>> 翻弄





 何時からだろう、彼の事を目で追いかけるようになったのは。
 何時からだろう、彼の傍にいると安心する自分に気付いたのは。
 何時からだろう、彼が笑っていると自分まで嬉しく思うようになったのは。

 何時の間にか自分の中で彼の存在が大きくなり、彼と会えない時間がただ居心地のわるい時となる。
 黙ってこのまま彼の隣で友達として彼を支えて行ければ菅原は満足のはずだった。

 だけど……。


 「なぁ大地、ちょっといいかな? ……話したい事が、あるんだ」


 部活が終わった後、彼の袖を引いている自分に気付く。

 何をしようと思っているんだ、自分は……。
 そんな理性が抑えられない程、彼の心は澤村大地に支配されはじめていた。


 「……ん、どうしたスガ? 随分思い詰めてるみたいだなぁ。悩みでもあるのか」


 そんな菅原に、親しい友人はいつもと変わらぬ笑顔を向ける。
 いつも温かく思える親友の笑顔が、今日は遠い。


 「悩みって程じゃないんだけどさ……二人で、話したい事があるんだ」
 「ふーん……わかった、帰り、何処かよってくか?」

 「あ、べ、別にいいよ。一緒に……一緒に帰って、ちょっと話聞いてくれる、か?」
 「……わかった。今荷物まとめてくるからまっててくれ」


 澤村はさして疑う様子もなく、鞄をとると彼の肩を叩く。
 普段とかわらない友……だけどもし、言ったら。自分の思いを告げたらもうこの関係も、かわってしまうんだろうか。

 ……やはり、言わないほうがいいんだろうか。
 黙ってこのまま彼と、友達として。相棒として付き合っていったほうが……。


 「で、話ってなんだよ。スガ」


 並んで歩き始めて数分がたった。
 澤村は、あれこれ他愛もない言葉をかけてくれるが自分はほとんど生返事をかえす。

 何を話していたかは覚えていない。
 ただ、ただ心臓が高鳴る……。


 「顔赤いな……熱でもあるのか?」


 そんな菅原の額に、彼の大きな手が触れた。


 「……熱は、ないみたいだな」


 心臓が飛び出す程に早く脈打つ。
 澤村の顔は、吐息が触れる程に近い。


 「ななな、何するんだよ大地ぃっ!」


 赤くなっていく自分の顔に気付かれたくないから、菅原はわざと大声をあげると飛び退くように一歩ひいた。


 「なんだ、大げさだな。スガは……」


 親友は、そんな菅原の変化にもさして驚いた様子を見せずに歩き出す。

 ……澤村は、いい奴だ。
 普段から真面目だし、チームの事。仲間の事もよく考えてくれている。

 難しい局面でも厳しい判断が下せるリーダーでもある。
 自分はそんな彼の横顔を眺めていて、最初はそれだけで幸せだった。

 これからも、この横顔を眺めていられれば幸せなんじゃないか、と思う。
 だけど……。

 このままただの友達として過ごすだけで、本当に幸せなんだろうか。
 自分はこんなにも彼に触れたいと、彼の傍にいたいと願っているのにそれを何も知らないまま、ただの友達で終えてしまう事が……。


 「……大地」


 立ち止まったまま、絞り出すような声で彼の名を呼ぶ。
 今言わないと、きっと後悔する。そう思ったから。


 「ん、どうした?」
 「……聞いて、ほしい事があるんだ。前から、言いたかった事がある」

 「……わかった、何だ。言ってくれ」


 どこかおっとりとした様子の澤村が、急に真剣な顔をする。
 菅原が本気である事が、何とはなしに分かったんだろう。振り返って立ち止まり、じっと彼の言葉をまつ。


 「……大地、おれ。俺さっ」


 言ったらきっと変わってしまう。
 良きにしても悪きにしても、もう友達ではいられない。

 その恐怖はあった。だが。


 「大地っ……大地、あのさっ……俺と……俺と、付き合ってくれ。なぁ、頼むから……」


 このまま友達としてただ届かない横顔を眺めるだけの日々。そのほうが、菅原にとって恐ろしかったから、勇気を振り絞って声を出す。


 「……スガ」


 澤村の眼差しが、彼に注がれる。その顔を正面から見る事が出来ず、菅原はただただ俯いていた。
 今彼は、どんな顔をしているんだろう。どんな事を思っているんだろう。

 ずっと傍らにいた、少なくても彼は友達だと思っていた。
 そんな相手から突然こんな事を言われ、どう思っているのだろうか……。

 様々な思いが頭の中を廻る。
 たった数秒の沈黙、だが永久の闇が如く長く感じる。

 澤村は、何というのだろう。澤村は……。


 「いいよ」


 もっと深刻なモノになると思っていたのだが……。
 澤村は思った以上に軽い調子で答えた。


 「……えっ? い、いいのか、大地」
 「あぁ、別にいいって。何だ、凄く深刻な顔してるからどんな大事かと思ったら、そんな事か。いいよ、今度の日曜でいいか?」

 「えっ? えっ?」
 「でも、日曜は部活があるからな。部活が終わった後なら、いくらでも付き合うぜ。で、何処に行くんだ? 買い物か、それとも……」


 どうやら澤村は「付き合って」の言葉を文面通りに捉えているらしい。
 違うんだ、と言えばいいのかもしれないが……。


 「あ……う、うん。えーと、映画……」
 「映画かぁ……映画館までいかないといけないな、遠いな……ま、いいさ。わかった、付き合うよ。約束だからな」

 「あ、あぁ。ああ……」


 ……告白の為に絞り出した言葉で、菅原の勇気はもうほとんど使い尽くしていた。
 今更、それは違うんだ。好きだから付き合って欲しいだなんて、訂正する気分にもなれない。

 それに、今はひとまずそれでいいとも思った。
 やはりこの関係をかえるのは怖い。

 自分の思いが伝わらなかったのならきっとそう、自分と澤村は今のほうがいいんだと、運命の神様がそう言ってるのだろう……。


 「日曜、楽しみにしてるからな!」


 隣に並ぶ親友は、軽く肩を叩いて笑う。
 今はそう、彼の隣に一緒にいられる事を喜ぼう。

 そんな事を考えながら、菅原もまた曖昧に笑った。
 笑う事しか、出来ないでいた。



 自分の中にある煮え切らない思いを抱いて、その日はやってくる。


 「待たせたな、スガ!」


 曇った自分の心とは裏腹に、親友の笑顔は輝いていた。


 「で、何の映画見るんだ?」
 「えっと……」

 「何だよ、決めてなかったのか? 全く、仕方ないなぁ……」


 部活が終わってから電車を使って、かなりの場所にある映画館へと向かう。
 周囲に見知った顔もなく、時間も遅くなっている為か、街は自分たちより年上の大人たちが多くなっていた。


 「やってるの、もうこれ位しかないけど……どうする?」
 「そうだな……」


 結局二人は、すぐに見られる映画のうちで最近の話題作というアクション映画を見る事に決めた。
 お世辞にも綺麗とはいえない映画館は、話題作を上映しているにもかかわらず人は疎らで席も自由に座れるといった有様だった。

 適当な場所に腰掛ければ、すぐに澤村が席を立つ。


 「パンフとか買ってくるか? あ、あと飲み物。スガ、何がいい」
 「買い物行くのか。じゃぁ、俺も……」

 「スガはいいよ、席とっておいてくれ」
 「こんなガラガラだから、大丈夫だよ」

 「わかんないだろ、折角だからいい席で見たいし……俺がかってくるから、何がいい?」
 「じゃ、じゃぁコーラ」
 「わかった」


 席をたった澤村を見送り、ふと、周囲を見渡せば日曜だからかカップルが多いらしい。
 暗がりでお互い寄り添う姿が多く見られた。

 こんなへんぴな場所だが、この周辺では数少ない映画館だ。デートの場としては不自然でもないのだろう。

 ……本当は、あんな風にしてみたかったんだけれどもな。
 闇の中、お互い硬く手を握りあう恋人同士を眺めながら、菅原はぼんやりとそう思う。

 そんな菅原の頬に、冷たい感触が触れた。


 「うわっ! ……な、何するんだよ!」


 見れば紙カップに入れられたコーラを頬につけて笑う澤村の姿がある。


 「何って、オマエがぼーっとしてるからだろ? ほら、コーラ」
 「悪い……ありがと」

 「いやー、しかし今日はカップル多いな……こういう所にくると、俺たち結構浮いてる気がしないか?」
 「別に、気にしなきゃいいんじゃないのか?」


 菅原がそう言うのと同時に、前の席にいるカップルが互いに熱い抱擁を始める。


 「……あ、あっ。あー」


 見ようと思って見たワケではないが、前の席でこうされると映画どころではない。
 思わず赤くなり声をあげる菅原の手をとると。


 「全く、仕方ないな……スガ、こっちこいよ」


 澤村はそう言いながら別の場所へと移動した。


 「全く、あんな事されたら映画どころじゃないだろうって思うんだけど。なぁ、スガ?」


 隣の親友は呆れながら言うが、人目を憚らず互いに触れあう事が出来る恋人たちを羨む自分が居た。
 本当は自分も、あんな風にしたいのだ。
 彼に思いっきり触れて、抱きついて、触ってもらって……。

 そういう事をしたいのだが。


 「お、はじまった」


 隣にいる彼は傍にいるが、その距離は遠い。
 無邪気に笑う彼の横顔を眺めていて、菅原は改めてその距離の遠さを思い知った。



 「……案外面白かったなぁ、なぁスガ」


 映画が終わった後は、他愛もない会話をしながらダラダラと街を歩く。
 特に行く宛も、見たいものもあるワケではない。

 会話はほとんど、今見た映画の事だったが、菅原はそれさえ生返事をするだけだった。

 実際、映画の内容もほとんど覚えていない。
 スクリーンそっちのけでアクションに見入る親友のその横顔ばかり見ていたからだ。


 「それで、どうするこれから。もう結構いい時間だよな……」


 部活が終わってから、すぐに出かけたのだがそれでも遠出の映画館だ。
 一本見ただけで、あたりはもうすっかり日が暮れていた。

 日曜日だからか、会社帰りのサラリーマンといった姿は見られない代わりにカップルの姿は多い。

 互い寄り添い、手を握り歩く姿があちこちで見られる。
 そんな幸せそうなカップルの姿を、菅原はぼんやりと目で追いかけていた。


 「スガ」
 「えっ? あ、ん……何だよ、大地」

 「だから、そろそろ帰ろうぜ。電車なくなっちゃうといけないからな」
 「う、うん……」


 澤村に呼ばれ、小走りで彼に近づく。
 薄着で来たから、少し肌寒い。もう一枚、着てくればよかったか……。


 「寒くなってきたか?」
 「えっ? あっ、大丈夫……」

 「でも、寒いだろそんなカッコじゃ……ほら」
 「いいよ、俺が上着借りたら大地のほうが寒いだろ?」

 「大丈夫だって、スガに風邪ひかれたら寝覚め悪いもんな」


 澤村はそう言いながら、自分の上着を彼にかける。
 断る前に上着を渡されてしまったから、菅原はひとまずその好意に甘んじる事にした。


 「ありがと、大地」


 澤村は手を振りながら頷いて、彼より先に歩き出す。
 行き交う恋人たちは幸福そうに手を繋ぎ寄り添って歩いている、だけど自分はただこうして彼の背中を見て歩くだけ。

 ……今までは一緒にいれるだけで楽しかったのに。何故だろう、今日は、触れあう事も出来ないままただ虚ろに歩むだけの自分がただ空しく思えた。


 「……スガ。おい、スガ!」
 「えっ?」

 「大丈夫か、最近ホントにおかしいぞ。さっきから声かけてるのに、全然反応ないし……」
 「あ、悪い悪い。で、何だよ」

 「だから……俺、あっち方面だからここまでだからな」


 気付けば一緒にいる時間は瞬く間に終わっていた。

 二人だけで何をするワケでもなく街をぶらぶらする。
 デートといえばデートなんだろうが、それらしい雰囲気はない。

 最も自分は「友達同士」で「恋人同士」ではないのだから、それも当然なのだろうが……。


 「あぁ、わかってる。明日、また学校で」
 「あぁ、学校で……」


 立ち止まった澤村は、振り返えろうとはせず、暫く菅原の顔をじっと見つめている。
 いつもなら手を振ったら、すぐに立ち去る奴なのだが……。


 「どうしたんだよ、だい……」


 大地。
 彼の名前を呼ぶ前に、優しい感触が唇に触れる。

 柔らかく温かい、少しくすぐったくなるような感触。
 そして目の前には、澤村の顔がある。


 「んっ……」


 キスされているんだ。そう思った時に、口付けはもう終わっていた。


 「あっ。あっ、あっ、だ、だ、大地ぃ……」


 人気のない場所だ。だが誰かに見られていないか、急に心配になって周囲を見渡し、誰もいない事を確認してから改めて澤村に目をやる。
 彼はすこしはにかんだ顔をしながら、菅原を見つめていた。


 「……な、にすんだよ。何すんだよぉ、大地」
 「だって……デートだから、キスくらいしないと悪いかな。と思って……な?」

 「なぁっ。なっ、なっ……」


 デートと言われ、菅原は自分の顔が一気に熱くなるのに気付いた。

 付き合ってくれ。告白のつもりで言った言葉。
 ちゃんと伝わっていなかったのだとばかり、思っていたのだが……。


 「……それとも、そういう意味じゃなかったのか?」


 恥ずかしそうに笑う澤村を前に、彼はただ首を振ったり頷いたり。忙しく首を動かす。


 「そ、そ、そっ……そういう意味だった。そういう意味だった、けど。えっ? あれっ……つ、伝わってなかったワケじゃ。なかっ……た?」
 「うーん……正直、すぐにピンとこなかったんだけどな。でも、日曜までゆっくり考えて、答え出したつもりだよ。俺は」

 「あっ。じゃぁ……えっ、大地」
 「でも、こういうのはちゃんとした言葉で伝えないと分かりにくいと思うぞ」

 「え……」
 「……好きだよ、孝支」


 彼は菅原を抱き寄せると、再び優しいキスをする。
 外灯の下に伸びる影が重なり、菅原は必死で彼の背中を抱く。


 「俺も……おれも、好きだ。好き。好きだよ、大地。大地っ」


 曖昧な気持ちのままただ背中を眺めていた。
 触れる事は許されないと思っていた。関係が壊れてしまうのが怖くて、一歩踏み出せないまま。
 このままずっとこの大きな背中を眺めて歩かなきゃいけないのだと思っていた。

 だから街にいる恋人たちが羨ましくて、その手ばかりを視線で追っていた。
 だけど。

 手を、繋いでいいんだ。
 身体を、抱きしめていいんだ。
 触れあって、キスをしてもいいんだ……。


 「大地ぃ……」


 外灯の下、二つの影は縺れるように重なる。

 もうガマンしなくていい。
 これから二人でいくらでも、こんな時間を紡いでいける。

 その事実がただ、ただ菅原は嬉しかった。






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