>> 道化師の前奏曲
久しぶりに降りたその土地には、暖かな風が吹いていた。
澄んだ水が流れていた。
海は空に輝く光を反射させ自身もまた輝いていた。
何も変わらないその場所に、彼らの居場所だけがなくなっていた。
「一つずつ、取り戻していかなければな……」
全てを失ってもなお、ワグナスが冷静であったのは七英雄の立場のためだろうか。
それともその胸に抱いた復讐の二文字は彼に、感傷を抱かせる暇さえ与えなかったのだろうか。
真意を測りかねたまま、各々が動き出す。
その足を。
「ボクオーン」
ワグナスが呼び止め、目配せをする。
特別な話があるのだろう、すぐにそれを察した彼は僅かにうつむき振り返る。
「今、我らはこの土地に戻ってきた。だが、この土地にすでに我らを斯様な立場へと追いやった憎きモノどもは存在せず。また、我らもかつての力を取り戻してはいない……」
時流の挨拶でも述べるかのように格式ばった言葉を流暢に並べながら、ワグナスは時に熱く。
そして時に講釈めいた口調であれやこれやとまくし立てる。
だが、要点は一つだ。
ボクオーンは少し笑うと、持っていた杖を弄ぶ。
「回りくどい言い方をせんでもいいぞ。私は七英雄の一人。そしてワグナス、お前は七英雄のリーダーであろう? ……主はただ命令を下せばいいだけ。さぁ、命令は何だ。言ってみるがいい」
ワグナスは僅かだが表情を曇らせながらも、それでも彼がそう言った事で幾分か話しやすくはなったのだろう。
少し唇を湿らすと、彼の方へと向き直った。
「……資金の調達を、任せたい」
「資金、なるほどな。先立つモノ、か」
「あぁ……我らはここに降り立った。だが、ここではまだ何もない……この土地に何があるのか、どのような生活があり、為すべき事を成すにはどうしたらいいのか、そのルールさえ我らはまだ知らない」
「そうだ、な」
「……我らは知る必要がある。この世界に法則をもち、歴史を動かすものたちのルールを。そして得る必要があるだろう。そのモノたちを利用し、手駒とする方法を」
「そのための、金か」
「あぁ、そのための金だ」
ボクオーンはワグナスより視線を逸らせ、広い大地へ目を向ける。
この世界の光も風も、何もかわってないようにボクオーンには思えた。
遠くに目をやれば建造物らしいものもある。
そしてそれは、自分たちが生きていた時代のものとは大きく違う……遙かに原始的でまた、素朴とも言えよう。
ここにすでに新しい歴史が築かれているという事を、ボクオーンは悟った。
「人間のルールを学び、そこに取り入るにはノエルは実直すぎるしロックブーケは幼すぎる。スービエはそれほど繊細でもなく、ダンターグでは粗野すぎる。クジンシーは引き際を知らん。そういった仕事は、全てにおいてキミがいい……引き受けてくれるか?」
ボクオーンは僅かに目を閉じる。
世界のルールを学び、人の心に取り入り、そして金を生む。
……大金が必要なのだろう。
幾つもの人間たち、その人生を踏みにじるほどの、大金が。
「……ボクオーン」
ボクオーン。
かつてその名は 「智者」 の言葉とともに語られた。
事実そう。
彼のその知識により、窮地を救われた者も多かっただろう。
物言えぬ弱者に変わり、自らの知識と弁論を武器として闘った事も一度や二度ではない。
無数の 「ありがとう」 と数多の笑顔を礎に、彼は 「七英雄」 と呼ばれまた 「智者」 と呼ばれた。
自らの知識は正義の為にあり、これからもそう有り続けるのだと思ったのだ、が……。
だが彼らは追われた。
守ってきた彼らに裏切られたのだ。
「……引き受けてくれるな、ボクオーン」
かつての栄華を封じるように、彼は不適な笑顔を浮かべる。
「かまわない。いや、勿論だ。先立つモノは必要だからな……いい判断だ、リーダー」
「……すまない」
「何を謝る必要があるワグナス? 先にもいっただろう、そう。こんな仕事は私が適任だよ。 なに、100年もあれば、国一つ動かせる程度の金を稼いできてやろう」
「いや、ちがう……かつては智者と呼ばれたキミの知識を。こんな……こんな汚れた任務に使わせて、すまない……」
思わぬ言葉だった。
知識はあるが同等に自尊心も高いワグナスが謝罪の言葉を述べるとは……。
「何、気にする事はない。もうとっくにその名は捨てたのだからな」
ボクオーンは肩を竦めて笑う。
「それに、ここにもう智者なんて居ない……居るのはたった一人。 同胞(はらから)の心変わりにも気付かずただ、その名に溺れ奢り、ついに常闇に追われたおろかな道化が居るだけだよ」
「……ボクオーン」
「さぁ、同士ワグナスもそこで見ていてくれこの愚かな道化の舞台を。道化・ボクオーンが演じるは最大の喜劇、閉幕は……奴らを根絶やしにするまで、で。いいかな?」
ワグナスは笑う。
楽しげに、だが何処か寂しげに。
「面白い、同士ボクオーン。その舞曲一つこの私も、踊らせてはくれまいか。英雄と呼ばれ魔物と成り下がりそして今、新たな門出においても罪を犯す事に熱心な。英雄崩れの男にもな」
差し出した手、その指先が触れる。
血と罪ばかりを積み上げる彼らの歴史は今、始まろうとしていた。