>> 微笑みと赤い花






 初めて見た時に芽生えた感情は、「あぁ、こんな風に綺麗であればな」そんな羨望と、「何の努力もしていないのに、生まれながらに綺麗だなんて」 そんな思いからくる嫉妬だった。

 眼前に現れたのは、整った顔立ちに切れ長の目はまるで人形のように美しい男であった。
 肌は滑らかな絹を見ているように白く眩しく、その艶やかな黒髪は新緑が芽生えた柳の枝葉を思わす心地よさと妖しさに満ちていたから、加州清光はきっとこれは「あやかし」なのではと。自分は幻でも見ているのではないかと、最初は己の目を疑ったほどであった。

 だが、男の身体に影はあるし足もある。
 少なくとも、幽霊の類ではないらしい。


 「……何の用だよ。っていうか、あんた、誰?」


 わざとその美しい顔を見ないよう目を背けたつもりだったが、男は気を利かせたつもりか。
 あえて彼の視線に入るよう立ち位置をかえると、穏やかに微笑んだ。


 「はじめまして。ぼくはにっかり青江。そう、呼んでくれていいよ。よろしく」


 きれいな顔をしたその男は、加州清光の想像通り心地よい声をもっていた。
 立ち振る舞いにもどこか気品があり、川の下で生まれ育った自分とは血の色まで違うような、そんな錯覚を覚える。きっと彼は生まれながらにして美しく、高名な人々にその姿を愛されて過ごしてきたに違いない。

 川の下で生まれ蔑まれていた自分がもっていないもの、すべてをもって生まれてきたのだ。
 そんな気がしたからだろう。


 「……っ」


 気付いた時、加州清光はその場所から逃げるように立ち去っていた。
 何も言う事が出来ずただひたすら走ったのは、きっと恐ろしかったからだろう。

 彼があまりに美しすぎたから、自分の醜い場所をはっきりと自覚せずにはいられなかったから。
 その美しさが自分の醜い場所全てを見透かし、あざ笑っているような……そんな錯覚を覚えたから。
 ……自分の心にある暗く、黒い影が彼という光に照らされてより深く黒ずんでいくような、そんな恐怖を感じたから。

 だから彼は、夢中になってその馬から逃げ出していた。
 戦い相手を切り伏せる事と、その場から逃げる事。
 その二つでしか自分を守る方法を知らない……加州清光は、そういう不器用な男だったのだ。


 「……待ってくれないか、君!」


 遠くで男の優しい声が聞こえる。
 しかし加州清光は、とうとう振り返る事がないままその場を後にした。

 彼にとってその優しさが、何よりも怖かったのだ。




 それから、数日の間、加州清光は食事場にも顔を出さず、出陣も拒み、遠征さえもしないまま一日の殆どを自室で過ごすようになっていた。

 怠惰でしかない生活だったが、彼の審神者は何かを察したのだろう。
 とくにそれをとがめる様子もなく「出たくなったら出ておいで」そんな優しい言葉をかけてくれたのだった。

 審神者は自分を、愛してくれているのだろう。
 その優しさは確かに感じていたが、同時にそれが「家族的なもの」であり、自分に向ける思いが特別ではないという事も、加州清光はわかっていた。

 自分は、誰かに特別愛してもらえるような存在ではない……。

 その思いが彼の心を一層暗くし、気持ちは晴れぬままただ時間だけが過ぎていく……。
 食事をしないのだけは心配だからと残り物で作った握り飯などを大和守安定が運んでくれたが、その親切さえ今は疎ましく思えた。


 (こんな事をしてたってさ……)


 審神者に迷惑をかける自分がよほど可愛くない刀剣なのだ、という事は自覚していた。
 審神者だけではない、他の仲間たちも……同じ沖田の愛刀である大和守安定などは特に、自分の事のように心配してくれているのだろう。

 だがそれでも彼が外に出るのを恐れさせたのは、にっかり青江と。そう名乗った男の事だった。
 あの笑顔に会うのが今はどことなく恐ろしくて、結局一日家、陰鬱な気持ちを抱いたまま部屋にこもる事しか彼には出来なかったのだ。

 どうしてあんなにも、あの物腰柔らかそうな男が恐ろしいのか。
 どうしてあんなにも、あの穏やかな笑顔が美しくももの悲しいのか。

 理解する事ができないまま、ただ悶々と部屋で過ごす事しか……。

 そうしてまた日は傾き、窓からは茜色の西日が注ぐ。
 もうすぐ日も沈み、すぐに夜が来るのだろう……そんな事を思いながら、畳の上で寝返りをうって程なくした頃だろう。


 「失礼するよ」


 そう言って入ってきたのは、審神者でもなければいつも食事を届ける大和守でもない。
 自分が恐れ、怯えるにっかり青江、その人だった。


 「なぁっ……なんで……」


 なんで、あんたが。
 驚きから漏れた言葉は最後まで紡がれず、頬は紅潮して口の中が乾いていくのがわかる。

 同時に初めてあった時の事を……。
 満足な挨拶も出来ず夢中になって逃げ出したあの醜態を思い出した加州清光は、手にいやな汗をかいているのに気付いた。

 元より美醜に関しては人一倍敏感な加州清光にとって、訳の分からぬ恐怖という説明し難い一時の感情で相手に背をむけ逃げたというのは、強い屈辱だったのだ。

 こいつは一体どうして自分の部屋にきたのだろうか……。

 あの日の事を、あざ笑いにでもきたのだろうか。
 もしそうなら、そっとしてほしいものだと加州清光は願っていた。
 彼のように美しい訳でもなければ、誰かに愛される事もない……そんな自分の孤独な傷を、これ以上広げてほしくはなかったからだ。

 そうやって怯え、身構える加州清光の前に、にっかり青江は手をさしのべる。
 同時に柔らかな香りが、彼の周囲を包み込む……。

 差し出されたのは、一輪の花だった。
 差し込む西日のように朱色にそまったそれは、まるで香のような甘い香りを放ち彼の身体を包み込む。


 「どうして……」


 どうして自分のような男に花など手向けるのだろうか。
 どうして自分のような存在をこんな綺麗な男が気にかけるのだろうか。

 何故、どうして。何故……。
 いくつもの「何故」が頭に渦巻く中カラカラに乾いた唇からかろうじて声を漏らせば、眼前の男はあの時同様穏やかな笑みを浮かべて見せた。


 「どうして、って……まだちゃんと、挨拶してなかっただろう? 他の人から名前は聞いてるんだけれどもね。君のその唇で、どうしても聞きたかったんだよ……君の名前をね」


 艶やかな黒髪は相変わらず美しく、俯けば下へと落ちる髪を白い指先で掻き上げる。
 その隙間から、やたらと赤い赤い瞳が輝いた。

 左に輝くのは月の如く静かな金色の目。
 その右に揺れるのは血のような赤い、赤い目。
 その長い黒髪に隠されて解らなかったが、彼は両目ともに違う色が宿っていた。

 金の瞳の愉快げな目とは裏腹に、その赤い目は怯えのような戸惑いのような複雑な感情が入り交じっている風に見える。

 その目を見て、加州清光はようやく自分が恐怖していたものの正体に気付いた。

 隠しようのない劣等感……美しさと裏腹にある自分に対しての自虐……。
 そして、それでも愛してほしいという、酷く歪んだ思い。

 そうだ、彼は自分と「似ている」のだ。
 自分のなかにある影が限りなく暗く、深いところが。


 「おれ……俺の名前は、加州。加州……清光。橋の下の子、河原の子……これで、いいか」


 乾いた声で震えながらやっとの思いで名を紡げば、にっかり青江は嬉しそうに笑い手にした花を彼の髪へと飾る。
 やたらと赤いその花は、相変わらず甘いかおりを放ちどこか加州清光を安心させた。


 「……やっと聞けたね、君の口から」


 彼は再び髪をかき上げると、相変わらず穏やかな笑みを浮かべる。
 その笑顔は優しかったが、うかつに触れれば壊れてしまうような歪みと脆さを感じさせた。

 加州清光は、改めて思う。
 恐ろしかったのは、彼が美しすぎて自分がみすぼらしく見えたからではなかったのだ、と。
 彼が自分とよく似た。だけれども全く違った歪みと闇を背負っているからなのだろうと。


 「ぼくは、にっかり青江」


 だからあの時逃げ出したのは、恐怖にせき立てられたから、それだけではなかったのだ。
 ……一緒にいればきっと、心惑わされると本能的に察したのだろう。

 自分と同じ心を持つ男相手に、二つとない感情が芽生えてしまうその予感を。


 「よろしくね」


 にっかり青江の柔らかな声が、加州清光の耳へと絡みつく。
 その甘い声に誘われれば、いつか彼の声全てを求めてしまうのだろう。

 だけれども、と加州清光は前を向く。漠然とだが、彼は理解していた。

 自分に抱く闇を知る彼もまた、形の違う闇に惹かれているのだと。
 お互いがそれを許し、認めて、慰め求め合う事が出来るのなら。


 「あぁ、よろしく」


 ともに手をとり寄り添って、笑いながら歩むのもきっと罪ではないのだろう。
 白い指先に、赤く彩られた指先が絡み合いもつれ合う。

 二人の影が重なる中、西日はそれをただ長く揺らすばかりだった。






 <でぐちこちら。>