>> ビター&スイート






 『明日はバレンタインデーといってね、チョコレートに思いを込めて愛する人に渡す日なんだよ』


 審神者が何かを含むように獅子王へ聞かせたからだろう。
 獅子王はすっかりその気になり、目を輝かせながら朝から俺の後を懸命についてきていた。


 「なぁ、なぁ、たぬき! ちょこれっと、ちょこれーとくれよ。なー。いいだろ、ちょこれっと!」


 ろくに振り返ろうともしない俺の気を引くために、獅子王は懸命に声を張り上げる。
 通りすがった燭台切光忠はからかうような真似はせず、だが少し困惑したような苦い笑顔を浮かべていた。

 獅子王と実戦をともにするようになってから、もう1年ほどはたっただろうか。
 最初は何となく組み、がむしゃらに戦場を走り回っていた俺はいつしか獅子王の背中を守るようになり、獅子王もまた俺が至らない戦をフォローするよう戦うようになっていた。
 戦で違いに補いあう俺たちの距離は日常でも知らない間に近くなっていき……今は、そばにいるのが当たり前の関係となっていた。

 まだ誰にも言ってはいないし、他の仲間たちには気付かれてないとは思うが……。


 「たぬきのちょこ……もらえないのかよォ……」


 昨日の食事時、審神者が皆の前で「思いを込めて」云々とわざわざご丁重に説明をした結果、今本丸では「好いた相手にチョコレートを渡す」というその意味がすっかり浸透している。
 獅子王が恥も外聞もなく(最も、獅子王はもともと酷く鈍感だから俺にチョコをねだる事など恥ずかしいとも思わないだろうが)チョコレートをねだる姿を他の連中に見られたのなら、俺たちの関係が白日の下に晒されるのも時間の問題という奴だろう。
 事実、燭台切光忠の苦笑いは「察した」という言葉が含まれていた。

 最も、俺の場合は獅子王を特別に思っている……その事実を他の連中に知られるのは構わないと、そう思っている。
 俺が獅子王を好きだと思うのは事実だし、獅子王の目がいつも俺だけを求めているのも変えようのない事実だからだ。
 だが……。


 「おっ、同田貫は今日は獅子王と一緒か。あはは、仲いいよねお二人さんはさァ」


 俺の腰にまとわりつく獅子王の姿を見て、御手杵が意味ありげに笑っては去っていく。
 その声色は明らかに好奇の色に満ちていた。

 別に、俺と獅子王が付き合っている。その事実が知られるのは構わない。
 だがこんな風に茶化され、冷やかされて過ごすのはどうにも居心地が悪かった。元より色恋沙汰とは無縁だと、そう思って生きていたから尚更だ。


 「おい、獅子王……あんまりくっつくないでくれ無ぇか?」


 恥ずかしさと気まずさが入り交じり、わざと獅子王に強く声をかければ、獅子王は口を尖らせて俺の顔を睨み付ける。


 「何でだよォ、たぬき! 俺の事嫌いなのかよぉ……俺、ずーっとたぬきのそばにいてもいいと思ってるのにさ……」


 そしてすぐに落ち込んだように肩を落とし、寂しそうに視線を下げるその姿はさながら叱られた猫のようだった。
 獅子王は自分の感情を隠す事はしない。嬉しい時は身体全体で喜び、悲しい時は声をあげて悲しむ、裏表のない無垢な仕草は少年のそれ、そのものだった。
 そんな無邪気な仕草が愛しくて、ついほだされてしまうのだ。


 「別に嫌いって訳じゃないんだけどな……」


 視線をそらせてそう言えば、獅子王は花がひらくように明るく笑って俺の首もとへ飛びついてくる。


 「だったら好きなんだよな! そうだよなッ! ……へへー、俺もたぬきの事好きだぜ。10倍も100倍も! いや、1000倍くらい好きだかんなー!」


 一体何とくらべて1000倍なのかさっぱりわからないが、そう言われて悪い気はしない。悪い気はしないのだが。


 「……仕事を頼もうかと思ったけど。邪魔したようだな。また、後にする」


 大倶利伽羅は、そんな俺たちを見て何となく声をかけづらそうな顔をしたままそそくさと部屋へ戻っていった。
 他の連中に知らせるつもりもないが、今日1日この調子じゃ露見するのも時間の問題だろう。


 「俺の事好きだろ。な、たぬき! チョコチョコ〜チョコくれよ〜」


 とにかく今はこの口を黙らせる為にも、チョコレートの力が必要だろう。
 今手元にチョコレートはないが、部屋にいけば何か一つくらいはあるはずだ。


 「わかった……まってろ! ほら、お座り!」
 「ふぁっ! わぉん!」


 俺が「おすわり」と命令すると、獅子王は律儀にその場でちょこんと座り「上手にお座りできただろ」そんな顔でこちらを見る。

 何かと落ち着きのない獅子王に「ごほうび」を与える事でしつけた「おすわり」だ。
 この命令をしておけば、すくなくても2分はじっとしている事だろう。

 俺はひとまず自室に戻ると、普段いらないものをひとまず置いておく小箱をひっくり返した。

 厚藤四郎から譲り受けたニッキの根……五虎退がプレゼントしてくれた綺麗な石……愛染国俊からもらったセミの抜け殻……。
 何だか知らないが俺は短刀たちからやたらと「宝物」を譲渡される。
 短刀たちに気がいい奴が多いのか、俺には渡しやすいのか……そんな中に混ざって一つ、てのひらサイズのチョコレートが油紙に包まれて入れられてるのを取り出す。

 たしか乱藤四郎が「あまっているから」とくれたものだ。
 疲れた時にでも食べようと思い、何となくしまっておいたものだが、もらったのは最近だ。恐らくまだ食べれるだろう。
 俺はそれを懐にねじ込むと、急いで獅子王のもとへと戻った。

 元の場所へとたどり着けば、獅子王は律儀に「おすわり」の姿勢のままじっと俺を待っている。


 「お! たぬき、来てくれたんだな! へへ〜。俺ちゃんと待ってたぜ。エラいだろ」


 獅子王は俺を見つけるなり得意気にそう言うと、もはや待つのは限界といった様子で俺の胸元へ飛びついてきた。
 そして鼻をひくつかせ、俺のにおいを思いっきり嗅ぐ。

 獅子王は俺のにおいが好きらしく、抱きつけば始終こうして俺のにおいを嗅いでるのだ。
 まったく、俺なんかのにおいを嗅いでも汗臭いだけだろうが……。


 「よし、よし。エラいな獅子王」


 適当な誉め言葉を口にして獅子王の頭を撫でてやれば、たったそれだけの事で顔いっぱいに笑顔を浮かべる。獅子王だけの、太陽のような笑顔だ。
 俺はその笑顔が隣にいる事が出来る事にほのかな喜びを噛み締め、懐にねじ込んだチョコレートを取り出した。


 「ほら、これ。やるよ」


 差し出された油紙を、獅子王は訝しげに眺める。


 「……何だよ、これ?」
 「チョコレートだ。今朝から欲しがってただろ? やるよ、これでもう大人しくしてくれよな」


 これで獅子王も満足して、暫く静かにしているだろう。少しは喜んでくれるといいのだが……。
 そう楽観的に願っていた俺の思いとは裏腹に、それまで明るかった獅子王の笑顔に影が差す。


 「えっ? ちょこれっとって……これだけ?」
 「ん……そうだけど、どうした? 欲しかったんだろう、チョコ」

 「いや、そのっ……俺さぁ、別にこの……こういうのじゃなくて! チョコが欲しいってか、その……」
 「何だ? ……朝からチョコチョコ言ってたのはお前だろ? ……これじゃ、不服か?」
 「不服って訳じゃねーけど、えーと。だから、その……」


 獅子王は暫く何か言いたげに口を動かすが、結局考えがまとまらなかったのだろう。


 「俺はそんなのが欲しかったんじゃねーよっ! ばーか! ばーか! ばかたぬき!」


 吐き捨てるようにそう零すと、俺にチョコを投げつけて何処かへ走り去っていった。
 その後ろ姿が泣いてるように見えたのは、気のせいではなかったのだろう。


 「何だよあいつ……ったく、しょうがねェなぁ……」


 獅子王は外見通り、子供っぽい性分だ。
 自分勝手で気まぐれ。我が儘で気分屋で俺の気持ちなんてお構いなしに自分のペースで引っかき回す、そんなどうしようもない所がある。
 浮き沈みも激しく、機嫌がなおるのも早いから今はこうして怒鳴って逃げてもまたすぐにいつもの陽気さを取り戻し、「たぬきたぬき」と俺の足にまとわりついてくるのだろう。

 ……それは、解っていた。
 だがやはり、そばに獅子王の笑顔がないというのは何とはなしに落ち着かない。

 朝から腰にまとわりつかれて面倒に思っていたのは事実だが、いざいなくなってみるとどうだ。俺はこんなにも寂しいじゃないか。

 何より、走り去る獅子王の後ろ姿は泣いていた。
 俺がなかせてしまったのだ。
 俺が深く考えもせず適当にあしらったせいで、獅子王を悲しませてしまったのだ。


 「……こういうのじゃ、なかったんだな」


 投げつけられたチョコレートを拾い上げ、口の中に放り込む。ほろ苦いチョコの味は今の俺の心持ちのようだった。

 何が、違ったのだろうか。
 獅子王はチョコが欲しかったのではないのか……いや……審神者はチョコを渡すとは言っていなかった。
 想いの形として、それを渡すと、そう言っていたのだ。

 獅子王が欲しかったのはチョコレートなんかじゃなく、俺自信の「想い」だったのだろう。


 「バカたぬき、か」


 本当にバカだな、とおもう。
 無骨な実戦刀らしい、繊細さの欠片もない奴だとも、雅さを持たぬ浅はかな男だともだ。
 だがそれでも、恋人を泣かせたまま放っておけるほど鈍感でもなければ傲慢でもないつもりだ。


 「獅子王! おいどこだ獅子王」


 だから俺は獅子王の名を呼ぶ。
 取り違えた想いを、きちんとあいつに伝える為に。

 さっきまで、誰かに見られ茶化される事がどことなく気恥ずかしかった俺だが今は獅子王に会いたいと、その気持ちが勝り誰に見られるのも恥ずかしくない。
 座敷を、廊下を、中庭を……あちこち走り回って獅子王の姿を求めれば、あいつは庭の離れにある農具をつめた物置の傍らで小さく蹲っていた。
 時々、嗚咽が漏れ聞こえる……まだ泣いているのだろう。


 「獅子王」


 俺が声をかければ、鼻を真っ赤にした獅子王が驚きと戸惑い、そしてそれ以上の怒りを込めた顔で俺の顔を見た。


 「何だよぉ、ばかたぬき! 俺、いまたぬきと話す事とかねーし……ねーし!」


 目には大粒の涙が溢れ止めどなく零れる。

 話すことがないなら好都合だ。
 俺は小さく頷くと、獅子王の手を引いて半ば強引にあいつを立たせる。


 「何すんだよぉ! ばかたぬき! 痛ぇ、痛ぇだろっ!」


 そうして暴れる獅子王を強く抱き寄せると、何も言わずに唇を重ねた。
 「あっ」と息をのむ声が微かに聞こえたが、おかまいなしに舌を滑らせあいつの心地よい場所を慈しむよう慰める。


 「……んぅ……っ……」


 甘い吐息が零れ、愛欲の雫が口元から零れ出て……。


 「何すんだよっ、ばかたぬき……」


 口づけを終えた時「ばか」と呼ぶ獅子王の顔が赤らんでいたのは、泣いていたからだけではないだろう。


 「……俺ぁ、戦うしか芸のない男だ」
 「はぁっ? そんなの、知ってるし」

 「……だから、シャレた愛の言葉を交わして、お前を喜ばせる事が出来る程器用じゃねぇ」
 「ん、うん……」

 「でも、こうしてお前の事を慰めてやれるのは俺だけだとおもってるぜ。獅子王……愛してる。今言えるのはコレだけだが、別にいいだろ?」


 曇っていた獅子王の表情が、まるで日が差すように明るくなる。


 「たぬき……たぬきっ! たぬき、たぬき〜!」


 かとおもうと、また夢中になって俺の胸元へ抱きついてきた。


 「俺も! 俺も好き! 大好きだ……」


 俺たちの唇は、また自然と重なりあう。
 交わした唇はまだほろ苦いチョコレートの香りを残していた。






 <でぐちこちら。>