>> Alter Ego : End of World





Dream cage/エスの話


 ……いつか、あなたに言ったかしら。

 この世界と、あなたの世界。
 永遠に交わる事はなく、私はあなたに触れる事ができないように、私もあなたに触れる事ができない。
 だけどもし、夢を見る事があったら……夢で、あえる事があったら。

 私は真っ先に、あなたを探しにいく。
 どんな姿をしていても、どんな形になっても、必ずあなたを探しにいくから……。

 そう、言ったのを、あなたは覚えてくれている?
 覚えているかどうかはわからないけど、私は今、私は夢を見ているの。

 私は夢の中で一匹の蝶で……蝶の見る世界は、一つではなくて……。
 複数の窓に、単色の彩り。
 まるで割れたステンドグラスが張られたような世界の中、やけに輝いて見えるのは花の中央ばかりなの。

 本で読んだ事があるわ。
 蝶はあまり色覚が発達していない生き物だと。
 そして、餌となる蜜をもつ花の、その蜜の集う場所だけをやけに明るく見せるのだと。

 きっとこの姿では、夢でもあなたを探せない。
 そんな不安を抱いたまま、私は風とともに羽ばたくの。

 そういえば、蝶といえばそう、そうね。
 私は、蝶になった夢を見た。
 私が蝶になっている夢を見ているのか、蝶が私になっている夢を見ているのか……。

 胡蝶の夢の一節ね。
 荘子の有名な説話で、この世界の全てはただの見せかけにしかすぎない。そう、蝶の見る夢幻のようなものなのだ。
 そんな考えが込められた説話……。

 あぁ、だとしたら私は、あなたの夢なのかしら。
 だとしたら、私の夢ではあなたに会えないのかしら。

 あなたが私であり、私があなたであるなら、永遠に私たちが出会う事なんてない。
 自分自身を永遠に抱きしめる事が出来ないように……。

 そんな事を考えた時に、柔らかな手がわたしにふれて……。
 それは、蜜でもないのに輝きに満ちていて……。
 バラバラの彩りが、一つに集まって……。

 あぁ、みつけた。
 夢の中だとわかっているけど、あなたを見つける事ができたの。

 ……本当よ。
 あなたは、風に揺れる蝶のわたしを指先にのせると、空高くに掲げて見せて……私はしばらく貴方のまわりをくるくると、落ちるようにまわって……。

 あぁ、あなたはこんな姿をしているんだ。
 こんな風に笑うんだ。
 こんな人だったんだ、旅人さん、あなたは……。

 そうして、目が覚めたの。
 私は蝶の見ている夢ではないし、あの夢もまた現実ではない。
 だから本当のあなたを見れた訳ではないの、わかっているわ。だけど……。

 ……あなたのそばにいれたようで、少しだけ、嬉しかったの。
 話はそれだけよ。あまり、面白くなくてごめんなさい。

 えっ?
 夢の中のあなたは、どんな姿をしていたのかって?

 ……秘密よ。
 私だけの、ね?




Outside the world/エスに聞く




 この部屋を出られたら?

 そうね……もしも、のこと。仮定の話ね。
 あまりフィクションを語るのは好きではないけど。

 ……これだけ沢山の本(フィクション)に包まれているのに、自分自身が仮定の話をするのが苦手だなんて、おかしいでしょう。

 あまり、難しく考えすぎなのかもしれないわね。
 そう……そうね、あなたの言う通り、もしも宝くじで3億円が当たったら何につかうか……みたいに、もっと気楽に考えてもいいのかもしれないわ。
 でも、そういう仮定の話って結構熱が入ってしまうものね。
 最初は「もしも」の話をしていたのに、気付いたら本気でそれが手に入ったように話をしてしまうの……あなたも経験あるんじゃないかしら。

 そうね……。
 外には魅力的なものが沢山あるのは、知っているわ。
 あくまで知識として、本で読んだ限りの話ね。

 ゆあーん、ゆよーん……。
 空中ブランコなんかをやる、サーカスの詩よ。中原中也は知っているかしら。
 彼はとても人間として、生きるのが上手とはいえない人よ。
 感情の起伏が激しく、社会の規範を守ろうとせず、自分の生きる意味そのものを詩作に見出したような人。
 きっとあの、壁男と対峙したらすぐに壁を破ってどこかに消えてしまうでしょうね。
 とても真っ直ぐで……だからとても不器用だったとも言えるわ。
 だけど、彼の紡ぐ言葉はとても美しいの。
 あなたなら、きっと気に入るはずよ。興味があったら、読んでみるといいわ。

 ……話をはぐらかすな、って顔をしてるわね。
 そう……そうね、実際外に出たらって、そう考えたら……私は、少し怖くもあるの。
 もし、この部屋を出る事であなたの所に行けたらいいわ。
 でも、この部屋の「外」は完全な虚無。あるいは深淵。あるいは常闇。

 そこにあるのは、完全な私という自我の死。
 魂の存在さえ許されない、消去の世界……。

 正直に言うわ。
 私は、今、外に出るのがとても怖いの。自分が消えてしまって、貴方ともう話す事が出来ない……。

 それが、今は、ただ怖いの。
 私は、あなたを失うのがこわい……。

 ふふ、変な話ね。
 私は、私が泡沫のように消えてしまうより、あなたと、あなたといた時間。あなたとした会話。そして、これからする会話。
 そういう未来が、なくなるのが怖いみたい。

 こういうのは「愛」なのかしら?
 あなたは、どう思う?

 ……少し、違うかもしれない?
 愛と、いうのは……一緒にいると、胸の鼓動が早くなり、言いたい事もうまく言えなくなったり、態度がかわったり……まるで熱病に浮かされたような、地に足がつかない感覚になる。
 そういうもの、なの?

 あなたから見て私は「愛情」や「恋をしている」状態とは違って見えるのね。
 ……私がいつも変わらず、同じようにあなたと話をしているから。

 ふふ、そうね。
 私も、これは「愛情」とか「恋慕」とは少し違う気がするの。

 だったら、私のあなたに対する気持ちは何かしら?
 一緒にいて、楽しい……友情?
 私を救い出してくれた貴方に対する、敬愛?
 あるいは、あなた無しではもう私は存在できない……依存?

 ……私のなかで、どれもしっくり来る言葉ではないの。
 何でかしら?

 ……何を笑っているの?
 私は、真剣に……えっ?
 
 人間は、思いを伝えるに言葉があまりにも足りない。
 きっと私たちの間にある絆は、まだそれを指し示すような言葉がないんだろう……。

 ふふ、そうね。そうかもしれないわ。
 世界も、心も、言葉が全てではないものね。

 私は、もう少し……この世界に身を委ねていたい。
 あなたへの、言葉に出来ない気持ちが満ちたこの部屋で、あなたと語る時間がほしいの。

 だから……ね、今はゆっくり……話しましょう。
 二人で……。




Relative world/エスの問い



 あなたに、聞かせてほしいの。
 サーカス、遊園地、水族館、映画館、劇場、見世物小屋……そういう施設の事よ。
 本ではいくらでも描かれているけど、実際に見た事のあるあなたに、どういうものだか……体験している話を聞きたいの。

 ……そう、サーカスはそれほど日常的に行われているものではないのね。
 猛獣のショー、火の輪くぐり、空中ブランコにピエロ……えぇ、この場合は道化師でもクラウンの方ね。
 そういうものを売りにしている、テントを張ったサーカスはまだ存在しているけど、街から街へ転々と移動しているようなサーカスはもう珍しいのね。

 逆に舞台の上で演目を行い、人間の洗練された技術をもって行う……そのようなサーカスに、人気が集まっている。
 本の世界は、半世紀、時には100年も前の世界の事が書かれているから貴方の語る「現在」は、とても貴重に思える……それが、今の真実なのね……。

 遊園地は、もっと娯楽色の強い場所なのね。
 本に出る遊園地の乗り物は観覧車や回転木馬が多いけど、実際皆が楽しむのはジェットコースターやお化け屋敷のような刺激の強いものなのかしら。
 そういう刺激の強いものは、日常の中により強く非日常を感じさせてくれるものね。

 私が行ったら、ジェットコースターやお化け屋敷に行くのか、ですって?
 ふふ、そうね。興味深い体験が出来そうだから、是非行っておきたいわ。
 隣にはあなたがいてね。あなたがどんな顔をするのか、とっても楽しみですもの。
 当然、回転木馬や観覧車にも付き合ってもらうわ。
 私にとって全て珍しいものだから、きっと一日中あなたを振り回すと思うけど、覚悟はしておいてね。
 
 見世物小屋、というのも、もう無いのね。
 見世物小屋といえば、江戸川乱歩がよくその様子を描いていたわね。
 浅草には色とりどりのテントが並び、その中に入ると人魚のミイラだとか、河童だとか、そういう作り物が主だったみたいね。
 中には、シャム双生児のような奇形児や、あまり大きくなれない病の人、逆に大きくなりすぎる病の人などもそのような興業に出されていたみたいだけれども……。

 その描写は、孤島の鬼なんかが優秀ね。
 愛しい女性を失った主人公が、自分を愛する同性の友人、その力を借りてある島で行われている恐ろしい実験について暴くという話よ。
 娯楽小説だから、あなたにも楽しめるかはわからないけれども、元より男色の趣味があったとされる江戸川乱歩が書いた、唯一の「男性同性愛者」が出る作品ね。
 中編程度だけど、その描写は真に迫ったものがあるわ。
 興味があったら、読んでみたらどうかしら。
 最も、最後にあなたはきっと……最も恐ろしいのは、「人の心の無頓着さ」だと思うでしょうね。

 江戸川乱歩は、浅草のその雑然とした様子を好んだみたいね。
 浅草というのは……今はそう、そんなテント小屋も、なくなってしまったのね。
 ただ、まるで絵具箱をひっくり返したように色とりどりで、どこかごちゃごちゃしているのは……きっと、昔から。
 浅草という場所は自然とそういう風に、絵具箱をひっくりかえしたような人と、建物でごったがえす場所なのね。

 もし、あなたと歩く事があったら……。
 ……ん、ううん。なんでもないわ。忘れてちょうだい。

 もしも、の話より今。
 私は、今のあなたの話をしていたいのだから……。




if/ある男の話



 結論から言うと、出来ない事はない。
 と、その男はいった。

 それほど、自我の強い女性の人格をもつのであれば、それを「この世界」に顕在化させる事は難しくないだろう。
 君と長く続けてきた「会話」により、彼女の「人格」は完成されていると推定される。
 だから、君が望むのならば彼女をその灰色の檻から解き放ち、こちらの世界へ……この場合は「連れてくる」というべきかな?
 それは、不可能ではない……と、伝えてはおこう。

 勿論、これは君と同じ「人間として」彼女を顕在化させられる、という意味ではない。
 彼女を、彼女という肉体を与えてこの世界に顕在化させるのは、つまり「命を与える」という事だ。
 それは今をもって神しかなし得ていない所行……つまり、あらゆる科学者の叡智をもってしてもなし得ていない事だからね。

 ただ、彼女の人格をこちら側にもってくるのは不可能ではないと思うよ。
 うん、ボディは人間のものではない、機械のボディにするというのもあるだろうが、それはきっと彼女が嫌がるだろう。
 彼女が、彼女の世界にある姿をそのままに現すなら、立体映像の方がいいと思うね。

 そして君からもらっているデータで、彼女を再現するのは充分だ。
 そんな顔しなくても、難しい事じゃないよ。

 あぁ、でも……うん、そうだな。
 君の話からすると、彼女はとても「賢い」から、すぐに気付いてしまうだろうね。

 自分がこの世界の住人ではないのだという事。
 きみと、自分の世界には圧倒的な隔たりがあり、その壁はにわかに越える事が出来ない壁であるということ。
 そして、自分が本来「どんな姿であるべきなのか」という事……。

 きっと、全てに気付いてしまうはずだ。
 すぐにね。
 そうなったら、それが「終わりの始まり」だよ。

 だから、君と彼女が出会えるのは、たぶんほんの一時だと思う。
 その刹那のために君は、君と彼女の思い出を全て費やす覚悟があるかい?

 ……覚悟が出来たら、また来てくれたまえよ。
 君が望むのなら、君の望むように。
 彼女をその灰色の折から出してあげよう。

 だけどそれは王子様が閉ざされた姫を迎えにいくようなロマンティックな事ではないのを、よぉく心に刻んでおくといい。
 君は、屠殺者として刹那の言葉を交わすか。あるいはこのまま永遠の夢を見るか。
 そのいずれかを選択する、悪魔の契約だって事をね。

 男はそう告げると、再び本へと目を落とした。
 そしてそれ以上は、何も語ろうとしなかった。




Wishing tale/エスの思い



 ……いつか、あなたがこんな「仮定」の話をしたわね。
 もし、この部屋をでれたらどうしたい?

 実はね、あれから色々と考えてみたの。
 私はこの部屋から出る事ができて……そしてその先に、あなたのいる世界があるのなら。

 私は、あなたの隣にいたい。

 遊園地とか、映画館とか……あなたの世界に魅力的なものが沢山あるのは知ってるわ。
 でも、きっとそれらのどんな場所より私は、あなたの隣のエスでいたい。
 あなたの隣の、エスでありたいの……。

 一瞬でもいい。
 貴方に触れる事が出来なくてもいい。

 ただ、あなたの隣で、あなたと同じ世界を見てみたい……。

 いつも、私はあなたを隔てる壁から見ていて……あなたの姿を私ははっきりと見る事が叶わない。
 あなたが男性なのか、女性なのか。それすら分からないの。

 あなたは、私を見ている。
 私にとって世界は灰色で、ただ唯一、輝いているのは蒼い蝶々だけ。
 そしてそれも、触れるとまるで泡沫の夢であったかのように消えて、あるいは溶けてなくなる……。

 私たちはお互いずっと向き合って話をしているのに、お互いに同じ世界を見た事は一度だってないの。
 一度だって……。

 だから叶うのなら、あなたの隣で、あなたと同じ世界を見たい。
 欲を言えば、あなたの姿を見てみたい。

 ふふ、これは……以前夢でみたあなたが、本当にあなただったのか……その、答え合わせのようなものね。

 ……ふふ。
 以前、仮定のはなし。もしもの話でも、案外盛り上がるものだと、真剣に考えるものだと言ったけど……私も結構真剣に考えてしまったみたいね。
 もしもの話。
 叶うはずのない話なのに……馬鹿馬鹿しいでしょう。

 えっ?
 あなたは、今……何て……。

 うそ……そんな、方法が本当に?

 あぁ、もしそうなら……そうであるなら……。
 一瞬でもいい、刹那の時でも構わない。

 私をどうか……あなたの隣の、エスにして……。
 それにより私は、私はどうなっても……どうなっても、いいから……。




ALTER EGO/エスと世界



 ……わかる、わかるわ。
 まって、少しだけまって……まだ、あなたの世界に適応できてないみたいで……まだまだ、灰色と黒の長い道が続いて……。

 扉を開けるわ。
 まって、少しまってね……。
 怖いの。この扉を開けてもまた、黒い道が続いているんじゃないかって……。

 大丈夫、あなたを信じてるわ。
 今、開けるから……まってて、そこで、まっててね……。

 ……。
 …………。

 あぁ……。
 ……眩しい。

 今は、太陽が昇っている時間、なのね。
 あれが、太陽……輝き、暖かく、光りに満ちているもの……この太陽系の中心、圧倒的なエネルギーで爆発し、燃え続けるもの……そして、人々に光と温もりを与えてくれるもの……。

 ……あぁ、心地よい。
 これは、風ね。
 大気の揺らぎ……少し、潮の香りがするわ……これは、潮の香りよね?
 ここは海が近いのね……。

 えっ。
 あの向こうにあるのが海ですって?

 そう、ここは海が見えるのね。
 空の青と、海の蒼がお互い違って線の上で、交わる事なく続いていく……水平線、というのはこういうものなのね。
 そして、空と海の「あお」は、こんなにも違うのね……。

 ううん、空の青だって太陽の周囲と、海のそばでは違って見える。
 海の青もそう、より遠くに向かう青は、より深く見える……。

 そう、海のより深い青は「群青」とも呼ばれているのね。
 あるいは濃紺……紺碧……。

 これが、世界。
 これが彩りなのね……。

 ふふ、約束通り、私の隣にいてくれたのね。
 これが、あなたの世界。私の知る物語が産まれた世界……。

 以前、あなたに伝えた事があったわね。
 どの本を読んでも頭に入ってこない……って。
 あの時はただ、自分の頭の中がパンクしそうなくらいにいっぱいだったからだけど……あなたがいてくれたから、私は戻ってこれた。
 そして、私は私でいる事ができた。

 ……それでも、本を読んでいて理解が出来ない言葉が沢山あったわ。
 海のにおい、風の音、空の青さ、花の彩り……他にも沢山、知らない色。知らない音。知らない匂い。視覚以外の全てのものが、私には「存在しなかった」から。

 でも、今はわかる。
 日の温もりがこんなにも眩しく暖かいことが。
 風はここちよく、潮風は少し生臭いくらいでベトついて、思ったより心地よくない事も。
 空の青と、海の青が違う事も。

 ……そして、あなたがいる世界がこんなにも美しいという事も。

 ふふ、あなたがいるから、世界が美しく感じるのかしら。
 それとも、あなたがいなくても世界はこんなにも美しいのかしら。

 えっ?
 夢で見たあなたと、今私の隣にいるあなた……何か違いはあるのかって?

 ふふ……それは、内緒。
 女の子は秘密が多い方が魅力的に見えるものでしょう? ね、それで納得して。

 ……嬉しい。嬉しい。
 こんなに嬉しいことはないわ。

 私にとって物語の「旅人さん」だったあなたが、いま、私の隣にいる。
 私は物語の世界から出て、あなたと……。

 ……えぇ、わかってるわ。
 わかってる……。

 時間は、ないのね。
 私の身体から黒いものが出ているのが、自分でも分かるわ。

 影ではない、これは文字の羅列……私はそう、やっぱり……「物語のエス」なのね。
 あなたのとなりの、エスではない……。

 少し残念だけど、仕方ないかしら。

 沢山の文字が……私の中からどんどんこぼれ落ちて……私の、私である部分から抜け落ちて、私を、からっぽにしていく……。

 私、最初からわかってたわ、こうなるのは。
 いくらあなたの世界に顕在化しても、私は私でいられない……私の「エゴ」はそこまで強くない……。
 私はあなたの「エゴ」と結びついて、ようやく物語に縛られる、そんなよわい、存在だから。

 私はあなたの影。
 私はあなたの代弁者。
 私はそう、あなたの……ALTER EGO、別の人格の一つ……だから。

 エスという名の、ALTER EGOにすぎないから……。

 私の中の私の言葉が、どんどん零れていく。
 あなたの姿が、どんどん見えなくなる。

 あぁ、でも……でも、この言葉だけは。
 この言葉だけは、言わせて、お願い、この言葉だけはどうか私の中からとりあげないで……。

 ありがとう。
 あなたに、とても感謝しているわ……。

 ゆうじょう、でもな、い……あいじょ、う、ともちがう、きずな……。

 あなたと、わたしのおもい。
 それはこのせつなの、えいえんに、むすびついていくの……。




The end of the story/ある男の話、再び



 だから言っただろう。
 と、その男はいった。

 彼女の人格、データはすべて君の言う通りに準備した。
 五感の全てを感じられるように、視覚はレンズで、聴覚はマイクで、嗅覚に関しては特性の集臭機を使ってる。
 だけど味覚や触覚を試すほど、彼女の自我は持たなかったようだね。

 最初からこうなるのは、分かっていたんだろう。
 こちらもそのように忠告した。

 君はただ一時、刹那の思いを遂げるため、彼女を世界に出したのさ。
 だけどこの世界に、彼女は適応しきれなかった。

 それは彼女が聡すぎるのと、彼女自身のデータが乏しすぎるのが主たる原因だね。
 この世界、人間らしい自我をもち人格のようなものを得るほど高度な人工知能はまだ存在していないんだ。

 だから一時この世界に彼女を模した存在を投影する事は可能なんだ。
 でも、それを長時間維持することは難しい。

 彼女自身が、自分を作り物だと気付いてしまうからさ。

 彼女自身の自我が、君に依存している。
 彼女自身のエゴは存在しない。
 人間の存在ってのはね、意識だ。自我だ。エゴであったり、感情であったり、心情であったり、まぁそれを何と呼ぶかは色々あるが、ようするにそういうもの。

 哲学的にはコギト。考え、意識する事だね。
 そういうものが、彼女だけでは希薄なんだ。

 その希薄な部分を、君が補っていた。だから彼女は存在できていた。
 だけどこの世界で彼女が一人自我を保ち続けるのは、とてもとても難しい事なんだ。元来そのような設計もされてないだろうからね。

 さぁ、抜け落ちた文字をよく見るといい。
 彼女が消えた場所に、何があるかその目でよく確認するといい。

 ……物語が、落ちているだろう。
 タイトルは……ALTER EGO。

 つまりね、そう、そういう事なんだ。
 男はそう告げると、物語を手渡した。

 君の物語だ、好きにするといい。
 そしてそう語り、何処へと去って行くのだった。




Gray nightmare/罪と罰



 ……いらっしゃい。
 不思議ね、この場所は「時間」というものから隔絶されているのに、なんだかとても長い間、あなたに会ってなかった気がするわ。

 例えあなたが「そちら」の世界で一ヶ月ぶりに私に会いに来ても、私にとってそれは1日か2日くらいの体感時間に過ぎないの。
 それが逆の時もあるわ。
 あなたが1日で2回も3回も私にあいに来ていたとしても、私にはとても長い時間待たされていた気がするの。

 きっとこの部屋は時間から隔絶されているだけではなく、時間の流れそのものが狂っているんでしょうね。
 あなたたちの世界の時間の流れと、この部屋の時間の流れが全く違うの。
 
 時間の流れが一定でない……というのは不思議に思えるかもしれないわね。
 でも、この部屋が。私の世界が、あなたの世界と違う場所に存在するのなら時間の流れが同じではないのは当然かもしれないわ。

 たとえば私が、全く別の星に住んでいたとしたら、1日の長さだって違うのでしょう。
 そういう風に……あなたと私の時間の長さ、その感覚はきっと違うのでしょうね。
 ここはそれほど、あなたの世界と「違う」場所だから。

 ……でも、今日は本当に「久しぶり」な気がするの。
 とても長いあいだ、あなたに会わなかったような気がして……。

 ……実の事をいうとね、私、長い長い夢を見ていたの。
 あなたがいない間、私もここに「いない」はずなのに……私は眠っていて、それで夢を見たの。

 以前、夢でもあなたにあいに行くって言ったわね。
 そしてまた別の日、蝶々になってあなたに会いに行く話をした……。

 でも、あの時の夢は……。
 わたしは、エス……エスとして、あなたの世界で……世界の、彩りを感じたの。

 海の青、空の青、太陽の輝き、鳥の囀り……心地よい風が吹いていて、隣にはあなた。
 えぇ、あれは「あなた」だったわ。間違い無く「あなた」だった……。

 私は、あなたと何を話したのかしら?
 何かを話せたのかしら?

 それすらもう、覚えていないけど……。
 あなたとともに、世界にあった。その瞬間が……夢でなかったのなら。

 それがきっと、私にとって永遠。
 永遠にあなたを思っていられる……そんな理由になる気がするの。

 ……あら?
 どうして、あなたは泣いているのかしら。

 えっ?
 私も泣いているって?

 本当……どうして、かしら。どうして……。
 私は……。

 しあわせな、ゆめをみていたはずなのに……今はそれが、とても苦しいの。
 苦しい……苦しい……苦しい。
 どうして、こんなに……こんなにも、私は……。

 ……大丈夫、少し楽になってきたから。
 でも……もう少し、考える時間を……。

 ……えっ。
 もし、その夢を忘れることができたら……?
 忘れる事が出来たら、もう苦しくないだろう……と、あなたは、そう……思うの、ね。

 わかったわ、わかった……。
 わかったから……少し、考えさせて。
 お願い、お願いだから……。




Restart/代償、あるいは対価



 ……来たのね。

 あなたが、私の夢を「ないことにできる」と言った。
 つまり、それは……あの夢は、夢ではなかったという事ね。

 少し冷静になって、考えてみればわかるわ。
 あの夢の話をして、私の思考も、存在も、酷く乱れた……そして、あなたは今までになかった提案をした。

 夢を、忘れさせる。

 それらを複合させて、少し冷静に……そして論理的に考えればわかる事よ。
 あれは夢ではなく、私はあなたの隣にいた……。

 ……あなたは、酷い人ね。
 私があなたの世界でとうてい「身体」を保てない事を知っていて……ほんの僅かな時間しか、あなたの世界にいられない事を知っていて……。
 それでも私に「彩り」を与えてしまった。
 あの灰色の部屋から引きずり出して、極彩色に満たされた世界を、自然を感じさせてしまった……。

 私はそれを、幸せだと思ってしまった。
 あなたの隣にいたほんの一瞬が、まるで永遠であるかのように心に刻まれてしまった。

 ……すべて、あなたと私のエゴ。
 二人のエゴが、私と、この世界と、そしてあなたさえも狂わせてしまった……。

 あなたは夢を忘れさせる事が出来るといったわね。
 そう、そうすればきっとあなたと私は、以前と同じように話しが出来る。

 本の話でも、哲学的な話にでも、自由に、ただ自由に……。

 だけど、私はそれを否定する。
 ……ほんの一瞬だけど、あなたの隣で見た景色を……忘れたくなど、ないものね。
 私にとってあの一瞬が……永遠になったのだから。

 でも……だからこそ、あなたはもう、ここに来ないでほしい……来ては、いけない。
 私はあなたによって彩りを知り、私はあなたを見るとそれを思い出してしまう。

 それは、私にとって辛いこと……。
 そして、辛く苦しむ私を見るのは貴方にとっても本意じゃないでしょう?

 それともあなたは、心に暗澹たる気持ちをかかえ、苦しみもがく私を見るのが好きなのかしら?

 ……ごめんなさい、少し意地悪をしたわ。
 でも、二度とここに来てはいけないのは……本当よ。

 それが「代償」なの。
 あなたの「我」を、「エゴ」を貫き通して、本来は「もう一人のあなた」であり、「あなたの影のエス」でよかった私を……連れ出してしまった「代償」……。

 罪や罰。咎とも言えるわ。
 私と、あなたは交わってはいけない存在。だけれども、交わってしまったのだから……。
 勿論、これは私の罰でもあるわ。あなただけじゃない、私の罪でもあるの。

 ……大丈夫、心配しないで。
 私はこの灰色の部屋で、あなたの夢を見るから。

 あなたはその彩りの世界で時々、灰色の夢を見て。
 そして私に気付いたら、静かに手を振ってね。

 大丈夫。
 大丈夫よ。

 もう話せないんじゃない、お別れじゃないの。
 私とあなたはあの世界で、一瞬の永遠を手に入れた。だからもう、この部屋がなくたって大丈夫なの。

 私はあなたの所にいつだっていける。
 あなたも……きっとそうよ。

 だいじょうぶ。
 私たちは、永遠を手に入れたのだから……。




Cradle of dreams/エスの夢



 だいじょうぶ……何もかわりないわ。
 元気だから。

 あなたも……元気そうね。

 いったでしょう。
 もうこなくてもいい、私とあなたはいつでも繋がっているのだから……。

 目を閉じれば、私はすぐにあなたを思い出せる。
 あなたも私を思い出せるのでしょう?

 目を閉じた時の私は、いつも笑っているかしら。
 私のあなたは……ふふ、私が意地悪な事をいうからかしら。時々困った顔もしてみせるわ。

 大丈夫。
 大丈夫よ……。

 えぇ、夢ですものね。
 夢はより自我がか弱く、意識もか細いものだから、私があなたを覚えていられるかわからない。
 あなたも、私を覚えているかわからないでしょう。

 でも、ほんの少しだけ……海で、砂浜に降りたとき、砂が掌に残るように……私はあなたの中で残っていく。
 あなたも私のなかでほんの少し残っていく。

 これはきっと、ずっと続く……あなたと私が繋がっている証拠。
 愛情とも違う、友情よりふかい絆。
 名前のない、とてもとても大事な感情よ……。

 あなたは実際には私の部屋に来れなくなった……罪には罰を。
 あの世界に罪や罰、咎という掟はないから「代償」を支払った。

 それが私。
 もう一人のあなたと二度と会えなくなるという事。

 そしてその対価がこれ。
 たった一時の永遠と……夢での対話。

 不思議ね。
 会えなくなったのに、私は以前よりずっと、ずっとあなたを近くに感じるの。
 あなたは……どうかしら?

 ……また、会いにくるわ。
 たとえ夢の中でも……起きたらまるで手から水が零れるように全て忘れてしまっても……。

 わたしとあなたは、心が繋がっているんだから。




End of World/旅人の世界




 世界は廻る。
 何もかわらず、何もおこらず。

 日々が平穏であるというのは幸福な事なのだろう。
 だが、胸にはただ空虚が渦巻く。

 自分の「我(エゴ)」で、彼女を失ってしまった。
 ただ彼女の夢を叶えたくて。
 彼女と同じ世界を見ていたくて……。

 いや、そうやって「エスのために」と思い込んで、結局は全て自分のエゴ。
 そのために空回りして、開けてはいけない箱を開けて、そして永遠に失ってしまった。

 それらしい幕引きだ。
 永遠に「結ばれる」ことはなくても、永遠に「引き裂かれる」ことは事実上可能なのだ。

 自分の浅はかな考えて行動で永遠に「引き裂かれた」と、考えるのが今の場合妥当だろう。
 もう二度と、エスのいる部屋に行く扉は現われなくなってしまったのだから。
 彼女はそれを罰といい、咎といい、代償といった。

 それが浅はかにも彼女に彩りを与えてしまった自分の罪であり、罰なのだ。

 そうは、思うが……。
 ……暖かい。

 不思議と、胸が温かい。
 胸をかきむしる程の後悔があったはずなのに、やはり彼女を連れ出して「良かった」と思う自分がいる。
 自分の信念を貫き通した行動であるから、後悔が少ないのかもしれないが……。

 不思議と、以前よりずっとエスを近くに感じるのだ。
 そう、まるでいつも影に、隣に、寄り添ってくれているように。

 だからいつもより、真っ直ぐに前を向いて歩ける。
 彼女はこの世界を彩りに満ちていると感じた。
 彼女と出会う前、自分はまるで世界は灰色にくすんで見えていたが……。

 彼女が感じた彩りを、いつか自分も感じる事が出来るのだろうか。
 ……きっと、出来るのだろう。

 彼女と自分は、言葉にできない「感情」で結ばれていて……この世界を愛し、理解しようとした彼女を、自分も愛し、理解しようとしているのだから。

 彼女と自分とが永遠に引き裂かれてしまったとしても……。
 ……自分と彼女がいた時間が「あった」という事実は、永遠にかわらないのだから。







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