>> 想葬歌
高く連なる山々は針山のような影をさし、彼方より鋭い風が吹き荒んでは唸るような音だけが周囲一体に響き渡る。
ファレンガーはその獣の唸りにも似た風の音をドラゴンズリーチで、一人ぼんやりと聞いていた。
……ここ、ドラゴンズリーチはかつてオラフ王がドラゴンを捕らえた伝説があり、その伝承を受けての名が与えられている。
ファレンガーはかつてドラゴンが捕えたという捕獲機のあるポーチへと出ていた。
唸るように吹き付ける風はさらに冷たく、ファレンガーは手にした書物が飛ばされないようしっかりと抱えてから外の景色を眺めた。
吹き付ける風が強いからか、かつてドラゴンを捕らえたという自慢の器具が軋んだ音をたてては揺れる。
ファレンガーは備え付けられた椅子に腰掛けると、わずかに覗く日の光を頼りにもっていた本を読み始めた。
手にしているのは、幼い頃に父からもらった書物だ。
中には図解つきでドラゴンの伝承について事細やかに書かれている。
ドラゴンの伝承と言えば聞こえはいいが、内容はほとんど少年の好む冒険談……子どもの為に書かれた絵空事にすぎず、ブレイズの面々からすれば「子どもだましだ」と鼻で笑われるような内容だろう。
だがそれはファレンガーが初めてドラゴンという存在を知った書物であり、今ドラゴンを追い続けるよう研究を重ねるファレンガーを作った、いわば原点のようなものだった。
だからたまにこうして休憩したい時、気晴らしに開いてドラゴンに対する憧れを膨らませる事が、少年自体のファレンガーにとっても、そして今のファレンガーにとっても何より安らげる時間となっていた。
そう……。
『ファレンガー、またその本を読んでるのか? ……本当に好きだよな、お前はさ』
……少なくても、彼がまだそばにいたあの頃までは。
「ファレンガー……こんな所にいたのね」
書物を前に瞼を閉じ、しばらく空想に耽るファレンガーを現実に引き戻したのは、冷たい女性の声だった。
振り返れば黒檀のような肌をしたエルフの視線がこちらへと注がれている。
彼女の名はイリレス。
ダークエルフの戦士であり、このホワイトランが首長、バルグルーフを護衛する側近でもある。
ダークエルフを、いや、ノルド以外のすべての種族を軽んじる傾向が、ここスカイリムのノルドには強い。だがバルグルーフはそういった差別はせず、実力と培った信頼をと重要視する男だったから、彼女のように「ダンマー」と呼ばれさげすまれる存在もここでは重要な役職につくのは珍しくなかった。
ウィンドヘルムでは発言さえ許されなくても、ここホワイトランでは宮廷魔術師に意見をする事も当然である。
彼女はファレンガーのすぐそばまで歩み寄ると、呆れ混じりで話しかけてきた。
「何をしているの、ファレンガー……あなたはこんな所で油を売っている場合かしら?」
「ん、あぁ……いや、油を売っている訳ではないよ、少し……そう、少し気張らしさ」
「気晴らしもいいけど、今のホワイトランの現状をしっかり考えてみる事ね……衛兵に配給する薬が全然足りてないわ。それと、付呪をした武器がもっとほしいの。……できるわよね?」
「……まぁ、やれるところまではね」
今、スカイリム全体に緊張が走っていた。
ウルフリックが上級王を殺害した事からはじまった内乱の火種が各地に降り注ぎ、戦局の中心とも言うべき拠点・ホワイトランの衛兵はいつもに増して警戒を強めている。
それでも各地で反乱は絶えず、山賊たちはそれに便乗するかのように各地で蛮行を繰り広げている。
首長の命を狙う輩も絶えない。
そんな状態が長らく続いているからだろう。イリレスの苛立ちは日々募っているようだった。
だが、元よりファレンガーはそのような事に一切感心がなかった。
……バルグルーフの事は「いい首長だ」と思っているが、それだけだ。ウルフリックの仲間たちが攻め入ってこのホワイトランを支配する事になったとしても、彼はドラゴンの研究さえ続けられればそれでいい……。
そう思っていた所があったからだろう。
イリレスの厳しい言葉も意に介す様子はなく曖昧に笑うと、手にした本のページをゆっくりとめくった。
最近はイリレスをみるだけで萎縮する衛兵も多いのだが、ファレンガーにはそういった緊迫感や恐怖心は少なくてもないようだ。
「全く、どこまでわかっているのだか……」
イリレスは深く大きなため息をつくが、これ以上ファレンガーに何を言っても身にならない事はよく解っていたのだろう。元より、ファレンガーは魔術よりドラゴンの研究に興味がある、といった研究者肌の魔術師で、今より状勢が緊迫する以前から、仕事はほどほどにドラゴン研究に熱を上げていた事も、以前から承知している。
「とにかく、頼んだわよ……出来る限りでもいいから、やってちょうだい」
彼女は事務的に告げると、それ以上は何も言わず自らの任務へ戻っていった。
ドラゴンズリーチへ吹き付ける風は相変わらず冷たく、机に置いた本のページをぱらぱらと捲っていく。
今年の冬もまた、厳しいものになるのだろう……。
『ここには本物のドラゴンが捕らえられた事があるんだってなぁ』
その時ファレンガーの脳裏にふと、懐かしい声がよみがえった。
あれはそう、今日とよく似た冷たい風が吹き荒ぶ日だった。
使い込まれた革鎧に身を包んだ、自分より頭一つは背の高い……自分と比べれば立派なノルドの青年だったと思う。
衛兵として使える予定だったが、窮屈な宮仕えは似合わないとたった数ヶ月でホワイトランを飛び出して、それからあちこち出歩く……冒険者のまねごとをするようになったのだ。
衛兵にしては、魔術師という職業を気にせず人なつっこくよく話しかけてくれたのは、今でも覚えている。
歳が近かったから話しかけやすかったというのも、きっとあるのだろう。
さて、あの時自分は彼に、何と返事をしたのだろうか。
確かそう……そう、伝説ではその通りだと巷に伝わるオラフ王の武勇伝を話してから……もしここにドラゴンを捕らえる事が出来たら夢のようだとか。
そんな空想めいた夢を、子どものように語ったのだろう。
自分は昔からそうだ。
ノルドにしては体が弱く、武器をとるより本を読んでる方が性に合っていた。
空想が好きで、絵空事ばかり追いかけて、そして……。
『ファレンガー、そんなに本物のドラゴンがみたいんだったら、俺が、捕まえてきてやるよ。お前に本物のドラゴン、きっと見せてやる』
……自分の手では、何もつかむ事が出来ない。
無力な男のままなのだ……。
空に手を伸ばすが、ただ風が吹き抜けるのみで、その手は何もつかめない。
テーブルに置いた本は風に促されるまま、ぱらぱらとページを捲っていた。
「俺は……」
子どもの頃と同じ、ドラゴンには今でも憧れている。
だけれどもそれより……。
それより、帰ってきてほしかった。
自分の夢などで、潰えていい命ではなかったはずなのだから。
「ファレンガー」
日が傾き始めてもその場から動こうとはせず、風にふかれてめくれるページにじっと見入るファレンガーを呼び止めたのは、イリレスとまた違う声だった。
虚ろな視線を声の方へと向ければ、淡い金色の髪をなびかせた大柄な男が立っている。
……彼はドヴァーキンと、そう呼ばれていた。
ドラゴンを殺し、その魂を得て、声の力を使う……伝説の英雄、その素質を持つ男だ。
今もまだ悪しきと呼ばれる竜、アルドゥインを追いかけて旅をしていると聞いていたが……首長にでも用があったのだろうか。
「あぁ、ドヴァーキン。来てたのか……」
ファレンガーはゆるゆる振り返ると、ただじっと彼の姿を見据えた。
自分より体が大きく、亜麻色の長い髪が冷たい風に揺られている。
その顔かたちに、脳裏に秘めたかつての戦友その面影はない。
だがその風貌……手入れの行き届いた武具や使い込まれた鎧など、その立ち振る舞いなどはいかにもノルドらしいからだろうか。かつての彼に、どこか似ている気がした。
「聞いたぜ、ファレンガー。イリレスにずいぶん素っ気ない態度をとったみたいだな?」
ドヴァーキンは笑いながら彼の隣へ立つと、テーブルに置かれたリンゴを一口囓る。
「いや、度胸があるというか、空気が読めないというか……実にお前さんらしいよ」
そして二度、三度鼻をこするとドヴァーキンはあきれたように笑う。
素っ気ない態度……というのには覚えはないが、恐らく今し方したイリレスとの会話の事を彼は言っているのだろう。
「素っ気ない? あぁ、そうか……そうとれたかもな。でも、別に彼女が嫌いって訳じゃないぜ。ただ、その……気の利いた返し方が思いつかなかっただけ、とでもいうかな……」
「わかってるわかってる、おまえはドラゴンの事になると他の事は二の次だもんなァ」
ドヴァーキンはそこで人なつっこく笑うと彼に並んで空をみた。
「きれいな空だよなァ。絶景だ、ここは。ここにくると、スカイリムの良さがわかる」
「そうか?」
「おまえはここでいつもこの風景を見てるから当たり前になってるんだろうが、すばらしい景色だぜ? ……な、この空のどこかでドラゴンが飛び交ってるんだと思うと、胸が高鳴るんじゃないのか?」
「あぁ、それは……うん、そうだな」
風がどこからか強く吹き付け、読み古した本のページは破れそうになる。
古い本だが思い出の一冊だ。壊れてしまってはいけないと思い、ファレンガーはそれを自らの腕に抱いた。
「なぁ、ファレンガー……本物の、ドラゴン。みたいだろう?」
「えっ?」
そんなファレンガーに、ドヴァーキンは不意にそんな事を聞いてくる。
「このドラゴンズリーチでは、かつて本物のドラゴンを捕まえたっていうんだろ? だったらこの俺が、本物のドラゴン捕まえてきてやろうかって、そう言ってんだよ」
それは、かつての友人が語った夢。
そして友人から言葉を紡ぐ身体を奪った夢だ。
どうして彼がそんな事をいうのだろう。
どうして……。
どうして彼まで、自分のような男のためにドラゴンを追い求めようとするのだろう。
何故、どうして……。
「夢だろ、本物のドラゴンをみるの。そうしたら……」
……そう、夢だ。本物のドラゴンを見る事は今でも、かなえたい夢である。
けれども……。
けれども自分は、彼に帰ってきてほしかった。
ドラゴンを見たかったのではない。
彼と、ドラゴンの話をしたかったのだ。彼と……。
「っ……ぁ……!」
ドヴァーキンが最後まで言葉を紡ぐより先に、ファレンガーは彼の体にすがりついていた。
「お、おい、ファレンガー……」
「……いい、いいんだ。俺は」
もう二度と、失いたくない。
あの時に得た空虚な気持ちを、二度も味わいたくはなかったから。
「俺は、そんな事よりお前に帰ってきほしい、俺は……」
自分の夢を追いかけるために、自分が何も出来ないまま、大事な人が遠くへ行ってしまうのはもう嫌だったから。
「俺は、お前にいてほしい……お前に、いてほしいんだ……」
だからせめて必死に縋る。
それ以上何も語れずただ体を震わせる事しかできない彼を、ドヴァーキンは最初困ったように。だがすぐに優しい表情を向けて、ただ静かに抱きしめていた。
「ファレンガー……」
心配するな。
優しい唇が甘く囁く。
「心配しなくても、俺は帰ってくる……必ず戻ってきて、ドラゴンもつれてくる。それなら、いいだろ?」
口調は優しいが、言ってる事は何てこともない。ファレンガー以上の夢物語だ。
だがその言葉は不思議と力強く、彼ならやってのけそうな気がする……。
「でも……」
それでも無茶はしてほしくない。
不安そうなファレンガーの身体を引き寄せて、ドヴァーキンは一瞬だけ……衛兵たちに気づかれぬよう、ふれるだけの口づけをする。
「なぁっ、何を……」
「ほら、これが……約束、な? 必ずドラゴンをつれて帰るって……」
これが、約束。
そう言って笑うドヴァーキンの笑顔がすぐ傍にある。
「わかった、それだったら……」
と、そこでファレンガーは少し背のびをして、お返しにといった風に眼前にある男と唇を重ねた。
「……これが、生きて帰る約束のキスだ」
「ん……あぁ、わかった。わかったよ、約束だ」
遠い山に日が沈み、赤い月が昇る中、二つの手が自然と重なる。
風は相変わらず吹き荒び、どこかからドラゴンの嘶きが響いていた。