>> たったひとりの、やさしいけもの。





 何処からか水の滴る音が聞こえる。

 身を切るような風がうなり声をあげながら渦巻いて消える。



 力を。

 ただ、力を。

 求めて続けてどれだけの年月がたったのだろう。


 最早熱も痛みも、寒ささえもろくに感じない程の強さを備えてはいたが、それでもこの音を聞くと、かつての冷たい記憶を思い出す。

 七英雄と呼ばれ、人から離れていく中。

 それでもまだ人の心が残っていた頃、古代人(かれら)にされたあの仕打ちを。


 「ちッ、らしくねェな」


 ダンターグは誰にともなく呟くと、永劫に続く闇を思わす暗がりに目を向ける。

 深く、暗いその世界は、自分たちがかって追いやられた世界にも似ていた。


 七英雄の他の仲間たちもそれを思い出すのだろうか。

 多くの戦友は暗闇を好まず、地上へ赴き各々の目的の為に戦っているようだった。

 率先して暗闇に潜み、力を求めて戦っているのは自分くらいだろう。


 だが、それでいいと思った。


 元々、戦場でしか己の価値を見いだせなかった身体だ。

 こうして力を蓄えている方が気楽だし自分らしい。


 そう、考える仕事は他の仲間達……智者のボクオーンや、ノエル。

 ワグナスなんぞに任せておくべきだ。



 ダンターグは己をそう納得させ、新たな力を得る為動きだそうとした

 その時。


 「ダンターグ様」


 空耳かと、思ったのはその声が、こんな薄暗い洞穴に届くはずがないと思ったからだ。

 故に気付かぬふりをして歩きだそうとする足を。


 「ダンターグ様、行かないでくださいませんか?」


 再び、声が止める。

 この声は……。

 驚き、振り返るとそこに居たのは。


 「お久しゅう御座いますね、ダンターグ様」


 青い髪が揺れた。

 星を収めたような瞳は濡れたように輝いていた。


 その顔立ちは整っているが、肌は青白くどこか病的な印象がある。

 彼女は……。


 「ロックブーケ……?」


 そう、ロックブーケ。

 七英雄唯一の女性であり、七英雄のサブリーダーであるノエルの実妹であり、ダンターグにとっては……。


 ……いや、ただの仲間だ。

 そう、それ以上でも以下でもない。



 「……どうしたんだ。古代人の奴らの居場所でも突き止めたンか?」


 ぶっきらぼうな言葉に、彼女は黙って首を振る表情は、暗い。

 まだ見つからないのか、そう思うと同時にそれが、当然だとも思う。


 自分たちがあの牢獄から抜け出すまでに、あまりにも時間はかかりすぎていたからだ。


 「だろうな……じゃ、何の用事だ?」

 「兄さまに言われたのです。他の、七英雄の場所を把握しておけ、と……必要なら、訪ねておけ、と。来るべき決戦……復讐の日に、仲間達の居場所も解らないのでは困りますものね?」


 彼女はそういい、微かに笑う。

 冷たい風しか吹かぬ洞窟の奥のはずだが、笑顔の周囲だけ僅かに暖かく感じた。


 「そうか」


 一つ、呟き彼女を見据える。

 その姿、その笑顔は……ダンターグの記憶にある彼女の姿、そのものであった。


 「……変わってねぇな、ロックブーケ」


 無意識に言葉が漏れる。


 「アンタは、昔のまんま……綺麗なまんまだよ」


 飾り気のない言葉を、彼女にぶつける。

 ダンターグという男は昔から、お世辞を言える程器用ではない。


 彼女もそれを知っているのだろう。

 少し笑顔になると。


 「ありがとうございます、ダンターグ様」


 スカートのすそを少し持ち上げ、恭しい礼をした。


 「ですが、ダンターグ様も、変わっていませんわよ」

 「はぁっ? バカ言うなよお嬢ちゃん。俺ぁ見ての通り、昔の面影なんざねぇぜ……醜く、無様な獣の姿だ」


 ロックブーケの言葉を、ダンターグは笑って否定する。

 彼の言葉通り、獣と見間違える程に膨れた両足はすでに人の姿だった頃の面影はない。

 頭にはねじれた角が。

 両腕には鋭い爪ば伸びた男の言葉通り、人というより獣に近いだろう。


 「ただ、膨れるばかりの化けモンだ」


 自嘲気味に語る男の言葉に、彼女は静かに首を振る。


 「いいえ、違いますはダンターグ様。貴方は、何も変わってません。一途に武を求める姿も……その闘争心を秘めた目も、何も、かも……私が好きだった貴方と、寸分も違いませんわ」


 風が、強く吹き付ける。


 「……何言ってんだ。お前の目の前に居るのは、古代から暴れ者と蔑まれた獣のような男だ」

 「……そう、でしたわ。私も、そう思ってました」


 だけど。

 風の強い洞窟の中で、彼女は唇だけ呟く。


 「違いましたよね。貴方は、一生懸命でした。あの時代、牙も爪も持たぬ他の方々を守る為に、ただ……」

 「……買いかぶるな」

 「そうでしょうか。街に戻り、英雄と呼ばれた時、貴方は居心地悪そうにすぐ逃げかえってしまいました、けれど……英雄と呼び慕う子供たちには、いつも笑顔でしたものね?」

 「……よせよ、そんなんじゃねぇ」


 ダンターグの手に、僅かな温もりが蘇る。


 『……英雄さん、やっつけてくれたんだろ! 凄いや』

 『……すげぇな、英雄さんの手。この手で悪い奴やっつけてくれたんだ!』


 その耳に僅かに残る声も、深い風の音がかき消した。


 「そんなんじゃ、無ぇから……」


 ダンターグは僅かに顔を背ける。

 かつて彼の手を握りしめた小さな指はなく、ただ今は獣のような腕だけが残されていた。


 「…………七英雄として、兄さまやワグナス様がする事に、協力は出来ませんの?」


 責めるような語調で、彼女はそう問いかける。


 復讐……。

 ノエルやワグナス、スービエは本気でそれを考えているのだろう。

 だが。


 「……考えるのは苦手だ」


 そういいながら顔を背ける。


 そう、確かに……憎い。

 自分たちを化け物として、あの冷たい牢獄に追いやった連中が何の処罰も受けずただ安穏とくらしているのだと思えば、喜べるはずはない。


 その気持ちはある。

 だがそれ以上にまた、彼の中にあるのは別の感情だった。


 「相変わらず、嘘が下手ですわね」


 ロックブーケは呟く。

 悲しげに、寂しげに。


 その声を聞き、見透かされているのを知り、ダンターグはその拳を大地へとたたきつけた。



 「……どうして戦える! 確かにあいつらは、俺たちをあの冷たい空間に追いやった! だが……俺は、あいつらを守ってやりたかった!」



 大地が揺れる。

 男の腕はそれ程に力を蓄えていた。


 「あいつらの剣であり盾であるのなら、この身が獣に落ちようと文句はなかった……あいつらが笑って過ごせるなら、それでいいと思ってた……あの空間に投げ込まれた時、これでもうアイツらは幸福でいられるんだ、と思えたなら……それが、俺の救いだった……」


 風が吹き付ける。


 「……それだってのに、何であいつらはそれを乱そうとするんだ。いいじゃねぇか。七英雄の時代は、終わった……それでいいじゃねぇか……もうガキから、笑顔奪うようなマネしないでくれ……俺を……本物の化け物にしないでくれ……」


 ロックブーケはその姿を、ただ静かに見守っていた。

 だが、やがて。


 「……逃げちゃいましょうか」


 僅かに、微笑む。


 「……な、に。いってんだ、ロックブーケ?」

 「だから、私と、ダンターグ様とで……復讐から、逃げちゃいましょう。もう、誰も届かない世界へ……誰とも争わなくていい場所へ……」


 静かな声は、そのまま暗がりへ吸い込まれていった。


 「バカ言うな」

 「……バカなんて言ってませんわ。私、貴方となら怖くない」

 「今お前の前に居るのは、古の時代より暴れ者と恐れられただけの獣だぞ?」

 「えぇ。ですが……やさしい、獣です」


 潤んだ瞳は、ただ一人の男を見据える。


 「たった一人の、世界で一番やさしい獣ですわ」


 僅かに触れた指先から、互いの心が伝わってきた。


 「……ロックブーケ」


 彼女がそんな冗談を言う程、軽率な女性でない事はよく知っている。

 誰でも魅了するその特異体質が故に彼女は、驚く程異性に心を開かなくなっていたからだ。


 「……ダンターグ様、お慕い申し上げております。あの頃から、ずっと……私の心に、偽りはありませんわ」


 潤んだ目が、ただ一人の獣を見据える。

 知らない間に、風の音が止まっていた。


 「……俺は」


 この手ともに過ごす事が出来たのなら、きっと自分も幸福なのだろうと思う。

 一時でも幸福に。

 ケダモノではなく人らしく、生きる事も出来るのかもしれない。

 だが彼は、その指先に触れる事はなかった。


 「…………俺の手はもう、誰かを守る為には無ぇよ」


 男は彼女を見ずに言う。


 「今はただ、血に飢えただけの獣だ」

 「ダンターグ様……」

 「戻れ、ノエルの所にな……あいつには、お前が必要だ」


 僅かに震える彼女の姿、振り返らずにも感じる。

 それだけ彼らは、長い時を過ごしていた。


 「……は、い……わかりました……」

 「よし、いい子だなお嬢ちゃん……なぁに、心配すンなよ。俺も七英雄だ。必要なら呼んでくれりゃ、お前らの為になら暴れてやるぜ」



 再び洞穴に風が吹く。


 「せいぜい、その日の為に己の牙と爪とを磨いてるからよ……だからそう、伝えておけ。お前の兄と、ワグナスにもな」

 「はい……」

 「……泣くんじゃねぇぞ。女子供に泣かれても、気の利いた言葉なんてかけてやれんからな」

 「……わかっております。それでは、失礼しますわね」



 彼女の気配が遠ざかる。

 自分の本来の任務に、戻るのだろう。


 そして……恐らくもう二度と、会う事はないのだろう。


 「……ダンターグ様」


 背後から声がする。

 泣いているのか……その声は僅かに震えているようだった。


 「……お慕い申し上げておりました。私のこの気持ちだけは……本心ですわ」

 「……あぁ」

 「さようなら、ダンターグ様」


 声が消える。

 暗闇にはまた一人、ただ獣だけが残されている。



 その中で。


 「……俺も、アンタの事……愛してたぜ。ロックブーケ」


 僅かに漏れた獣の呻きも、冷たい風がかき消す。


 全てはただ永劫とも思える闇の中。

 彼らにとってはほんの僅かな時の、出来事であった。







 <このイケメンなダンターグが、ネタ駄文ではワグナスに掘られたりショタっこに振り回されたりしてます。>