>> 愉快犯






 江戸川乱歩様


 拝啓
 暦の上では立冬を過ぎ、いよいよ本格的な冬が迫ろうという頃、いかがお過ごしでしょう。

 私は相変わらず周囲に狂人だの変人だの言われながらも、機械の分解なんぞをしておりました。
 今日、分解したのは蓄音機でございます。

 手回し式の古いもので、壊れてしまったようだからと館長から引き取ったものですが、錆びたパーツや小さいネジなど無数にありまして、こちらの工具が上手く使えないものですから部品の数と比べてみれば全部バラすのに存外に骨が折れたものです。

 ですが、分解してみて並べた部品はとても美しいものでした。

 まるで花びらのように美しく広がったパーツは切り離してしまえば存外無粋な鉄の塊になりはて、逆に見えない場所でレコードと音を繋ぐ管の部分は女性の艶めかしい腰を思わすフォルムをしており、いやはや見えない所が美しく、一見煌びやかに見える部分が実は薄っぺらいなんて機械というのはやはり人間がつくったものなのだな、と思う次第でございます。


 さて、あなたは優れた奇術師であり、探偵小説の名手であらせられますね。
 手品が得意なのは普段からトリックを考えるのに良いと判断したからでしょうか。それとも単純に人を欺き驚く顔を見る事が好きという性分からでしょうか。

 実の所を申し上げますと、貴方にある種の憧れをもつ私も一つ、あなたを驚かす悪戯をしてみたいと思い、先日少しだけ実行させて頂きました次第にございます。
 えぇ、きっとお気づきにならなかったと思いますが……。


 ……私、新美南吉くんを誘拐致しました。


 それは満月の夜でした。
 空は青白く染まり銀の色に輝いておりました。
 そんな月を見ていたら、まるで人のふりをする狼が元の姿に戻るように鬱屈した私の狂気がムクムクと大きくなっていき、ついには制御できないほどのバケモノへと変貌していったのです。

 元より私は、獣のような存在を飼っておりますので、あのように妖しい月の夜、理性が危うくなるのも致し方ない事だったのかもしれません。


 南吉くんを攫おうと思ったのは、あなたに対する憧れから。
 そして、あなたの寵愛を受ける新美南吉という少年の嫉妬からでしょうか。

 あるいは私は貴方そのものに、焼け付き焦げるような強い嫉妬をしていたのかもしれません。

 ともあれその嫉妬から、あなたの大事なものを全部全部ムチャクチャにぶちこわしてやれたら、どれだけ滑稽だか。どれだけ楽しいか。
 そういう時に露わとなる本質を、分解してみたいとか。
 新美南吉というあなたの寵愛を受ける人形を分解してみたらどれほど愉快だろうだとか。

 そんな妄想で頭が割れそうなほどに膨れあがってしまい、ついに実行に移したのです。


 美しい月のひかりは、図書館の中にも差し込んでおりました。
 いつも司書たちに早く寝るようにと言われ、悪戯はするが良い子である南吉くんはきつねの模様が描かれたかわいらしい寝間着に包まれてぐっすりと眠り込んでいるようでした。
 私はそんな南吉くんを毛布ごとくるりと包み込んで抱き上げると、そのまま窓からひょいと抜け出たのです。


 この図書館は人が多いのですが、ひどく不用心です。
 小さな子供を一人攫ってくるのなんて簡単な事でした。


 いや、たとえば私が外の町に住む人間で、泥棒として図書館に忍び込み、その中で南吉くんを誘拐するとなればこんなにも簡単に事はすまなかったでしょう。
 私がこの図書館に出入りする小説家の一人だったから簡単にできたというだけです。



 毛布にくるまった南吉くんは、私の腕に揺られながら半ば夢見心地で、寝言なのかも曖昧な問いかけを私にしてきました。


 だぁれ?
 乱歩さんじゃ、ないよね。乱歩さんの腕はもっと、大きいもんね。


 私はあまり大柄ではありませんから、私よりずっと背の高い貴方と私を勘違いする事はなかったようです。
 だけどあまり騒がれては困りますから、私は人差し指を立て「しぃーっ」と息を吐いて。


 乱歩さんに頼まれて、あなたを連れてきたんですよ。
 心配ないですよ、乱歩さんがまっていますから。


 そんな嘘をついたのです。
 南吉くんは子供ですからその嘘をまったく疑わず、乱歩さんがまってるなら心配ないね。そうとでもいうように、すやすや寝息をたてました。

 空にはまぁるい月が銀色に輝いて、南吉さんの銀色の髪もゆらゆら揺れておりました。


 何も知らない南吉さん。
 無邪気で幼い南吉さん。


 彼を攫って歩き始めた頃、私の頭をぎゅうぎゅうに支配していた執着のような、嫉妬のような、あるいはそれらを全てまぜこぜにした感情は、少しずつ薄らいで……。
 私はこの子をどうしようか。どうしたいのか。
 少しずつ冷静に、考えるようになってきて……。

 そうしているうちに、赤い鳥居の小さな社が見えてきて。
 私はその社にあるお堂を無理矢理開けると、その中にそっと南吉さんを寝かせてみたのです。


 月の綺麗な夜でした。
 銀色のひかりを放った月はまるで、光の船を出して、歌を忘れたカナリアなんかをゆらゆらと連れて行くんじゃないかなんて、そんな歌を思い出し、知らずに鼻歌などを歌っていました。


 たのしそうだね。
 か細い声が聞こえました。南吉くんの声でした。


 私はそう、楽しいですからと。そうこたえました。


 どうして楽しいの。
 そう笑って言ったので、そう、私は貴方を真似て、ピエロのように礼をして……。


 あなたを、乱歩から盗み出せた事が楽しいのです。
 そんな風に、言ったのです。


 あぁ、そうしたら。そうしたら、どうでしょう。
 あの美しい銀色の髪は青い月に照らされておりました。一面がまるでブルーのレンズで覗いたように真っ青になった町の中、南吉さんの青い目は星を湛えて輝いて見えたのです。
 そうして、ただまっすぐに。


 ぼくをぬすんでも、ぼくと乱歩さんは、心がつながってるから。
 ほんとうのぼくは、乱歩さんの所にあるんだよ。
 だからね、ぼくを盗んでもだめだよ、久作せんせい。
 ここにいるぼくは、ぼくだけど、ぼくのこころは、乱歩さんのところにある。

 ぼくと、乱歩さんは一緒になってはじめて、ぼくが出来上がるんだよ。


 そういう風にいうのです。

 あぁ、私はその時どんな顔をして、あの子を見ていたのでしょう。

 わかりません、わかりません。
 自分の顔は見えませんから。

 だけど、あの時の南吉さんは……。
 少年というのはあまりに柔らかな微笑みを向けて。少女というにはあまりにも土臭い微笑みのままで、再び微睡んでしまいました。


 私は。
 私は、ただ、ただ敗北者のような気持ちになり、彼を再びベッドに戻しました。

 例え南吉さんを壊してしまっても、南吉さんはそこにはないのです。
 乱歩さんの中にある南吉さん、南吉さんの中にある乱歩さん。
 それらをすべて分解するには、私の手は未熟すぎると、そう思ったものですから……。

 銀の船に揺られるように、南吉さんを部屋にかえし。
 誰も知られず、誰も気取られず、私のサプライズは終りました。


 さぁて、この手紙。

 あなたは事実と思うのでしょうか?
 それとも私お得意の書簡形式で綴られた新作小説の一つととるのでしょうか。

 そこは一つ、あなたの裁量にお任せ致しましょう。
 それでは。


 親愛なる探偵作家へ。
 酔狂な友より。






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