>> 追憶の父
小さい頃から俺は、傀儡だった。
強くて偉い権力のあるオヤジ……。
凡愚の俺はそんなオヤジの期待に応える事だけで精一杯だったから、何時からだろう。
俺は自分でも知らないうちに、俺でいる事を諦めていたのだ。
「なぁ、オヤジ。聞いて欲しい事があるんだけどさ……」
あれはたしか、小学生2,3年生くらいの頃だったと思う。
学校で、カードゲームが流行していた。
ゲームの類を学校に持ち込むのは勿論校則で禁止されていたけれども、クラスメイトの大半がそんな校則よりも娯楽を優先して、自慢のカードを並べては昼休みに対戦をするのが日課になっていて、俺はそれが凄く羨ましくて。
でも、俺はいつも自由に使える小遣いは持たせてもらっていなかったから、いつもその対戦を遠くで眺めているだけだった。
……別にカードゲームがしたかった訳ではなかったんだと、思う。
ただ俺は賑やかなクラスメイトの輪に入りたくて……オヤジの期待に応えるため、がむしゃらに勉強する。ただそれだけの生活が味気なくて。
「今さ、学校ですっごく流行っているゲームがあるんだ。そのカードのゲーム、欲しいなぁって思うんだけど……ほら、オヤジ。俺、もうすぐ誕生日だろ。だから、俺の誕生日にはそのカードゲームが欲しいんだけど……」
俺はそう。
ただ、クラスの友達とそうやって遊びたいだけだったんだ。
普通の子供らしく。俺の、したい事をしたかった。
だけど……。
「そうか、弓彦。欲しいものがあるんだね」
休日の昼下がり、オヤジは俺を見ようともせず、夢中でバイクを弄っていた。
「……だけどオマエの誕生日には、もう特別なプレゼントがかってある。だからそんな心配するんじゃないぞ」
ガレージにはオヤジお気に入りのバイクに車、ギターなんかが置かれている。
俺のものは、何もない。
車で何処でも出迎えてくれるから、自転車などは必要ないだろう。歩いていける距離に全てあるのだから。
それがオヤジの言い分だった。
「いいレコードを見つけたんだ。父さんが若い頃に好きだった曲だから、きっとオマエも気に入るだろうね。何せオマエによく似合う曲だから……」
そう語るオヤジは、一度だって俺を振り返ろうとしなかった。
違うんだよオヤジ。
俺は、友達とカードゲームをして遊びたかったんだ。
喉まで言葉が、そう出かかる。
だけど……。
「嬉しいだろう、弓彦?」
オヤジにそう言われると、俺は何もいえなくて。
ただ、オヤジに喜んでほしくて……オヤジに、家族として。男として認めてほしい一心で。
「うん、ありがとな。オヤジ!」
無理矢理口角をあげて、笑顔を作る。
笑わないといけない。
そう思った。
期待にこたえないといけないんだ、とも。
俺はオヤジの息子だから、オヤジの言う事をきいて、オヤジみたいに立派な検事にならないといけないのだ。
そうしないときっと、オヤジは俺の方を見てくれない。
母さんがいなくなって、俺にはもうオヤジしかいないのだ。
だから俺はもっと頑張らないといけないんだ……。
苦痛を押し殺して、笑顔を作りだして。
「楽しみにしてるから!」
最初は無理矢理捻り出した笑顔も、何時しか自然に作れるようになってきた。
オヤジがくれるレコードに、本。
俺の部屋にはオヤジの理想ばかりが堆く積まれていく。
俺はただ懸命に、オヤジのつくるレールの上を踏み外さずに歩こうとしてきたんだ。
そうすればいつかオヤジは俺を認めてくれる。俺を、自慢の息子だといって喜んでくれる。
……ずっとずっと、それを信じて生きてきた。
それを支えにして生きてきた。
だけど結局のところ俺の思いは果たせなくて。
俺は、新しい自分の未知を模索して……。
新しい生き方を、探すようになっていた。
だけど……。
「そういえば、もうすぐ誕生日じゃないのか。イチヤナギくん」
御剣にそう言われて、俺はやっと自分の誕生日が近いのを思い出す。
近頃は事件の処理が立て込んでいて、カレンダーを見るのも億劫になっていたからだ。
「あ、そうだ……よく覚えてたなぁ、忘れてたよ」
「全く、自分の誕生日を忘れるとはな……それで、プレゼントはどうする? あまり高価なものは困るが……」
「あはは、別にいいって。御剣にはいつも色々教えてもらっているから、それで充分だって!」
それに、どうせ誕生日に欲しいものなんてもらえない。
誰かの理想。そうであってほしい俺を、押しつけられるだけ……。
俺は傀儡。
誰かに与えられた役割を忠実にこなす道具じゃなければいけないのだ。
……心の奥に染みついたオヤジの呪縛が、俺に作り笑いをさせた。
だが。
「そういう訳にはいかないだろう、何でも好きなものをいいたまえ」
「すきなもの……?」
「誕生日は特別な日だ……私にキミが生まれた事を祝わせてくれたまえよ」
御剣は真っ直ぐに俺を見つめて、改めてそう問いかける。
俺の為に祝おうと、彼は言ってくれた。
何でも好きなものをと、彼はきいてくれた。
そしてその瞳はただ、俺だけを映している。
俺だけを……。
「い、いいの。俺、ほんとに……何でもいいのか?」
「言っただろう、何でもいい……無茶な願いじゃなければ、与えると約束しよう」
「ホント!? ほんとに、ほんと。だったら、だったら俺……」
頭の中に、様々な望みが駆け巡る。
俺の、ほしいもの。本当に、俺が望むものをこの人はくれるというのだ。
この人は、俺を受け入れてくれるのだ。
一流検事にはほど遠い、こんな俺の事を……。
「おれ、おれっ……」
語る前に涙が自然と零れ落ちていた。
「ど、どうしたというのだイチヤナギくん……とにかく、その……泣きやむんだ!」
急に泣きだした俺を前に、御剣はただ困った表情で立つばかりだった。
御剣は綺麗な顔をしているわりに人当たりがよくない。
意外と人付き合いが苦手なのだろう、俺が急に怒ったり笑ったりすると、いつも不思議そうな顔をするのだ。
「そんな事言ったって、すぐ泣きやめないよ。俺……」
「だが、泣くのはその……やめてくれ。私は、君の……君の、笑顔が見たい……」
御剣の指先が、俺の頬に触れる。
俺は、大人なのに慌てている御剣の姿がなんだかおかしく思えて、涙を零しながら無意識に笑顔になっていた。
作り笑いじゃない、本当の笑顔に。
「ごめん、でも、これうれし泣きだから……」
「うれし泣き……? そんなに、嬉しかったのかね……?」
「あぁ! ……それで、俺の誕生日プレゼントなんだけどさ」
伝えよう。モノも、金も、何もいらないと。
そして望もう。ただ、傍にいてほしいと。
一緒に笑ったり、泣いたり。
心が折れそうになった時、そっと支えてもらえればいい。
それを、毎年望めるようにしよう。
御剣はきっと、そんな事でいいのかと呆れるかもしれないが……。
「俺が、欲しいのは……」
言葉を紡ぐ前に、御剣は自然と俺の身体を抱き寄せる。
オヤジとともに居た頃は、どう足掻いても手に入らなかった平穏。
今やっとそれを、手に入れられたような気がした。