>> 巡る灰
久しぶり、エランドゥル。
その言葉とともに聖堂へ訪れたその男は、どこか懐かしいにおいをまとっていた。
「ソルスセイムに、いってたんだよ」
彼はたき火の前に座ると、暖めたミルクにたっぷりのハチミツを落としそれをこちらに差し出す。
ソルスセイム……。
その言葉を聞いて私は、彼のまとっていた匂いがどこか懐かしかった事をなんとなくだが理解した。
ソルスセイムは、ダンマー達の祖国であるモロウィンドの領地だ。
私にとって故郷であるモロウィンドにほど近いあの島に行っていたのなら、まとっていた風が懐かしいのも当然の事だろう
いや、本当の事をいえば私まだ子供だと言ってもいい頃に祖国を離れている。
レッドマウンテンの噴火により、祖国モロウィンドは壊滅状態となりほとんど住めるような場所ではなくなってしまった。
住まいも財産も失った私は、祖国を離れざるを得なくなったのだ。
避難民としてスカイリムに渡り、行き場を求めてさまよった後、ペイルに腰を落ち着けてからは、もうほとんどここから離れていない。
だからもう、私の故郷はほとんどこの地・ペイルだと思っている。
モロウィンドがダンマーの祖国であるのは理解している。
だがその生活も風土も信仰も政治も、私はむしろこのスカイリムのものになじんでいる所があった。
マーラの司祭として日々祈りを捧げているのが、そのいい例だろう。
(祖国、モロウィンドでは先祖崇拝と、一部のデイドラ……アズラ、ボエシア、メファーラも信仰の対象にしているのだ……もっとも私は、マーラの司祭であり、アズラに対してそこまで邪悪なデイドラとは考えていないあたり、やはりダンマーなのだろうが)
だから私は、ダンマーとして見ればずっとスカイリムの風になじんだ「半端物」なのだろう。
だがそんな半端物の私でも、彼が見たソルスセイムの風景にはどこか心惹かれるものがあった。
「大変だったよ、モロウィンドは……灰の死体に……ネッチの群だろう。それから……」
カップにたっぷりとハチミツ酒をつぎ、唇をそれで濡らしながら淡々と語る彼の言葉に、まだ見ぬソルスセイムの風景が脳裏に浮かぶ。
荒涼とした灰の砂地が。
港に沿うようにして並ぶ家屋が。
空を舞うネッチが。
灰の亡霊アッシュスポーンが……すべて息づき、見てきたように思い浮かぶのは彼の語り口が軽妙だった事だけではないだろう。
私の血が、故郷モロウィンドを記憶しているのだ。
曖昧な記憶でしかない故郷の灰色の風を……。
「そうだ、これ。土産」
彼はそういいながら、荷物から何かをとりだした。
ニンジンよりも幾分か大きい、だがえらく萎びたように見えるそれを、私は知っていた。
「アッシュヤム……か」
「そうだ、なんだ知ってたのか?」
「いや、見た事はない……あっても、記憶がおぼろげになるほど以前だ。だが名前だけは覚えている。灰の中にはえる植物だろう?」
「あぁ、そうだ」
差し出されたそれを受け取れば、皮はひどく厚く手触りもあまりよくない。
一応は食べられたはずだが、匂いをかいでみても食べ物らしい香りはなく、ただ灰ですすけたような匂いが漂う。
アッシュヤムは、ダンマーが墓場に手向ける供物だ。
……ダンマーは、死んだら灰になる。アッシュヤムはその灰から生まれる植物だ。
死の先にある再生、それを象徴する物として、アッシュヤムはとくに死者の供物とされている。
死者にはアーケィの祝福による安らかな眠りを。
猛き死者には、ソブンガルデにて永久の戦いを……。
そういった風習が当然であり、また実際にソブンガルデが存在すると言われるこのスカイリムからすると、命が巡るという信仰は全く異質に思えるだろう。
だが私は、マーラの司祭でありスカイリムの住人ではあるものの、モロウィンドの……ダンマーのその信仰は、嫌いではなかった。
魂がどこに行くかはわからない。
だが肉体は灰になり、灰から作物が生まれる……この土地に新たな命を生む。
そんな命の循環を受け入れようと思うのは、やはり私がダンマーだからだろうか。
「本当は墓に供える食べ物らしいんだ」
彼は話ながらざらりとした手触りのアッシュヤムをもう一つ鞄から取り出す。
「供え物を土産にするのなんて、どうかと思ったんだけどさ……向こうで、土産ものらしい土産ってなくてよ。……あ、珍しい酒とかなら、あったんだ。でも、エランドゥルは司祭だろ? 酒は御法度かと思って……かといって、珍しい武器防具なんていうのも、土産物にしては花がない。そう思ってさ。だからこれにしたんだけど……やっぱまずかったかな。ごめん、俺あんまりプレゼントとか、考えるの苦手で……」
「いや、うれしいよ。ありがとう」
アッシュヤムの皮はひどく汚れていたから、私は袖口で磨いてみる。
灰ですすけた風に思えたが、袖口で磨けばわずかに赤らんだ皮がのぞき、滲んだ汁が袖を汚す。
「……もし」
その時たきぎの火が弾ける。
彼の顔がかすんで見えたのは、赤々と燃える薪から立ち上る煙のせいだったのだろうか。
首を傾げ、目をこすりながら彼を見れば、彼は真面目な顔をして私の方を向き直った。
「なぁ、エランドゥル……もし俺が死んだのなら、ダンマーがやるように灰にしてくれないか?」
ぱちりとまた、火の粉が飛ぶ。
彼はじっと私の方を見て、確かにそう言った。そう、言ったのだ。
「……何をいってるんだ、私は。マーラの司祭だぞ?」
「でも、ダンマーだろう」
「死してソブンガルデに赴くのが、ノルドの名誉じゃないのか?」
彼の金色の髪が、たき火の薄明かりに混じりオレンジに染まる。
顔には勇ましい戦化粧が施されている男は、遠目から見ても勇敢なノルドの戦士に見えた。
戦う事を愛し、危険に身を投じて、死してもなお戦う勇敢なノルド……彼はその典型だと思っていたし、実際その通りだったのだろう。
彼は、戦う事を止めはしない。
両手で武器をふるい、夜盗や山賊相手に大立ち回りを繰り返し、たいまつを掲げ古代遺跡の謎を紐解く。
そういった危険を犯す事に自らの生を置く、ノルドの戦士であり冒険者なのだ。
だから彼が肉体の死、その向こうにある永遠の戦という栄誉ではなく、ダンマーの死……。
朽ちた肉体の上に生命が育まれる姿を受け入れたいと思った理由が、私には解らなかった。
「そう、そうだな。そう……だけど」
彼はふと、うつむいてほとんどからになったカップをなめる。
「……俺は、エランドゥル。君ほど、長く生きる事は出来ない」
ダンマーもノルドも、同じ定命のもの。不老でもなければ不死でもなく、いずれは朽ちる定めにある。
だがその老いの早さは違う。
エルフであるダンマーに比べ、人間であるノルドたちの方がずっと早く老い、ずっと早くに朽ちていくのだ。
私の10年と、彼の10年の早さは全く違う。
このまま飢えや病、急な事故などなければきっと、私は彼よりずっと長く生きるのだろう。
だが私はそれでも……。
いずれ死がその絆を別かつとわかっていても、それでも彼を慕っていた。
愛している、そう言ってもいい。
……何も言わずに私の罪をすべて受け入れ、その贖罪に尽力してくれた彼の事を。
それから、ペイルよりほとんどでる事もなかった私に、様々な世界を見せてくれた彼の事を、本当に心から信頼し、敬愛していたのだ。
悠久とも思える寿命を持つエルフにとって、それがほんの一時しか安らぎを与えないのは、わかっていた。
だがそれでも、私は彼を愛さずにはいられなかった。
彼が与えてくれたものは、それほどに大きかったのだ……。
「俺はな、エランドゥル。魂はそう、死んだらアーケィにくれてやってもいい。ソブンガルデにいけたならいいだろう、そこで戦ってやろうと思う。だけどこの肉体は……身体は、誰かにくれてやるものか。そう、せめてこの身体だけでも、できれば、君のそばに居たい」
ナイトコーラー聖堂は山頂近くにあり、いつでも強い風が吹き付けている。
今日もまた風が吹き荒び、古びた聖堂は立て付けの悪い窓をがたがた揺らしていた。
だがそんな雑音の中でも、彼の声ははっきり私の耳へ届いた。
「……俺の身体が灰になり、そこからこのアッシュヤムが育まれて……たまにそれを見てきみが、俺の事を思い出してくれたのなら。……そう、思う事が出来たのなら。俺はそう、アーケィによる永久の安らぎも、ソブンガルデで英雄たちと戦い続ける事にも、おそれも不安も抱かなくなるだろう。だから、エランドゥル。頼めないか。
……願わくば、死した後も君のそばへ。
君の運命全てを永久に縛ろうとは思わない。ただ、時々思い出して笑いかけてくれればそれでいい。だから……」
頼む。
か弱い声を出して頭を下げる彼の姿は、なぜだかいつもより小さく見えた。
彼の望みは……。
幾度となく彼に救われ、助けられ、そして今故郷ともいえるペイルで静かにマーラへ祈りを捧げる、この愚かなダンマーに与えられるにはもったいないほどの幸福な申し出だった。
当てもなくさまようだけ。
定まらずこのまま朽ちていく私が、彼の寄る辺になれるというのなら、これほどの慈悲があるだろうか……。
「もちろんだ……だが、出来ればその守人の仕事は……今よりずっと、後の話にしてくれよ。君は……無茶ばかりするから、困る」
私の言葉に、彼は曖昧に笑う。
「わかってるわかってる……おまえにはまだ聞かせたい話が、たくさんあるもんな」
彼はそういい、黙って私を抱き寄せる。
……抱きしめた腕は次第に強くなり、自然と、距離が近くなっていく。
「エランドゥル……」
彼は私の名を最後まで呼ぶ前に、その唇を重ねていた。
最初は静かに。だが徐々に貪るように。
ノルドの熱い気質はどのような状況でも押さえきれないのだろう。
彼は慣れた調子で私の腰ひもに手をかける。
「ちょ、ま……まってくれ。ここでは……」
祠の前では気恥ずかしい。
そういった一丁前の恥じらいを持つ私の言葉を止めるように、彼はまた唇を重ねた。
「……心配するなよ、マーラ様だって許してくれるだろう?」
「だがっ……」
「何せ慈愛、恋愛の女神様だからな……」
結局、止める私の言葉もろくすっぽ聞かないまま、彼は私をその場に押し沈めた。
そうしてただ二人、求めるように慰めあう。
たき火の炎がはね、外の雪はまだ激しく吹き荒んでいるようだった。
・
・
・
そろそろ出かけるかな。
ゆっくり立ち上がると彼は、使い古したオークの兜を手にとった。
「もう少しゆっくりしていってもいいだろう? ……外は吹雪いてるぞ」
本当の事を言えばこの程度の雪は、スカイリムでも北に位置するペイルでは日常茶飯事だったのだが、それでも呼び止めたのは他でもない。ただ自分がいってほしくなかったからだ。常に旅に生き、一つの旅の終わりは次の旅の始まりでしかない彼は、出かけてしまえば次は何時あえるのかもわからない。
……ひょっとしたら二度と会えないかもしれないのだ。
もっとも、彼に限ってそれはないと信じているが……。
「そんな顔しないでくれ、エランドゥル。今日は……近くの洞窟にちょっと忘れ物をとりにいくだけだ。2,3日すれば戻るさ」
よほど私は心配そうな顔をしていたのだろう。
彼は困ったように笑うと「約束だ」とささやいてそっと唇で額にふれた。
甘い吐息が、肌に触れる。
……彼はノルドではあるが、私のこの灰色の肌も。卑しく光る赤い目も気にしないようだった。
「それじゃぁ……外に傭兵を待たせてるんだ」
「外に? 中に入ってもらっても良かったんだぞ」
「俺もそう言ったんだが……あの傭兵は、どうもこの聖堂に入りたくないらしい。……えらく不穏な空気が流れているんだとさ」
彼は冗談半分に言ったが、私はなるほどそうだろうな、と思った。
ここは……今でこそこうしてささやかなマーラの祠をまつっているが、元々はデイドラ王子が一人、ヴァーミルナの領域だった。
もう随分古い話とはいえ、陰気な気配は消えないのだろう。
「そうか……だったらあまり、引き留める訳にもいかないな」
うつむく私の指先に、彼の指が絡む。
心配するなといってるのだろう。
「……どうして、私をつれていってくれないんだ?」
言わないでおこうと思っていた言葉が、私の唇からこぼれた。
……以前は私も、彼とともに旅をしていた身だ。
彼とともに諸国を回り、苦難をともにしていた時期もあったのだ。
ほとんどペイルからでた事のなかった私を、リフテンのマーラ神殿までつれていってくれた事もある。
ホワイトランの美しい町並みの事も、今でも覚えていた。
名前しか聞いた事のなかったウィンターホールド大学を見た時の驚きも感激も、昨日の事のように思い出せる。
本当はあの時のように、彼のそばにいたい。
共に戦い、その苦労を分かち合いたい……今でもそれを望んでいるし、そう願っている。だが。
「……古傷は、まだ痛むだろう」
彼は私の肩に触れると、そう静かにささやいた。
……それはダンジョンの奥での事だった。
罠に気づかず、彼が踏んだ仕掛けで私は矢傷を負った。その矢には毒が塗ってあり……迷宮の深部で私は倒れた。
『エランドゥル! 大丈夫か、エランドゥル……』
朦朧とする意識の中、彼に抱えられて広間にでた記憶は今でも曖昧だ。
『エランドゥル……』
だが、力なく横たわる私の身体を抱きとどめ、必死に介抱してくれた彼の手は今でも覚えている。私のローブをゆるめ、頭を抱え、薬を飲み下す事が出来なかった私に……自らの口に薬を含んで唇を重ね、躊躇なく薬を与えてくれた事もだ。
ノルドである彼が、ダンマーの私をそこまで大切に思ってくれたのだ。
あの感謝は今でも忘れられない。いや、感謝だけではない。
唇に触れればまだ、あの感触が残っているかのようだった。
「……もう君に危険な事をさせる訳にはいかない。神官である君はかび臭い迷宮の汚れ仕事より、祈りを捧げる方が似合ってるだろうしな」
「だが……傷はもうよくなってるんだ、別に。私は……どこにつれていってくれてもかまわないんだ、私は……」
君のそばにいたい。その言葉は、ぐっと飲み込む。
……あまり強く言う事で、彼の重荷にはなりたくなかった。
そんな私の前で、彼は困ったように笑う。
やはり、私は無茶を言っていただろうか……ダンマーの従者など連れて歩くのは恥ずかしいだろうか……それとも、私の好意は迷惑なのだろうか……様々な思いが私の中を駆けめぐる。
「さっきも伝えただろう、俺は……失いたくないんだ」
ややあって、彼は躊躇いがちにそうつぶやいた。
「君があのこけむした遺跡で矢を受けて……傷がふさがらず、死ぬかもしれないと思った時、俺は……この世界にもう、自分の居場所がなくなるんじゃないか。そうとさえ思った……」
「……何を」
「エランドゥル。君が俺を心から信頼してくれるように、俺もそうなんだ。君を心から信頼して、心から尊敬している。だから……守りきれないかもしれない過酷な冒険に君をつれていくのが、怖いんだ。君を失ってしまったら、俺は自分のノルドとしての人生ももう失ってしまうようで……」
だから、とそこで唇をしめらせてから彼は私の瞳を見据える。
「だからエランドゥル……君はここで清らかな祈りを捧げ続けてくれ。そうして俺の故郷でいてくれ……」
彼はそう言いながら、強く、私を抱きしめていた。
屈強なノルドである。私より一回りは大きな体をしているであろう彼が私を包み込む。その匂いも身体も私たちダンマーとは違っていたが、今までふれたどの腕よりも暖かく優しかったから。
「わかった……待っているから。だが、必ず戻ってきてくれ、故郷に……」
「当たり前だろう? ……必ず」
……考えてみればそうだ。彼は、自分を死に場所に選んでくれたのだ。
それで充分じゃないか、いつか冒険をやめた時、ゆるゆると二人で過ごす事が出来れば……。
約束する。つぶやいた唇が、自然と私のそれと重なる。
わずかな時の間、降り続ける雪は少し、和らいだようだった。