>> さんばいがえし
確か、嫌いじゃなかったよな。
その言葉とともに差し出されたのは、綺麗に包装された高級チョコレートだった。
「御剣検事は、いつもせれぶりてぃーなものばっかり口に入れてるって刑事さんから聞いたから、コレ……結構奮発したんだからな」
一柳の言葉が嘘ではないのは、包み紙でわかる。
誰でも一度は聞いた事がある、チョコレートの有名店だ。
まだ年若い一柳からしてみれば、相当な出費だったろう。
「うム……すまない、有り難く頂こう」
「お、受け取ってくれるのかっ。へへー……ありがとう、な!」
包み紙を受け取ってからも、一柳は御剣のそばを離れようとしない。
ただ隣でじっと。
何かを期待するような眼差しで御剣のチョコレートを眺めていた。
「……何故そんなに見るのだ、イチヤナギ君?」
「え? いや、それ、開けないのかなーと思って……」
「今は休憩でもないからな、家に帰ってから……」
「中に入ってるチョコがさ、すっごい美味しそうなのあるんだよ! 上に、ストロベリージャムが乗ってるようなやつ! 見た目も綺麗でいかにも甘そうで……ホント、美味しそうだったんだ!」
なるほど、どうやら自分が食べたいチョコレートが中に入っているらしい。
御剣はすぐさま包み紙を開けると、それを彼の前へと差し出した。
「好きなものをとりたまえ、イチヤナギくん」
「え、いいのッ?」
「チョコレートは好物ではあるが……流石に一人で食べるには量が多いからな」
「ホント!? じゃぁっ……」
綺麗に並んだ宝石のようなチョコレートを前に、一柳はその目を輝かせる。
そんな一彼を横目に、御剣はティーポットの準備を始めていた。
宝石のようなチョコレートと、無邪気な一柳の笑顔とを前にしたティータイムも悪くはないだろう。
「おい、御剣検事! みーつるぎっ!」
そんな御剣を、不意に一柳が呼び止める。
何かと思い振り返るのと同時に、唇に甘いものが飛び込んでくる。
目の前には、一柳の白手袋……指先にはとびきり甘いチョコレートだ。
「……何をするんだ、イチヤナギ君?」
「え? 何ってチョコレートだよ!」
白い手袋が御剣の唇に触れる。
同時に口の中へと転がりこんだチョコレートの、あまい味とかおりが一気に広がった。
「それが、一番に美味しそうな奴だったけど……一番に、御剣に食べて欲しかったから……」
一番にあれだけ拘っていた男が今は、それを誰かに譲れるようになっていた。
それは彼の成長の兆しであり、同時に御剣に対する深い愛情の形でもある。
「そうか……」
ころりと口の中でチョコレートを転がせば、幸福な甘さが広がる。
この幸福を、一人で味わう訳にもいくまい。
御剣は口の中でゆっくりチョコレートを溶かしながら、少年の身体を抱き寄せた。
「ふぁ? 何、なに。どうしたんだよ、みつるぎ……」
「いや、な……一番のチョコレートを渡してくれたキミに、私からも一番のご褒美だ」
その言葉とともに、唇を重ねる。
「みつる……ん、ふぁっ!?」
僅かに開いた唇から半ば強引に舌をねじ込み、まだ口の中に残るチョコレートを転がしながら一柳の舌を舐れば、彼もまた必死になって御剣を慰めようとその舌に絡みつく。
幾度か交わしてもまだ、辿々しいキスだ。
だが少年の、そんな少年らしい姿が今は尚更に愛おしい。
不慣れなキスは、チョコレートが解けてなくなるまで続いた。
「な、にするんだよっ、みつるぎっ……いきなり、とか、その、えっと……ズルイだろ!」
「うむ……、怒らせたのなら謝ろう。ただ、私もキミに食べて欲しかったからな……そう、キミの選んだ一番のチョコレートを、な」
予測していなかった突然のキスに耳まで赤する一柳。
だがその肩に触れれば、指先から高鳴る鼓動が感じられた。
「……気に入ってもらえただろうか。イチヤナギ君?」
「ふぁっ!? あ、あ。あぁ、その……うん。うんっ……でも」
「……でも、何かね?」
「い、いや。その、オレ、チョコレートいま。御剣から、こんな風に貰っちゃって。そしたら……そしたら俺、ホワイトデーで三倍がえしとかしなきゃダメなのかなって思って。三倍……三倍すごい事しなきゃ……ほら、ダメだろ?」
一柳はそう言いながら、上目遣いで御剣の表情を伺う。
「ホワイトデーは三倍返しが基本なんだろ? オレ、このキスの三倍すごいのとかっ……思いつかないよ……なぁ、オレ、どうしたらいい? 御剣、おれ、どうしたら……」
チョコレートを最初に渡したのは一柳の方だろうが、本人はあまりに突然のキスでそんな事も忘れてしまったらしい。
随分とささやかな心配に思える。
だが、彼にとってはそんなささやかな心配が一大事なのだろう。
頬を赤らめたまま、真剣な眼差しを御剣へと向ける。
「そうだな……」
御剣は彼を抱き寄せると、唇をなぞり微笑んだ。
「それなら来月は、三倍多くキスをしてもらおう……出来るな、イチヤナギ君」
「あ……」
「イチヤナギ君?」
「あ、あぁ。おれ、するからっ……三倍、キスするからっ……だから……オレと、もっと……」
抱きしめた身体が、自然と重なる。
チョコレートが心を結ぶ日、彼らもまた互いの心を、強く甘く繋いでいった。
ただ一つ。
「ちょっとまってな。御剣! 今、えーと、5回目のっ……したから。えーと、オレの三倍がえし、幾つ?」
「なん……だとっ!?」
三倍返しのカウント間違いがおこるかもしれないな。
そんな小さな不安を残しつつ。