>> 100万回の後悔の末




100万回の後悔の末



 ヤマムラはベッドの中で狩装束を身に纏うアルフレートの動きを聞いていた。
 荷物は驚くほど少なく、普段は決して使う事のない「ローゲリウスの車輪」と「アルデオ」を携えている事から、何処に行くかは察しがついた。

 カインハーストへ向かうのだろう。
 ローゲリウス師が向いとうとう帰ってこなかったアンナリーゼの元へ決着をつけに行くのだ。
 それが処刑隊の悲願なのだから。

 わかっていたはずだ、その日が来るまでの事だと。
 その日が来たらアルフレートを送り出すのが自分の役目だと。

 願わくば処刑隊としての使命を終えたアルフレートが笑顔で自分の元へと帰ってくるのを望んでいたが、きっとそのような日がくる事はないのだろう。

 そもそも「処刑隊」として振る舞う事も、血族を狩る事も、ローゲリウス師の言葉に殉じて行動する事も、全てアルフレートのエゴだ。
 すでに存在しないローゲリウスの言葉を、アルフレートは自分の都合良く曲解し、そのねじ曲がった信仰心の上でなら「善きもの」になれると信じて、自分の正義で、自分のために動いている……。
 これがエゴでなくて、何がエゴだというのだ。

 だが、アルフレートはそうしなければ生きていけなかった。
 そうしなければとっくに狂っていたか……あるいは、すでに狂っている心を「処刑隊」や「ローゲリウス師」という言葉と使命で埋める事により何とか人のように振る舞えていたのだろう。
 それだけアルフレートにとって「処刑隊」というものが、「ローゲリウス師」の言葉が、胸に刻んだ「輝きのカレル」が大切なものだという事はわかっていた。

 彼の地でアンナリーゼを倒すという事もアルフレート本人のエゴにより作り上げられた目的であり、処刑隊そのものが望んだ目的ではなかったとしても、それまでアルフレートを支えてきた事は確かであり、それが今のアルフレートの生きる理由でもあった。

 それを留める理由など、ヤマムラにはない。
 自分もまた恩人を殺した獣、それを殺すためにヤーナムにやってきて、それを成し遂げ今があるのだから……。

 だから自分はアルフレートを見守ろうと、留める権利はないと、自分だって復讐を糧に生きて今があるのだからと、そう思っていた。
 思っていたのだが……。

 カインハーストへ向かうアルフレートの背中は、あまりにも儚かった。
 まるでそのまま雪の中に解けて消えてしまうような……全て成し遂げてもそのまま、命が失われていくような……。

 いや、そんな曖昧な言葉にしなくてもヤマムラは確信していた。
 アルフレートは、きっと死ぬのだろう。

 それは、カインハーストに行き着けずのたれ死ぬのかもしれない。
 カインハーストまで赴いても、中にいる怪異というに相応しいバケモノたちに蹂躙されその命を落とすのかもしれない。
 血族の女王、アンナリーゼの前に無様に膝をつき首を落とされるのかもしれない。
 あるいは、全てを成し遂げたとしても、自らのエゴを全て吐きだしてしまったアルフレートの心に残るのは、完全なる虚無だ。生きる理由など一欠片さえ残っていないだろう。
 そうなれば、全てを成し遂げたとしてもアルフレートの選ぶ道は決まっている。

 幸福の絶頂に包まれての死。
 自ら歪めた処刑隊への殉死だ。

 ……そう、ヤマムラはどう足掻いても死に至るためにこの青年を送り出そうとしている自分に気付いていた。

 何をいっても、止める権利はない。
 男が自分の誇りをかけた道なのだ、止めたらかえって不幸になる。
 そんな言い訳をして。

 だが、一体そんな言い訳を何度繰り返したのだろう。
 アルフレートは、いずれ死ぬ。だが今でなくてもいいだろう。
 それは、ヤマムラのエゴであるのは分かっていた。 だがそれでも。


(失いたくない……アルフレートが永遠に失われるなんて、そんな無慈悲な事があってたまるか……)


 その思いは日に日に積り、ついにヤマムラの全てを支配した。


「アルフレート」


 だから彼は起き上がる。
 酷く寒い日だった。間もなく夜明けが来るだろうというのに、床から吹き付ける風は凍えるほど冷たく裸足のヤマムラの足は感覚がなくなるほどだった。
 その声に、アルフレートは意外そうな顔を向ける。
 ヤマムラに気付かれないようこっそりと起きたつもりだったのだろう。そして気付かれないうちに、こっそり出て行くつもりだったに違いない。


「あぁ、起こしちゃいましたか。すいません」


 アルフレートはまるで悪戯がバレた少年のように笑うと、ちろっと舌を出す。
 これから行く先は自分の死地のはずだが、彼はいつもと全く変わった素振りを見せなかった。
 あるいは、アルフレートにとって日常が死地であるか、地獄のようなものだったのかもしれない。

 彼はその人生があまりに重すぎたのだろう。
 だからこそ容易に死という安寧に身を投げ出せるのだ。

 ただ、ヤマムラといる時彼はよく笑った。
 最初はどこかぎこちなく、まるで人の感情というものを理解してないような違和感を覚えたのは事実だったが、最近はその違和感もかき消えて、今は子供のように無邪気によく笑って見せた。
 人並みに笑うだけじゃない。
 人並みに怒り、人並みに恥じらい、人並みに喜んでも見せる。

 少なくてもヤマムラの前での彼はそんな普通の青年であり、処刑隊でもなければ血族狩りでもない、「アルフレート」という唯一の青年だったのだ。


「いや……起きてた、結構前からな」


 ヤマムラは厚手のスリッパを履くと、うすら寒い室内を歩く。
 安普請の床がやけにぎしぎしと軋む音が響いた。


「……行くのか?」
「あ……はい」


 アルフレートは視線をそらし、言葉を選ぶような仕草を見せる。
 そうして少しの沈黙のあと彼はぎこちない笑顔を作り。


「今までありがとうございました。私、ヤマムラさんとあえて……幸せ……でした」


 そう告げて、ヤマムラの手をとった。
 すでに処刑隊のどこか虫を思わす籠手が巻かれている。

 ぎごちない笑顔が作り笑いだと分かったのは、それまで何度もアルフレートの心から見せる笑顔を見てきたからだ。
 アルフレートは、自分を偽り今、ヤマムラに笑顔を向けている。
 それはヤマムラを心配させまいという心遣いであり、また最後に見せる顔は笑顔でありたいというアルフレートの思いからだったのだろう。

 ……留める資格などないと、思っていた。
 だから今までは自由に、飛び立つ鳥を見守るような気持ちで彼に自由にさせていた。
 そうして、何度も、何度も、何度も……。

 アルフレートを「処刑隊」からアルフレートという一人の青年にして、そして死に至らせた。
 いや、そんな記憶はない。
 アルフレートとの出会いも、この一度だけのはずだ。

 だがヤマムラは不思議と、何度もアルフレートを見送り、そしてその死を看取る……。
 そんな長い悪夢に取り憑かれているような気がしていた。


「幸せだったら、ずっとここに居たらいいじゃないか」


 だから、その日のヤマムラからそんな言葉が出たのだろう。
 ヤマムラの言葉に、アルフレートは暫く不思議そうな顔をして彼を見る。だが、その言葉の意味がじわじわと理解できた事、そしてヤマムラが本気でそう言ってるのがわかったのだろう。  アルフレートは急に厳しい顔つきになると、ヤマムラの手をまるで汚いものでも触るかのようにぱっと離した。


「……何をいってるんですか、ヤマムラさん? 私は、処刑隊です。ローゲリウス師の言葉に殉じてこれまで生きてきました。今更、後戻りなど」
「アルフレート、君は処刑隊なんかじゃない……わかっているだろ? 君の処刑隊の教義は全て、ローゲリウス師の言葉を聞いた誰かからの伝聞だ。君は君のなかでそれを歪めて、歪めた処刑隊というものの中で生きてきた……」
「違う! 私は処刑隊です、私は……」
「いや、違いはしない。君は正しく処刑隊では……ない。その装束も、ローゲリウス師の言葉も、血族を狩り世界を浄化するという使命も……全部、君が『そうであろう』と独自に解釈したものだ……違うか?」


 ヤマムラの問いかけに、アルフレートは強く拳を握り唇を噛む。
 彼の言葉に対して言い返せる材料をどうやら持ち合わせていないようだった。


「……アルフレート、それは『処刑隊の理念』ではない。アルフレート、君の『エゴ』だ」
「エゴだったとしても! ……血族は、悪しきものです。穢れです。それを増やし続けるアンナリーゼは淀みの根源……それを断つ事に大義はあります! ……私は、それこそが処刑隊の大義だと、そう思っています」


 アルフレートの行動は確かにエゴだが、「血族を滅する」という行為そのものが、ヤーナムで望まれているのもまた事実だった。

 血族である。
 それだけで、ヤーナムでは「穢れたもの」と見なされ、その立場はずっと低いものとされる。
 まともな仕事につけるものは少なく、大概は日雇いか……血族特有の美貌を生かして、街娼になるものも少なくないという。
 全て血族というものがあったから、その始祖が存在する限りその差別は残り続けるのだろう……それならば、根源から絶つというのは確かに解決法の一つだ。

 だがそれだが「正しい」訳ではないと、ヤマムラは思っていた。
 ましてやその戦いに命を賭す必用があるのなら、人柱となる必用はないのではないか、とも。


「……あぁ、そうだ。君の言う通り、この街に『血族』は必用な存在ではなく、またその女王であるアンナリーゼを殺害する事は『求められている事』なのかもしれない……だが、それは君がやらなければいけない事か?」
「当たり前です、処刑隊ですから!」
「こうは考えられないか、アルフレート……ヤーナムにある『血族に対する差別意識』こそ、本当の敵なのではないか、と……娼館のアリアンナという女性と話した事がある。血族の末裔であるから、汚れた仕事をしなければ日銭を得る事ができないといっていたが、明朗で賢い女性だった……彼女のような女性が、その血で迫害される世界が正しいのか? ……正すべきは、ヤーナムに根付いたその歪んだ価値観ではないか?」


 アルフレートはまた黙り込んでしまう。
 今までそのような事をアルフレートに言う人間など、誰もいなかったのだろう。
 それほどまでにヤーナムでは「血族は穢れ」という事が常識であり、それは卑しい身分として貶められる事が常識であったのだ。
 だから「血族の悪」ではなく「ヤーナムの悪」を指摘され、アルフレートも困惑しているのだ。


「あぁ、でも……私は……」


 アルフレートは自分の髪をかきむしる。


「私は、血族を……狩る、狩る事で、処刑隊として……でも、ヤーナムの価値観は半世紀? あるいは100年? もっと根深い闇です、それに私が、私一人で? ……まず血族を撲滅してから……あぁ、違う、違う……」


 今まで考えた事もなかった知識が急に現れて、困惑しているのが手に取るように分かる。
 そう、アルフレートという男は元より「からっぽ」の男なのだ。

 からっぽだから、処刑隊の言葉がよく響いた。
 からっぽだから、ローゲリウス師の言葉で自分を埋めようとした。
 からっぽだから、血族を狩る事で己の生きる目的を見出した。

 だがそれはかつてのアルフレートの話だ。
 ヤマムラと過ごし、春に花を愛でる楽しみを覚え、夏の清水が冷たい事を知り、秋には舞い散る落ち葉やドングリなどを無邪気に拾い集めて、冬には雪の冷たさを知り、身を寄せ合って温め合う……。

 その時、ヤマムラの隣にいたのは決して虚無な青年ではなく、「アルフレート」という一人の人間だった。
 ヤマムラの前ではよく笑い、様々な狩人に話かける人なつっこさがあり、礼儀正しく、だがその内実は存外わがままで気まぐれで、年齢の割にはずっと子供っぽく見える、無邪気で可愛い一人の人間だったのだ。

 処刑隊なんかであるものか。
 ローゲリウス師の言葉に操られる傀儡なんかであるものか。
 血族を狩るための道具なんかであるものか。


「アルフレート、君は……人間だ」


 ヤマムラは自然とその肩を掴んでいた。
 その言葉に、アルフレートは困惑したように視線を泳がす。


「そ、んなの……あたりまえ、じゃ、ないですか……」


 当たり前だといった、その声は明らかに震えている。  動揺しているのだ。
 当然だろう、アルフレートは 「自分が何者だかわからなかった」 のだ。ヤマムラはずっと傍で彼を、肌で感じていたからよくわかる。
 アルフレートは常に、自分の心を人の場所に置いてはいなかった。畜生か、獣と同等のような血生臭い所から、綺麗な人間たちを恨めしそうに眺めている……どこかそういう所があったからだ。

 だが、アルフレートは今真っ直ぐにヤマムラを見つめている……見つめようとしている。
 それは空虚な傀儡ではなく、アルフレート自信の意志であるとヤマムラは信じていたから……。


「アルフレート……君は俺にとってとっくに『善きもの』なんだよ……」


 自然とその身体を抱きしめる。
 その鼓動が痛いほど高鳴っている事がヤマムラにも分かった。


「善きもの……私が……」
「それは、君は万人にとって善き存在じゃないかもしれない。だけど、少なくても俺にとって善き相棒で、善き隣人で……善き恋人だ……君は、そうして生きていく事は、できないかなぁ」  


 ヤマムラは、抱きしめていた手を解きじっとアルフレートを見る。


「もう君も、分かってるだろう? ……君が処刑隊ではない事も。その運命に殉教する必用もない事も。君が、そうして生命を終える事は……君のエゴでしかない事も」
「……うるさい」


 アルフレートはヤマムラの手を激しくふりほどくと、耳を塞ぎながらただ、ただ怒声を浴びせた。


「うるさい! うるさい、うるさい、うるさい! ……あなたに、何がわかるというのです! ……私の何が! 私は、処刑隊に出会って変わった。ドブネズミから人間になれた」
「……そんな気がしたんだろう? ……君は、恵まれなかった自分のどうしようもない境遇から脱出するために、ローゲリウスの言葉と……血族を殺し、世界を浄化するというその行動に、希望を見出した……ただそれは、元よりパンを盗み、相手を殴りそうやって蛮行を続けていた君にとって、ちょうどよい逃げ道にすぎなかったんじゃないのか?」
「ちが、う、違う、違う、あなたは、私を……」
「君は……俺の前にいる君は、暴力沙汰を好む性質ではなかった……勿論、自分や俺がコケにされれば相応に怒るが……元もとの君は、きっと……ただの臆病な子供なんだよ」
「ちがっ……」


 アルフレートは耳を塞ぎ、その場へと座り込んでしまう。
 顔色が悪く、息が上がっている。
 まるでその表情は、今まで自分が恐れ隠していたものを見せられているようにも見えた。


「違う、そんな事はな……ない、ないです、ないです……それでは、私がローゲリウス師の言葉に逃げているようではないですか……」
「逃げているんじゃないか? 君は、正しい人というのになるために、その言葉に命を捧げる事で自分の生を終らせようとしているだろう」
「っ、ぅ……」
「それは、命を賭した逃げだ。君は、君に蛮行を働いた相手ともその肢体で拐かした相手とも、向き合おうとせず、ただ、耳障りの良い言葉に逃避しようとしている……君は君のした事から逃げて、処刑隊という居心地のよい場所を見つけただけ……」
「ちがっ……違います、私、は、身も心も、浄化したいと、街を、清潔に……」
「君は、自分のしてきた事に向き合えるほど強い心ももってなければ、それに対してどのような贖罪をしていいのかわからない、飛び方をしらない小鳥と同じ。子供なんだよ、君は……」
「違う!」


 アルフレートは自らの狩装束を解き、その胸を露わにする。
 肉付きのよい胸の白い肌には、処刑隊の証である輝きのカレルその刻印が古傷となり赤黒い痣となって浮かび上がっていた。


「私は、処刑隊として生きると決めたのです! 処刑隊の悲願として、ローゲリウス師の名誉を保つために、立ち上がり、憎くそしておぞましい血族の女王をすりつぶす為に生を与えられた」
「それは君のエゴだと言っただろ! ……君は、自分の過去から逃れるために都合よい詭弁で、処刑隊を使っているだけだ。そんなのは、処刑隊の悲願でもなんでもない……君は新たな蛮行で、処刑隊の輝きを汚そうとしているだけだ」
「そうだとしても! そうだとしても、私に、他にどのような生き方が許されるというのですか、私に……」


 アルフレートは膝をつき、その場で泣き出してしまった。


「処刑隊として、生きて、死ぬ事が、私が、人間として正しく、善く、生きる、たった一つの方法だったから……私はそれ以外の生き方なんて知らない。知っているのは、欲しいものは奪い、金は姦通で稼ぐ淫らな世界……私に人間をやめてまた、あの掃きだめのような生き方に戻るのが、私にとって正しい事なんですか……」


 顔をおさえ、ただ声を殺して泣き続けるアルフレートの前に跪くと、ヤマムラはその頭を撫でる。
 ヤマムラの前で泣き出すアルフレートはいつもそう、まるで道に迷った子供のように幼くあどけない少年のように見えていた。


「……処刑隊としてではなく、俺の相棒として生きる事はできないか?」
「っ……」
「俺は君と一緒に生きていたい。君の知らない景色を見せたい。海や、星や、花や、鳥……この世界にある美しいものを、沢山知って欲しいんだ。このヤーナムという箱庭ではなく、世界へ……」
「世界……」
「勿論、これは俺のエゴだ。君が処刑隊に縋るように、俺は君の幸せに縋る……いや、君を幸せにしたいという大義名分で、君という存在を俺の傍らに縛り付けたいと思っている、酷いエゴだよ。君の命を、預かろうというのだから」


 その言葉を聞いて、アルフレートは涙でぐしゃぐしゃになった顔のまま、無邪気に笑って見せるのだった。


「もし、それが本当にできるのなら、アルフレートは幸せです」


 ですが、とアルフレートは胸に手をやる。
 輝きのカレル……カレルというのは、ただの刻印や刺青の類いではない。その精神に食い込む楔のようなものだ。
 例えかりそめのカレルであっても、処刑隊の信念が刻まれた身体には、処刑隊に殉じない命令や行動をとる事そのものが辛いのだろう。

 ヤマムラもまた連盟のもつ「淀み」のカレルをもつ身だ。
 常に虫を探していなければ、虫と無関係の行動をとっている時は妙に落ち着かなくなるというか、カレルが疼くような感覚に陥る。
 連盟のカレルはそれでも効果の少ないカレルだと聞く。アルフレートの刻んだ「輝きのカレル」の効果はまさにアルフレートの精神その奥にまで食い込んでいる事だろう。


「……わかりますよね? 無理です、私は……アルフレートではなく、処刑隊。ただ一つの処刑隊の駒なのです。アルデオで顔を隠し、処刑隊の装束で……そうなれば、もはや私は何者でもない、ただ、善きものになる……私の一生は、それでいい。それで、いいんです……」


 どこか諦めたように、アルフレートが笑う。
 ヤマムラはその表情を見て、一瞬寂しそうな顔をしたが、すぐに怒りを露わにしアルフレートへ強く迫っていた。


「わかるものか! 君が死んで終る世界の事など、どうして分かる事ができるというのだ! 君は、処刑隊である前にアルフレートという一人の男だ! 俺にとって掛け替えのない、ただ唯一の恋人だ! ……そして俺にとっての最後の恋人だ。そんな唯一の存在が、死に急ごうとしているのを止めない人間がどこに居る! 許されない? 愛しいものを奪っていく神こそ許されてたまるか! そのような神が、教えがあるのなら、そんなものこそ呪われてしまえ!」
「ヤマムラさん……やめ、て……ください、私の、信じるものを冒涜しないでください、そんな事をされたら私は……」


 アルフレートは覚悟を決めた表情で、前を向く。


「アナタを殺さなければいけなくなる」


 その言葉に、ヤマムラは笑った。


「君を死地に向かわせるくらいなら、この命をかけて止めてみせる。俺はもう自分の心に嘘をついて君の墓守になるのは御免だ」


 互いそういい、動き出す。
 それはただ、エゴとエゴとのぶつかり合いだったろう。

 死にたい男と、生きて欲しい男。
 どちらも自分勝手なエゴだ。
 分かっていたからこそ、二人とも引けなかった。

 拳が空を切り、素早い足払いをすんでの所でかわす。
 元よりひどく軋む床板はまるでバネのように弾んで見せた。下手をすれば床板をぶち抜いてしまうかもしれないが、そのような心配や遠慮ができるほどアルフレートもヤマムラも弱い狩人ではない。

 決着は……。


「がら空きだぞ!」


 その言葉と同時に放たれたヤマムラの地を這う蹴りがアルフレートの足をとり、床へと倒れたアルフレートの腕をヤマムラが完全にロックする事で着いた。


「……がぁっ……ぁ。あ……」


 ロックされた腕の痛みが激しいのだろう、アルフレートは獣のように唸ると、ヤマムラを憎々しげに見つめる。
 もしこの手を離せば今度はそののど笛に飛びついてきそうな勢いだった。


(やむを得ないか)


 ヤマムラは内心そう呟くと、一呼吸の後、アルフレートの腕を折る。
 ゴキリという鈍い感覚がヤマムラの腕にも伝わった。きっとアルフレートはより激しくその音と痛みを感じている事だろう。


「あぁ! ぁ、あ……」


 痛みでのたうち回るアルフレートを前に、ヤマムラはその頭を踏みつける。


「……悪いな、アル。ここまではしたくなかったが、ここまでしないと君は止まらないだろう? だから……」


 そして暴れるアルフレートを前に、霧状の瓶を割る。
 感覚麻痺の薬だ。霧状のそれはたちまちアルフレートの身体を包み込み、その身体の自由を奪っていった。


「や、まむら……さ、っ……ずる……」
「ずるくて、卑怯で小賢しい男だと永遠に思ってくれていい。だが、俺は絶対に君を死なせたくない」


 火炎ヤスリで小刀に熱を与えると、それをアルフレートの胸へ押し当てた。


「ぐぅ、ぅ、あ……ぅ、っ、っ……」


 感覚麻痺の薬のせいで痛みらしい痛みはないだろうが、それでもカレルが焼かれ、消されていくという事は「処刑隊」として屈辱だっただろう。
 それでもこのカレルがある限り、きっと輝きがアルフレートを縛り続けるのだから、これは焼き切って消しておきたい。
 アルフレートの胸にドス黒く、赤い火傷が新しく広がっていく。


「ひ、ど……い、です、ヤマムラさ……何てこと、を……私は……」
「あぁ、そうだな」


 ヤマムラはそう言うと、自らの左手をアルフレートの前にかざした。
 アルフレートと同じよう、ヤマムラの左手にも連盟の証が、淀みのカレルが刻まれている。


「だから俺も、さよならだ」


 ヤマムラはそう言うと、自分の左手に刻まれたカレルを自らの手で焼き切るのだった。

 ……肉の焦げた臭いが部屋を包む。
 アルフレートはぐったりと項垂れて、もはや何の抵抗もしようとしなかった。
 処刑隊の装束はヤマムラに取り上げられ、今はどこにでも居る普通の青年と違わぬ姿をしている。


「もう、抵抗しないのか?」


 その問いかけに、アルフレートはどこか諦めたような。
 だが、少し清々しいような顔でヤマムラを見た。


「利き腕も折られて、カレルも焼かれて……こんな無様な身体で、どうしてカインハーストに行けるというんですか。あなたは……酷い人です、私の……私の生きる理由全てを、奪ってしまった」
「だがその理由は、これから作ればいい。俺を恨むなら俺を恨んで殺すのを目標にしてもいい、俺は……君と一緒に旅に出たいと考えているけどな」
「……好きにしてくださいよ」


 処刑隊の装束も、暖炉の薪とともにくべられる。
 もうアルフレートは、何ものでもないただのアルフレートという人間になったといってもいいだろう。


「もう、私は……処刑隊でもない、ただの掃きだめのクズだ」
「あぁ、だが名前がある。アルフレート」
「……なんですか?」
「俺と一緒に来てくれるな?」


 差し出された手を、アルフレートは暫く見つめていた。
 だがやがて呆れたような顔をすると。


「……私から全て奪っただけでは飽き足らず、私の全てを欲しがるんですね。貪欲な人だ……ろくな死に方しませんよ」
「そうか?」
「蒲団の上で大往生なんてさせるもんですか……どういう死に方をするか、見届けてあげますから……覚悟してくださいね」


 そう言いながら、ヤマムラの手をとる。
 するとヤマムラは微笑んで。


「よし、じゃあ出発だな」


 そう言うが早いか、アルフレートを肩に抱えると宿から飛び出した。


「ちょ、まってください! わ、わたし、片手折れてますしっ! ……ヤマムラさん! 揺らさないでください、痛い、とっても痛いんです!」
「……はは、だが待ってられるか。すぐにヤーナムから出るぞ。そして、君に見せてやる! ……空の青い事を、雨のにおいを、海の広い事を、君が知らなかった景色を沢山、沢山見せてやるからな」


 そうして、飛び出た二人がどこに消えたのか、誰も知る事はなかったが……。

 ただ一つ、噂があった。
 どこかの小さな島に東洋人と美しい顔の青年が子供たち相手に文字の読み書きを教えながら、静かに過ごしている小屋があるという噂だ。
 そしてその小屋は、海の見える小さな島にひっそりと建っており、周囲には白いカラーの花が咲き乱れているのだという。



それでも幸せに邁進する



 ヤマムラは時々、思う事があった。
 アルフレートを本当につれてきて良かったのか、あのヤーナムの街から強引に連れ出してしまい、本当に良かったのだろうか。という事である。

 ヤマムラとアルフレートはヤーナムで出会った。
 アルフレートは自分の事を「処刑隊の一員」だと思っていたが、実際の処刑隊はとっくに存在しておらず、口さがない狩人たちはアルフレートの事を「処刑隊の亡霊」だとか「血族より血に飢えた血族狩り」などと呼んで揶揄していた。

 また、アルフレート自信が「ローゲリウス師」の残した言葉、「善きもの」という言葉に強く縛られ、殆どその言葉に支配されていた事などからも、アルフレートは「ヤーナム」と「ヤーナムの作り出したルール」に準じた男であり、それ以外の世界を知らない男だったからだ。

 ヤーナムから出て、あの血生臭い世界の常識が、実は異常にねじ曲げられた空間で……。
 獣狩りも、血族狩りも、全て狭いあのヤーナムだけでしか行われておらず、世界は、世界には青空があり、海は水平線があり、太陽は水平線の彼方から昇り、遠く針のように連なる雪山へと沈んでいく……。

 そういったものを知らなかったアルフレートは、その自然を喜んだ。
 血や硝煙のにおいがしない平和な街の賑わいに笑顔を向け、森で鳥のさえずりを聞けば「あれは何という鳥だろう」と無邪気に問いかけ、道ばたに花が咲いてればそのにおいを嗅ぎ、青空に虹がかかるのを見ればそれを追いかけて走ろうとする……。

 年相応の。
 いや、アルフレートの年齢からするとやや幼い仕草からは、世界を楽しんでいるように見えた。

 だが、時々アルフレートは酷くうなされるのだ。

 それは大体夜であり、青白い満月の浮ぶ日だった。
 アルフレートは小さなベッドにまるで胎児のように丸まって眠ると、やがて酷く汗をかき、そうして何かに驚いたように跳ね上がるよう飛び起きるのだ。


「……大丈夫か、アルフレート」


 そういう夜は大抵、ヤマムラは起きていた。
 それはアルフレートが酷くうなされている声に気付いての事だ。

 水差しに入れた清らかな水をコップに注いで手渡せば、アルフレートは汗で濡れた額を拭いながらそれを一息で飲み干す。
 そしていつも、深くため息をつくのだった。


「どうした、悪い夢でも見たのか?」


 そうして飛び起きるアルフレートを見るのも、もう幾度目かわからない。
 心配して問いかけるが、いつもアルフレートは何も語らず、少し怖い夢を見ただけですと寂しそうに笑って言うだけだった。
 だから今回も何も、言わないと。そう思っていたのだが。


「……夢を、見ていました」


 アルフレートは、震えた声で告げた。


「私は、椅子に座らされて……外は酷い雪でした。身体は凍えそうなほど冷たい中、目はとっくに潰れて、手は枯れ木のようにやせ細り……死んでいる、ミイラになっているのに、私はそこに座っているのです」


 アルフレートは、身震いする。


「そこで、私は、身動きがとれないまま……私の前に何人も、何人も、アルデオをかぶり、車輪を携えた処刑隊が現れて……私の前で、囁くのです。あぁ、何を言ってるのかはわからない、わからないのですが、囁くたびに、カレルが……輝きのカレルを刻んだ胸が、激しく疼くのです……だから、きっと、彼らは私に呪いの言葉を吐いているのでしょう。憎しみ、怨嗟、そいういう言葉で、私を責めているのでしょう、処刑隊を裏切り……諦めて逃げ出した、私を……」


 アルフレートはそう言うと、ヤマムラの方へと顔を向ける。
 その指先は震えていたが、アルフレートはそれを必死に隠そうと、自分の手を自分で握りしめていた。


「……仕方ないですよね、私は。処刑隊になりきれず……カインハーストを前にして、逃げてしまった。その罪を背負っているのですから」


 ヤーナムという街は、今や遺産となろうとしていた錬金術や秘術の類いが公然と研究され、なおかつ強い効力を持つ土地だった。
 カレル文字と呼ばれるそれは、刺青や刻印として肉体に刻む事で直接「脳」にある種の命令のようなものを書込む効力がある……そう言われているものだ。

 ヤマムラもまた「淀み」のカレルと呼ばれるものを身体に刻んではいたが、その後アルフレートのように悪夢に苛まれるという事はなかった。
 淀みのカレルの効力そのものが、輝きのカレルと比べて精神の影響が少ないのか……。
 あるいは、アルフレート自身があまりにも長く、そして深く「処刑隊」というものに依存し、その精神の殆どを飲み込まれるほどに没頭していたのも原因の一つかもしれない。


「酷い汗だな……着替えるか」


 ヤマムラは竈で湯を沸かすと、暖かな湯にタオルを浸しながらすっかり汗で濡れたアルフレートの身体を拭いてやった。
 その胸には、ヤマムラが焼き切った「輝きのカレル」の痕跡がある。
 隆起した火傷のひどい傷痕はその後かなり膿んでしまいアルフレートには随分と痛い思いをさせただろうが、その結果としてそこに輝きのカレルという刻印があった事などわからない程、傷痕はぐずぐずになっていた。

 だがカレルを焼き消したとしても、精神へ、脳髄へ、その奥へ焼き付いた「処刑隊」としての記憶を、アルフレートは決して捨てることができないのだろう。

 いや、それも当然だ。
 アルフレートはヤマムラと出会う前から、「処刑隊」であり、「処刑隊」でなければ生きて行けなかったのだから。

 新しい寝間着に着替える間、アルフレートはまるでされるがままの人形だった。
 身体を拭いても、服を脱がせても大きな反応は見せない。
 それはヤマムラの前で羞恥心が薄れているのもあるだろうが、それ以上に夢で見た処刑隊たちの呪いとも思える言葉が、夢で見た雪山の景色が、まるで現実であったように焼き付いて離れないのだろう。


「……すいません、ヤマムラさん」


 着替え終ると、ようやく我に返ったような顔になり、アルフレートは寂しそうに笑う。


「私のような男……を……連れ出して、厄介……ですよね、過去に縋り、罪悪感に苛まれて、悪夢にうなされ飛び起きて……面倒くさい男を、あなたに……世話させてしまって、私。私は……」


 相応しくないとでも、言おうとしたのだろう。
 その唇をヤマムラは、黙って自らの唇で塞ぐ。


「んっ、はぁっ……ヤマムラさぁ……」
「黙れ……少し……黙って……」


 互い言葉を漏らし、舌を絡める。
 男に対しての場数はアルフレートの方が圧倒的に多いはずなのだが、こういう時のアルフレートは本当に子供のようで、ただ稚拙ながら精一杯舌を伸ばし、ヤマムラを慰めようとしてくれるのだ。
 対してヤマムラは、無理に慰めなくてもいいと、そういうのは大人がする事だと言わんばかりにアルフレートの舌を制圧する。


「んっ……んぅっ……」


 やがて苦しそうに呻くアルフレートに気付いて、ヤマムラはゆっくりキスを止めた。
 離れた唇からは名残惜しそうに唾液が絡む。


「ヤマムラさん……」


 顔をすっかり赤くしたアルフレートの頭をくしゃくしゃと撫でると、ヤマムラは優しく微笑んでいた。


「アルフレート、君が心に、そういうものを抱えているのは織り込み済みだ。俺は、処刑隊というものを抱えて、それでも生きなければいけなかった、そんな君の全てをひっくるめて愛して、連れ出した……」
「ヤマムラさん」
「だから、それに対して君が気にする必用はないんだ。元々、君を無理矢理攫ってきたのは俺なんだ、急な環境の変化や、見慣れない世界で戸惑う君が……ヤーナムの呪縛から簡単に離れられるとは思ってない。あるいは一生、付き合うのもかもしれないと、その覚悟はある……だから心配するな。俺の一生を、君にあげよう。だから君も、安心して俺を頼ってくれ」


 アルフレートはそれを聞くと、ただ顔を真っ赤にして俯いて、辛うじて「はい」と小声でいうだけだった。


「さぁ、寝なおそうか。アルフレート……俺のベッドに来るか?」
「……はい」


 ヤマムラに誘われ、アルフレートは彼のベッドに入る。
 するとすぐに、ヤマムラは強くアルフレートを抱きしめた。

 とはいえ、キスをする訳ではない。
 手や口で……おたがいの身体を慰める事もできるだろうが、そういう事もしない。

 ただ、ヤマムラはその耳元で、優しく……まるで子守歌のようなテンポで、小さく囁くのだった。


「……灯台のある街に、小さな小屋がうち捨てられているらしい、そこを治して、二人で住めるようにしようか」
「灯台……いつも、海が見えますね……」
「森も遠くない場所だというから、俺は狩りをしてウサギやらシカやらをとってこよう。肉を加工して売るのも、皮をなめすのもいい……君も狩りをするか?」
「ふふ……楽しそうですけど、ウサギは狩った事ないから……」
「読み書きができるからな、君は。街の子供たちに、読み書きを教えるのもいい……子供は好きか?」
「さぁ、どうだろう……嫌いじゃないと思いますけど、あんまり悪ガキの相手は御免ですね」
「ふふ……アルは綺麗な顔だから、きっと女の子に人気が出るさ……子供とは、流行りの遊びをすればいい……そうだな、もしその小屋を買い受けたら、まわりに花でも植えよう」
「花……ですか?」
「何がいい?」
「……思い浮かびません、私は、まだ花に……詳しくは……」
「それなら、カラーでいいか? 凜として白く、君によくにた花だから……」


 それは、未来の話。
 希望の話。

 これからの、二人の話の中、やがてアルフレートは微睡んで……そして静かに眠りにつく。
 ヤマムラの手を握りしめて眠る彼の顔は、少年のようにあどけなく、そして穏やかに見えた。






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