>> 闇の白い笑み
何時からだろう。
その姿を自然と、目で追い掛けるようになったのは。
何時からだろう。
その物憂げな表情を見るだけで心臓が跳ね上がり、踊り出さんばかりの喜びに満ちあふれるようになったのは。
そして、何時からだろう。
自分にこんなにも驚きを与えてくれている君の瞳が、自分のために存在しない事に気付いたのは。
大倶利伽羅。
俺がおまえをみつめている時、君はいつだって燭台切光忠の姿を求めていた。
燭台切光忠の姿がない時は、その影を追うように視線を彷徨わせていたのに気付いたのは、俺がいつもおまえを見つめていたからだろう。
……最初はおまえが、彼の姿を追い求める理由に俺は気付かなかったか俺はその姿さえ愛おしく思えていた。
だけど、今はどうだ。
おまえが彼を求める理由が俺がおまえを望む理由と全く同一の現象だと気付いた今は。
おまえが視線を泳がせば俺の心に不安が陰り、おまえが彼の前で僅かに。ほんの僅かに不器用な笑顔をみせる度に、身を焦がす程に苦しいじゃないか。
おまえの思いに罪はないのに。
いや、罪がないからこそ俺は苦しくて、おまえの笑顔を受ける事が許された燭台切光忠が、おまえの気持ちに何ら気付いてないような仕草で接するのがもどかしく憤ろしいではないか。
しかもどうした事だろう、おまえは俺がそうやってその姿を見ている事すら、未だ気付いていないのだ。
その目は未だ俺に向く事はなくただ燭台切光忠という一人の男だけを捕らえ、求め続けているのだから。
おまえにとって俺はそう、「沢山いる刀剣のうちの一振り」にすぎないのだろう。
ただ他の仲間たちよりほんの少しだけ長く、同じ場所で同じ刻をすごしただけの「その他大勢」にすぎないのだ。
いや、あるいは孤独を好むおまえの事だ。
俺とともに過ごしたあの長い年月でさえも、さして興味のない事柄だったに違いない。
「おい……少しいいか、燭台切」
今日もおまえはその物静かな口調で、燭台切光忠の姿を求めるのだろう。
燭台切光忠もさして嫌な顔一つ見せず、掃除中の手をとめ笑顔を向ける。その笑顔を見たおまえがほんの僅かだが安心したような、穏やかな表情になるのを、俺はよく知っていた。
「あぁ、どうしたんだい大倶利伽羅。また手合わせか? それともぼくに手伝って欲しい事でもあるのかな」
燭台切光忠という男は、酷く良い奴だと思う。
誰に対しても愛想は良いし、仕事に対しても真面目で何事にも手を抜くような事はない。
大概の事は器用にこなせるし、おおよそ欠点は持ち合わせてない風に見える。
だがそんな燭台切光忠も、自分がどれほど大倶利伽羅という男に好まれているのか気づける程他人の気持ちに敏感という訳ではないようで、未だあの大倶利伽羅をよき友人、よき隣人として扱っている風に思えた。
あるいは燭台切光忠も少なからず、この鈍感で不器用な男の気持ちに気付いてはいるのかもしれない。
大倶利伽羅が燭台切光忠の前で僅かに気を許すのと同様に、燭台切光忠もまた大倶利伽羅の前では柔らかく優しい笑顔を向けていた。
ただ、燭台切光忠は賢い故に臆病になっているのだろう。
お互いの気持ちに踏み込み、互いが特別な存在となった時、今の関係が壊れてしまう事に。
今の俺が望んでも得られない大倶利伽羅という存在を受け入れてしまう事が、燭台切光忠は怖いのだろう。
俺が渇望しても手に入れる事が出来ない存在だというのに。
「やぁ、やぁ……相変わらず仲がよさそうで。仲良きことは美しきかな、結構結構……」
指先を袂で隠しながら、俺はさも今偶然やってきたかのように振る舞い二人の中へと入っていった。
「あぁ、鶴丸さん……」
元より愛嬌のある燭台切光忠は特に俺が入ってくる事を疎む様子もなければ怪しむ様子も見せなかったが、大倶利伽羅の方はただ、訝しげにこちらを見ていた。
とはいえ、特別俺が邪魔だという訳でもないのだろう。
人との距離感をうまく推し量る事が出来ないのが大倶利伽羅という男だ。
突然会話に入ってきた俺に戸惑い、そんな目を向けているだけ……これでも大倶利伽羅とのつきあいは長いから、彼のそういった不器用な性分は心得ているつもりだった。
最も大倶利伽羅の方は俺がどんな男なのだか未だに理解ができていないようだが。
いや、理解が出来ないというより「元より鶴丸国永なんて刀には興味がない」という方が正しいのかもしれないが。
大体、大倶利伽羅という男は誰かに興味をもつような奴ではなかった。
常に一人であり、一人で傷つき、一人で倒れればそれでいいとそう望んでいたはずなのだ。
だが……気付いた時、その眼前に燭台切光忠が立つようになっていた。
青銅の燭台を切ったなどという逸話を持つ男が今、一人の男が灯火になろうとしているのだ。
灯火を断った男が龍を導く灯りとなろうとは、驚きの皮肉という奴だろう。
「そうだ、大倶利伽羅。手合わせなら、鶴丸さんにも頼んでみないか? ……二人だけで手合わせするより、きっと良い効果が望めると思うんだけどね」
燭台切光忠は相変わらず愛想のいい笑顔を向けて、俺にも大倶利伽羅にも穏やかに話しかける。
その所作からは、かつて同じ館にあった同胞としての気遣いが伺えた。
もし、燭台切光忠もまた大倶利伽羅を想っているのなら俺の闖入は決して嬉しいものではなかっただろう。
だがそれでも笑顔で振る舞っているのは、俺が思っている以上に燭台切光忠という男は鈍感で未だ大倶利伽羅の視線が意味に気付く事が出来ていないのか、それとも大倶利伽羅自身が自らの気持ちに気付いてない以上、「友人」として振る舞うのが最善と思い時が満ちるのを待っているのか……。
いや、そんな事はどっちだっていいし、どうだって構わない。
どうせ今日、全て壊してしまうのだから。
「手合わせねぇ……はは、それもいいが、その前に大倶利伽羅。おまえさんに一つ聞きたい事があって来たんだが、いいか?」
大倶利伽羅は俺に名を呼ばれ、虚をつかれたような顔をする。そしてさも億劫そうに顔をあげると、冷たい視線をこちらに向けた。
常に人と距離をとる事で自分の領域を守ってきた男だ。全てに対して興味なさげに振る舞うのは、心の距離をつめられる事を何処かで恐れているからだろう。
「……何だ。俺は別に、貴様には用がない」
貴様とは随分不遜な物言いだ。
だが他人の優しさに慣れぬ故に優しくされると戸惑い憂うのが大倶利伽羅という男だ。急に親しげに話しかけられれば、人一倍に警戒するのがあいつの道理なのだろう。
だから俺はさして気にする様子見せないよう、わざと大仰な態度をとって見せた。
「はは、お前さんに用がなくてもこっちには大ありでね。聞きたい事がある。いいだろう、なぁに、手間はとらせない」
「お前にこたえる義理なんて……」
「いいじゃないか、聞くだけなら聞いてみよう。それで、どうしたんです。鶴丸さん」
あくまで突き放そうとする大倶利伽羅を留めたのは、燭台切光忠だった。
流石の大倶利伽羅も、燭台切光忠よりそう言われたら聞かない訳もにいかなかったのだろう。
不服そうな表情を浮かべてはいたものの、やむを得ないといった様子で僅かだが頷いて見せた。
……最も俺が次に発する言葉を知っていたら、さしもの燭台切光忠も「聞いてみよう」なんて前向きな事、言わなかったに違いないが。
「おぉ、ありがとう流石は燭台切くんだ……それじゃ、聞かせてもらうけどねぇ大倶利伽羅」
と、そこで俺はわざとらしく咳払いをして二人の注意をひく。
そうだ、今はこの二人に俺を見てもらわなければいけない。
「…………君は、燭台切光忠が好きなんだろう? 違うか」
穏やかに、だがはっきりと聞こえるように俺は自ら言葉を放つ。
二人の表情が強張っていくのがはっきりと見てとれた。
燭台切光忠から穏やかな笑顔は消え去り、大倶利伽羅は怒りとも動揺ともとれる視線が注がれる。
あの表情……今まで俺がしでかしたどんな戯れよりもよっぽど驚いた顔だろう。
「な……にを。何を、言っている? 俺は……燭台切光忠とは、相棒だ。ただ……ただ、それだけ……」
先に言葉を発したのは大倶利伽羅だった。
からからに乾いた口から漏れた言葉は妙にかさついており、元より大声を張る事のない大倶利伽羅の声を余計に小さくさせる。
相棒、ただそれだけ。
あいつはそう言ったが、震える声と滲む汗とがその言葉が殆ど嘘であると物語っていた。
……やはり大倶利伽羅という男は俺が知る通り、不器用で分かり易い男だ。
一方の燭台切光忠は、俺の言葉が真意を測りかねている、といった所様子だった。俺と大倶利伽羅との顔を交互に眺めながら、口元を手で隠し事の成り行きを見守っている。
普段から冷静で何事もそつなくこなす男だが、流石にいきなり核心をつかれ多少動揺しているのだろう。
あるいは、本当に大倶利伽羅の気持ちに微塵も気付いておらず、俺の言葉に戸惑っているのかもしれない。
まぁ、どっちだっていいしどっちだって構わない。
大倶利伽羅の心があの男に向いているのは変わりようのない事実なのだから。
だから俺のする事は、もうとっくに決まっていた。
……燭台切光忠がいる限り、俺が大倶利伽羅から愛される事はない。
かといって燭台切光忠を壊してしまう程俺も愚かな男ではない。
「そうか、相棒ねぇ」
俺は一度唇を舐めると、一歩、燭台切光忠と距離をつめる。
不意に距離をつめられて驚いたのか、燭台切光忠は後ずさるがその手を素早く握って留めた。
「それじゃ、本当に『相棒』って気持ちだけしかないのか、確かめさせてもらおうか」
そして全てを言い終わるや否や、俺は燭台切光忠の身体を引き寄せる。
あいつは自分へと行動が及ぶとは思っていなかったのだろう。手を引く俺に殆ど無抵抗のまま抱かれて。
「な、にを……鶴丸さ……」
その言葉を全て語り終わる前に、俺は燭台切光忠と唇を重ねた。
男のわりに艶やかな唇は思いの外柔らかく、舌を滑り込ませてやれば存外拒む様子もない。
逆に求めるように舌を絡めてくるのはこっちも少々驚いたが、元より「そういう場」も心得ている男だ。不意をつかれても相手を慰める技は心得ているといった所だろう。
「……あ」
大倶利伽羅はしばらく呆然と、抱き合い唇を吸う俺たちを見守っていた。
だがふっと我に返るとよほど頭に血が上ったのだろう。
「貴様ぁぁぁッッ!」
怒声とともに振り上げられた龍の掘られ腕は俺の頬を強かに打ち付けたのだった。
「おっと……」
予想していた攻撃とはいえ、思った以上の力があり、俺は危うく倒れそうになるのを踏みとどまる。
眼前には怒りの形相で立つ大倶利伽羅と、自分のされた事に対して驚きと戸惑いとが入り交じった表情でこちらを見る燭台切光忠とが並んでいた。
「はは、怒るって事はなぁ大倶利伽羅。お前さんにとって燭台切は、ただの『相棒』って訳じゃなさそうだ……」
「何をっ……」
「気付いてないなら教えてやるさ! ……特別なんだよ、お前にとって燭台切光忠という一人の男はな。はは、どうだ、驚いたろう?」
怒りと、戸惑いと、その他複雑な感情が入り交じった視線が俺を射抜く。
焼けるような殺意とともにだ。
……そうだ、その目だ。
俺がほしかったのはそれなのだ。
「……憎らしいか、俺が?」
その問いかけに大倶利伽羅は、何も応えずただ俺を見据える。
俺は無意識に笑っていた。
楽しかった。
心の底から、嬉しいと思った。
これでやっと俺は舞台に上がれたのだ。
これまで観客として外から見ている事しか出来なかった、大倶利伽羅の興味という舞台に。
「そう、それでいい。大倶利伽羅……これでやっと俺も、お前にとって特別な存在になれた訳だ。その他大勢の男から……愛する燭台切光忠の唇を目の前で奪って見せた、憎い憎い男にな」
無言のまま佇む大倶利伽羅を背に、俺は笑って歩き出す。
焼け付くような怒りと殺意との視線を浴びて、俺の心は満ち足りていた。
大倶利伽羅にとってただ一人、殺したい程憎らしい男。
特別な存在になれたという素晴らしい喜びに。