>> 笑うスズキ





 サーカスの連中が動物園へやってきてから、もう三ヶ月がたとうとしていた。

 トイトイ、ロデオ、ビャッコフと、サーカスの連中も大分この動物園に慣れてきたみたいだ。
 皆、変わったところもあるけど面白ぇ奴らだと思う。

 サーカスの奴らと連むなんてロクな事無ぇんじゃないか。
 そんな心配はしていたが、みんな楽しくやってる。
 園も賑わってきたし、ハナの提案も無駄じゃなかったって事だろう。

 トイトイはうるせぇが、ロデオもビャッコフも強ぇ奴で毎日が面白ぇ。

 だがただ一つ……。
 一つだけ、俺にもつまんねぇ事があった。

 それは……。


 「こら、シシドっ。またサボってるな!」


 俺の頭をニンゲンが小突く。


 「いてぇ……何すんだよ、ニンゲン!」
 「何するんだよじゃない……ほら、この時間は芸の練習だ! ……輪くぐりに玉乗り。オマエはサーカスだって花形なんだから、しっかり練習してもらうぞ!」


 俺の前に指を突きだし、偉そうに振る舞うのは「スズキ」ってニンゲンだ。

 サーカスでは元々、動物たちに芸の練習をさせていた……道化師であり調教師だって聞いてる。
 こいつが、動物園にきてから俺に「アレしろ」「コレしろ」とやたらうるせぇんだ。

 ……いや、ただうるさいだけのニンゲンならそれでいい。
 弱い奴はよく吼えるっていうんだ、強い俺が気にする事じゃねぇからな。

 こいつがいけ好かないのは、うるさいからってだけじゃない。


 「いいか、シシド。今日はこのボールにのってもらうぞ……」


 今日もデッカイ玉っころを取り出して、それに乗れとかいってきた。
 つまんねぇ事を命令されるのも気に入らないが、それ以上に気に入らないのは……。


 「なー、そんな事いいからさー。アレ、俺にアレ、やらせてくれよ。アレ、カッコイイんだろ?」


 背後に隠された輪を指さして、俺はスズキにきいてみる。

 炎の輪くぐり……。
 サーカスの花形になる芸だって、ハナに見せてもらった映像にあった。

 ようするに、俺もその「炎の輪くぐり」ってのが出来ればこんなつまんねー練習しなくていいんだ。

 そう思った俺の言葉を。


 「馬鹿言うな!」


 スズキは怒号で一蹴する。

 「いいか、シシド。あれは危険なモノなんだ。まだろくな芸も出来ないオマエに、使わせる訳にはいかない……俺の言う事をきいて、トイトイといっしょにまずは玉乗りからだ」
 「でもさ、スズキ……」

 「いいから言う事を聞け! まだ子供のオマエに、アレは使わせられない!」


 そこでスズキはまたあの言葉をいう。
 まだ子供……。

 ここにきて、俺たちに芸を教えはじめた時から、このニンゲンはずっとそうだった。


 「オマエはまだ子供だから駄目だ」

 「子供のオマエが無茶をするな」

 「まだ子供だから最初は簡単な奴からやるからな……」


 子供、コドモ、こども。
 アイツは何時だって俺の事を、ずーーーーっとコドモ扱いしやがるんだ。

 俺はもう立派なオス……草原で立派に狩りだってしてた百獣の王なんだ。
 それだってのに……。


 「ほら、玉乗りだ。出来るな……」


 倉庫から持ち出した巨大なボールを前に、スズキは笑う。


 「……まだ子供のオマエでも、これなら怖くないだろう。ほら、やってみろ」


 笑いながら俺を、子供扱いする。
 俺はライオン……オスの、立派な王だってのに……。


 「ふっざけんじゃねぇぇぇーよぉぉぉ!」


 出てきた巨大な玉っころに思いっきり殴りつけ、俺はその場を後にする。


 「こら、まてシシド……逃げるな、こら!」


 逃げるなって、最初からアイツの言う事聞く義理なんてない。

 偉そうな大人のスズキだって、所詮は弱っちいニンゲンだ。
 本気を出して走った俺に追いつけるはずもない。

 俺はスズキを振り切ると、人気のない檻の上、満月を眺めながら俺はその場に寝ころんだ。


 「まったくあいつクソぉ……子供扱いしやがってよぉ……」


 不機嫌な俺を前に、月は相変わらず綺麗に照らしていた。




 気付いた時、真上にあったと思った月はすっかり傾きはじめている。
 少しうたた寝していたら、思ったより時がたっていたみたいだった。

 下を見ればもうスズキの気配もニオイもしない。
 サーカスに戻っていたのだろう。

 俺は自分の巣に戻ろうとのろのろ動き始めれば、帰路の前には投げ出された大玉の脇に炎のない火の輪が揺れている。

 烈火に揺れる輪の間を勇んでくぐる百獣の王……。
 ハナの奴が見せてくれた映像には、そんな王者の活躍があった。

 ……俺だってあのライオンと同じくらいの歳だ。
 火の輪くぐりくらい、どうってことないはず……。


 「えーと、確か……トイトイがいってたよな、ココを動かせば大仕掛けが動く、って……」


 暗闇の中、手探りでボタンを探し出す。
 どれが、何を動かすか知らねぇけど……こういう時は、全部押してみれば何とかなるって相場が決まってる。


 「ほーれ、これ。これ、これー! ぽちっとな!」


 適当なボタンを片っ端から押してみれば、ライトがつき換気扇がまわって、最後に火の輪に炎がついた。


 「やっりー! あったりー、これで火の輪くぐりの練習が出来るなー!」


 俺の前でごうごうと音をたて輪の周囲を炎が包む。
 ……かと思ったら。


 「あれ?」


 低いモーター音とともに、炎の輪が振り子のように揺れる。
 いや、揺れるだけじゃねぇ。

 燃えさかる炎の輪は、見た事もない速さで回転をはじめると、俺の方へと迫ってきた。


 「えっ、え。ちょ、まっ…………じょ、冗談じゃねーぞー!」


 ギシギシと音をたてて揺れる輪が近づけば、肌が焼けるように熱い。

 あつい……。
 そうだ、炎ってこんなにも熱っちぃモンだったんだ……!

 慌てて逃げる俺だったが、炎の輪はまるで俺が逃げる方が分かるみたいに迫っていた。


 「うわぁぁぁ、何だよなんだよコレぇぇぇ、くそー、ちきしょー!」


 そうだ、あのボタン……。
 スイッチを止めれば何とかなるだろう、そう思いつきはしたけれども、俺とスイッチの間にはあの炎が立ちふさがる。

 ……ハナのもってきた映像通り、火の輪くぐりを決めればいいんだろうが。
 音をたてて燃えさかる火の輪は火力最大となり、本来くぐる為にある部分さえ炎に包んでいた。


 「じょ、冗談じゃねぇーぞ、コレ。どうするんだよぉ。おれ、どーしたらいーんだよぉ!」


 頭を掻いて何とかならないか方法を探す。
 けど……何も思いつかねぇまま、輪が俺を見つけたみたいに迫ってきた。


 「シシド!」


 そんな中、聞き覚えのあるあの、いけ好かない声がする。
 見ればスズキが……あの嫌なニンゲンが、俺を睨み付けていた。


 「大変たいへん、火の輪が出てきちゃってるよ鈴木! 大変だよ、危ないよ大変だよ鈴木、逃げよう鈴木ここ危険だよ、ねぇ鈴木ぃ!」


 隣ではトイトイが……スズキにいつも付いて歩くトイプードルのメスが今日も喧しく叫んでいる。
 確かにトイトイの言う通りで、ここにいたら火傷じゃ済まないんだろう。


 「……そいつの言う通りだ! 逃げろニンゲンっ!」


 いけ好かない奴でも、傷ついたらハナが悲しむ……。
 とっさに思って叫ぶがスズキは、黙って俺へと近づいてきた。


 「な、何やってんだニンゲン! おまえっ……」
 「トイトイ! ……この装置、止め方は分かるな?」

 「え!? ……うん、わかるよ。私いい子だからね、鈴木が教えてくれたことぜーんぶ覚えちゃうの! だからわかるよっ、だけど……どうするの、鈴木。ねぇ鈴木……?」

 「……装置は頼んだ! 俺は……」


 シシドを助ける!
 その言葉を言うより先に、スズキの奴は走り出す。

 何やってんだよ。馬鹿な事すんじゃ無ぇよ……。
 俺が、こんな目にあってるのは自業自得なんだから。

 それに、今さら急いだって間に合わない。
 もう、火の輪は俺の眼前に迫っていて……逃げ場なんて無いんだから……。

 迫り来る炎を前に、俺は黙って目を閉じる。
 窮地に陥ると目を閉じてその存在を「無かった事」にするのが猫科動物にはあると言われているが、どうやら俺にもその習性が根付いているようだった。

 火の輪が迫っている。
 肉を焼くような焦げたにおいがする。

 だが……不思議と、熱くはない。
 柔らかな感触が身体を包んでいるだけで、痛くもない。

 何故だろう。
 そう思って目を開けた俺の、その目に飛び込んできたのは思いがけない光景だった。


 「なっ……スズキ、おまえっ……!」


 目の前には俺を抱くように庇い、その背を炎で焦がすスズキがいた。
 弱っちいニンゲンのクセに、俺を守ろうとしているスズキがいた。

 勝手な事をした俺のせいで、傷つくスズキが……。


 「何してんだよぉ! オマエ……ニンゲンのクセに、何してんだよ、俺のせいで、何して……何してっ……」
 「……仲間だからな」


 炎で背中を焦がされる最中でも、スズキは笑っていた。


 「俺にとって……トイトイも。シシド。キミも……大事な、仲間で……弟みたいなもんだ。だから……助けてやらないとな?」


 弱っちくせに、笑っていたから。


 「スズキぃ……!」


 どんな顔していいのかわからない俺が手を伸ばした時、背後で巨大に蠢いていた炎は消える。
 トイトイが、装置を動かして消してくれたんだろう。

 だけど……。


 「っ……くぅっ……」


 辛そうな呻き声をもらし、スズキはその場に倒れ込む。


 「スズキ! スズキぃ!」


 背中はススで真っ黒になっていた。
 スズキの背中は、相当痛ぇはずだった、だけど。


 「……よかった、シシド。無事だな?」


 あいつはそれでも笑っていた。
 俺が無事だった事が嬉しくて、そうやって笑っていた。


 「何で笑ってんだよぉ……どうして、俺なんて助けるんだよぉ、弱っちいニンゲンのクセに、余計な事してよぉ……」
 「いっただろ、おまえも。トイトイも……ロデオも、仲間なんだから……」

 「でも、おれ……俺のせいで、オマエ、怪我っ……」
 「いいんだよ、オマエが無事ならそれでな……」


 何だよこいつ。何でだよこいつ。
 弱っちいニンゲンのくせに……何で、笑ってられるんだ。

 弱っちい人間のクセに……どうしてそんなに、強ぇんだよ……。


 「……スズキぃ。おれぇ、ごっ、め……ごめっ、ぅぅ……」


 ゴメンナサイ。
 謝ればいいんだよ、こういう時は……。

 ハナにそう言われていたけど、いざとなったら言葉が出ない。


 「ごめっ……ごめ……」


 そこから先は留まる声に、スズキはまた優しく笑う。


 「いいんだ、シシド。本当に、オマエが無事なら……」
 「……でも、でもっ」

 「……だが、もし謝りたい気持ちがあるなら約束してくれ。もう、無茶な事はしない、って……俺は、トイトイにも。シシド、オマエにも、危険なことしてほしくないんだ。だから……」
 「あ、あぁ……」

「 練習も、きちんとしてくれ……逃げたり、めんどくさがったりするな……?」


 呼吸が絶え絶えで苦しそうに聞こえる
 ……火傷ってのは、ニンゲンにとっても大きな怪我だってきく。

 スズキ……。
 ひょっとしたら、凄くヤバイんじゃないだろうか。

 ヤバイのに、俺の事……気にしてくれてるんだろうか……。


 「あぁ、わかった! 約束する、約束するからっ……」
 「そう、か……よし、約束だから……な?」


 スズキは安心したように笑うと、ゆっくりその場に崩れ落ちる。

 「スズキ?」
 「うそ、鈴木……いやぁぁぁ、鈴木死んじゃ嫌ぁぁぁぁぁ!」


 そこで、それまで舞台裏で装置を弄っていたトイトイが涙を浮かべ駆け寄ってきた。

 嘘だろ……。
 スズキ、まさか……。


 「いやいやいや、勝手に殺すなよトイトイ!」


 駆け寄るトイトイを前に起き上がると、スズキは余裕の笑みを浮かべる。
 その姿に、トイトイ以上に俺が驚いていた。

 だって、スズキ確かに俺のかわりに炎を受けて……大やけどしてなければ、おかしいはず……。


 「あれ、スズキ………………怪我は?」
 「ん、あぁ大丈夫……防火チョッキ着てたから」

 「防火チョッキ!?」
 「……急に舞台が明るくなって、もしかしてと思ってな。念のため、羽織ってきたら案の定だ。全く、世話かけるな、シシドは」

 「で、でも。オマエ、怪我して……」
 「してるよ、怪我……シシドを助ける為に火の輪の下を無理矢理くぐったから、膝痛めて……まぁ、背中は火傷しなかったけどね。それより、シシド……やっと、約束してくれたよな?」

 「え、あ。あぁっ!?」


 そこまで言われて俺はやっと、スズキに騙されていたんだって気付く。

 コイツ……。
 おれが、火傷していると思いこんでる事に気付いて……重症みたいな、演技したんだ!


 「……ず、ズルイぞオマエっ」
 「大人って、ズルイもんだぜ?」


 スズキはしてやったりとした顔で、俺の方を眺めている。
 かと思うと、俺の首根っこを掴み今度は不適に微笑んだ。


 「さぁ練習だ、シシド! ……折角だから今日はこのまま、たっぷり仕込んでやるからなっ!」
 「く、くそー! 騙された、馬鹿ぁ、馬鹿やろー!」


 じたじた逃げる俺を引きずるスズキの後を、トイトイまでもついてくる。


 「まってまって、鈴木まってぇ、トイトイも! トイトイも行くぅ! 練習するからー、トイトイもシシドを仕込むのー!」


 ……そんな賑やかな夜も、月は変わらず輝いていた。





 <シシドさんとスズキだとお兄さんと弟みたいな。(戻るよ)>