>> 死体は土に、血は肌に
闇夜の中、土を掘り返す音だけが周囲に響いている。
昨晩から降り続いた雨のせいですっかり濡れた土の重みが同田貫正国の腕をより、重くした。
あたりには微かに、血のにおいが漂っている。
突然の夜襲を受た結果、仲間が一人かえらぬものと相成ったのだ。
奇襲だ。
怒声のような叫び越えを聞いた時、敵はすでに目前まで迫っていた。
投石の合間を縫い、隊列を整える。
万全な状態ではなかった。だがそれでも、善戦したといえよう。
闇の中、大ぶりの太刀ばかりが脇差の群れに襲われればひとたまりもない。
全滅の恐れすらあった急襲だ。
犠牲が一人で良かったとさえ、同田貫正国には思えていた。
「畜生……畜生、畜生……畜生……」
泣きながら土を掘っていたのは、加州清光だったかだろうか。
ひょっとしたら堀川国広だったかもしれない。
重苦しい雲が立ちこめた月の光すら届かぬ夜だったから、それが誰だか同田貫正国は今でも思い出せなかった。
ただ、あの時は暗くて寒くて。
死体を引きずって歩いて本丸を目指すのはとても無理だろう。
そう判断し、その場に息絶えた「誰か」のむくろを埋葬するに至った、その経緯だけはうすぼんやりと覚えていたのだった。
こんな野原に死体を埋めたところで、野犬にでも掘り返されて死肉を貪り喰われるのが関の山だろう。
死んだ「誰か」を埋葬するにあたって、同田貫正国はそうこぼした。
それが事実だろうし、今でも自分の考えは間違っていないと思っているのだが、彼がそう漏らした時、誰かが唾を吐き捨てて歪な顔を向けたのは、やたらと記憶に残っていた。
充分な深さの穴を掘り、その上に土をかけて、簡易的ながら埋葬を終える。
誰かが拝み、経典の文句などをつぶやいて何処からもってきたのか、夜露に濡れた花を誰かが手向けるのを、同田貫正国は呆然とみていた。
手もあわせず。
花も手向けず、ただ呆然と、死んだ誰かのために悲しむ皆の姿を眺める彼の手を、誰かが引く。
お前もこっちに来て、一緒に祈れ。
そう言われて、死者は弔うものなのだと同田貫正国はようやく理解した。
とはいえ、しゃれた言葉は知らない。
念仏の類いも覚えてないし、こういう時の礼というのを同田貫正国は知らなかった。
ただ小さく頭を下げ、目を閉じて冥福を祈る同田貫正国に、手を差し出した誰かがいった。
「おまえの指は、ひどく冷たいな」
長く土を掘り続け、血が通っていなかったのだろう。
同田貫正国の指はひどく冷えていた。
仕方ないだろう、粘土のように重い土を散々掘り返したんだから。
当たり前のように口にする同田貫正国の言葉に、その誰かはさらに続けた。
「おまえはその指みたいに、冷たい心をしてんだろうな。誰も気にせず、何も気にとめず、嬉しいとか悲しいとか、そんな事も感じない。冷たい、冷たい心をな」
土をかぶせただけの簡素な墓に、誰かが折れた刀をさす。
墓標のつもりだろうか。
そんな事をしてもきっと、程なくして獣が掘り返し刀はうち捨てられるのだろう。
仮に獣が掘り返さなかったとしても、いずれは刀は錆びて崩れさってしまうのだろう。
そう言われたその時でさえ、同田貫正国はそんな事を考えていた。
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「まさくに、正国−! 寝てんのか?」
部屋で横になり、ただぼんやりと天井を見ている同田貫正国を見つけ、獅子王は甘えた声で寄り添ってくる。
午前中はいつもより激しい訓練を行った。
昼食も少し食べ過ぎたし、食休みをしてからまた動こう。
そんな事を考えながら怠惰に昼寝を貪っていた所を、獅子王に見つけられたのだ。
「昼寝なら、一緒にしようぜ! な、正国」
獅子王は同田貫正国がこたえる暇も与えず、彼の隣に寝転ぶ。
かと思えばすぐに、彼の胸元へ覆い被さるように乗ってきた。
「へへ、正国の身体あったかいな」
そうやって笑う獅子王の髪が柔らかく揺れる。
そこからこぼれるのは収穫前の小麦のような、太陽の恵みをいっぱい浴びた祝福されたにおいだった。
血と鉄と死の影にとりつかれた自分とは違う。
暖かく優しい太陽のにおいだ。
……獅子王は、自分を慕ってくれている。
だが自分は獅子王に慕われ求められるような、綺麗な存在ではないのだろう。
心に抱いた陰りを悟られないために、同田貫正国は黙って目を閉じる。
瞼の奥に、忘れたと思っていたあの日の事が……。
誰かのために土を掘り、生ぬるくなった死体を穴へと放り投げるあの記憶が蘇った。
「正国は、身体は温かいけど指はけっこう冷たいのな」
同田貫正国に指を絡めて、獅子王は無邪気に笑う。
冷たい指をしていると言われたのは、きっとあの夜以来だろう。
「あぁ、そうだ……俺は、指も心も冷たい奴なんだよ」
無意識に言葉が漏れる。
仲間の死を目の前にしても、表情一つかえる事なく黙々と穴を掘る。
ぬるくなった仲間の死体を無造作に放り投げ、粘土のように湿った土をその上に覆い被せる。
墓標がわりの刀を見て、いずれ朽ちるのだから無駄だと思い、死体すらやがて獣に喰われるのが関の山だと感じる。
人間らしさとは無縁の道具。
それが自分なのだ。誰かに愛される資格はない。
そんな同田貫正国を見て、獅子王は無邪気に笑うと。
「そっか。じゃ、俺が暖めてやらないとな!」
いとも簡単にそう言ってのけたのだった。
獅子王の暖かな手が、同田貫正国を包み込む。
その笑顔は変わらずまぶしく、彼が内包する闇などまるで気にしていないように見えたから。
獅子王にとってはそう、最初からないのだ。
自分との間にある暗く冷たい影などは。
「……そうだな、そうしてもらうか」
同田貫正国もまた、彼の手を握り返す。
いずれ獅子王も、同田貫正国の内にある死の臭いを嫌悪し離れていくかもしれない。
あるいは激しい戦いのすえ、いつかの「誰か」のように土へと帰すかもしれない。
思いは永遠ではない。
ただ一時の慰めにすぎないのだろう。
それがわかっていてもなお、同田貫正国は笑っていた。
それが嘘でも、まやかしでも今は、彼のぬくもりに触れていたかった。