>> 虚に響く






 たとえばそう、「諦めてはいけない」「諦めなければ失敗してもやり直しができる」なんて言葉はみんな「まともな人間」だけに許される特権だと、アルフレートは思って居た。
 そのような希望を語る人間を、どこか遠い存在に思っていたのだ。

 例えるのならそう、涸れ井戸の底から青空を見て居るような……。
 あるいは何も着せられていないトルソーがショーウィンドーに置かれたまま、ガラスを隔て賑やかな街を見て居るような。

 そんな、手を伸ばせばとどきそうに見えて圧倒的な隔たりがある世界を、アルフレートは常に感じていた。
 笑顔で取り繕っても、丁寧な言葉で物腰柔らかに語っても、にじみ出るような自分の「歪み」あるいは「ズレ」は決して取り繕う事はできず、いずれは誰かに気付かれる。


『アルフレート、私はキミが恐ろしいよ』


 ……普通に過ごし、極めて普通に振る舞っていたつもりでいても親しくなれば必ず気付かれた。


『まるでキミの思想は、そう……獣のようだ……』


 何故そう思わせたのか、どうしてそう思わせるのか、アルフレートにはついにわからなかった。
 だが、それに気付いたモノは遠からずアルフレートから離れていったし、そうでない時はアルフレートが密かに「始末」した。

 自分の中にある「もの」が、他人と違うという事を悟られるのが怖かったからだ。
 それはアルフレートがアルフレートという人間ではない、もっと別の何かだと言われているようで……。

 傀儡のように心がない訳でもないのに。
 獣のように、本能が赴くまま牙を爪をたてて欲しがる訳でもないのに。
 悪魔のように他人を甘言で囁き堕落させる訳でもないのに。

 いや、あるいは……人ではなく、傀儡でも、獣でも、悪魔でさえない「何ものでもない」存在である自分が、時々酷く恐ろしくて……。


『おまえはイイな。人間じゃねぇ癖に人間ぶってるその綺麗な顔、最高だぜ?』


 中にはその本性に気付いてもなお、彼を嫌わず接してくるものもいたが、そういう輩はアルフレート自信から遠ざけるようにしていた。
 それらの人間は別に「アルフレート」が気に入ったのではなく、「人間の殻をかぶった何か」に対して好奇心を募らせている、それだけだという事を知っていたからだ。

 ……子供の頃は、きっと自分は「人間になれる」と。
 だって自分は「人間なのだから」と、そう思っていた。

 だが、年月がたつにつれ、自分の外見とその内にある本性に齟齬が生じて……どんどん自分の行動が人間のそれとは遠ざかっていって……。

 彼は、いつしか諦めていた。
 自分は人間にはなれない、だが人形でも獣でも悪魔でもない。

 強いて言うのなら、人の形をした「ヒトモドキ」なのだろう、と……。

 ローゲリウス師の言葉に惹かれたのは、それが自分にとって心地よく響いていたからだろう。
 自分も、人間になれるのかもしれない……善きものであれば、ヒトモドキとしての「生」を貪っていたとしても、人間として尊厳のある「死」が迎えられるのではないかと、そう、思ったからだ。

 汚らわしい血族は、自分より「穢れた」「卑劣な」「汚い」「下賤な」存在であること。
 そう思う事で、歪だと感じていた自分の中にある気持ちを整合させ、自分が「人に至らないもの」である事実から目を背けようとしている事実に気付かないほどアルフレートは馬鹿な男ではなかったが……いや、逆にそのような馬鹿な男ではなかったからこそ、余計に「血族狩り」「ローゲリウス師の言葉」「処刑隊」という幻想に、縋り付いてしまったのだろう。

 人間になるのは諦めても、人間として死ねるというのが彼の希望となっていた。

 ……だからそう、「人間として生きる」のはとっくに諦めていた。
 自分はどう足掻いても「人間らしく」はなれないし、「普通」でいる事はできない。

 だが心に潜む歪な闇を、見せるようなマネはしたくはない。
 もしそれを他人に見せる時があるのなら……それは、その「他人(だれか)」を殺す時だ。

 そんな風に思っていて。

 それでも、血族を狩り善き事をしているのだから。
 きっと死ぬ時は人として、善きものとして死ねると。

 そんな風に信じていたのに……。


「諦めるな、アルフレート!」


 その声に、アルフレートははっと息をのみ顔をあげる。

 ……うっかりしていた。
 禁域の森は作り物のくせに広くて見通しが悪く、油断していたアルフレートは蛇の塊に追い詰められ、崖から足を滑らせたのだ。

 とっさに手を掴んでくれたヤマムラのその手がなければ、ビルゲンワースの作り出した鏡面のような湖に飲み込まれていただろう。
 アルフレートはヤマムラの手をつかみ、片手でぶら下がっている。

 ……死ねば自分は、善きものとして死ねる。
 チャンスが来た。

 正しくローゲリウス師の言葉に殉じていたのだから、血族の女王を見つけられずとも他の処刑隊がそうであったように、善きものとして天へ向かう事ができるチャンスだ。
 ヒトモドキとして苦しむ必用はもうないのだ。


「手を伸ばして、片手を……そうすればキミを、俺が必ず引き上げてやる。だから……諦めるな、アルフレート、手を伸ばしてくれ、手を……」


 ヤマムラの声が、さらに響く。


「俺に、キミを諦めさせないでくれ……」


 アルフレートは、必死に手を伸ばしすこし間違えば自分とともにこの湖へ墜ちて飲まれてしまいそうな男の顔を見た。


(あぁ、あなたは……こんな人ではない私に、まだ生きろというのですか……)


 どこか諦めた顔でヤマムラの顔を見上げれば、今にも泣きそうになり歯を食いしばって彼を引き上げようとするヤマムラの姿が見える。


「生きて、したい事が、まだ沢山ある……こんなつまらない事で、俺はキミを諦められない。だからどうか……キミも諦めないでくれ、俺は……俺はまだキミを愛する時間が欲しい……」


 何をいってるんだろう。
 ここにいるのはヒトモドキ、人間の形をして、だが心はそれじゃないんだ。
 獣でも、傀儡でも、悪魔でもない……何ものでもないものが空虚に溢れている「アルフレート」を「愛したい」なんて……「生きてほしい」なんて……。

 なんてつまらない男だ……。
 ……こんな訳の分からない「アルフレート」というモノに、そんな事を言うなんて……。


「私は、ヤマムラさん。私は……」

 アルフレートは一人、呟く。
 人間らしく生きられなかったから、生き急いでいる所があった。
 この世界はアルフレートにとって、近くて遠い世界であり、存在していていい世界ではなかったけれど。


「……ヤマムラさん、ヤマムラさん、私は……」


 生きたいと思い、彼は精一杯手を伸ばす。
 とっくに諦めていたはずなのに、ヒトモドキのアルフレートは「アルフレート」でいる事をとうとう諦めきれなかった。


「あぁ、よかった……アル、アル……」


 ヤマムラはアルフレートを抱きしめ、泣き出しそうな顔のままその髪に頬ずりをする。

 その手は、暖かかった。
 その胸からは、獣の血と脂の強い臭いがした。
 抱きしめられた身体は、激しい鼓動を伝えていた。


「ヤマムラさん……」


 アルフレートは、自分の目から自然と涙が溢れてくるのに気付く。

 それは、助かった喜びか。死ねなかった悔しさか。
 ヤマムラに対する感謝か。あんなにイヤだった世界をまだ諦められない自分のふがいなさか。
 その、全てか。

 ……アルフレートにはわからなかった、わからなかったが。


「ヤマムラさん、ヤマムラさん、あぁ……私、私は……」


 その胸のなかで、子供のように泣き出してその胸に縋り付く。
 どうしてこんなに涙が出るのか、悲しいのか嬉しいのか安堵なのか、相変わらずわからなかったアルフレートだが、ただ一つ。


 【まだキミを愛する時間が欲しい】

 ヤマムラのその言葉だけが、空洞のような彼の器の中を何度も何度も響いていた。






 <でぐちこちら。>