>> 護れよ支えよ






 駆け落ち同然で連れて来たんだから、結婚式もしてないんだろう。
 せめてアイシャに花嫁衣装でも着せてやらないか。

 アルベルトにそう言われた時は「それもいいかもしれないな」程度の曖昧な返事をしただけだったが、話が動き出したのはそれをバーバラが聞きつけた時からだった。


 「折角なら花嫁衣装だけじゃなく、ちゃんと式もあげたらいいんだよ。教会なんて正式なものじゃなくても、仲間たちだけで祝福できればいいじゃないか、ねぇ」


 妖艶な笑みを浮かべながらバーバラはこちらが止める間もなくお手製の結婚式場を手配しはじめた。

 小さな椅子やテーブルを作ったのは丘にあがってからすっかり暇になってしまったと宣うキャプテン・ホークが請け負い、細かい飾り付けはミリアムが担当して……。
 結局十日もしないうちに、草原の片隅には小さな結婚式場が作られる運びとなった。

 バーバラは芸人一座のエルマンまで巻き込んで、一体何処から仕入れたのかもわからない程古いタラール族伝統の結婚衣装を入手してきてくれた。
 あちこち解れた結婚衣装はクローディアがアイシャ用にあつらえなおして……。

 そうしてあれこれ準備を手伝わされているうちに気付けばもう、式当日となっていた。
 新郎として半ば強引に舞台へ引きずり出されたジャミルは、普段着ないような豪奢な衣装をやはり半ば強引に着させられ、今はただアイシャの身支度を待つ身となる。


 「こんなヒラヒラした服とか着たくねぇってのに……」


 他の仲間たちは最後の準備に入り、一人待たされる間にジャミルはぼやくように呟く。
 扉の向こうでは、女性たちがこぞってアイシャを着飾らせているのだろう。時々楽しそうに笑う声が漏れ聞こえる。
 そんな中でもジャミルはまだ、どこか浮かない気分でいた。


 「結婚なんてしなくたってな……」


 初めてあった時から、アイシャはずっと彼にとって特別な存在であり続けていた。

 自然の中で育ち、おおよそ他人からの悪意とは無縁で生きてきた、自分とは全く違う純朴な彼女。
 そんな彼女を守るのが自分の使命のように思えていたのと同時に、彼女の暖かさや優しさに幾度となく支えられて、今までずっと生きていた。

 そんな二人の関係が、結婚という儀式を通してしまう事によって僅かにでも崩れてしまうような、そんなちっぽけな不安がジャミルの胸に渦巻いていた。

 自分の隣に彼女がいて、同じように世界を見つめ、楽しい時には笑いあい辛い時には寄り添って……。
 そうやって過ごしてきたささやかな幸福のバランスが崩れてしまうのではないか、アイシャが変わってしまうのではないか……そんな取り留めのない思いを胸に秘めるジャミルの耳にアイシャのよく通る風のような声が響いたのは、まさにその時だった。


 「ジャミル……おまたせ」


 声に誘われるよう振り返ればそこにアイシャの姿があった。
 なで上げられた赤い髪には金色の櫛で飾られ、風にそよげばその櫛につけた純白の花が甘い香りを放ち微かに漂う。

 深い琥珀の色をした衣装にはタラール族の言語なのか儀式の文様なのか、複雑な模様が編み込まれており、街で行われる結婚時に着られるような純白のドレスと比べれば純朴でまた質素に見えたかもしれないが、それがまた一層アイシャ本人のもつ無垢さや優しさを包み込むような暖かさがあり、いつもよりずっと愛しく見えた。


 「あ、あの……ねぇ、ジャミル。や、やっぱりヘンかな?」


 ジャミルが黙って見ていたからだろう。
 何も言わずただじっとこちらへ視線を向ける彼をアイシャは不安そうな視線で追う。

 まさか「あんまり綺麗だったから何も言えなかった」だなんて本当の事を口にするのは自分らくはないからと、彼は口にまで出かけた言葉を慌てて飲み込んで曖昧な笑顔を返す。
 そして不安そうな顔をするアイシャの頬を軽く撫でると。


 「どこもおかしく無ぇよ、ただちょっと……いつもと違うから驚いちまっただけさ」


 そうやって、取り繕うように言うのだった。
 だがそれでも彼の傍に長くいるアイシャには、その本心が分かっているのだろう。多くは聞かずに頷くと安堵の息を吐きながらただ一言「よかった……」と、そう呟いて笑う姿は、花よりも星よりも、彼女の耳もとで輝く大ぶりのトパーズで作られたイヤリングなんかよりもずっとずっと美しい。
 世界に一つだけしかないとびっきりの笑顔を前に、ジャミルは殆ど無意識にその手を差し出した。


 「さ、行こうぜアイシャ」


 結婚を経て何かが変わってしまう事を、ジャミルは無意識に恐れていた。
 だが実際どうだろう、目の前にいるアイシャの笑顔その輝きも愛しさも、何も変わらないではないか。

 彼女の笑顔は相変わらず愛しくて、自分はそれを守り続けたい。
 その事実がかわらないのだから、何も恐れるものはないのだ。


 「……みんながまってるからよ」


 草原の向こうからは、待ちわびたように客人たちの賑やかな声や音楽が響く。


 「うん!」


 差し出された手を握りしめ、ジャミルとアイシャは仲間たちの元へと駆け出す。
 現れた二人は祝福の拍手を浴びるように受け、歓喜の声に包まれる中、草原には彼らを見送るように一輪の花が静かに風に揺れているのだった。






 <兄貴分と健気な女の子は正義やで>