>> 愛するという概念
「巴形薙刀ァ?」
政府から 「新しく顕在化する刀剣が増えた」 と聞いた時は喜びはしゃいで見せた獅子王だったが、その刀剣の名前を聞いた時は首をひねるばかりだった。
どうやら「巴形薙刀」という、とりわけた名ももたず、あだ名のようなものもない呼び名がなじめなかったようだ。
「俺は、獅子王だろ。三日月のじっちゃんは、三日月だし……そういう名前は無ぇの?」
獅子王自信、無銘刀に獅子王という号がつけられた「名を持つ刀」であるが故に、「名を持たず形状だけで呼ばれる刀」の存在に興味と疑問がわき出るようだった。
そんな獅子王を、審神者はやや億劫そうにこたえる。
「ないよ、ないない。巴形薙刀は、銘ではなく、そう……もっと【概念】のような存在だからな」
忙しく鍛冶場を歩みながら、審神者は刀匠たちとしばしば相談を繰り返す。
政府より「顕在化させる事が可能になった限りは顕在化させるように」と命令された今、鍛冶場の熱は最高潮に達しようとしていた。
久しく鍛冶場を休ませていた審神者にとって、急に資材を消費しながら現世にない刀を顕在化させるというのは相当な疲労なのだろう。
刀匠たちとの相談を終えた審神者は椅子の上で胡座をかくと、砂糖をたっぷりと溶かしたコーヒーを飲みながら未だ納得していない顔の獅子王を前にさらなる説明を続けた。
「俺たち審神者はァ……まぁ、色々な奴がいて、出来る能力もピンキリだったりするワケだけど……基本的にやれる事が二つあってナ……一つはそう、歴史遡行軍の出そうな場所や、修行用の領域(エリア)へお前達を送ったり、戻したりする転送。ンで、もう一つは……伝承や、言霊やら、概念やら……そういった【刀剣男子の資質となる種火】をあつめて付喪神をつくるという……刀剣男子の顕在化なワケなんだけど……」
そこで、審神者はストローで一気に冷たいカフェオレを飲み干す。
ずずっ、ずぞぞ……空気を吸う音がして、カランと氷が揺れる音がした。
「俺の場合さ、刀剣男子を顕在化させるにはそれなりに必要な概念(データ)が必要なんだ……たとえば獅子王、お前みたいにぬえ退治のじーさんにあわせて小さく作られた、とか……今剣みたいに、義経の守り刀だった、みたいな……な」
空になったグラスをモノ惜しげに揺らしながら、審神者はふと遠くを見る。
……彼は今剣が「最後まで義経を守っていた」という事が伝承であり確証ではない事を知っていたのだろうか。そんな疑問が浮かんだが、それもすぐ獅子王の中で弾けて消えた。
「で、巴形薙刀ってのは……その、伝承とかあるのか?」
「うーん、巴形薙刀は、そういう意味で概念そのもの……だな」
「ガイネン?」
「そう、そうだ」
冷えたグラスをテーブルに置き、審神者は椅子に深くこしかけた。
瞼を閉じてる。疲れもあるし、このまま眠るつもりなのかもしれない。
「つまり……巴形薙刀は、薙刀の形状が一つであり、近代でも使われる護衛薙刀の形の一つであり……伝承や、伝説、そういったものはないが、一つの伝統として顕在化するには充分な資質があると、そういう判断で……政府ではかねてより、巴形薙刀の顕在化が出来ないか、そのデータを探していたんだ……そう、静形薙刀の方は、遡行軍が先につくっちまった意地もあったんだろうな、それで、できあがったデータがこれなんだが……」
審神者は分厚い書面を軽く指で叩くと、深く嘆息をついた。
獅子王がそのまとめられた紙束をぱらぱら捲れば、そこにはびっしりと刀剣の大きさや形状、歴史をはじめとした細かい情報が記載されていた。
これらを全て頭にたたき込んだ上でも、刀剣男子を顕在化を成功させる可能性は1%にも満たないのだと言う。
「ま、俺はさ、こういうのあんま向いてないから……勘弁してほしいもんだよ……なぁ……」
そして机に突っ伏すと、審神者はそのまま居眠りをはじめた。
ここ数日、記録を読み資材を集め鍛冶場に火を入れと不眠不休で動いていたのもついに限界が来たのだろう。
「おー、審神者疲れてんだなー……ぬえ!」
獅子王は、普段自分の肩にいるヌエに命令をして、審神者を包み込む。
ヌエはふわふわで暖かいから、きっと疲れもとれるだろう……獅子王の思惑通り、やけに柔らかい毛をしたヌエの温もりに包まれ審神者は安らかな寝息をたてはじめた。
「……もっとも、ガイネンの……刀剣男子を顕在化させるのはすでに成功してるからー出来ないワケではー……できない、わけでは……」
審神者は夢の中でも政府に言い訳をしているようだった。
本丸は、戦のない限り自由だし、食事も旨い。風呂も広いし、部屋も広い。
しかし、刀剣男子たちが待遇の良い生活をするために、審神者は政府と日々、人にはいえないやりとりや裏取引などに苦労をしているのだろう。
たまにはゆっくりやすんでもらおう……。
「おやすみー、審神者さん! じゃ、俺は正国と遊んでくるから! ぬえは審神者さんをよろしくなー!」
獅子王はそう一声かけると、勢いよく部屋を出る。
机に伏した審神者の上で、ヌエも一緒に寝息をたてていた。
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同田貫正国は、食休みを終えると大体修行場にいた。
瞑想にふけり心を落ち着けている事もあるが、専ら木刀を振っての鍛錬をしている事が多い。
その日は誰も修行場を使っていなかったからか、普段より大ぶりの木剣をもちゆっくりと、錬るような素振りに集中していた。
「あ、正国見つけた!」
階段を駆け下り、廊下を曲がり、中庭を抜けて……。
主である審神者の部屋からまっすぐに修行場へと走り同田貫正国を見るなり、獅子王は嬉しそうにそう声をかける。
同田貫正国もまたその姿に気付くと、鍛錬の手をとめ彼を見た。
「おう、獅子王か」
「また一人で修行してたのか? 正国って真面目だよなー」
「そうだな……最近は、修練を極めてしまった仲間たちも多いし……俺も今は、伸びる所までは強くなったかな、って実感してるんだがな」
同田貫正国はそういい、大ぶりの木剣で素振りをする。
ズゥンという鈍い音が、道場に響いた。
「……成長しねぇってわかっていても、身体を動かしてねぇと落ち着かねぇんだ。まぁ……性分だろうな」
獅子王はそれをきき、嬉しそうに笑うと壁にかけてある木刀……今、同田貫正国がもっている重く大きな木剣ではなく、練習用の木刀をとり、その剣先を彼へと向けた。
「いいだろ、そういうの正国らしくて俺好きだし……練習なら一緒にしようぜ! その方が効果もあると思うからさ!」
「……そうだな」
同田貫正国は木剣を置き、獅子王と同じサイズの木刀へと持ち帰ると鍛錬でも誰かと手合わせできるのがさも嬉しいかのような表情を彼へと向ける。
「……手加減はしないからな」
「当然!」
二人は互いに木刀を交え、熱の入った稽古に入るのだった。
同田貫正国は自分を「実戦刀」という位置づけと考えており練習といえども常に実戦を意識した、言うなれば「本気の戦い」を望む相手である。
だがその点で言えば獅子王も劣らぬ程の「戦誂え」だ。
持ち主が使いやすいように刀身を縮めたという逸話は、獅子王の身体を小柄に顕在化しただけではなく、彼に「ヌエ退治の英雄が刀」という自覚を強く芽生えさせていた。
その自覚は「負けたくない」という勝ち気さとプライドとに繋がり、必然的に二人の「手合わせ」は実戦にほど近い強い熱をもった激しいものになる事が多かった。
しかしそれだけ「実戦向き」の稽古というのはそれだけ集中力も必要になる。
精神的にも肉体的にも身体が持つのは、せいぜい3戦目までといったところだろう。
4戦目、5戦目となると少しずつ集中力も切れ、今は半ば遊戯のような素振りの応酬をするに至っていた。
「そういえば、主から聞いたんだけどさ……今度くるのは、巴形薙刀、って奴らしいよ」
木刀を交えながら、獅子王はいう。
互いの剣先がふれ乾いた木の音が道場に響いた。
「俺とか正国みたいに、銘がある刀じゃなく……なんだっけな。【ガイネン】の顕在化なんだって。複数の、思いとか、今までの知識とか、そういうのが重なって出来た……そういう、薙刀なんだってさ」
その言葉で、同田貫正国の剣先が鈍ったように見えた。
その僅かな隙は打ち込むのに格好の餌食であったが、いつもち違う同田貫正国の態度が気になり獅子王の手は自然と止る。
「どうした? どうしたの、正国? 今、ちょっとヘンだったよな?」
「いや、な……」
同田貫正国は自分の乱れた心を見透かされたのに気付いたのだろう。
少しばつの悪そうな顔をすると。
「……俺もその、概念による刀剣男子の顕在化だからな……他人事じゃねぇ、と……思ってよ」
そんな事を、呟くのだった。
もちろん獅子王にとってそれは初めて聞く事だった。
同田貫正国は皆から「同田貫」と呼ばれていたから、すっかり「銘」のあるがあるから、獅子王は同田貫正国がすっかり「名のある刀剣」だと思っていたからだ。
「な、何いってんだよ。正国は、なまえあるだろ。同田貫正国!」
「それなんだけどな……俺は同田貫正国、兜を割った刀という売り文句があるが、実際はそう……量産された無数の刀剣のうちの一つで、獅子王……お前みたいに、はっきりとした逸話があるワケじゃない。特定の刀剣についた名前じゃねぇんだよ……そう、同田貫正国は俺の名前というより、兜割の逸話に使われた名前……ってのが近ぇかな」
獅子王にそう告げると、同田貫正国は少し悲しそうに笑う。
「だからそうだな……今いる俺が、本当に同田貫正国なのか……俺にもよくわかんねぇんだよな」
その言葉を聞いても、獅子王は「概念であること」をよく理解はしていなかった。
だが、同田貫正国が常に闘いを求めているその意味を少し理解した。
彼は……「同田貫正国」という概念であるため、闘うのだ。
他の同田貫正国たちがそうだったように、実戦で力をふるえると、実力で示さなければ自我を保てないのだろう。
強くなければ、無骨でなければ、彼は彼ではなくなってしまうのだ。
少なくとも同田貫正国は、そう思っているのだろう。
「正国だよ」
木刀を取り落とし、獅子王はただその手を伸ばした。
伸ばした手は同田貫正国の手にふれ、痣とマメだらけの手を包み込む。
「今の同田貫正国は、紛れもなく正国だよ。俺が愛した、たった一本の刀だ。だから……」
自分が自分じゃないなんて、言わないでほしかった。
もう獅子王の居場所は、彼の傍ら意外考えられなかったから……。
泣きそうな顔をする獅子王に、同田貫正国は無意識に唇で触れる。
長い沈黙が道場を支配し、微かなキスの音だけが響いていた。
「ごめんな、獅子王……お前には、心配かけてばっかりだ」
差し出された手を握りしめ、同田貫正国はいつもの笑顔を向ける。
「俺ぁ、おまえの同田貫正国だぜ。お前のそばから、離れない……俺が誰であるかは俺にもわからねぇ、けど、お前が好きな俺は……俺だけだ。それで、いいだろ?」
「うん……うん!」
獅子王は笑顔になると、同田貫正国の身体を強く抱きしめる。
道場を包んでいた熱気はすでになく、静かな風が吹き抜けていた。