>> 長雨の昼下がり






 それは長雨が続くある日の事だった。


「こう連日土砂降りじゃぁ、狩りにも出れねェな」


 窓から外を覗き、石畳に打ち付ける雨音を聞きながらガスコインは忌々しそうにそう呟いた。

 ヤーナムは、あまり雨の多い土地ではない。
 どちらかといえば乾燥しており、雨が降ったとしても早々長雨になる事はないのだ。

 だがここ3日、雨は降り続いている。
 ガスコインは普段はうち捨てられた教会を手直ししそこを塒にしていのだが、いよいよその場所では雨風を凌ぐのが厳しくなっていたのだろう。
 先日、びしょ濡れになりながらヘンリックの宿へと転がりこんできて、仕方なくヘンリックは普段自分が使っている宿に一時的に避難させるに至ったのだ。


(狩人殺すにゃ刃物はいらぬ、雨が3日も降ればいい……か)


 いつ止むかもわからぬ雨の中、ヘンリックは黙々と武器の手入れをしていた。
 投げナイフも、ノコギリ鉈も最早磨く所がない程にピカピカに手入れをされている。

 獣というのは、巨躯なものでなくても鋭い爪や牙、毒を帯びた刃をもち狩人に迫る。
 その目は夜目もきき、雨の中でも平然と襲ってくる事だろう。

 僅かにタイミングを逃しただけで致命傷を負いかねないのが雨というものだ。
 ましてやこんな土砂降りの中、狩りを行うなんて命がいらないのと一緒だろう。

 早く狩りに行かなければ金がなくなる。
 だが今狩りに出るのは死ぬのと一緒だ……そんな葛藤の中、二人はただ雨が止むのを待ち続けていた。


「本当に長雨だ。早く止むといいんだがな……さもなくば、宿代が払えずここも追い出されてしまうぞ」


 ヘンリックはそういい、戸棚の中から幾つか香水を取りだした。
 雨は忌々しいが、自然現象だ。焦っても仕方ない。それならせめてお気に入りの「におい」で少しリラックスをしようと、そう思ったからだ。


「何だ、こんな時に香水か?」


 ガスコインは目が見えないかわりに鼻がきく。
 ヘンリックが香水の瓶を開けたのに気付いたのだろう。


「こういう時でも、お前は洒落モンなんだな」


 からかい半分、尊敬半分でそう告げるガスコインに、ヘンリックは笑って見せた。


「こういう時だからこそ、余裕が大事なんだガスコイン。いい香りを身に纏うというのは、心を落ち着かせる効果がある。長雨でイラついてる時こそ、こうして雨を楽しんでやらないとな」
「ふぅン、そういうモンかねぇ」


 ガスコインは素っ気なく言うと、ぼりぼり頭をかきむしった。
 目が良くないからか、それとも生来のものか、ガスコインはあまり身なりを気にしない所がある。
 今もすり切れたコートに使い古した帽子と、ヘンリックより幾ばくかは若いというのにすっかりくたびれた外見をしていた。


「そうだ、お前も少し洒落っけというのをだしてやろう」


 そこでヘンリックは不意に思い立ったように言うと、戸棚から幾つかのボトルを取り出す。
 整髪料、香水、化粧品、その他もろもろの瓶を手にしてご機嫌に鼻歌をうたうヘンリックとは裏腹に、ガスコインは驚いたような声をあげた。


「はぁ!? な、なんで俺がそんな腹の足しにもならねぇ事しねぇといけないんだよ!?」」
「長雨でイラついているんだろう? 気晴らしになる」
「ば、馬鹿がっ、俺みたいな強面を飾っても仕方ねーだろうが! そういうモノは自分で使え、伊達男」
「強面のデカブツだからって、身なりに何ら気にしなくていいというワケでもあるまい? それに、お前は確かに強面だが結構な色男だと俺は思うぜ? ……なに、どうせ雨だし俺しか見てない……少しお前の髪を弄らせてくれ。いいな?」


 ガスコインはしばらくうなり声をあげていたが。


「それとも、今間借りしてる俺の部屋から出て行ってあの雨風ひどい廃教会に帰るか?」


 この脅し文句はきいたのだろう。
 観念した、という顔でヘンリックの前に座ると 「好きにしろや」 とふてくされたように言うのだった。


「じゃ、好きにさせてもらうぜ」


 ヘンリックはボトルから明るいオレンジの瓶を取り出すと、それをたっぷり掌につけてガスコインの髪をなで付ける。


「んっ……へんに甘ったるいニオイがするな……何だそれ?」
「ヘアオイルだ。お前、髪がガッサガサだからな……いつも石けんで洗ってそのまんまだろ? まず少しケアをしてやらないと、折角の綺麗なプラチナブロンドが台無しだぞ?」


 ヘンリックはからかうようにそう言うと、丁寧に髪へオイルをすり込む。
 長年粗雑に扱ってきた銀髪はオイルだけで綺麗になるほど簡単な癖ではなかったが、それでも幾分か輝きを取り戻し、触った感触は随分柔らかくなっただろう。


(よし、まずますだな)


 ヘンリックはそう思いながら新しい瓶を取り出す。


「今度は何だ……」


 別の瓶を開けたのはニオイが変るからわかるのだろう。
 僅かに手に乗せた「それ」を伸ばすと、ヘンリックはさも当然といった様子でこたえた。


「髪を整えるための蝋だ……お前は癖が強いから、少し強めにスタイリングさせてもらうぞ? ……いつも帽子で目隠しだからな。たまにはオールバックにして額を見せてみろ。ふふ、俺とお揃いだな」


 ヘンリックは文句言わず座っているガスコインの髪をなで付け、オールバックにする。
 元より色白のガスコインの蝋のような肌が露わになると。


(やはり、素材はいいな。普段のボロコートがもったい無いくらいだ)


 と、ヘンリックは内心そう呟くのだった。


「もう髪を弄ったんだからいいだろォ……」


 飽きてきたのだろうかか。それともオモチャにされているようで気恥ずかしくなってきたのだろうか。
 身体をもぞもぞさせながら文句を言うガスコインを前に 「まだまだ」 と、今度は顔にクリームを塗りつけた。


「これは牛乳を練り込んでつくったフェイスクリームだ。お前は肌も唇もガッサガサだが、これで随分潤っただろ」


 さて、とそこでヘンリックは剃刀を取り出す。


「折角だからヒゲと眉毛も整えるぞ、ガスコイン。いいな」


 ガスコインはもう返事もしなかった。
 だがそれは無言の肯定だろう。ヘンリックは鼻歌交じりで軽く剃刀を研ぐと、その刃先をガスコインの頬へ滑らせた。


「あごひげは伸ばしてるみたいだからそのままにしておくぞ? 眉を手入れするのはその眼帯がわりの包帯が邪魔だな。外していいか?」
「もう好きにしてくれ……終るまでお前の好きにしていい」
「了解。思う存分好きにやらせてもらおう」


 ガスコインの古めかしい包帯を外せば、その下からは綺麗なキトゥンブルーの瞳が現われる。
 宝石のように美しい済んだ目だ。だがこの目は人の姿を捉える事が出来ない。
 何時の頃からか知らないが、ヘンリックが出会った時ガスコインの目はすでに見えなくなっていた。だから滅多にその下にある目を見る事はなかったが。


(本人は強面というが、言うほど顔は悪くないんだよな)


 それがヘンリックの素直な気持ちだった。
 目が見えなくとも潰れている訳ではないのだから、包帯をしないほうがいいのではないかとも思うのだが、それだと逆にモテすぎないか心配にもなる。
 だからヘンリックはあえて 「包帯を外した方がいい」 と言わず、その顔の手入れを続けた。
 この素顔を知っているのは自分だけでいい。相棒だけの特別感が少しだけ嬉しく思えたからだ。


「さて、ヒゲと眉を整えるぞ。動くなよ、その鼻を切り落としても知らないからな」


 ヘンリックはそういい、髭と眉毛を丁重に整える。
 最後に仕上げとして、クリームをたっぷり塗ってやれば普段ボロ布を引きずって歩くガスコインの面影を一掃する、綺麗な顔が露わになった。


「……メチャクチャに弄んでくれたな。おかしくなってねぇか?」


 普段と違うニオイに包まれ、やや困惑しているのだろう。
 自分の目が見えないから、どうなっているか分からないという不安もあるのだろう。
 大柄なガスコインが上目遣いになりヘンリックに問いかけるその姿は彼の普段見せない瞳の効果もあり、いつもよりずっと端正な顔立ちに見えた。

 いや、ガスコインは元々「こういう顔」なのだ。
 大柄で人を見下ろす風貌に、ボロ包帯を目にあてた男が現われれば誰だって恐怖を抱く事だろう。だがその下には存外に整った顔が隠されている。

 ……そしてそれを知っているのは、ヘンリックを含めて何人もいないのだろう。


「綺麗になってるぞ」


 ヘンリックは僅かに笑うと、ガスコインの顎に手をあてその唇をなぞる。


「……俺が女だったら惚れてるくらいにな」
「なぁっ……」


 ガスコインはその言葉を聞き真っ赤になると 「ば、馬鹿いうな!」 そういいながらくしゃくしゃと折角整えた髪を崩してしまった。


「本当だぞガスコイン……お前はいい男だって」
「うるせぇ! ……狩人に綺麗な顔なんているかよッ。俺は大柄で強面のバケモノ神父の方が似合いだって」


 よっぽど恥ずかしかったのか。
 ガスコインはそう言うと、ヘンリックのベッドに勝手に寝転び枕に顔を埋めて足をばたつかせる。
 ガスコインのような大柄な男が寝るのは想定されていないベッドは、みしみしと音をたてて軋んでいた。


「はは、そう拗ねるなよ。からかって悪かった」
「ぶー」


 ふくれるガスコインの頭を撫で、ヘンリックはボトルを元の棚に戻す。


「……綺麗なのは本当なんだがな」


 戻しながら一人、ガスコインに聞こえないようそう呟く。
 外の雨は、まだ暫く止みそうにもなかった。





 <でぐちこちら。>