も、宝石も、服も……アイシャは何もいらねぇって言うから俺……どうしたら、いいんだろうな。そう、思ってさ。はは、つまんねー事で悩んでるなーって感じだろ? 笑っていいぜ」


 力なく笑うジャミルの言葉を、アイシャは真剣な顔で眺めていた。それからずっと優しい笑顔を見せて、行き場なくさまようジャミルの手にその白い指を絡ませる。
 そして小さく。


 「……ありがとう」


 つぶやくようにそう言うのだった。


 「ありがとう、って……俺、何もしてねぇから……」
 「いいんだよ、そうやって考えてくれているのがわかっただけで……私、それだけでとっても幸せ」


 どこかから強い風が吹き、周囲の草木がささやくように揺れる。


 「私はね、この広い世界をジャミルと一緒に歩いていられる事が幸せ。毎日ジャミルが私の隣で、温かいご飯をおいしそうに食べてくれるのが、一等に幸せ」


 彼女の済んだ声が、ジャミルの心をふるわす。
 絡んだ指先からは、アイシャの温もりが伝わった。


 「そうかァ、俺って……」


 あふれるほどの財宝(もの)があれば幸福だと思っていたが、そんなもの最初から必要はなかった。
 そう、自分だってそうだ。
 百万枚の金貨だって、色とりどりの宝玉だって、伝説のディステニィストーンだって、アイシャのかわりにはなり得ない。

 幸福とは何かと考えあぐねていたが……自分はとっくに手に入れていたのだ。
 ただそれが近すぎて大きすぎて、見えなかっただけで……。


 「行こう、ジャミル。向こうでゲラ=ハさんが美味しい料理を作ってくれてるよ」


 促されるように歩きだし、ジャミルは今宵の糧を得る。


 この腕の悪い盗賊は、今日も何も盗まずに夕食として出された少し味の薄い粥を彼女の隣で頬張るのだった。






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