>> 月に疼く
それは、寒い夜のお話。
「ううっ……寒っみぃ……」
冬の寒さに耐えかね目を覚ましたシシドは、暫く寝床で身動ぎをする。
身体を丸め身を縮めて寒さに耐えるが、ねぐらはすでに氷ったように冷たくなっていた。
ふと、目を開け差し込む光を見れば、やけに明るい。
眠れないのならと外をのぞき込めば、今宵は満月なのだろう。
園内を青白い光が包み、空をあかるく照らしている。
「……寝てても仕方ねーしな」
シシドは僅かに震えると、冷たい寝所を後にした。
外に出たシシドを出迎えたのは、月光に染まった静寂の園内だった。
遊び飽きた仲間達は、皆休息中なのか夜行性の動物さえ今は大人しい。
「へへっ……すげーじゃねーか。この中で俺だけが起きてるみてーだな」
シシドは鼻歌交じりで暫く園内を駆け回っていたが、ふと高い場所に昇ってみたくなり、普段自分がねぐらにする檻の上によじのぼる。
屋上から見た月は、透き通るように蒼く手を伸ばせば届きそうな錯覚さえ覚えた。
「ふぁぁ〜っ、すげぇーなぁー」
蒼い月に心奪われ、ちょこんと腰掛け空を見る。
皆が寝静まった静寂の中、冬の寒さはシシドの古傷を疼かせた。
「……傷」
この傷は自分が勇んで挑んだ相手に負けて出来た傷。
戦いで、負けた時の傷だ。
……思えばこの傷が全て始まりだった。
この傷が切っ掛けで、ここへ来て――園長はじめとした、仲間が出来て――。
サーカスの連中がやってきて、アレコレいいながら芸なんかもするようになって。
『よし、今日はシシドに玉乗りをやってもらうぞ!』
鈴木が来て、芸を教えてくれるようになって。
『何やってんだシシド! まだ子供なのにそんな所に乗って、危ないだろう!』
鈴木に毎日のように子供扱いされて。
『こらっ、シシド! お前、また勝手に。危ないから勝手な事はするんじゃない!』
毎日のように怒鳴られて、腹の立つ事も多いのだが。
『――やったじゃないか。よくやったな、シシド!』
たまに誉めて微笑みかけてくれたりする。
あの笑顔を思い出すと、シシドの胸は気恥ずかしいような、だが暖かい感覚に満たされくすぐったい気分になる。
何故そんな気分になるのか解らないが――。
「――いてェな」
古傷が疼いて仕方なかった。
「シシド?」
その時、不意に聞き覚えのある声がする。
声の方を見れば、檻の上によじ登ろうとする鈴木の姿がある。
「ちょ、何してんだよおめー」
「いや。あんまり寒いんで目を覚ましたら、檻の上で人影を見かけて――もしかしたら、と思ってな」
少し厚手のコートをまとう鈴木の吐く息も白い。
「もしかしたら、何だよ」
「シシドが起きているんじゃないかと思ってな――子供が夜更かし、いけないだろ?」
「ガキ扱いするんじゃねーって言ってるだろ! それに、俺はアレだ。ほら、夜動くヤツ……」
「夜行性?」
「そうそれ、ヤコーセーだからこの時間に起きてる方が普通なんだよ」
「あはは、そうだったな………………隣、いいか?」
「……勝手にしろ」
鈴木はシシドの隣に来ると、そこに黙って腰を下ろす。
月夜の下。
二人は黙って月を見上げていた。
息が白くなる程の、寒い夜だった。
(何だろうな……)
隣に、鈴木がいる。
胸の鼓動がいつもより早い気がするが、戦闘の時にある昂揚とは違うもっと穏やかな鼓動だ。
暖かいが、妙にくすぐったい。
こんな暖かな鼓動の中でどんな事を話したらいいんだろうか。
答えは出ないまま、冷たい夜空に沈黙が流れていた。
その静寂を破ったのは、鈴木の動き、シシドの腹にある傷痕に触れた。
「ばぁっ、何するんだよスズキ……」
「いや……」
服の上から傷に触れる鈴木の手は柔らかく、そして暖かい。
「子供なのに、こんな傷だらけになるまで戦ったなんて……シシドは、偉いな。って思ってさ」
「…………あったりまえだろ。オレ、ガキじゃねーって。オトナの、オスなんだからよぉ」
「そう、か……」
鈴木は傷に触れた手をそのまま、シシドの手と重ねる。
「だけどあまり無理はするなよ、シシド。お前が怪我するのを見るのは……嫌だからな?」
「何だよッ、そんな顔すんじゃねーよ……ナワバリ守るのにケンカすんのは、仕方ねぇーだろ……?」
「そうでも。一人で背負うなって事だ。仲間がいるんだから……園長でも。トイトイでも……俺でも、気軽に頼ってくれ。一人で勝手に暴れるな……いいな?」
「ばっか言うなよなっ。弱っちいお前らなんか頼るなんて……」
「頼む……」
重ねた手があまりに弱々しく握られて、心配されているその気持ちが痛い程に伝わるから。
「……ふん。考えといてやるよ」
嬉しいような、気恥ずかしいような。
不思議な気持ちに抱かれて、シシドはまた空を見る。
「……あぁ、考えておいてくれ」
鈴木もそれ以上何もいわず、並んでシシドと空を見た。
二人の手が自然に近づき、影は肩を並べている。
青い空には月が、冷たく輝いていた。