>> 秘密を浮かべて
……あの人は、何がお好みなのでしょう。
誕生日と聞いた時、すぐに普段のお世話のお礼に何か贈答品を……プレゼントを贈らなければいけないと。
そう思ったのはきっと自然な事でしょう。
何せ私は夢野久作。
自他とも認める狂人であり、この図書館でいっとうの常識人でもありますから、常識人であれば礼節は尽くさねばいけません。
ですから私はあの人に。
普段からこのような狂人の私にも普通の「人」のように接してくれる正宗白鳥さんに何か、誕生日の記念になるようなものをと思ったのです。
とはいえ、あの方は批評家ですから、本の類いはいけないでしょう。
きっと仕事を思い出させてしまいます。
今や根っからの批評家である白鳥さんですから、本を娯楽として読むような習慣はもう持ち得ていないかもしれません。
それでは何か嗜好品を、と思うとどうでしょう。
あの人はどのようなお酒をたしなむのでしょうか。
あの人はコーヒーを好むのでしょうか、それとも紅茶?
甘いものは好きなのでしょうか。それともお煎餅のようなものがお好みなのでしょうか。そもそもお菓子はお嫌いかもしれません。
そんな風に色々と考えが巡ってしまい、どうにもうまく頭が回らないのです。
あぁ、それならアクセサリーや服の方がいいでしょうか。
懐中時計ならいいものを幾つか知っております。腕時計も、ねじを巻けば長く使える美しいデザインのものを知っています。
白鳥さんならブレスレットやネックレスなどがお好みかもしれません。
ですがそれも、白鳥さんと趣味が違えばきっと貰っても困る事でしょう。
絵や美術品であれば……。
好む人ならば喜ぶでしょうが、興味のない人にはかさばるだけです。
私が高村先生のように彫刻や絵をたしなむものでしたら、手作りのそういうものを差し上げるのもやぶさかではないのですが、生憎そのような心得もございません。
……少なくとも高村先生のようなレベルではない、稚拙な子供の遊びでございます。
普段使いの万年筆?
あぁ、でもすでに愛用の万年筆をもっていたら、新しい万年筆は無用の長物でしょう。
かといって、インクや付けペン、そのペン先などはただの消耗品ですから、プレゼントというのとは違うような気が致します。
……考えてみれば私は白鳥さんが何に興味をもっているのか、あまりに知らなすぎるのです。
かといって当たり障りのないお菓子というのも、芸が無い。
折角の記念日だから、何か思い出に残るようなものを送ってあげたいと、そう思うのは傲慢でしょうか……。
結局、何を差し上げたらいいかとんと思いつかず、司書さんと買い物に出かける事となりました。
司書さんは、私を洒落た店につれていって……どうやらそこは、紅茶の茶葉の専門店で、色とりどりの缶につめられた、様々なフレーバーの紅茶が楽しめる、といったお店だったらしいのですが……その中から、良さそうなのをいくつか見繕って。
『白鳥はコーヒーも紅茶も飲むんだけど、この店は最近出来たばかりだ。きっとフレーバーティーの事は知らないはずだから……珍しいもの好きって訳でもないけどさ、春先で、やっぱり新しいものをもらうと嬉しいし。ここの缶はお洒落だから小物入れにしてもいいし……喜ぶと思うんだよね。あぁ、ゆめ先生の好きそうなお茶も選んでおきなよ。俺からのプレゼントじゃなくて、ゆめ先生からのプレゼントだし、迷ったら助言するよ……ちなみに、ゆめ先生がいまもってる紅茶はミルクとよくあう奴だ』
きっと他の文豪たちにも、プレゼントに対するアドバイスなどをしているのでしょう。
司書さんは慣れた様子でそんな話をしながら、私は言われるがままいくつかの紅茶のセットをプレゼントとして包んで頂きました。
そうして、誕生日に渡しにいったのです。
「これ、どうぞ」
白鳥さんの部屋でプレゼントを渡そうと部屋に向かう途中の廊下で白鳥さんと出会ったものだから、私は慌てて包み紙を差し出しておりました。
箱を突き出された白鳥さんは、小首を傾げて……何の事かさっぱりわからなかった様子でじっとこちらを伺っております。
それも無理のない事でしょう。
私たちは、元々誕生日を祝うなんて風習はありませんでしたから、誕生日にプレゼントを差し出されてもピンとこないのかもしれません。
「お誕生日だと聞いて、プレゼントを……」
私は辿々しい口調でそう告げると、白鳥さんはようやくそれに気付いた顔をして。
「面倒をかけたな」
そういって、包み紙を受け取ると部屋に戻ろうとするのです。
「あぁ、あの。中身を……開けて、見てくれませんか? 気に入るかどうか、心配で……もし気に入らなかったら、そのように申し上げてほしいのです」
私はとっさに彼を、呼び止めておりました。
白鳥さんははて、どうした事だと訝しげな顔をしておりましたが。
「それなら、俺の部屋にこい……ここで開ける訳にもいかないだろう」
そういって、自分の部屋に招待してくれたのです。
春と呼ぶにはまだ早い時期だったでしょうが、窓を開ければどこからか花の匂いが漂ってくる穏やかな日でした。
白鳥先生は私を応対用のソファーに座らすと、そこで包み紙を開けて、華やかな缶をしばし眺めたあと。
「ふぅん、紅茶か……悪くない」
ぽつり、一言呟いて、私はそれを聞いてようやく安心したのです。
あぁ、よかった。と。
喜んでもらえて……本当に、よかった……と。
あぁ、でもどうして私がこんな事を思うのでしょうか。
どうして、どうして……。
「桜のチップがはいった紅茶があるという。淹れてみようと思うが、君もどうだ。夢野」
「え……あ、はい、いただきます。でも、いいのでしょうか? 私の選んだプレゼントですが……」
「……こういうものは、二人で楽しんだほうがいいものな」
微かに笑う白鳥さんの、その笑顔を見て……私は何だか酷く安心したような、落ち着いたような気持ちになったのです。
あぁ、この人が笑ってくれた。
それだけで、幸せな気分になって……。
……私は何とはなしに、自分の思いその正体にようやく気付いたのです。
あぁ、きっとそれは……そう、なのでしょう。
だけど。
「……お茶請けにクッキーを、司書から頂いた所なんだ。君もどうだ」
「はい、いただきます」
今はこのくすぐったい気持ちは、私だけのもの。
私だけの秘密にしていましょう。
注がれた紅茶は温かく、塩漬けの桜が浮かべてあって……。
春ももうすぐ来る事でしょう。
その時は、白鳥さんを誘って図書館の桜を眺めるのも、悪くないかもしれません。