>>  おほしさまほどのしあわせを






 静かだけれど、暑い夜でした。
 なんきちくんは今日は一人で蚊帳の中、ぐるぐる回る蚊取り線香から立ち上る煙を見て、ようやく眠れた所でした。


「南吉さん、南吉さん、起きてください」


 うとうとして、夢を見ようか見るまいか。
 そんな狭間を彷徨ってた時、妙にはっきりとした声が。それも男の人の声が。よく知る乱歩さんの声が響いてきたものですから、なんきちくんは驚いて蒲団を跳ね上げ飛び起きました。


「どうしたの、どうしたの乱歩さん? こんな夜更けに、何のご用?」


 なんきちくんは、いたずらっこ。
 だからいつも司書さんに言われていました。


『南吉くん、いたずらはいいけど、悪い子になったらいけないよ? 悪い子になったら、お仕置きだからね?』


 悪い子といたずらの境目をちゃんと知ってなきゃ、悪い子になって怒られるのはごめんです。
 だからなんきちくんは、司書さんに聞いておきました。


『司書さん、司書さん、わるいこは、どういう子なの?』


 すると司書さんは、顎に指先を置いてすこし考える素振りをみせて。


『そうだね、他人の大切なものを、こわす人。ぬすむ人。他人のおかねを勝手にとるひと。嘘をついて、人を騙して傷つけるひと。悪い子は、だいたい誰かに対してひどいことをする人が、悪い子になるんだろうね』
『だれかに、ひどいことをするひと?』

『それと、自分を大事にしない人だ。そうだね……無鉄砲にお酒を飲む人、食べきれないほどご飯を食べる人、夜更かしをする人、自分で自分を傷つけるひと……そういうのも、悪い子だ。いいかい南吉くん、ここの大人たちは……わるい大人たちも多いけど、南吉くんはそういう大人にはなっちゃいけないよ』
『もしも、わるいこになったら、ぼく、どうなっちゃうの?』


 小さくなって震えるなんきちくんに、司書さんは脅かすように手を広げていいました。


『そのときは俺が鬼になって、きみを食べちゃうからね?』


 その後からから笑っていたから、それはきっと嘘なのだと、そうは思っていましたが、それでも悪い子になったらお仕置きくらいされるでしょう。
 お尻を叩かれるかもしれません。

 『ぼくは悪い事をしました』って書かれた看板を首にかけて、廊下に立たされるかもしれません。

 だからなんきちくんは、いたずらをしても、わるいこにはならないように気をつけていました。
 早く寝るのも、悪い子にならないためです。

 だけど今日の乱歩さんは、夜更けだというのに南吉くんの前に現れたのです。
 シルクハットにマントにコート、片目だけのモノクルと、まるで奇術師のような姿で現れて、なんきちくんに手をさしのべると。


「エー……南吉くん、今日はあなたにとっておきの、見せたいものがあってはせ参じました……よろしければこの手をとって、一晩。あなたを……夢の世界へご案内致しましょう」


 まるで本物の奇術師のようにそんな口上を滑るように語るものですから、なんきちくんは困ってしまいました。
 何故って、夜更かしをするのは悪い子です。
 なんきちくんは、いたずらっ子になるのは良くても、悪い子にはなりたくなかったのです。


「ダメだよ、乱歩さん。ぼく、夜更かしをしたら、悪い子になっちゃうもん」


 眠い目を擦りながらなんきちくんがそういうと、乱歩さんは跪いて、優しく優しく笑うのです。


「えぇ、ですから今日は特別です……ワタクシはあなたに、特別な夜をプレゼントしにやってきたのですよ」
「とくべつ……? どうして特別なの?」
「ふふ……それは当然、今日はあなたの誕生日だからです……誕生日には、誰でも特別な魔法をかけて……誰でも特別になれるんですよ?」


 そうして差し出された手を、なんきちくんは暫くじいっと見つめていました。
 絹の白い手袋は月の夜に照らされて、青白く輝いて見えます。


「……今日は特別なの?」
「えぇ、特別です」

「悪い子って怒られない」
「誰も怒りませんよ、だって今日は特別な日なのですから」


 それなら、と思ったなんきちくんは、その白い手をとって。
 奇術師のような装束の乱歩さんに導かれるまま、夜の図書館を歩み出しました。

 みんなみんな眠っていろのか、館のなかはしぃんと静まりかえっています。
 窓からは月の光がさしこんで、壁も柱も廊下も全部青白く染め上げています。

 時々通るドアの向こうからは、誰かの寝息が聞こえてきそうです。


「どうぞお静かに……あなたにとって特別な日でも、他の人には普通の日ですから」


 乱歩さんにそう言われ、なんきちくんはしずかにしずかに、長い廊下をあるきました。
 しずかにしずかに、赤絨毯の階段をのぼっていきました。
 しずかにしずかに歩き続けて、しずかにしずかに梯子を登って、しずかにしずかに隠し扉を開ければ、そこは図書館のてっぺんでした。

 月の光が空に満ちた空はまるで一面が優しく凪いだ海のように青く輝いていて、その中にまるでぴかぴかに磨いたボタンのような星々が、静かに瞬いておりました。
 手を伸ばせばとどきそうな星たちみんなが 「なんきちくん、まってたよ」 そう囁いている気さえしてきます。

 乱歩さんは、そんな南吉くんの気持ちを察したように笑うと浴衣姿の南吉くんを自分のマントで包みながら、こっそりと囁くのです。


「みんな、南吉くんのお誕生日に集まってくれた星々ですよ、みんなおめでとうって言っているのが、聞こえるでしょうか」
「ホント? みんな、ぼくの誕生日をおめでとうってお祝いしてくれてる?」
「しておりますとも。貴方が生まれた事を、みんな喜んでおりますよ」


 そう言われて、南吉くんは耳を澄ましてみました。
 どこからか、かえるがゲコゲコ鳴いてる音がします。綺麗な音が響くのは、くさひばりでしょうか。鳥の声が聞こえたのは、ほととぎすの声だったかもしれません。

 それらに混じり、ちかり、ちかり。
 星が瞬く音が、聞こえてきたように思えました。


「きこえた、乱歩さんきこえたよ。おめでとうっていってた」
「えぇ、そうでしょう。そうでしょうとも。貴方が生まれたのは、全ての星が祝っているのですから」

「乱歩さん、今日はずっとここで、お星様のお祝い、聞いていていい?」
「えぇ、勿論です。今日は特別な日ですからね」


 そうして、お月様の下ふたり。
 並んでお星様の瞬く音を聞いて、時々流れ星を見て、青白く輝く月を眺めて……そうやってすごしているうちに、なんきちくんは何だか眠くなってきて……。


 ……気付いた時、なんきちくんはいつもの自分の寝室にいました。
 蚊帳の中にあった蚊取り線香はすっかり燃え尽きています。
 太陽は夜の静けさを忘れ、真夏の熱気を蓄えてぎらぎらと輝いています。

 すべて、夢だったのでしょうか?
 そう思った南吉くんの枕元に、小さな瓶がおいてありました。

 なかには、たくさんのこんぺいとう。
 色とりどりのお星様が入ったこんぺいとうの瓶を包み込むように抱きしめて、なんきちくんはそれが夢ではないと知ったのです。


「ありがとう、乱歩さん。ありがとう、おほしさま」


 ぎゅっと握ったこんぺいとうは、赤や青や黄色や白といった沢山の彩りでなんきちくんが生まれた事を、みんなで喜んでいた事でしょう。






 <戻り場こちら>