>> ランプと薔薇と






 弱い犬ほどよく吼えるとはよく言ったものだ。
 酒が薄いだったか、料理の皿に髪の毛が入っていただったか、とにかくそんな難癖をつけ突然怒鳴り始めたちんぴらたちは、当初の威勢など今はもう見る影もないほど強かに殴りつけられて、それぞれが床を舐めるように這いずりまわり、許しを請うような視線をマジェントへと向けていた。


 「まだやンのか? 俺は別にどっちでもいいぜ……どうするんだ?」


 手についた血はすでに渇きはじめていた。
 もう勘弁してくれだの、悪気はなかっただの、ちんぴら連中の口からは怒鳴り初めて虚勢を張る前とは違い弱々しく頼りない。

 あまりにも情けないその姿に、マジェントも少々気の毒に思えてきたので拳を拭うと。


 「もういい、好きな所行けよ」


 そう吐き捨てるように言えば、ちんぴら崩れの若者たちは転がるように走り出し、蜘蛛の子を散らすかのように瞬く間に消え失せた。


 「全く、弱ェ癖に息巻いてんじゃねぇってんだよ……」


 マジェントはそう言うと自らの拳をスカーフで拭う。

 ……相手はつらまないちんぴらだ、銃を使うような相手ではない。
 それにまだ年若い、殺してしまうのも忍びないだろう……。

 そう思い拳で強かに打ち据えてやったからだろう。
 殆どが相手の返り血だと思っていた腕にはあちこちに擦り傷が出来ており、拳はからはわずかに血が滲んでいた。


 「くそったれが……」


 マジェントは誰に言うでもなしにつぶやくと強く拳を握りしめ、カウンターから離れた席に腰掛ける。
 すると、それを待っていたかのように彼のテーブルへ一杯の蒸留酒が置かれた。

 急に暴れ出したちんぴら達を黙らせてくれた礼のつもりだろう。
 ここの酒場のマスターは口数が少なくお世辞にも愛想のよい店主ではないが、そういった部分についてはよく心得た男だった。

 最も、今日はマジェントも随分と暴れた。
 散らかったテーブルや椅子、割れた皿なんかをウェイトレスは慣れた様子で片づけるのが見える。

 その殆どはあのちんぴらたちが怒鳴り散らしながら壊したものだが、奴等を追い払うという名目でマジェントが壊した食器も少なからず混じっていたはずだ。

 ……礼などされる程の事はしていないのだが。
 そうは思うが、この酒を飲まないとかえって店主が気を遣ってしまうのだろう。

 多少モノを壊したとはいえちんぴらたちを追い払ったのは事実だし、この酒場のようにお世辞でも治安のよくない、裏路地で店を出していれば常にこういった諍い事が付きまとう。

 常連客が喧嘩になれた腕っこきの用心棒、なんて噂が広まればそれだけで随分と商売が遣りやすくもなるのだろう。
 割れた食器数枚ぶんの働きをしたのだ……だからこの酒も当然の報酬だ。

 マジェントは半ば無理矢理それを自分に言い聞かせると、琥珀色の液体を一気に飲み下した。
 まだ食事を頼んでないうちから暴れたものだから、酒場の安酒はただ熱く空きっ腹に染み渡る。

 痛い程の熱気を腹におさめ、マジェントは口元を拭いながら改めて料理を注文するためメニュー表とにらめっこをはじめた。


 「いや……随分と鮮やかなお手並みでらしたよ、マジェントさん」


 そんなマジェントの背後から、渇いた靴音とともに一人の男が影を揺らめかせて歩み寄る。
 物憂げな表情を浮かべ、じっとこちらを見据えているのは大統領の側近の一人、ブラックモアの姿だった。

 平時であれば大統領の指示の下、密かに動きスタンドが関わっていると思しき事件に探りをいれ……場合によってはその始末まで請け負う彼は比較的裕福な家庭に育ち、品位のある生活をしていると聞く。

 こんな場末の安酒場は不似合いに思える。


 「危ないと思ったらご助力しようかと考えていたのですが……いらない心配でしたね」


 だがブラックモアは、自分が周囲から明らかに浮いた存在だというのを知ってか知らずかマジェントの向かいにある椅子を引くと、露骨に嫌な顔で睨むマジェントの視線に気づかないようにどっかりとそこへ腰掛ける。

 そして、その場に似つかわしくない風体とは裏腹にすっかり知った様子で、白身魚のフライやら、魚介のスープやら、吹かしたジャガイモのベーコン巻きといった、この店定番メニューを次から次へと注文していくのだった。


 「……何だよ、ブラックモア」
 「はぁ? ……あぁ、スイませェん……一人で食事も寂しいでしょう、ですから、よろしければご一緒に、と。そう思いまして。大丈夫、今日は私がおごりますよ」

 「別に、アンタにおごってもらう義理は無ぇんだけど?」


 マジェントはそう言うと、血の滲む拳を舐める。
 口の中には錆びたような味が広がり、傷口にじわりと染みた。


 「あはは、まぁいいじゃないですか……タダだって言うんですから。ね?」


 ブラックモアはそういうと、じっと手を組みこちらを見つめる。
 表情こそ軟らかく口調も穏やかに見えるが、その目だけは油断なく当たりを見据えているブラックモアのその目まるでこちらの心の奥底までのぞき込もうというようだった。

 ブラックモアはスタンド能力自体は「雨を固定する」といったもので、雨さえ降っていなければ驚異ではない。
 だがブラックモア本人も自分が決して能力の高いスタンド使いではない事実を理解しているのだろう。

 そのぶん頭の回転がはやく、相手の所作や言葉からあらゆる事を推測する能力に長けている事実は、頭の回転が鈍い事を自覚しているマジェントもよく心得ていた。


 「それより、どうしたんだよアンタ……アンタがこんな裏路地にある安酒場をうろうろしてるなんて、らしくねぇじゃねぇか」


 肩をすくめながら、空になったグラスのふちを指先で撫でる。

 先にも言った通り、ここは貧民街にもほど近い廃れた路地にある安酒場である。
 喧噪が絶える事はなく、今日のように粋がったごろつきが騒ぎをおこして店の金をせしめようとする事件も、珍しい事ではない。

 だから黙ってやり過ごしてもよかったのだろうし、自分のスタンドをつかえば仮にここで荒事が行われても無傷のままやり過ごすのはそう難しい事でもなかったのだろうが、それでもついその騒ぎに首を突っ込んで、騒いでいたちんぴら達の面目がなくなるまで思いっきり叩き伏せてやった理由は他でもない。

 やり場のない怒りの吐け口を求めていた、ただそれだけの事だった。


 「貴方は私があたかもこの場に相応しくないようにお思いかもしれませんが、私は安くても美味いものを出す店は好きですよ。貴方が思っているほど優雅な生活はしておりませんからね」


 そう言うのと殆ど同じ頃、先ほど注文した料理が運ばれてくる。
 今朝水揚げされたばかりの貝をトマトベースのスープで煮込んだそれは、幾度もこの店に通っているマジェントさえ知らなかった料理だ。

 なるほど、安い酒場にも通っているというのは案外嘘ではないのだろう。
 ブラックモアはまだ湯気のたつスープを一口すする。

 そうして、半分ほど食事も終えた頃だったろうか。


 「……心配していましたよ」


 ブラックモアがまるで今思い出したような顔をして、口元をハンカチで拭いながらそんな事を呟いた。


 「誰が、心配してンだよ……」
 「貴方を心配するような親切な方が、何人もいるとお思いですか? ……ウェカピポさんに決まっているでしょう?」


 マジェントの脳裏に、いつも背中を預けている相棒の姿がよぎる。


 「急に飛び出したそうですね、貴方は……ウェカピポさん、心配してましたよ。帰って差し上げたら、どうですか?」


 ブラックモアが発した言葉はもう、ほとんど彼の耳に届いてはいない。
 そのかわりに、マジェントの脳裏には今朝までの自分の様子がありありと浮かんでいた。

 ……きっかけは何だったか、今となれば思い出せない。
 だがきっと、他者からみれば下らない些細な事だったのだろう。

 しかしそんな些細な行き違いに我慢が出来なかったマジェントは、ただ激しく怒鳴り散らし一方的にまくし立て、そうして。


 『ふざけンなよ! ……いつも自分勝手にしやがって! 俺なんか、必要ないのかよ!』


 そんな事をわめきながら癇癪をおこしていた風に、思う。

 そんな自分を、ウェカピポは普段とかわらない涼しい目でただ見据えていた。
 その視線がまた自分を憐れんでいる風に見えて、あるいはバカにされているように思えて、ただひたすらに惨めに感じたのだ。
 自分とウェカピポの間に、埋まらない深い溝があるような気がして……。

 いや、実際ウェカピポは頭がいい。
 自分なんていなくなってもさして問題なく物事をやってのけるのだろう。

 かえって頭の巡りが悪い自分に説明をするぶん、時間がかかっている時さえあるだろう。
 頭ではそれは解っている。解っているのだが。


 『馬鹿野郎が……もう知らねぇよ、勝手にしろ……』


 自分はウェカピポの相棒で、彼の支えである。
 それをウェカピポから否定されるのがただただ恐ろしくて、そんな捨てぜりふを残して逃げるように去ったのが今朝方の事だった。

 それから特に目的もなく繁華街を渡り歩き、盛り場で賭け事をして……こういう時ほど勝てる事実に皮肉を覚えながら、いたずらに流れる時に身を委ね、気づいた時にはこの酒場で安酒をあおっていたのだ。


 「あいつが心配してる訳ねぇじゃねぇかよ……」


 マジェントはそう言いながら、新たに注文した蒸留酒をまた一気に飲み下す。
 ただ酔いに甘えるために飲んでいる酒だったが、今日に限って頭は驚くほどに冴えておりなかなか酔いがくる様子はなかった。

 一方ブラックモアはジャガイモを平らげからになった皿をテーブルのすみに寄せている。


 「心配してなければ……私に、貴方がどこにいったのかなんて聞いたりしませんよ」
 「はぁっ?」

 「だから……今朝からずっと、ウェカピポさんは貴方を捜しているって話しです。 ……それでこそ、方々をね。最も貴方はウェカピポさんの知らない領域(エリア)にしょっちゅう出入りしてますから、彼だと私ほど簡単には、見つけられないでしょうけどね」


 空になったグラスには水滴がつき、テーブルを濡らす。
 ごろつき達が汚した店の片づけも一通り終わり、店内には元の活気がすっかりと戻っていた。


 「……帰ってあげませんか?」


 そんな中、ブラックモアの静かな声が響く。


 「うるせぇな……これは俺の問題だから、アンタにとやかく言われる筋合いはないからな」


 マジェントはゆるゆる立ち上がると、自分が食べた食事代だけを店主に押しつけた。


 「帰るんですか?」
 「飲み直すんだよ! ……見知った顔がいちゃ、うまい酒が飲めないからな」

 「そうですか……あ、ウェカピポさん、きっと待ってますから。早めに帰ってあげてくださいね?」
 「うるさい! ……あいつの話、すんじゃねぇよ」


 そう言って、マジェントは店を出る。
 同時にすぐに慣れた夜道を全速力で走りだした。

 慣れたあの家に戻る為に……ウェカピポに会う為に。


 「全く……素直じゃないですねェ、あの人も」


 走り出す靴音はにぎやかな酒場でもよく響き、窓からは走り出すマジェントがどんどん小さくなっていく。
 ブラックモアはその姿を見送ると、この店で一番上等な、赤ワインで乾杯をしながら食事の続きを始めていた。



 息を弾ませ夜道を走り、慣れた部屋の扉を開く。


 「ただいま!」


 そうして声を張り上げるが、返る言葉はない。
 誰もいないのだろう、室内に明かりはなくあたりはただ静寂に包まれていた。


 「何だよ、誰も居ねぇのか……ウェカピポ?」


 慣れた様子でランプをつければ、オレンジの光が室内を照らす。
 ウェカピポはストイックでやたら規則正しい生活をしている……もう寝ているのかと思いベッドルームを覗くが、やはり彼の姿は見えない。
 どこかに出かけているのだろうか……ランプを軽く持ち上げれば、テーブルの上に走り書きのメモが残されていた。


 『……悪かった』


 そうとだけ書かれた手紙は、ウェカピポの文字だ。
 その上には赤いバラが一輪だけ飾られている。


 「何だよこれ、謝ってるつもりか? まったく……気障な事するよな、クソ真面目で面白みもねぇ癖に、そういう所がほんっとネアポリス人だぜ……」


 薔薇は薄明かりの下、殺風景な室内に彩りを添える。
 そういえば、ウェカピポは何処にいったのだろうか……。

 彼はあまり夜遊びをするタイプではなく、いつも決まった時間には家に戻り、夜が更ける頃には就寝している。
 こんな時間に出歩くタイプではないのだが、まだ自分を捜してこの夜の街を彷徨っているのだろうか?

 この街は人が多く、日中こそ平穏にみえるが夜ともなれば悪い輩も多い。
 面倒ごとに巻き込まれてはいないだろうか……。

 ウェカピポはその辺にいる破落戸におくれをとるような人間ではないが、連中はより狡猾で潔癖なウェカピポからすれば思いもかけない汚い事もする時がある。
 間違いがないとも言い切れない。

 誰もいない室内では、ただ不安ばかりが募っていった。


 「ウェカピポ……」


 会いたい。
 会ってきちんと話をしたい。今朝、やたら癇癪をおこして意味もなく相手を責め立てた自分の態度を謝りたい、そうも思うし、ただ声を聞きたい。顔を見たい、そういう思いがあふれてくる。


 「どこいったんだくそ、ウェカピポ……」


 ランプを掲げ振り返り、部屋の扉を開ける。
 まだ外にいると思しきウェカピポを探すため……外に出ようと一歩踏み出せば、その鼻先、柔らかな感覚があたる。
 見ればウェカピポが、驚いたような視線をこちらに注いでいた。


 「あ、ウェカピポ……」
 「マジェント! ……戻ったのか、探したんだぞ」


 ずっと外にいたのだろう。その身体は冷たく、ブラックモアの言葉が嘘ではなかったのだと改めて思い知る。


 「ウェカピポ……」


 急に出ていった事を、謝らなければいけないと思った。
 ウェカピポの相棒だというのに、仕事を投げ出し一日町中をぶらぶらしていた事も、ほとんど一日彼に自分を捜させていた事も……そして今朝、急に癇癪をおこして酷い事を言った事も、謝りたいと思っていた。

 だけど、思うように言葉が出ない。
 何といったら彼が許してくれるのか……どうやって謝ればいいのか、よくわからなかったからだ。


 「あのさ。ウェカピポ、あの……あの……」


 結局うまい言葉など考えつかないまま、うつむいて指を噛む。
 そんなマジェントの頭を、まるで子どもでもあやすかのようにウェカピポはくしゃくしゃ撫でた。


 「……いいんだ、帰ってきてくれればそれで、な」


 ランプの光に、ウェカピポの穏やかな笑顔が見える。


 「あ……」


 そうして、何かいいかけたマジェントの身体を彼は静かに抱き留めた。
 すっかり冷えた身体が、お互いの体温で少しずつ暖まり、寄り添うだけで言葉がなくともお互いの全てを許せる。そんな気がしたから。


 「……おかえり、マジェント」


 ランプの下、照らされるウェカピポの顔を見据えて、マジェントは頷く。


 「ただいま、ウェカピポ…………」


 重なる影はランプの炎で揺れる。
 お互いしっかり抱きしめ会う二人を、ただ一輪の花だけが見守っていた。






 <でぐちこちら。>