>> ほれちまうだろうがよ






 霊媒商売というのは、基本的に客待ち商売だ。
 客がいれば忙しいし、客がこなければ儲けはない。

 できる事なら毎日のように客が来るのが望ましいのだが、そう理想的な事柄がおこるのは滅多にない。
 その日は客もなく、どちらかといえば退屈な日だった。


 「今日は客が来そうも無ぇな……」


 駅前のファーストフード店で買ったハンバーガーをむさぼりながら、誰もノックすらしない扉を忌々しげに眺める。そんな俺の前で、モブ――うちのバイトで本物の超能力者、しかもとびっきり強力な奴だ――は、その強力な能力とは裏腹にやけにしおらしい表情で俺の方をみていた。


 「何だよモブ、そんな目で俺をみても、もう飯なら食っちまったぞ……ポテトなら残っているけど、食うか?」


 俺が食べきれなかったポテトの残りを差し出せば(最近はポテトのLサイズとなると胃に堪えるのだ)モブはあわてて首を振る。
 そして鞄から何かを取り出すと、遠慮がちに聞いてきた。


 「……師匠、まだ時間早いんで、あの。学校の宿題、ここでやっていっていいですか? 家だとつい他の事やっちゃうんで集中できなくて」


 取り出したのは数学の教科書だった。

 モブはまだ中学生だ。
 超能力をつかえば勉強なんてと思いそうなものだが、こいつはそういった事……市井の人々が普通にやってのける事に、超能力を使わない主義らしい。


 「宿題? ……まぁ、邪魔にならないんならいいぜ」
 「あ、ありがとうございますっ……」


 モブはわずかに嬉しそうな顔をして頬を赤らめると、シャープペンに消しゴムといかにも真面目な学生らしいシンプルな文具を取り出す。
 話に聞くとモブは決して成績のよい生徒ではないとの事だが、根は至極真面目な努力家なのを俺はよく知っていた。

 最も、その努力がなかなか成績に結びつかないのは少々気の毒に思えるが……。

 ……俺はどうだったろう。
 あまり必死に勉強した記憶はなかったのだが、成績はそう悪くなかった気がする。
 しかしこいつのように情熱があったかといわれれば難しい。

 そういう意味で、何事にも全力で取り組む事が出来るモブが多少羨ましくはあった。


 「しかし学生ってのも社会人ほどじゃねぇが大変なもんだよなぁー……宿題とか、中学生になってもまだ出るのか」
 「は、はい……数学も、英語も宿題は……」


 モブはしどろもどろに答えながら、書いては消し、消してまた書いてを繰り返している。
 勉強は苦手だと聞いたが、どうやら思っていた以上に要領が悪いようだ。

 そんな俺の視線に気づいたのか、モブは少し照れたように笑うと、恐る恐るといった様子でこちらに教科書を差し出す。


 「あの、師匠は数学とか得意ですか? ぼく、全然駄目で……さっきから同じ問題でもよくわからなくて」
 「何だ? 教えてほしいのか? どれ……」


 中学生の数学程度なら、まだ覚えてるだろう。
 そう思って差し出された教科書をみるが、存外に難しい用語が並んでいた。

 いや、極端に難しいという訳ではないのだが、数学の公式も久しく使わないでいると記憶から薄れてしまうものだ。みているだけではさっぱり意味がわからない。


 「ここ、とか……あと、これとかなんですけど……」


 モブが指さす問題は、俺にも全く意味不明だった。しかしここで「わかない」というのも俺の威厳が保てない。最もらしい事をいってごまかしておかねば。


 「…………チョロい問題だが、ここで俺が全部教えたらためにならないからな……何、公式を見直せばすぐとける、ほら、このページにかいてあるのが公式だ。やってみろ」
 「あ……そうですよね、師匠。もう少しがんばります」


 モブは基本的に他人を疑うような性格ではない。
 俺の言葉に励まされて教科書を読み返し、公式を改めて見直してから数分後。


 「あ! できました師匠。公式を見直したら……何とか答えがでました、ありがとうございます」


 思いの外早く正答に行き着いたので。


 「マジか!?」


 俺はつい本音が漏れていた。
 ……いや、結構難しい問題だと、そう思ったのだが。


 「……師匠いまマジかっていいました?」


 モブのいぶかしげな視線がこちらに注がれる。


 「言ってない。いや、流石だよくやったな、やればできると思ってたぞ、うん……そうだ、一息いれるか。コーヒーだ、飲め」


 俺はその視線から逃げるように、以前依頼人からもらった缶コーヒー(俺は甘いコーヒーが苦手だが捨てるのも惜しいので冷蔵庫に入れっぱなしにしていたものだ)を差し出せば、モブは表情こそほとんど変えないがそれでも嬉しそうに頷くのだった。


 「……ぼく、数学って苦手なんですよ」


 コーヒーをすすりながら、モブはつぶやくように語る。


 「そうか……まぁ、勉強も運動も得意には見えないもんな」


 正直に答えすぎた気もするが、モブ自身それは充分に承知しているのだろう。さして気にする様子もなく、じっと缶コーヒーに視線を注ぐ。


 「……運動が苦手だけど、肉体改造部のみんなに鍛えてもらってますから、少し体力はついてきたと思います」
 「そうか……」
 「だから勉強ももっとできるようになればと思うんですけど、どうしてもわからない事が多いんです。皆と同じ授業を聞いているのにぜんぜん追いつけないし……弟は何でも出来るんですけど、ぼくはだめなんですよね」


 モブは缶コーヒーの縁をなぞりながらつぶやくように語る。その顔がまだ中学生の少年が見せるにはあまりに寂しそうだったから、俺は以前から薄々思っていた事をモブに告げる事にした。


 「……お前が勉強が苦手なのは、勉強そのものを無意識のお前が必要と思ってないからかもしれんな」
 「でも師匠、ぼくは勉強もできるようになりたいって、そう思って……」
 「だが、無意識のおまえはそれを必要としていない、って事だ。……人間は元々、必要のない知識を切り捨てていく所がある。そうしないと、脳がすぐに一杯になってパンクしちまうからな。お前にとって数学という知識は、それほど重要さがわからない……だから覚えようとしない、って訳だ」


 実際に俺も久しく使っていなかった数学の公式を綺麗さっぱり忘れていた。


 「でも、覚えなきゃいけないとは思っているんです……」
 「そうとはいえ、実際日常生活で頻繁に使ってないと忘れちまうだろ? お前、日常生活で微分積分やら二次方程式やら使ってるのか?」
 「いえ……微分積分は習ってませんし」
 「あぁ、そうか……っと、とにかくお前は今はそういった方式を日常では使ってない。だが理工系の連中、車の部品を作ってるヤツや電子機器の回路を作ってるヤツにとってはあれは日常の知識だ。あぁいった連中は日常使うから、基礎としてそういった数字にふれている……お前はそういう必要がないから、こういった知識が覚えづらい、そういう事さ」


 それに、こいつは普通より見ている世界が広い……。

 生まれついての超感覚は幽霊のたぐいが放っておくことなくつきまとっていただろうし、人ができない事を当たり前のようにできるという心労は俺が預かり知る事の出来ないほど大きな心の負担になっていただろう。
 それだけ普通と違う、広い世界をみている頭で日常の勉強に集中しろという方が無理があるというものだ。


 「だとすると、ぼくがもっと数字にふれる生活をしていれば数学も得意になるんですかね?」


 理論的にはそうなるはずだ。
 だが、苦手な科目を得意にするため数字漬けの生活をおくったら、かえって逆効果になりかねない。


 「確かにそうだが、別に無理に苦手なものを得意しようと思わなくてもいいと思うぞ。自分の得意なものとか、自分の好きなものについてもっと知っていくのもいいだろうな」
 「ぼくの、すきな……?」
 「知識を伸ばす基本は興味だ。興味をもったものから知っていくのも、悪くないと思うぞ。苦手なものを無理に覚えるより楽しいだろうしな。何かないのか、おまえの好きなこととか、興味がある事は」


 そう問いかければ、モブは真っ赤になってうつむいてしまう。
 ……そういえばどうにも冷めたところがあるから忘れそうにもなるが、こいつはまだ中学生だ。色恋沙汰に興味があっても不思議な年頃ではない。

 以前こいつについてる悪霊(名前は確か、エクボだったか)が言っていたが、モブには一丁前に好きな女の子がいるらしい。
 確か、つぼみちゃんとか言ったか……。

 つぼみという少女はモブの幼なじみのようだが、モブはみての通り奥手な性格である。
 彼女の好きなものはまだしも、趣味や日常の過ごし方さえうまく聞くことはできてないだろう。

 かく言う俺もそういったたぐいの事を聞くのは大概苦手だが……。


 「……好きなヤツでもいいぞ。何かそういう相手の事とかで、知りたい事があったら聞いてみるってのもいいんじゃないか」


 自分の学生時代を振り返り、少し甘酸っぱい気持ちを抱える俺に。


 「あ、だったら師匠好きなものとか何ですか?」


 モブはなぜか俺の趣味を聞いてきやがった。


 「いや、この流れで俺にそれ聞くのマズイだろ!」


 この流れで俺にきかれたら、あたかもモブが好きなのは俺みたいな感じにしかならない。
 ……いくらなんでもモブは中学生、うっかり手を出したら犯罪だ。


 「えっ?」


 だがモブには問題の本質が見えてないようだった。
 ……こいつは考えている事が分かり難いのだ。


 「だから、この流れでお前が突然それ聞いたら、なんかお前が猛烈に俺に興味がある、俺の事好きな人みたいだからなっ! 俺はそういうのないから! お前は弟子として可愛いけどそれだけだからなっ!」
 「師匠の事は嫌いじゃないですけど……」
 「だからそれは、ラブじゃなくてライクだろう!? というか、どうして俺にそれを聞く気になった!?」
 「好きな子に……いきなりそういうの聞くの、無理かなって思って……師匠ならよく話しているから、練習のつもりでしたけど、あの……だめでしたか?」


 いきなり聞かれた時はだいぶダメだと思っていたが、理由を聞いてみればなるほど、モブにとって俺は貴重な「話しやすい大人」なのだろう。


 「ぼく、人に対して……あまりそういう話はしないんで」


 モブはそう言いながら、ぎゅっと学制服のズボンを握りしめる。缶コーヒーはじっとり汗をかくように結露がしみていた。


 「そうだな……お前は受け身だから他人に踏み込む事は苦手だものな」
 「だから師匠で練習してみようと……師匠は多少人につっこまれても、うまくやり返せますからね」


 こいつ、俺の事を芸人か何かだと思っているのか?


 「……あー……まぁいいだろ。といっても、俺はマッサージの講しゅ……除霊の練習の他は休日は映画を見たり本を読む程度でさしたる事はしてないからなぁ」
 「映画を好きな人とはどう接したらいいんでしょう」
 「そりゃ、興味の持ちそうな映画に誘うとか定番だろ」
 「じゃあ、師匠。映画一緒に行きませんか?」
 「いや、いかねーから! ……男二人で映画見にいってどうするんだよ花がねぇな」


 本当はモブと映画館にいくと何がおこるのか興味はあったが、モブと俺とでは明らかに俺が年上だ。おごる立場は俺だろう。そういう金は極力使いたくはない。


 「好きな食べ物もなぁ……好き嫌いもないし……」
 「あ、それじゃあ師匠。もし好きな食べ物を聞いたら、どんなアプローチをすればいいんですか?」
 「そりゃ、うまい店のランチに誘うとか……学生だったら弁当をつくるとか、そういうアプローチが普通なんじゃないか」


 かくいう俺は弁当を作ってもらった事も、うまい店に誰かを誘った事も久しくないのだが……。

 「あ、じゃあ明日、師匠のためにお弁当つくってきます」
 「えっ?」


 何でそうなるんだ?
 練習だからというのはわかるが、モブの思考はたまに俺の考えをぶっちぎっておいていく……。


 「勉強も終わりましたんで、今日は失礼します。ありがとうございました」
 「えぇー…………!?」


 かくして俺は、モブの手料理を食べる羽目に陥るのだった……。
 いったいどうなる事やらと不安だった俺だが、翌日。


 「……どうですか、師匠」


 不安そうに差し出された弁当は、定番の卵焼きにタコの形をしたソーセージ、ポテトサラダをそえて見た目の彩りもよくした、冷凍食品をいっさい使ってないものだった。


 「…………………………悪くないな」


 思った以上に手のかかった弁当を前に、わざわざ文句を言う必要はないだろう。素直にうまそうだと伝えれば、モブはよかった、とつぶやいて珍しいほどの笑顔を見せる。

 その笑顔は普段表情をかえないモブの暖かな、それでいて優しい表情だったから……。
 俺は自分の身体の中で、言いしれぬ思いがわき出るのを体感する。


 「どうしました、師匠?」


 そんな俺の異常に気づいたのか、モブは心配そうにこちらをのぞき込む。俺はあわてて取り繕うよう弁当の感想を告げた。


 「いや、その……卵焼きの焼き加減もいいし、味も甘口は嫌いじゃない。ウィンナーをタコにしてきたのは何だ? 趣味か」
 「お母さんがその方がいいって言ったんで」
 「母親にききながらやったのか? まぁ、初めてにしては上出来だな……こういうアプローチをすれば、好きな相手も……気にかけてくれるんじゃないか」


 当たり障りのない感想をいったつもりだが、ほめられなれていないモブはそれでも充分に嬉しかったのだろう。


 「そうですか。じゃあ、また挑戦してみます」


 すっかりやる気になったようで、またも弁当を作ってくるとそんな事を言い出した。


 「ま、またつくってくれるのか? 俺としては食費が浮くから有り難いが」
 「あ、はい。……練習で。いいですよね、師匠」
 「あ、あぁ……」


 心臓の鼓動が妙に早くなる。
 体が過剰反応をしている原因、俺にはわかっていた。


 「心配しないでください、練習ですから。それじゃあ……さようなら、師匠。また明日」


 恋心だ。
 好意を受ければ体もまた歓喜の反応をする、俺は少しずつ、モブの惹かれているのだ……。


 「………………練習でもっ! 練習でも! こう立て続けにアプローチされたら! 俺が! 俺がぁ! 惚れちまうだろーがー!」


 だが俺が知っている。
 この感情は決して抱いてはいけないたぐいのものだという事を……。
 行き場のない思いを胸に、俺はただ壁打ちする事しかできないでいた。

 けれども不思議と、悪い気はしない。
 俺は久しぶりに感じるこのくすぐったい感覚に身を委ねる事にした。

 いずれ必ずやってくる時――モブが俺の元から離れ、一人の男として歩み出すその時まで。





<おまけ:律の悩み>



 影山律は悩んでいた。
 最近実の兄が、早朝から母親とともにお弁当をつくっている事に、気づいてしまったからだ。


 「母さん、味付け……どうかな?」
 「うん、シゲオ、悪くないんじゃない」


 律は兄と同じ学校に通っている。
 しかし今日は弁当が必要な日ではないし、そもそも兄は最近毎日弁当を作っているようだったからだ。


 「あ、律。ちょっと出かけてくるね」


 しかも兄は、弁当をつくると出かけていく。
 ひょっとしたら、よからぬ輩に無理矢理弁当を作らされているのかも……。

 影山律はおおむね秀才であり優等生でもあったが、事に兄に対してだけは見境がなくなる性質を内包していた。


 「兄さんには悪いけど、ちょっと後を付けさせてもらおう。兄さんが悪いヤツに無理矢理弁当を作らされているといけないし……いや、悪人に弁当はつくらないかな。恋人とか……」


 律の脳裏に、知らない女性と仲むつまじく弁当を囲む兄の姿が浮かぶ。


 「兄さんの恋人だったらなおさらぼくが確かめておかないと! 兄さんは純粋だから騙されやすいだろうし……兄さんの恋人だったら僕に関わりもあるわけだからね…………」


 その時律の背後には漆黒のオーラがわき出ていた事、律自身も気づいていたかは定かではなかった。

 とにかく、律は出かけたばかりの兄を遠方から追跡する。
 兄は学校にいく訳でもなく繁華街に向かうと、見知ったビルの中へと入っていった。


 (ここは、霊幻さんの事務所……)


 霊幻新隆は、繁華街で霊媒事務所を営む自称霊媒師である。
 律の兄は崇拝するように信用しているが、本当に霊が見えるのかも怪しい、胡散臭い男だ。
 料金価格こそ良心的だが、詐欺師にもほど近いやり口でしのぎを稼いでいる風にも思える。

 そんな胡散臭さしか抱けない男に。


 「師匠、またお弁当つくってきたんで……」
 「おぉ、悪いなモブ……まぁ入れよ」


 彼の兄は、甲斐甲斐しく弁当を作って差し入れていたのだ。


 「今日もおいしそうじゃねぇか……」


 ドアごしに二人が仲むつまじく会話をかわす声が聞こえる。
 いや、実際はふつうの会話の範疇からでていないだろうが、少なくとも律にはそう思えたのだ。


 「そうですか? ……でもこれはちょっと自信があるんです」


 兄はそんな受け答えをする。
 これもあくまでふつうの会話だったろうが、律にはあたかも新婚の二人がちちくりあっているような、そんな会話に思えた。


 「あ、今日はもう帰りますね」
 「あぁ、今日は仕事もなさそうだし、気をつけて帰れよ」
 「はい。あ、また……」
 「おう、また弁当つくってくれよな」


 だからだろう。


 「……兄さん? のお弁当を、霊幻さ……ん? えぇっと……」


 律のリミッターがはずれ暴走するのに、それほど時間がかからなかったのは。


 「れれれ、霊幻さん! ににに、兄さんはぁ、兄さんは渡さないから! 兄さんをかけてぼくと勝負だぁぁぁ!」


 半分泣き顔になりながら、律は霊幻の事務所に無断で突入を仕掛ける。
 超能力には全くうとい霊幻からもわかるほどのオーラをはなつ律に、霊幻は驚きの声をあげた。


 「お、おちつけ弟くん、何があったぁぁぁ!?」
 「これが落ち着いてられるかっ、兄さんをたぶらかしたドロボウネコめぇぇぇ!」
 「何の話だーッ!」


 事務所のモノが無造作に浮き上がる。
 ……その日、霊幻が律の誤解をとくのに1時間たっぷりかかったという。






 <でぐちこちら。>