>> 歪な墓標と朽ちた布
君は知っているかい。
そう、あの丘にある奇妙な石塚の話だ。
石塚のてっぺんに、バケツにしては歪だし、かといって兜としては仰々しい。
そんな奇妙な鉄塊が掲げてあるだろう。
今日は、それにまつわる話をしよう。
何、食べながらでいい。
少し私の話を聞いてくれないか。
……君たちは知らないかもしれないけど、私は昔狩人で「連盟」と呼ばれる組 織に属していた。
そう、あの日は連名の長、ヴァルトールもまた私と同じように話を切り出したっけ。
「食べながらでいいから、話しを聞いてくれないか」
とね。
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食べながらでいいから、少し話を聞いてくれないか。
たき火が燃え尽きないよう薪をくべながら、連盟が長ヴァルトールはゆるゆると話し始めた。
禁域の森はいつだって暗い。
当然だろう、ヤーナムの地下に広がる奇妙な森なのだ、ヤーナムという「屋根」を持つ以上、ここに日が差す事は永遠にないのだろう。
今ある灯りはカンテラや松明のそれか、ビルゲンワースの連中が作ったといわれるかりそめの月光だけだ。
狩人は燃える炎を眺めながら、気のない返事をした。
「食べてる最中は暇だからね、それでもよければ聞きますよ」
その時、狩人にはそれほどヴァルトールの言葉を真剣に聞くつもりはなかった。
久々に調達した「たべられるまともな肉」を塊で手に入れ、それを焼くのに夢中だったからだ。
森で仕入れた香草で巻き、たっぷりの塩こしょうで味付けした肉だ。
例え今狩人のおかれている「世界」がただ廻るだけの夢だとしても、肉を喰らうという夢なら何度見てもよい。
狩人は目を輝かせながら、焼けたばかりの肉にかぶりつこうとする。
連盟が長、ヴァルトールはその姿をただじっと見ていた。
彼の表情は狩人からはうかがい知れない。
それは彼が自らの感情を覆い隠すように隻眼の兜を被っているからだった。
「……いや、これは貴公に話すような事でもないのかもしれないがな」
ヴァルトールは、ややもったいぶったように話を切り出す。
これを狩人に話すべきか、それとも自分の胸が内に秘めていたほうがいいのかもしれないと、迷っているように思えたから。
「長が話すだけなら自由ですよ。それを私が聞いてるかどうかは、私の気分次第って事で」
狩人はアツアツの肉を頬張り、ただ長を見る。
その目にしばらく捉えられ、やがてヴァルトールは 「まぁ、こういう事があったという……その程度の気持ちで聞いてくれればかまわんよ」 そんな前置きをしてから、語り出した。
「……連盟に、ヤマムラという男がいた。ここより遙か東方より、仇の獣を追ってこの土地まで追いかけてきたのだという。東方から来たためか、最初は言葉もおぼつかないで苦労もしたようだが、私が知る姿はそう、言葉に不自由がない程度に、流ちょうな言葉を操るようになっていたよ。それでこそ、他人(ひと)に愛を語らう術を知る程度にはな」
「へぇ、つまりそれ、長の恋人の話……って事ですか?」
口のまわりを肉の脂だらけにしながら、狩人は茶化すように言う。
ヴァルトールの表情は、相変わらず鉄の兜に阻まれてうかがい知る事は出来なかったが、左右に首を振る事でその言葉を分かりやすく否定した。
「いや、俺からしてみれば同志ヤマムラは、他の同志同様、大事な仲間の一人にすぎない……といった所だな」
それは半分は真実で、だが半分は嘘だったのだろう。
長がヤマムラを「連盟の一員」として大事に思っていたのは間違いない。だがその思いは友情や同志というもの以上の感情を持っているのは明白だった。
「……口数は、あまり多くない男だったな。ヘンリックのように寡黙な男とは、相性が良かったかもしれん。時々、良い狩りが出来た時などは二人で酒を酌み交わしている事もあった。二人とも無口でただ、グラスを傾けるだけだったが……それでもヤマムラは楽しそうだった。俺はそれを見て、ヤマムラを連盟に誘ったのは正解だと、そう思ったよ。俺が彼を連盟に誘ったあの時は……ヤマムラは、目的を失いただ朽ちる運命を甘んじて受け入れる、そんな木偶にすぎなかったからな」
狩人は口の周りを舐りながらまだ見ぬ「ヤマムラ」に思いを馳せる。
「仇の獣」を討ち果たしたが、その先に自分の生きる道を見いだせなかったのだろう。
復讐を原動力にして生きるのはいいが、それを全てにしていると、そういう事は「よくある」事だ。
……少なくても、狩人はそういう男を最近間近で見たばかりだった。
おそらくヤマムラも、愚直なまでに復讐へ自分の運命を絡め取られ、そして全てを終えた時、全てを失ってしまったのだろう。
だが幸いヤマムラは、「連盟」があった。
復讐を遂げてもなお居場所があったからこそ、彼はその後も「生きる」という選択に迷いはなかったのだ。
狩人の知る、あの男とは違って。
「……ヤマムラは、仕事が出来る男だった。連盟では汚い仕事もあるが、そういう事も黙って受け入れたよ。良い男だった。笑う事も少なければ愛想もない奴だったが、連盟(ここ)では普通に笑えていた。だから俺は、彼を救ったような気持ちになっていたんだろうな」
ヴァルトールはまた、薪をくべ火かき棒で木々をかき回す。
それまで静かだった炎が、ぼぉっと激しく燃え出した。
「……だが知らなかったんだ、俺は。ヤマムラがもっと笑う事が出来る男だと。もっと幸福に、人と寄り添い……狩人になったら最早捨てるしかない夢……家族をもちただ二人で静かに生活をするという夢を抱く程度には、若く……人を愛し、庇護し、その身体を求めるような欲望を持てるほど情熱的だったと……俺はそう、どこかでアレを老木のように静かな男だと決めつけて、愛だの恋だの囁く世界とは無縁だと思い込んでいたのだろうな」
たき火の炎から薪の弾ける音がする。
狩人は少し冷めてきた肉をまた火に炙れば、滴る肉汁が油となってはね狩人の手を汚した。
「……ヤマムラに突然、それを頼まれたのは……冬の、寒い日だったのを覚えている」
狩人の目に、深い雪の情景が浮かぶ。
絶え間なくふる雪、暖炉もない凍えるような廃城、カインハースト……。
つい最近、この狩人がおもむき、そして「結末を見届けた」場所だった。
「あいつは俺の手をとると、いつになく真面目にこう言ったのだ。そう…… 『長、もし出来る事ならカインハーストを支配する存在を、護る……そんな立場にはなれませんか?』 とな」
狩人は口にしていた肉があやうく詰まりそうになる。
たった今思い描いていた情景……カインハーストの事を、ヴァルトールが「知っていた」からだ。
だがすぐ冷静になって思い返した。
先日、長にあった時狩人は「カインハースト」という場所に向かった事、そこには「虫」とは違うがまるで虫のような奇妙な生き物がいた事、雪が嵐のように吹き荒ぶ屋根の上で、すでに朽ちた殉教者と出会った事、そして……。
「その頃、私は当然カインハーストなんてものを知らなかった。穢れた血の一族だという事も……退廃芸術として、獣を狩る事、不死の一族であるという事もな。全て、マムラから聞いて知った事だ。ヤマムラもまたカインハーストについてはただ、穢れた血の一族である事、そして、それらを束ねる王、あるいは女王が存在する事くらいしか知らなかったようだがな」
長は火かき棒で乱暴に薪をかき回す。気持ちが、高ぶってきているのかもしれない。
狩人も何とはなしに肉を食べる手をとめていた。
「ヤマムラは私にこう懇願した 『カインハーストの守護をしてほしい』 と。知らない一族がどうなろうと、俺の知った事ではない。だから当然問うた。 『何故そんな事を願う。我らが虫を潰す事で手一杯なのは、貴公も知っているだろう』 と……すると、あいつは……この世界にある苦しみを吐き出すような声で、こう、言ったんだ。
『あなたなら強い。カインハーストを守護すれば、カインハーストは最強の剣を手に入れる。そして誰も近づけず、秘匿は永遠に護られるだろう』
だからその筋合いはない。大体、俺は穢れた血の一員になるなんて、いかにも呪われた命運を辿るつもりはないと、激しく突っぱね。
突っぱねた後、問いただした。どうしてそんな無茶な願いをするのだ、と……」
火の勢いは衰え、炭となった火がちょろちょろと燻っていた。
「いや、俺自身その理由は察しがついていたんだがね。先に行った通り、ヤマムラは立派な狩人だったが、寄り添う相手を求める程度に若く純朴な男だった……いつからかな。ヤマムラの隣にはいつも、年若い青年が寄り添っていたんだよ、金色の髪をした、青い目の物腰柔らかな……だがどこか、ひどく脆い心を影のように引きずっている、そんな青年だった。名前は……」
「アルフレート」
ヴァルトールが言い終わる前に、狩人がそう口にする。
ヴァルトールは、しばらく黙っていた。兜の下が表情はうかがえないが、目を閉じているようだった。
「……そう、貴公もよく知る男……アルフレート。処刑隊のアルフレートだ。いや、処刑隊というものが久しく名も聞かれなくなったからあるいは、本来の処刑隊とは違う存在だったのかもしれんがね」
「……長、アルフレートは」
「あぁ、そうだ。知ってる……先日貴公から聞いた通りだ。だから貴公に聞いてほしいと思った……もう少し、聞いてくれるか」
狩人は返事はしなかった。
ヴァルトールはそれを無言の肯定と受け取ったのだろう、すっかり弱火になった火をかき回しながら、ゆっくりと話しを再開する。
「ヤマムラとアルフレートは……そう、アルフレートが一方的にヤマムラを慕っている、というように見えたかな。最初はヤマムラの、東洋特有の珍しい外見が気になって色々質問していたようだが、その物腰の柔らかさと優しさとがアルフレートに心地よかったようだ。また、ヤマムラも元来世話焼きなんだろう。真面目すぎてどこか脆い印象を与えるアルフレートの話しをきき、我ら狩人とは違う血族狩りを主とする彼に狩人の流儀などを教えて……二人はそう、形こそ違えど互いを強く思いあっているのは明白であったよ」
「あるいはそれは、愛し合っていたと……?」
ヴァルトールはそれにはこたえなかった。
あるいは、ヴァルトール自身それをまだ認める心境になれないのかもしれない。
しかしこれまでの語りから、ヤマムラはアルフレートを愛し、アルフレートもまたヤマムラに強い思慕を抱いていたのは明白だった。
「知らなかったな……私の前でアルフレートは、そういう素振りを見せない坊やだったから」
狩人はすっかり冷めてかたくなった肉を奥歯でかみ切ると、あの物腰柔らかな青年の姿を思い浮かべていた。
狩人が知っている彼はそう、真面目で勤勉で……。
……ついにカインハーストの長となる「女王」を討ち果たした時、内に秘めていた黒く熱い感情を制御しきれず、壊れてしまった。あるいは元から壊れていた、そんな愚直なまでに己の信念に忠実だった、そういう男だった。
そう、そういう男だった。
信念をもちカインハーストを求めた男は、信念により女王を倒し、そしてその信念によって自ら死んだ。
今は、誰も知らない土の下で静かに眠っているだろう。
ここなら獣にも荒されないだろう。神の罰も届かないだろう。景色もいいだろう。しがらみもないだろう。
そういう場所までかついでいって、しっかり埋めてやったから。
冷たい身体を抱いたまま、長い距離を歩いたあの感覚は今でもはっきりと覚えている。
墓穴を掘り、遺体を埋めてやったのはいいが、墓石にするに石鎚は大きすぎるしあの輪っかはあまりに無骨すぎるしどうしたもんかと考えて、金のアルデオを置いてきたのだ。
誰にも知られない場所だ。
きっと今でも金のアルデオの下、彼は眠っているのだろう。
「……ヤマムラは、俺にこう懇願した。
『長なら、アルフレートに殺されないしアルフレートを殺さない。適任だと思うんです』
俺は、そもそもカインハーストの事に対しては無知だ。
それに、そこまでしてアルフレートを止める理由もないと、そう告げた。そして、どうしてそんな叶いもしないと解っている願いを俺に投げかけるのか、逆にそう問いかけた。そしたらどうだ。
『……自分より年若い青年が、死ぬために生きているなんて、あまりに辛いじゃないですか』
あいつは、そう言ったんだ。
アルフレートという青年が、もしカインハーストにたどり着き、もしその王。あるいは女王に出会ったら、きっと狂気はとめられないと、ヤマムラはそれに気付いていたんだろうなぁ。
だからこそ、俺に護衛を頼んだんだ。
止められない好敵手(ライバル)がいれば、王、あるいは女王に手出しできなくなり、アルフレートはきっと俺と戦う事で生き続けるのだろうと。
ヤマムラはそれをねらった、いや、願ったんだろう。
……もし、王。あるいは女王を殺しても、その先にカインハーストの守護者という強敵がいれば、少なくてもそれを殺すまでアルフレートは死ぬ事はない、きっとそう思っていたんだろうな」
火はほとんど消えかかっている。
冷めた肉はかたくなっていたが、それでも噛むほど肉汁が溢れ美味かったのだろうが、狩人はすでにその味すら認識できなくなっていた。
「……結局、俺はカインハーストに求められていなかったワケだがね」
長はそこで、全て言い終わったように深いため息をついた。
狩人の中で、様々な思慮が廻る。
『招待状を見つけなければ、あるいは彼はまだ生きていたかもしれない』
『彼の闇に気付いていれば、支えてやれていたのかもしれない』
『あるいはそのヤマムラという男のように、彼を理解していれば』
『自分は理解を怠ったのだ、彼の表面上にある優しい物腰を全てだと思い込んで』
……自責の念に押しつぶされそうだった。
だから逃げたかった。
「ヤマムラという人が、カインハーストに招待されてれば違ったのかもしれませんね」
味のしなくなった肉を噛みしめ、狩人は言う。
するとヴァルトールは少し頷いて、「俺もそういったのだがね」そう言ってから、さらに告げた。
「それは、それだけはダメなんだと……もし、ヤマムラが血族として本当に穢れてしまったら、アルフレートの器は、今度こそ本当に、完璧に壊れてしまうんだと。……アレは少し変わった武器を持つ。それで以前、アルフレートと少し悶着があったらしい。それは解決したようだが……だが、それだからこそ、自分はダメなんだそうだ。
『信頼している俺が、アルフレートの敵となったのなら、アルフレートはそれで完全に壊れてしまう……俺は、あの子に壊れてほしくはない。あの子の闇を消し去れないまでも、あの子に闇を見ない方法を考えて……生きてほしい、少しでも長く……』
それを最後に、この話は潰えたよ。
結局、俺はカインハーストには行けなかった……お前と違ってな」
狩人は黙って目を閉じる。
……選ばれたのはそう、確かに「自分」だった。それが何を意味するのかわからない。狩人だからか、偶然か、カインハーストの気紛れか、それとも何かしら大いなる意志が動いたのか……。
ただ、結果として自分はカインハーストをアルフレートに「売った」。
そしてアルフレートはその手を血に濡らし、その背に罪を負って、自ら命を絶ったのだ。
「同志、ヤマムラは……何処にいるんですか?」
狩人は自然とそれを問いかけた。
彼に会い、謝らなければいけない気がしたが、何といっていいか定まってはいない。
ヴァルトールはそれには黙って首を振った。
「……解らない。いや、意地悪で教えないワケではないぞ。本当に、わからないのだ。ある時を境に突然消えてしまい、それから呼び出しの鐘にもこたえない……あれが今どこにいるのか、この俺が知りたいくらいだ。悪夢に捕らわれたか……あるいは鐘に応えられないくらい遠い場所にいるのか……」
「そう……ですか」
しばらく沈黙が続く。
彼らの前にあるたき火は小さい炎だけになり、煙が一筋上っていた。
「ただ、一つ。同志ヤマムラが使っていた狩り道具が残っているのだ。……獣の皮をいくつか重ねた無骨な上着が1着だ。これを……貴公だけが知るという、彼の墓に……どうか供えてやってはくれまいか?」
そう言いながら差し出されたそれは、ひどく獣のにおいがした。
ヤマムラという狩人は、きっと獣を狩る事に長けた存在だったのだろう。さもなければ、こうも強い獣の匂いは染みつかないだろう。
……アルフレートもこの匂いが好きだったのだろうか。
「わかりました……必ず、彼の墓標に」
「あぁ……頼んだぞ、同志。それと、一つ頼みがある……もし同志ヤマムラにあった時、アルフレートの死について貴公が口にはしないでほしい。少なくとも、我らから積極的にそれを話すような事は……」
「……どうしてです?」
「脆い青年を支えていた男もまた、脆い復讐で生きていたのだよ」
ヴァルトールはその言葉を最後に、口を噤む。
あるいはもう全てを語り尽くしたという事か。
「……わかりました」
狩人はそう告げ、わたされた服を抱きしめた。
その刹那、狩人の脳裏にこの毛皮を着た男に抱きついて、幸福そうに笑うアルフレートを視たような気がしたのは、きっと錯覚だったのだろう。
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そう、だからここには墓がある。
この墓標は朽ちて元の形もよく解らないが、かつては金色に輝いていた。
この布はすっかりボロになりただ引っかかっているだけの粗末なものだ。
だがこの墓は、とても大事な思いを紡いでここにあるのだよ。
それを知ったのなら、よければ花を手向けておくれ。
今の時期なら、桔梗の花でも良いだろうからね。