>> 縊り
あぁ、誰か私が眠っている時にそっと首を絞めてそのまま、くびり殺してはくれないだろうか。
そんな事を考えるようになったのは、一体いつの頃からだったのだろう。
いつも違う男を連れ歩く母の背中を見送っていた時から?
母がつれてくる男から激しい暴力を受けていた時から?
食事が欲しいのなら客をとれと、知らない男の寝台に上るようになった時から?
……あぁ、思い帰せばいくらでも、死んでいい理由はある。
むしろ私という存在は、生きている理由を探す方が難しい。
そんな私が生きている理由は、ただそう「処刑隊」の存在だけ。
ただ「善くあれ」と語り、善くあればその存在を認められる……その理念は寄る辺ない私の居場所となり、すでに存在しない「処刑隊」という組織は私の拠り所となった。
そう……。
生きている意味のない私が、死ぬために戦う理由を見つけたのが「処刑隊」という、すでに埃のかぶった医療教会の遺産だったのだ。
処刑隊の亡霊と、私は呼ばれた。
それはすでに「亡き」処刑隊の服をまとい、まるで当時の処刑隊の繁栄を知るようになぞって、ローゲリウス師の「善き事を求める」という大義名分に縋り、その言葉に対してのみ忠実に血族を殺そうとする姿勢はまさに処刑隊に囚われた亡霊そのものだったろう。
あるいはもっと単純に、処刑隊の服……。
アルデオを被り車輪を背負い、懐古主義で優雅に退廃的に獣を殺す血族とは対照的に、蛮行で全てを解決する処刑隊が「蘇った」と思われたのかもしれない。
とにかく私は処刑隊を見つけ、自分が生きていていい理由と、死んでもいい理由をそこに委ねた。
……どうして生きていなきゃいけないのか。
死ぬまでは、生きていなきゃいけないのだ。
どうしてこんな穢れと咎とを身体一杯に浴びて、生きていなければいけないんだ。
死んでも自分は、畜生にだって劣るだろうに……。
そう思っていた私は、「善きこと」をする「処刑隊」である事で……自分は「善きもの」になれると。「善きもの」であるなら、どのように生き、どのように死んでも……それは「処刑隊の名誉」として扱われ……どこかの穢れた畜生とは違う死を得る事ができるのだと……。
そう思っていた……。
そう思っていたのに、アナタは違ったのだ。
「キミは、今のままで幸せになってもいいと思うよ」
そう言ってあなたに頭を撫でられた時、私は虚を突かれたような気がした。
そして彼は、私の罪も穢れも知らないからそんな風に楽観的になれるのだと決めつけていた。
だがあの人は、私の穢れを知っても 「幸せにしたい」 と手をさしのべてくれた。
罪を、咎を知っても、 「一緒に幸せを考えたい」 と笑ってくれた。
あの人にとって、私は卑しい血の子ではなく、ずっとずっと「アルフレート」という一人の「人間」だったのだ。
卑しい血の子ではない。
ましてや処刑隊の亡霊でもない。
ヤマムラさんにとって私は、アルフレートという一人の人間で……。
あの人が初めて私を、アルフレートという人として認識してくれて、その上で「幸せになっていい」そう言ってくれて……。
私は、それからどうしたらいいのかわからなくなった。
あの人に優しく撫でられ、抱きしめられ、時にキスをし身体を重ねて……。
愛していると、心の底から偽りのない言葉を浴びせられて。
人並みの幸せを手に入れてしまったから、今度は逆に怖くなった。
……処刑隊でいる事が、私を生き急がせているという事実が。
カインハーストに赴き、女王アンナリーゼを殺すなんて雲を掴むような話だ。一生かかっても成し遂げられないだろう。
普通ならそう思い、このまま彼の与えてくれる幸せを享受して……やがて私は自分が処刑隊だった事すら忘れて、彼と何でもない生活ができるかもしれない。
いや、できるようになるだろう。
彼の愛情は底がなく、私の身体を砂糖漬けの愛情でズブズブに溶かしてしまった程だ。
そんな彼に従うまま生活をする、ただそれだけで私は求めていた 「人並みの幸福」 を手に入れる事ができるのだ。
自分でも分かっている。
元々私は……酷く何かに縋ってしまう、そういう体質なのだ。
孤独が怖い。
幾度も置いていかれ、罵られ、褒められた記憶もないまま大人になり、人と接して喜ばれるのは身体を差し出した時だけだっから、そういう風にしか人をつなぎ止めておく事しかできなかった。
だけどそんなの一夜の夢で、夜が明ければ全て泡沫に帰す。
だから私は幾度も幾度も一夜に縋り、そうして摩耗していくのに疲れて「処刑隊の死」を自分の居場所に選んだ……。
だが今は孤独じゃない。
手を伸ばせば愛しい人が微笑みその手を握り返してくれて、私の事を認めてくれる。
生き急ぐ理由など何もない。
これからゆっくり二人で歩いて、歩いて……いずれくる死という別れの時まで穏やかに過ごす方法なんてきっといくらでもあるというのに……。
……だがそれはもう、私の中にいる「処刑隊」が許してはくれないのだ。
心臓の上に刻んだ輝きのカレルは「その身も心も全て処刑隊に預ける」証。
身体に刻まれたそれは私の心臓に、魂に直接刻まれたように、身体の奥底から「処刑隊であれ」「ただ善くあれ」「穢れた血を許すな」と、そう囁いているように思える。
一度処刑隊に取り込まれた私は、もう以前の私には戻れないのだ。
だから自然と血族を求めてしまう。
狩人と言葉を重ね、血族たちの居城カインハーストへいく方法を求めてしまう。
そこで待っているのは、カインハーストの血族斃される「死」か、あるいはアンナリーゼにより蹂躙される「死」か……どちらを乗り越えたとしても私は、全てを終えたら処刑隊ではなくなり、処刑隊でなければもう私は自分の生きる道を知らない。
もう私は、自分では止めようのない所まで来てしまっていた。
……だからそう。
私が眠っている時、あの人がそっと首に手をかけて静かに静かに、少しずつ少しずつ私の首を絞めてくれたあの時……。
あの時の私の喜びを理解してくれる人間が、果たしているのだろうか。
穢れた血の汚れた身体をもつ子供ではなく。
一夜の夜伽に招かれた人形でもなく。
処刑隊の亡霊でもなく。
ただ「アルフレート」という私を愛してくれた人が、「アルフレート」である私をくびり殺してくれようというのだ。
私を「アルフレート」として終らせてくれようというのだ。
それも、一番愛している人の手で。幸福の絶頂の中で。
私はそれをどれだけ渇望した事だろう。
あの人は私をくびり殺し、その手に死を、その心に私という罪を刻んで生きていってくれたのなら……人間「アルフレート」はもう一生彼のものだ。
他の何者にもならなくていい。
私はそう、アナタだけのものになれたのに……。
抵抗なくただされるがまま、首を絞められる私を前に、あの人は呟いた。
「何を馬鹿な事を……」
バカな事なんかじゃない。
あなたは私の最大の望みを今、叶えようとしてくれていたのです。
「こんな事をしても、アルフレートは幸せなものか……」
幸せです。
あなたのアルフレートは、アナタに殺される事だけが最後に残された幸せになる方法なんです。
「……アルフレートにはアルフレートとしてなすべき事がある。俺がそれを……ただ俺の独占欲だけで、留めていいはずがない」
いいんです。
私の命を背負ってアナタが生きてくれるなら、私はそのほうがずっとずっと……。
……幸せ、だったのに。
「おやすみ、アルフレート」
きっと起きてないと、気付いてないと思い、あの人は部屋から出ていって……。
私はその目から涙が零れている事に気付いた。
……私は、アルフレートとして死ぬ最後の機会を失ってしまったのだから。
「ヤマムラさん、出かけてきますね」
普段と変らず街に出る私の手には無記名の招待状が握られていた。
私の名前を書けばきっと、求める場所につれていってくれるのだろう。
私の選んだ道だ。
私は処刑隊として生きて……もしアンナリーゼをこの手で殺す事ができたのなら、処刑隊に背いて死のう。
それがきっと私らしい最後だ。
何者にもなれなかった私らしい最後……。
……なんでこんな心持ちになったのか、自分でもわからない。
あの時そっとくびり殺してくれなかった事に対する当てつけなのかもしれないが、そうだとしたら我ながら子供っぽいだろう。
だが……私を、アルフレートとして死なせてくれなかったのだ。
せめてあなたの中ではアルフレートとして生かしてほしい。
……そんな願いを胸に秘め、私は秘匿された場所へと向かう。
愛する人の中でずっと、笑っていられる事を願いながら。