>> 強がりの慟哭






 獅子王が目を覚ました時、彼はわずかに香が漂う部屋で寝かされていた。
 いつもの自分の部屋とは違う見慣れない場所に、ここはどこなのだろうと思い身体を動かせば全身に鈍い痛みが走る。

 一体自分はどうしてしまったのだろう。

 そう思って身体を見れば、その両手には肌が見えないほど丁重に包帯が巻かれていた。
 そしてその真新しい包帯の上には、赤褐色に変色した血がにじんでいる。

 どうやら、手ひどい怪我を負っているようだ。
 だけど、どこで。一体、どうして。

 獅子王は布団に身体を沈めると、意識を失う以前の記憶を辿り始めていた。

 ……それは暗闇の中、突如として現われた。
 「敵襲だ、皆、散れ!」 そう命令を下したのは誰だったのだろうか。
 時間遡行軍の短刀たちはギラギラと目ばかりを輝かせ、闇の中をうねるように迫ってくる、その不気味な足音ばかりが脳髄に反響していた。

 闇の中では、大太刀は自由に戦えない。
 太刀である自分も決して夜戦が得意なワケではなかったが、それでも大太刀よりは幾分か身軽に動ける。
 石切丸に 「逃げろ」 といったか、あるいは 「隠れろ」 と言ったかは今はもうはっきりと覚えていない。

 ただ、退路をつくるため時間遡行軍の短刀たちをひきつけて……。

 ……2度、3度。
 敵の胴元を思いっきり切りつけたのは覚えている。
 相手の切っ先をかわして懐に切り込んだ事は、獅子王の名に恥じぬ無双の働きをしたと自慢してもいいだろう。

 しかしそんな無茶な戦い方が長く通じるはずもなかった。

 何とか石切丸は逃げたか確認しようと振り返ったのと、脇腹が酷く熱く感じたのはほとんど同時だったろう。
 何でこんなに腹が熱いのか、目にした時は、深く切り裂かれた脇腹から止めどなく鮮血が流れ続けていた。

 一刻も早く止血をしなければ。
 そう考える獅子王を前にまた、時間遡行軍が迫ってきて……止血する時間はない、とにかく眼前にいる敵を全て平らげなければ。
 ただその思いだけでムチャクチャに刀を振り……。

 ……それから、何も覚えていない。

 おそらく敵に打ち据えられ、そのまま意識を失ってしまったのだろう。
 あのままだったらきっと、今自分はもうこの世界に顕在化できてはいない。
 今無事に本丸で寝ているという事は、誰かが助けに入り何とか逃げ延びたという事だろう。

 しかし、あの奇襲はあまりにも予想外で、そして敵も多かった。
 折れずに済んだだけ僥倖だったといえよう。


 (失敗したな……)


 折れずにいただけで僥倖だった。
 頭ではそれを認識しながらも獅子王は無様にたたき伏せられ敗走するに至った自分がひどく恥ずかしく思えた。
 そして苦虫をかみつぶしたような表情になると、深く大きなため息をつくのだった。

 あの時隊を率いたのは、獅子王だった。
 野営を決めたのもまた獅子王だった。
 その野営が敵の斥候に見つかり、今回の修羅場を迎えるに至ったのだ。

 隊を率いる者の責務として、しんがりは自分がつとめた。
 他の仲間たちは守り切れたと思うが、それにしても途中で意識を失ってしまったのは失態といえよう。
 すぐにでも他の仲間達に誤りに行きたい所だが、今はまだ歩くのも億劫だった。

 ……しばらくはこの手入れ部屋でしっかり身体を治さなければいけないのだろう。

 審神者に信頼され隊長を任されたというのに、期待に応えられなかったのだ。
 獅子王はただそれが恥ずかしく、また無様に思えた。
 ……せめて他のメンバーは守り切れていると信じたい。もしこれで一人でも折れていた刀剣があったらきっと、獅子王は自分を許せないだろうから。


 「何て情けねぇんだろ、おれ……」


 自然と涙があふれ出す。
 万全の注意を払ったつもりでも、隊を危険にさらしてしまった。
 そんな自分の至らなさ、力のなさが、今はただただ悔しかった。


 「お、起きてるのか」


 その時襖が開き、中から同田貫正国が顔を覗かせる。
 片手にもった籠には手土産だろうか、みかんが一杯に詰め込まれていた。


 「まさくに!」


 獅子王はあわてて袖口で涙を拭うと、自分の内にある哀しみや悔しさを押し殺して無理矢理に笑顔を見せる。
 いきなり動かしたからか、手の傷が開き包帯には鮮血がにじんでいた。


 「……大丈夫か? かなり打ち込まれてひどい怪我して担ぎ込まれたんだぜ、お前。覚えて無ェだろ」


 同田貫正国はそういいながら、獅子王の隣へと腰掛ける。
 闇の中、薬研藤四郎の肩を借り引きずられるように歩いた記憶がかろうじて思い出された。


 「うん、何かみんなに迷惑かけちまったみたいだけどさ。俺、もう大丈夫だから、はは。正国も心配したか?」
 「そりゃ、な」
 「ごめんごめん! でも、もう大丈夫だって。はは、明日にでもまた稽古するから、一緒に訓練してくれよな」


 獅子王は笑顔を見せると、軽く握ったこぶしを同田貫正国へと突き出す。
 包帯ににじんだ鮮血から、赤錆にも似た血の臭いがした。

 自分が怪我をしたのは、自業自得だ。
 他の仲間たちにも迷惑をかけている。

 自分が痛いとか辛いとか、そういうのを見せてしまってはいけない。
 そんな思いから精一杯の虚勢を張り、強がって笑う事が正しいのだと。獅子王は、そう思っていた。
 だが。


 「獅子王……」


 同田貫正国は傍らにみかんを置くと、獅子王の身体を優しく抱き留める。
 そしてその金色の髪を指先ですくうように撫でると。


 「無理すんじゃ無ェよ……悔しい時とか、辛い時とか。痛ェ時は、泣いたっていいんだぜ?」


 そうやって、囁くのだった。
 その声が普段の無骨な彼とは違い、あまりに優しくそして暖かかったからだろうか。
 あるいは獅子王の心でこれ以上の我慢は出来なかったからだろうか。


 「まさくに……」


 獅子王はそう呟くと同時に、その両目から止めどなく涙がこぼれ落ちる。
 痛いのも、辛いのも、獅子王にはもう限界だったのだ。

 彼はそのまま同田貫正国の胸にすがりつくと、子どものように声をあげ泣き出した


 「まさくに……! まさくに、正国っ……俺……壊れちゃうんじゃないかって、そう思って。すごく、凄く怖かった……!」
 「あぁ……だろうな」

 「敵を切り伏せて、必死で突っ込んで……敵に脇腹を切られた時、もうダメなんじゃないかって……このまま一人で、折れちまうんだって、そう思うと、凄ぇ心細かった……」
 「……わかってる」

 「!? ……俺が率いた部隊、他の仲間は……みんな、無事だったか? なぁ正国? 他の奴は折れたりしてないよな!?」
 「あぁ、心配すんな。お前がしんがりを努めて壁になってくれたおかげで、殆ど無傷だよ」

 「よかったぁ……俺が臆病風に吹かれたら、みんなダメになると思って無理して突っ込んだけど……みんな、無事で……」


 誰も折れていない。
 それを聞いて獅子王はようやく心の底から安堵したような吐息を吐き、その身体全てを同田貫正国へと預けてきた。
 あるいは、完全に緊張の糸がきれて自分の身体を支える力も失っていたのかもしれない。
 同田貫正国は何もいわず、もたれかかる獅子王を優しく抱き留めてやるのだった。


 「なぁ、正国、俺……俺、ここにいていいのかな? あの時怖くて泣きそうだった臆病な俺でも……ここ、いていいのかな……?」
 「当然だろ?」


 未だ涙が止らず必死に同田貫正国の胸へとすがる獅子王を強く抱きしめると、同田貫正国は傷にふれないようおそるおそる彼と唇を重ねた。
 獅子王も最初はその突然のキスに驚いたようだったが、すぐにすべてを彼へと委ねる。
 暖かな唇での慰めは、獅子王の涙を止めるのに充分な温もりを与えた。


 「……落ち着いたか?」


 静かに問いかける同田貫正国が腕の中で、獅子王は彼の鼓動を聞く。
 穏やかで乱れぬ彼の鼓動は獅子王の全てを受け入れてくれているようで、ただその音を聞いているだけで強い安堵感を覚えた。


 「……臆病でも、泣きたくなっても別に構わねぇよ。俺は、どんなお前でも嫌いになんかならねぇから」
 「……うん」

 「だから、俺の前で嘘ついて無理すんな。な? ……泣きたい時は泣いてくれ。痛いとか辛いとか、そういうのも遠慮すんな。オレも一緒にそれ……背負ってやりてぇからよォ」
 「うん……ありがとう……正国……」


 同田貫正国の優しい声に撫でられ、獅子王は彼の胸へ顔を埋めると、そのまま寝息をたてはじめた。
 怪我も深いし、気持ちも張っていたんだろう。
 同田貫正国はまた彼の金色の髪を撫でると、静かにその身体を抱いていた。

 窓からは暖かな日差しがかすかに差し込み、鳥たちが囀る声がどこかから聞こえている。
 間もなく昼も過ぎる頃なのだろう。






 <でぐちこちら。>