>> 最後はラズベリーパイがいい
ラズベリーをたっぷりのせたパイがいいですね、カスタードクリームと生クリームが溢れるほどのったような奴なら尚更です。
アルフレートの言葉に、ヤマムラはすこし意外そうな顔をしてみせた。
「ラズベリーのタルト、いや、パイか。それはまた、随分とかわいらしいチョイスだな」
顎に手をあてさも意外そうな顔をするヤマムラを前に、アルフレートは頬を膨らませると顔を横に背けて見せた。
「わかってますよ、どうせ私は身体も大きいですからら、分厚いステーキとか、ミートパイとか、そういうのを言うと思ったんでしょう?」
「いや、まってくれ、そんな事はないんだ。あぁ、まぁ……そうだな、ステーキやミートパイのようなものをイメージしてたのは確かだがな」
「ほら、やっぱり! 私だって自分がこんなに甘い物好きだなんて思ってませんでしたよ」
そう言いながら俯いて少し頬を赤くするアルフレートを、ヤマムラはただただ可愛いと思うのだった。
その日二人がが交わしていたのは他愛もない空想話ある。
お題は『もし、明日世界が終るとしたら最後に何を食べたいか』というもので、それは例えるなら『急に金もちになったら何をしたいか』とか、『透明人間になったら何をやるか』と同じレベルのもしもの話にすぎなかった。
だがこういう会話は案外と白熱するものだ。
それはもしも、と思いつつも実際にそれがおこったかのように想像するからだろう。
「そういうヤマムラさんは何を食べたいんですか」
ついでに、というようにアルフレートが聞けば、ヤマムラはさも当然というような顔をする。
「そりゃ、白米だな。握り飯でもいいし、茶漬けでもいい。鰹の漬けをのせた上に熱い茶を注ぐのも悪くない……とにかく、米が恋しいんだ。明日にでも世界が終るなら白米を腹一杯食べたいもんだな」
「でも、明日に世界が終るならヤマムラさんがどんなに急いでも、故郷までは戻れそうにないですね」
「それ、それなんだよなぁ……米を売る商人はいるが、こっちの米はどうにも味を付けて食べるためのものだから、俺の祖国の味とは違うんだ」
「でも、お米ってそれほど味はしないんですよ」
「そうだな、こっちではパンに近いかもしれない……が、パンも味をつけて食べる事が多いし、うーん……」
「味のついてないものに、塩辛いおかずをつけて食べるとか……想像できないないなぁ……私はパンはハチミツとバターとか、イチゴのジャムとか甘いものをつけるから、パンに塩辛いものをあわせるってイメージもないし……白米にシオカラでしたっけ? それってパンに塩をのせて食べるようなものでしょう?」
「いやいや、そんな訳ないだろ、そうだな……何と説明したらいいか……」
ヤマムラは両手を組み暫く考えた後、じっとこちらを見つめるアルフレートの頭をくしゃくしゃと撫でてから笑って見せた。
「そうだな、いつかもし君が……アル、君さえよければ、俺の故郷に連れて帰って、米を食べさせてやってもいいぞ」
「ヤマムラさんの、故郷ですか?」
「そうだ、秋になると一面が山吹色の稲穂が実り、頭を垂れるように広がって……君の髪の毛みたいにキラキラ輝いて美しいんだ。刈り入れ時の田んぼというのはな」
それはアルフレートが処刑隊である限り、無理な話だというのはヤマムラにも分かっている事だろう。
だが、それでも。
「そうですね……全て終った時、する事がなかったら……考えておいてあげますよ」
アルフレートはその「もしも」に思いを馳せて、穏やかに笑うのだった。
ラズベリーをたっぷりのせたパイ。
カスタードをふんだんにつかい、生クリームまでのせた胃もたれしそうな甘ったるいパイ。
もし明日、世界が滅亡するのなら何を食べたいか……。
ヤマムラとの他愛もない会話でアルフレートはすぐにそう告げ、ヤマムラはそれを聞き意外そうな顔をしたのをアルフレートは 「まぁ、そうだろうな」 とどこか達観したような気持ちで見つめていた。
アルフレートは普段、宿では肉を食べる事が多い。
肉を食べればより強靱な身体を作るものだと伝え聞いているからで、別段好きだとか、味が気に入ってるとかではない。
そもそも、アルフレートは「食べ物の味」をあまり感じない身体だった。
常にゆっくりと食事をとれるような環境ではなく、自然と何でも詰め込むように食べるようになっていた。
幼少期の頃は、殴られるのが恐ろしいから。大人になるとただ忙しいから。そうして現在に至るまで、アルフレートは殆ど「人間らしい生活」をしていなかったからだ。
いつも追われるような後ろめたさと焦燥感とに苛まれ生き急いでいた彼は、食べ物を味わうという余裕が脳から消え失せていた。
そんな彼でもただ一度だけ「美味しい」とはっきり感じた食べ物がある。
それは、お人好しのヤマムラが受けてきた、獣狩りとは無関係な依頼がきっかけだった。
ラズベリーがとれる時期だけど、今は外も危険だし代わりにとってきてほしい。
どこかの親子が狩人たちにそんな事を頼んできたというだけでもお笑いぐさだろうが、その依頼を受けた狩人がいたのはきっともっと驚きだろう。
ヤマムラはどうにも困っている人は助けたくなる性分のようで、さしたる金額にもならない、だというのに深い森に行かなければならない依頼をわざわざとってきたのだ。
「こんな依頼、流石に付き合わせるのは悪いから一人でいってくるさ」
鈍感なヤマムラでも、流石にアルフレートのあきれ顔には気付いたのだろう。
だが、ここで一人になったところでアルフレートもやる事は特にない。血族狩りの調査は随分前から行き詰まっていたし、かといって今更獣狩りの狩人に戻るつもりもなかったから。
「いいですよ、付き合いますよ。特に予定もありませんしね」
気まぐれで付き合い、二人でラズベリーのなる場所まで歩いていく事となった。
事前の地図では小さな川があると聞かされていたが、昨夜からの雨で川は増水し沈みそうな橋を駆け抜けるハメになった事。
ヤマムラが気を利かせて水筒に紅茶を入れてきたのだが、それが酷く渋い味で二人で眉間に皺を寄せながら飲んだ事。
そうしてやっとたどり着いた目的の場所には、ルビーのように輝く赤、深い紫に近い赤、やけに白っぽい赤、様々な形と種類の赤色の熟れたラズベリーが一杯あってどれをとっていいのか分からずとにかく熟していそうなものを片っ端からとっていたら、たちまち籠が一杯になって……。
「楽しそうだな、アルフレート」
ヤマムラにそう言われ、自分がこんな風に木の実をとる事を楽しんでる事に気付いた。
普段、店で売ってるラズベリーがこんな風に実るなんて知らなかったし、それを自分でとるという体験がこんなにも面白い事だというのを彼は初めて知ったのだ。
そんなの店で買えばいい、そのほうが効率的だ……。
そんな事しか考えられなかった自分が、今収穫という面倒な事を楽しんでいる……。
「俺は故郷で農作業なんかをよくやってて、土いじりもしてきたんだが……こう、自然というものに直に触れていると、この世界に生きている、生かされているんだ、っていうのを実感するよな」
昨晩より降り続いた雨はすっかりやみ、空には日が照っていた。
やや蒸し暑い森の中、汗を拭いながらヤマムラはそんな事をいう。
自然に生きている、自然に生かされている。
これはきっとヤマムラの、祖国の考え方だろうな。アルフレートはそんな事を思っていたが、この「生きている」という感覚は、嫌いではなかった。
そうして苦労して持ち帰ったラズベリーを受け取った親子はさっそくパイにすると言った。
報酬が少ないから、せめてご馳走するといわれ、ラズベリーのパイなんていかにも甘いもの、子供が食べるものだと思って遠慮したかったが 「折角自分たちが収穫したんだし、悪くないだろう」 というヤマムラの提案で、そこで食べる事になった。
母と娘は二人で小麦粉を練ったり卵を混ぜたり忙しそうだ。
菓子を作るというのはいかにも甘い女性の趣味だとアルフレートは思っていたが、やってる事はかなり力仕事に見え、知らないうちにヤマムラとアルフレートもラズベリーパイ作りを手伝っていた。
あぁ、そこは違う。
先にコレをやって……カスタードクリームを混ぜて、生クリームは……。
母と娘にやぁやぁ言われながら作って焼き上がった大きなラズベリーパイ。
甘酸っぱい香りを漂わせ切り分けられた、カスタードクリームがたっぷりのラズベリーパイに、さらに生クリームをどっさりのせた特性のパイを一口食べた時、それは舌がとけるほど甘かったのだが。
「……美味しい」
はじめてそう思った味だった。
カスタードクリームに生クリーム、酸味のきいたラズベリーとの組み合わせとはいえ、明らかに過度だったろうが……美味しかった。
それは、確かに美味しかったのだ。
だから、もし最後の日がきたのならまた食べたいと思った。
色々な思い出と、喜びがつまったあの味を。
蕩けるほど愛して、溺れるほどに感じ、辞書に刻まれた愛の言葉を知る限り呟いて。
そんな風に熱く燃えるような夜はこれまでにも何度もあったが、その日はどこか歯車が軋むような音を、歪みあるいはきしみのようなかみ合わない音を、ヤマムラは確かに感じていた。
感じていながら黙っていたのは、それを告げればきっとアルフレートが躊躇ってしまうと思ったからだ。
ヤマムラはアルフレートと生きる事を望んでいたが、彼を縛る事は望んでいなかった。
考えてみればそれは残酷な選択だったろう。
愛しているというのなら無理矢理にでも縛って引っ張って止めさせるのが普通なのかもしれないと、そう思った事もあった。
だができなかった。
アルフレートの人生を自分の都合でねじ曲げても、それからのアルフレートはその「罪悪感」を背負って生きる事になる。
それはとても苦しい事なのを知っていたから、それなら彼の自由に生きて、自由に……。
……そうさせる事が、彼を愛した時から正しい事だとヤマムラは信じていた。
同時に、臆病である自分を責めるような所もあった。
アルフレートは若い。
もっと見聞を広げれば、自分に他の道があるのを知る事ができただろうし、選択肢ももっと沢山あっただろう。
そういう世界を広げてやれば、このヤーナムという閉鎖的な場所で全てを完結させなくても済んでいただろう。
だがヤマムラは、傍観した。
傍観する事で、アルフレートの本懐を遂げさせる事が正しいと信じての事だが……。
……ただ、億劫だったからではないか。
臆病だったからではないか、本当は自分でできる事があったんじゃないか。
ベッドの中でヤマムラの思考だけがぐるぐると巡る。
何が正しくて、何が間違っているのか。
自分の選択は本当に正しかったのか……。
……願わくば、アルフレートがここに戻ってきてくれて。
全て終りましたから、これからはずっと一緒ですと笑いかけてくれたのならどんなにも楽だろうと思う。
だがそれは夢だ。幻想だ。
アルフレートはそういうけじめの付け方ができるほど視野は広くないし、また器用でもない。
生き急いでいた男だ。
死に急いでいたとも言える。
わかってても、止められなかった。
やはり自分は臆病だったのか……それほどアルフレートを愛していなかったのか……。
ふと、甘い匂いが漂う。
見ればテーブルには、昨日食べた食事に混じりラズベリーパイが一つ残っていた。
あるいは、アルフレートの性格だ。ヤマムラのためにとっておいてくれたのかもしれない。アルフレートはいつもヤマムラに対してだけは嫌われないよう、好かれようと努力を怠らない男だったから、そういう事もするだろう。
そう、まるで捨てられるのを恐れるように。
そんなことをしなくても、アルフレートが嫌がる事をするつもりはなかったのだが……。
(ラズベリーパイか……)
あまり食べ物について味の感想を言わないアルフレートが 「美味しい」 とはっきり口にしたのが、ラズベリーパイだった。
これは腕のいいパティシエが作ったものだが、アルフレートが美味しいと喜んだのは、ヤマムラの人助けで子供と作ったラズベリーパイだ。
あの時のアルフレートは子供のように目を輝かせて、宝石のようにラズベリーを大事に大事に籠にいれて……そんな姿が可愛いと思ったのは、今でも覚えている。
ヤマムラは残されたそれを、一口食べてみる。
カスタードと生クリーム、胃もたれしそうなほどの甘さのなか、後から微かな酸味が口の中へと広がる。
美味しいと、アルフレートがいった。
最後に食べるならラズベリーパイがいいと、いった。
……だからもう戻ってこないんだろうと、ヤマムラは確信していた。
「あぁ、もっと……もっと色々なところにつれていって……君の笑顔を、もっと……もっと……」
ヤマムラは俯いて呟く。
目の前には宝石のようなラズベリーが、甘酸っぱい香りを漂わせていた。