>> オレンジの旋律






 柔らかなオレンジの照明に包まれ、静かなフルートの旋律が流れる。
 食事の後にこのささやかな演奏会が開かれた、その理由は他でもないこのオレの一言だった。


 『御剣はさ、本っ当に、不器用だよな』


 5mmほどずれた折り鶴を前に笑うと、御剣は露骨に不機嫌な表情を浮かべる。


 「別に、私はそれ程不器用ではないつもりだが……」
 「でも、こんなズレてるよほらこれ!」


 笑って差し出す折り鶴は羽の間に大きな隙間が出来ていた。
 御剣の幼馴染みという男から聞いたのだが、どうも御剣は昔からこういった作業が苦手なようだった。

 だけど本当に御剣は、自分が不器用だっていう事を認めるのがイヤだったんだろう。


 「私は不器用ではないと……楽器だって嗜んでるんだぞ」
 「えっ。ホントに。オレ、御剣が楽器演奏している所、見た事ないけど……何? ギター?」

 「……ピアノとフルートを少々な」
 「フルート!?」

 「……聞いてみるか?」


 オレはいいよと断ったんだけど、オレに言われてよっぽど意地になっていたんだろう。
 何処からかフルートを取り出して、自信ありげに奏でているのが今流れている優しい旋律だ。

 何処かで聞いた事のある。
 だけれども名前は知らないその旋律はオレの耳を優しく擽り、何故か気持ちを落ち着ける。

 それまでクラシックといえば殆どは聞いたこと無いオレだけど、この曲が何となくいいものなのは解る。
 優しくて、暖かくて……。

 ……普段、オレを抱いたまま耳元で囁いてくれる御剣の声にも似ていた。


 (って、何考えてんだろオレ……)


 頬が赤くなるのを誤魔化すように俯いて、演奏を続ける御剣を見る。

 旋律とともに揺れる艶やかな黒髪。
 暖かな照明に映し出される、蒼白の肌。

 穏やかな呼吸とともにその指先は滑らかに律動する……。

 あんな風に、抱いてくれないかな。
 知らない間にオレはそんな願いを抱いている自分に気付いた。

 フルートの旋律を奏でるように、あの滑らかに動く指先でオレの身体を抱いてくれないかな。
 この優しく柔らかな楽曲のような甘い言葉を耳元で囁いてくれないかな。

 そんな思いがどんどん、どんどん、自分の中で強くなる。


 (だから、何考えてるんだよおれ……)


 馬鹿な事考えてるなって思う。
 いけない事考えているなって思うけど、考えてしまったら『だったらいいな』と思ってしまう。

 抱いてくれたら、いいな。
 優しくしてくれたら、いいな……。


 「終わったぞ……いかがだったかな、イチヤナギ君?」


 気付いた時、曲は終わり得意げに笑う御剣が隣に座っていた。


 「え! あ、その……良くわかんなかったけど。凄かった! ……と、思う」


 曖昧な返事をすれば、御剣は呆れた表情へとかわる。


 「何だキミは、楽曲の事をさして詳しくない癖に曲を強請ったのか……?」
 「な、何だよ御剣が勝手に吹いたんだろ?」

 「ム……そうだったか。いや、そうだったな……」
 「オレ、上手か下手かはよく解らなかったけどさ。でも、何となくいい曲だなーってのはわかったよ。ちょっと厳しい風に聞こえるけど、ほんとは優しくて、暖かくてさ……御剣の声みたいだ」


 オレの言葉に、御剣は少し照れたみたい笑う。
 そして、持っていたフルートを差し出すと、「少しやってみるかね?」なんて聞いてきた。


 「ええええ、無理だよ! その、オレ、楽器とか。そういうのはやった事ないし!」
 「いいだろう、私が手ほどきをしよう。ほら、こう持つのだ……」


 オレにフルートを持たせると、その身体を抱くように御剣が手ほどきをする。

 背中から覆い被さるように抱かれ、指先が違いに絡まる。
 耳元に優しい吐息が絡まり、穏やかな呼吸が重なる……。

 こんな風に抱いてくれないかな。
 それは、そんな事を考えていたオレにはあまりにも近すぎる距離だった。


 「ポジションはこう、こうだ……指先は……そう、その場所に……」


 フルートを隔て、ほとんどされるがままになる最中、オレの鼓動はどんどん大きくなっていった。

 ひょっとしたら御剣に気付かれてるんじゃないだろうか。
 心臓の鼓動もこの赤い頬も、オレが本当に御剣としたい事も、見透かされるんじゃないかって思う。

 だけど、それは絶対にイヤだ。
 御剣に、そんな事ばっかり考えているとか思われたくないし、すぐにそんな事ばっかり考える奴だとも思われたくない。

 だからわき出てくる『へんな感情』をぐっと抑えてガマンして、御剣のフルート講師。
 その授業に身体を預ける。

 けど……。


 「……そう、そうだな。あぁ、上出来だ」


 ヘンな事を考えないようにしよう。
 そう思えば思うほど、御剣との距離が縮まり、身体と身体が密着していく。

 心臓が、どきどきするオレの耳元で御剣は。


 「そうだ、それじゃ……少し、吹いてみるか?」


 あの時流れた楽曲といっしょ。
 厳しいような、だが優しい声でそうやって囁いてくれる。


 「えっ、吹いていいの?」
 「あぁ……別にいいだろう。イチヤナギ君ならな」


 でも、これって間接キスになるんじゃ……。
 一瞬そんな事が過ぎるけど、そんな事を気にしたらきっとまた『子供だな』って笑われると思ったから、わざと鈍感に振る舞って恐る恐る口を付ける。

 さっきまで御剣の唇を預けていたフルートは、まだ暖かいような気がした。
 何でもない、ただのフルートなのにオレの鼓動は高まって、どんどん恥ずかしくなっていく。


 「息を吹き付けなければ音はならないが」
 「わ、わかってる……わかってるよ」


 そう言い息を吹き付けるが、ただフルートの中を吐息が駆け回るだけ。
 音は鳴りそうにもなかった。


 「みつるぎー……鳴らないからさ。もういいだろ?」


 これ以上続けていたら、恥ずかしくて心臓が爆発してしまいそうだったから、オレはそれを突き返す。
 だけど御剣はそんなオレの仕草に気付かない様子で、オレを抱くよう手を添える。


 「いや、ポジションが悪いんだろう……こう、こうだ……」


 身体を抱いた暖かな指先、その体温がワイシャツの上から伝わる。
 吐息は耳に絡まり、オレの鼓動をますます高くしていく。

 暖かな身体に抱かれて、その指先で優しく触れられて……。
 こんな状態でまともに話が聞けるはずもなく。


 「吹いてみてくれないかね?」


 そう言われて吹いても、音が出る事はなかった。
 当然だ、オレはもう気持ちも身体も、フルートどころじゃ無かったのだから。


 「……おかしいな。ポジションは間違ってないのだが」
 「い、いいだろもう。向いてないんだよ、オレ」


 もうオレは、火照った体を悟られるのがイヤだったから一刻も早く御剣から離れようとする。
 だけど離れようと思えば思うほど御剣の身体は近づいて、ついにオレは御剣に膝に座らせられた。


 「……妙だな、間違えていないのだから、音も出ないのはおかしい」


 そう言う御剣の指先はオレの腕から胸元へ、身体へ、腰へ……。
 まるで楽器を奏でるように滑らかに触れながら、耳に絡まっていた吐息はより暖かく優しく艶やかに変貌していく。

 その声も吐息も指先も。
 あまりに優しく、だけれどもあまりにもどかしいから。


 「んぅ……みつるぎぃ、イヤだぁ……やめてよ、オレ……何だか……」


 暖かくなっていたオレの身体が、中からむずむすしてくる。
 ついにガマン出来なくなったオレの口から自然と、自分でも聞いた事のないような声が漏れていた。

 その瞬間。


 「……やっといい声が出たな、イチヤナギ君?」


 御剣は何処か満足そうに笑う。


 「やっといい声って。みつるぎ?」
 「……ガマンしてなかなか自分の思いを言わないキミだからな、少し意地悪してやろうと思ったのだが。案外に耐えたものだ。なぁ、イチヤナギ君」


 その言葉でオレは、御剣が最初からオレの気持ちに気付いていたという事実を知らされる。
 御剣のやつ、もうオレがギュっとして欲しいのを気付いてわざとこんな、焦らすマネをしていたのだ。


 「……気付いてた?」
 「演奏中からずっと、様子がおかしかったからなキミは」

 「ずるっ……ずるいよみつるぎ! 気付いてたならさ、オレ。オレ……すっごくはずかしっ……」
 「ふふ……すまなかった、そのかわり。な」


 傍らにある御剣の唇が、自然にオレの唇と重なる。


 「……その埋め合わせはしよう。どうだ、イチヤナギ君。キミの身体をもっと傍に感じさせてくれないかね?」


 耳に絡まる甘い言葉と、溶ける程に優しいキスがオレに全てを許させ、そして身体の全てを許してしまう。


 「……うん。うん!」


 もう一度唇が重なると同時に、優しく肩に手が触れる。
 今聴いたあの緩やかな曲と同じく、優しく暖かな時間が過ぎようとしていた。






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