>> 廃教会の逆十字






 教会の鐘の音が穏やかな風にのりどこまでもその音を響かせている。
 マジェントが振り返れば、そこには純白のドレスに身を包んだまだ年若い花嫁が集まった人々の前で微笑む姿があった。

 隣では長身の若者が、緊張した面もちでぎこちなく花嫁の手を握る。
 二人の門出を祝福する為に集まったと思しき人々は、拍手や口笛など、各々の形で新しい夫婦の誕生を祝っていた。


 「……結婚式かぁ」


 街の雑踏とはまた違う賑やかさに気を取られたマジェントは、無意識にその足をとめる。
 彼が見ている間もまた、結婚式は粛々と進んでいるようだった。


 「おい! ……何をしてるんだマジェント」


 彼が立ち止まっている事に気が付いたのだろう。
 先を進んでいた相棒……ウェカピポは呆れたような表情を浮かべると彼の元まで戻ってきた。


 「急ぐぞ。今日は積み荷が降りる日だ……早く市場にいかないと、いい食材にありつけないぞ」
 「あぁ、わかってるって。今行くわ」


 マジェントは愛用のシルクハットを深くかぶり直すと、目的地へと急いだ。
 ウェカピポは大概無口で多く自分の感情を語る事はなかったが、食事に関してだけは深い拘りがある男だった。

 故に、港から積み荷があがる時は誰より先に市場へ出向き、新鮮な食材を買い求めるのが彼らの日課になっていたのだ。

 暫く二人は無言のまま、見慣れた街の石畳を歩く。


 「……何を見ていたんだ。随分、熱心に見入っていたみたいだが……よほど面白いものがあったのか?」


 普段であればこういった僅かな沈黙を破るのはマジェントの役目だったのだが、その時先に口を開いたのはウェカピポの方だった。
 心地よい風が街並みを抜け、マジェントの癖がある髪を揺らす。


 「面白いモンって訳じゃねぇけどよ……」


 マジェントは瞼を閉じ、今みた光景を反芻した。
 瞼の裏には零れるばかりの希望と溢れるばかりの愛情に包まれ、幸福そうに微笑む花嫁の姿が浮かぶ。


 「結婚式、見てたんだよ」
 「結婚式?」

 「そ、結婚式」


 過ぎ去った道の方向から、再び鐘の音が響く。
 その音に誘われるかのようにウェカピポは一瞬立ち止まり振り返るが、すぐに何事もなかったかのように歩き出した。

 今日も予定通りにマジェントが寝坊をしたせいで、買い物に出るのはすっかり遅れていた。
 急がなければまた、売れ残りの肉や野菜で足下を見られて高い買い物をするハメになるのだ。

 二人の足は、自然と早足になっていた。


 「……お前が結婚式なんてぼんやり眺めるキャラだったとはな」
 「なぁんだよ、別にいーだろ俺が何見ても……」

 「いや、そういうキャラじゃないと思っていたからな……となると、お前にも結婚願望ってのがあるのか?」
 「ん? おう、一応な」


 マジェントはそう言いながら、風にゆれる髪へと触れた。


 「正直に言うとよー……俺、家庭を持つっつーの? そういう感覚は、よくわかんねーんだ。家族って関係。未だによくわかんねぇ所があるからよ。ンでもよォ、結婚。ってのはしてみてぇよな。好きな奴と一緒に寝起きして生活してさー、寝起きしたり飯くったり、普通の事でも誰かと一緒なら結構楽しいもんな。そりゃ、他人同士だから喧嘩とか諍いもあるかもしんねぇけどよぉ……好きな奴と一緒にいられるって、やっぱいいもんな」

 「そうか。そう……かも、しれんな……」
 「それより、行こうぜ。早くいかねぇとチーズが無くなっちまうかもしんねぇーぞ」

 「あぁ、そうだな」


 会話が留まり、再びしばしの無言が続く。
 昼下がりの暖かな風を頬に受けながら、二人は長い坂道を歩き始めた。目的地の市場は、この坂道を越えたむこうにあるのだ。


 「でもよ」


 坂も中腹まで登った頃。今度の沈黙を断ち切ったのは、いつもの通りマジェントの方だった。


 「でもよぉ、俺だってさ。ホントはわかってんだよ。こんな仕事してちゃぁよぉ……何時、死ぬのかも殺されるのかも分かんねぇし……結婚なんて、な」
 「そうだな……」


 大統領が抱える裏の仕事。
 それを始末する人間たちの中でも、特に末端であるマジェントや異国人のウェカピポに与えられる任務は、明日の保証がないようなものばかりだった。

 いつ散るかもしれない中で、愛だの恋だの馬鹿らしい。
 誰もがそう思っていたし、マジェントもまたそういう価値観で生きていた。

 ……少なくても、ウェカピポと出会うまでは。


 「……大体さ、俺の好きな奴って、結婚しちゃいけねぇみてぇだし」
 「そうなのか?」

 「そうそう。どうやら神様ってやつは俺が好きな奴との契りってのは、認めてくれねぇらしいぜ」
 「……いつ死ぬかもわからない。おまけに結婚も認めてもらえやしない……そんな相手なのに、なんでおまえは好きなんだ?」


 いつの間にかウェカピポは立ち止まり、妙に真剣な表情で――とはいえ、元よりふざけた顔はしない男ではあるが――マジェントの姿を見据える。
 その目があまりに真っ直ぐだったから、常に斜に構える姿勢が身に付いていたマジェントは何とはなしに恥ずかしくなり視線を逸らし鼻を擦る。


 「何でって言われても――仕方ねぇだろ、好きになっちまったんだからよ」
 「そうか……」

 「まったく、何言わせんだよあんた! もういいだろ、早く行こうぜ」
 「……そうだな」


 とにかく、坂はあと半分はある。
 この山のような坂を上りきらなければ目的地にはつかないのだ。

 早足になり進もうとするマジェントの手を。


 「マジェント!」


 急に、ウェカピポが留めた。


 「……なんだよ、アンタ。急ぐんじゃなかったのか」
 「あぁ、急ぎたい所だが……実は、その、何だ……」

 「何だ、はっきりしねぇな……どうしたんだ、らしくもねぇ」
 「……市場に向かう道だが、実は抜け道を知っているんだ。こんな坂を上らなくてもいい近道だ。ちょっと悪路だから教えてなかったんだが……そっちを通っていかないか?」

 「抜け道? 別にいいけどよ……」


 ウェカピポは休日ともなれば部屋に籠もり、本や新聞を眺めて過ごすような物静かな男だった。
 部屋でじっと座っていられず、小銭さえあれば外に出て新しい酒場や食堂を探し歩く自分が知らない道を、彼が知っているとは到底思えなかったのだが。


 「こっちだ、行くぞ」


 ウェカピポはもうその道に行くのを決めてしまったのだろう。
 半分まで登った坂道を戻りはじめ、どんどん先へと進んでいく。


 「あ! ちょ、まてよ……全く、あんたたまにすげぇ気紛れだよな!」


 どんどん小さくなっていくその背中を、マジェントは慌てて追いかけた。

 路地を一つ裏へと入り、閑静な住宅街と思しきとおりを抜け。
 随分前に建てられた、古い屋敷の群を進んで……ウェカピポの足は、早足になっても追いつけない程どんどんスピードが上がっていく。

 反面、その足は最初の目的地であるはずの市場から、どんどん離れていた。


 (何処につれていくつもりだ、アイツ……)


 お世辞にも頭の巡りがいい方とはいえないマジェントでも、もうウェカピポが市場に向かう気などないという事はその足取りで分かる。
 だが引き返す訳にもいかない。

 自分は遊べるだけの小銭も持ち歩いていなかったし、今はウェカピポの行く先に市場の品揃えよりも興味を抱いていたからだった。

 ウェカピポの足は、やがて一件の廃屋で留まる。
 周囲の風景から取り残された、石造りのそれはもう何年も前から空き家になっているようで、遠目から見ても荒れているのが見えた。


 「……行くぞ」


 明らかに人の出入りがない廃墟ではあるが、ウェカピポは臆する様子もなく入っていく。


 「ちょ、まてよアンタ……全く、もうちょっと説明してから連れてこいよな……」


 マジェントは口で不平を漏らしながらも、それでもこの空き家の冒険を子供のように楽しんでいた。
 身をかがめなければ入れない入り口を抜け、少し長い廊下を抜けた先にあったものは……。

 天窓から注ぐ、淡い光の渦。
 掲げられた、古ぼけた十字架。

 装飾と思しき布たちはほとんどボロボロに破れてはいるが、全ての痕跡はここがかつて教会であった事を物語っていた。


 「廃教会、か……」


 差し込む光を仰ぎながら、マジェントはそう呟く。
 天窓のガラスはすでに壊され風が吹き荒んでいたが、差し込む光は温かく、誰もいない静寂もあってか神を信望しないマジェントさえも何処か厳かな雰囲気にさせる力が、その空間にはあった。


 「マジェント」


 声に誘われ目をむければ、こちらに手を伸ばすウェカピポの姿が見える。


 「ここは足下がガレキまみれで危ない……気を付けてくれよ」
 「あ、あぁ……」


 彼の手をかりながら、言われた通りガレキを越える。
 気付けば十字架の下、二人で佇んでいた。


 「……あんた、こんな場所知ってたんだな」
 「まぁ、な……何、散策をしていたらたまたま見つけたにすぎない。随分古い……廃墟になっているが、一応は教会だ」

 「あぁ……」


 僅かに吹き荒ぶ風が、壊れた蝶番を軋ませる。
 辛うじて蝶番にぶら下がり、甲高い金属音をたてる扉の音はやたら大きく不愉快だったが、その時のマジェントはそんな音さえ気にならない程、胸の鼓動が高鳴っていた。

 突然こんな場所に連れられた理由に、期待する自分がいたからだ。


 「マジェント」


 二歩、いや三歩。
 マジェントより前に進むと、振り返りながらウェカピポは言う。


 「……俺と、結婚してくれるか?」


 それは期待していた言葉。
 だが決して語られる事はないと、そう思っていた言葉だった。


 「なぁっ、に、いってん……あんた! あぁっ……冗談だろ!?」
 「勿論、冗談だ……こんな戯れ、本気にしたのか?」

 「はぁっ!? 何だよ、冗談かよっ……いや、だよなぁ……」


 期待はすぐにうち破られる。
 だがそれを、何処か安心しているマジェントがいるのもまた事実だった。

 期待通りに事が運び、自分と彼の距離感がかわってしまう。
 マジェントは大概な事に対して大雑把ではあったが、そんな些細な事も恐れる繊細さも持ち合わせていたのだ。


 「冗談ではあるが……結婚ごっこ、というのも悪くはないと。そう思ってな」


 不意に、ウェカピポの手が彼の細い指に触れる。
 触れた、そう思った時にはもう、身体は彼の傍まで引き寄せられていた。


 「ちょ、何してんだよっ、あんた……」
 「マジェント……おまえは、俺の伴侶となり。健やかなる時も。病める時も。俺を敬い、慰め、共に尽くす事を誓えるか?」


 吐息がかかる程近くで、ウェカピポが誓いを求める。

 距離感が変わってしまうという恐怖は、あった。
 だが、今最愛の相手が傍にいて全ての誓いを求めるのであれば……


 「あぁ……誓う。誓ってやるよ。俺、あんたの為に、生きてやる」


 大きなその手を、強く握り返す。
 彼の言葉に普段あまり表情をかえないウェカピポの頬が僅かにゆるんだ気がした。


 「あんたは、誓えるのかよ!」
 「……ん?」

 「だから、その、何だ……何があっても、俺と一緒にいてくれる……っての」


 ウェカピポは、今度ははっきりと穏やかな笑顔を浮かべて頷く。


 「誓おう」


 それはただ一言、低い声で囁かれただけだったが、その一言は辞書にある幸福にまつわる言葉を一千並べる程に力強い言葉だった。


 「マジでっ、マジでいいのかよっ! なぁ、ウェカピポ。おれ、俺さぁ……っ」


 興奮と歓喜とが渦巻く脳髄を抑える事が出来ず、マジェントは彼に縋り付く。
 そんな彼の唇を、ウェカピポは人差し指で留めた。


 「静かにしろ、マジェント・マジェント……まだ、式の途中だぞ。ほら……目を閉じてろ」
 「えっ? あ、うん。うん……」


 瞼を閉じれば、お互いの吐息が近づくのが分かる。
 やがて、短い触れあい。

 全ての誓い、その成立を報せる短いキスを天窓から漏れる日溜まりだけが祝福していた。


 「……いつまで目を閉じてるんだマジェント?」
 「え。あ、あぁ……」

 「目を開けろ……」


 程良い酒に酔ったような、夢見心地になったままゆっくりと瞼をあげれば、柔らかな光のむこうでウェカピポの姿がある。
 手を伸ばせばふれあえる距離にいる彼が、全て夢ではない事を告げた。


 「ウェカピポ……」


 彼と触れあいたくて手を伸ばせば、その指に輝くリングが結ばれている。


 「これ……指輪か?」
 「おまえの細指には、あうと思ってな。高いモノではないんだが……」

 「えっ!? ちょ、これ……」
 「いつか渡そうと思っていたんだが……存外に遅くなってしまったな」

 「……あんた、前から……?」
 「いいだろう、神が祝福しなくても。俺がお前を祝福しようだから……」


 リングが繋いだ絆を確かめるよう、ウェカピポはそっと彼の指先をなぞる。


 「……いずれ来る死が二人を別つまで。俺と……一緒にいてくれるな、マジェント・マジェント」
 「あ……あぁ! あぁっ! あぁ……あ……」


 左目から、涙がこぼれ落ちる。
 結婚式で号泣している花嫁を見て、あんなに泣けるもんかと内心笑っていた自分がまさかこんな時に泣いてしまうとは……。


 「あ、くそぉ……やべっ、何だろ……涙、とまんねぇ……とまんねぇや……」
 「おいおい……泣く奴があるか?」

 「悪ぃ。でも何か……俺、無理だわ……止められねぇ……」


 袖口で涙を拭い、必死に笑顔を作ろうとするマジェントの頭を撫でると。


 「仕方ない奴だなお前は……ほら」


 ウェカピポはそう言い、彼を胸元へ引き寄せる。


 「俺の腕で泣け……お前の涙が枯れても、俺はお前の傍にいる」
 「あ……」

 「誓っただろう? どんな時でも……共に、あると」
 「っぅ……」


 幸福な嗚咽が、廃墟となった教会に響く。
 風は何処からか、教会の鐘その音を届ける。

 日溜まりの中。
 誓いはただ、静かに執行されていた。






 <この後捨てられます。雪原で。>