>>  仮面である事を告げるということ






 みんながぼくの事を「かわいいね」と言ってくれる。

 悪戯をしてしかられても、「まだ子供だから」って大人たちは許してくれる。
 無邪気なふりして笑っていると 「子供の笑顔は可愛いよね」 って笑顔で見つめてくれる。

 だけどね、ほんとうはぼく、わかっているんだ。
 ぼくは本当は「かわいいこども」なんかじゃないって事も、それでも「かわいい」って言ってもらえるように、わざと可愛い仕草をしているって事も……。


 おてがみに、ひらがなをつかえば「かわいい」って思ってもらえるから、ひらがなのお手紙を書いてみたり。
 ぴかぴかとか、きらきらとか、そういう言葉を散りばめれば「かわいい」と思ってもらえるからそういう言葉を使ったりする。

 ぼくは、童話作家の「新美南吉」だから……。
 辛くて悲しい行き違いや優しく可愛い童話の世界をイメージして、ぼくの本を読んで悲しく思ったりする、人の優しい気持ちをいーっぱいもらって生まれたから……。

 だから、ぼくは子供で優しくて、悪戯はするけど可愛いんだよ。
 まえに、特務司書さんはそう言ってた。


 ぼくは「新美南吉」という文豪より、ずっと「新美南吉の作品を読んで、優しい気持ちを抱いた人」の、こころの影響を受けているから、可愛い姿になったんだろうって……。


 だけど、ほんとうは知っているんだ。
 ぼくは可愛い子供なんかじゃない。

 もっと現実主義者(リアリスト)で、もっともっとワガママで、悲しい現実、辛い事実を書きだして、人の心に棘を残す……。
 弱い弱い存在にどうしようもない理不尽を与えて、そういうフィクションの中で「世界は優しくなんかない」と訴えて、本当の弱者が踏みにじられている事を伝えようとしたアンデルセンみたいなところが、ぼくにもきっとあったんだ。

 でも、ぼくはいつも可愛くしている。
 みんな、「可愛いなんきちくん」の事が好きなんだから、ぼくは「可愛いなんきちくん」じゃないといけないって、そう、思うんだ。

 だから悪戯をして、怒られて。
 それでも笑って次の悪戯を考えて……。

 そう望まれているからそうしている。
 だけど、それがぼくはとても「ずるいこと」に思うんだ。

 本当のぼくはこんなにも汚くて、わがままで、悪い事をかんがえていて……。

 だけど、ぼくはそれをごまかして……。
 自分にとってそれが「特だから」可愛いぼくの姿によせて、かわいいぼくを演じている。

 だけど、ぼくは。
 だけどぼくは、かわいいぼくが愛されているのが心地よいのを知っているのに本当のぼくを知ってほしいとも思うんだ。

 「そんなのはキミじゃないだろう」 誰かにそう言われたいのかもしれない。
 「かわいいふりをして、きれい事を」 誰かにそう暴かれたいのかもしれない。

 ……そういう意味で、ぼくは賢治くんが凄く羨ましく思えるんだ。

 賢治くんは、小さい姿をしているけどちゃんと 「大人の分別」 がある。
 春画っていう、えっちな絵を集めていて、それを大人に咎められたり、中には一緒に楽しんで悪い事をする大人と連んだりもしている。
 賢治くんの事を「先生」と呼んで慕う人もいるし、「賢治さん」って敬意を込めて呼ぶ詩人さんも多い。

 賢治くんは、子供の姿をしているけど「可愛い賢治くん」じゃない。
 ちゃんと大人の「宮沢賢治」なんだって、思うんだ。

 だけどぼくは違う、可愛い南吉くんで……。
 新美南吉そのものより「その物語を読んだ人々の優しさ」で……。
 ……利己的で、保守的で、ワガママで自分勝手な「新美南吉」の汚い所も、全部「子供の可愛さ」に置き換えられてしまっている。

 それは最初、ぼくにとって都合がよかった。
 時々ゆうぞう先生みたいに本当に怒る人もいるけど、大体が笑って許してくれる。

 だけど、段々ぼくはそれが「いけないこと」に思えてきたんだ。
 ぼくの事を好きになってくれるのは嬉しいけど、「本当のぼく」じゃない、嘘の、いつわりの、ニセモノのぼくを好きになってもらっても……。

 ぼく、うれしくない。
 うれしく、ないんだ……。


「どうしましたか、南吉くん。さっきから、ずっと同じページばかり見ているようですが」


 談話室で本を読むぼくに、乱歩さんがそう声をかける。


「え? えーっとね、どんな悪戯をしようか、考えてたから手がとまっちゃってたんだ」


 ぼくは相変わらず、かわいい南吉の笑顔でこたえる。

 ぼくは、本当のぼくは決して可愛くなんかない。
 狡くて汚い大人の考えもできる「新美南吉」なんだけど、それでもぼくはそれが悟られるのが何となく「怖かった」んだ。

 可愛いなんきちじゃないと、みんなに認められないような……。
 愛してもらえないような気がして。


「そうですか……」


 乱歩さんは穏やかに笑うと、ぼくにコーヒーを差し出す。


「今の南吉くんは悪戯を考えているのと、違う顔をしていたと思いますよ」


 そうして、自分にもコーヒーを注いでそれを黙って飲み始めた。

 差し出されたのはブラックコーヒーだ。
 ……本当は飲めるんだけど、可愛い南吉はブラックコーヒーなんて飲まないんだ。


「乱歩さん、いじわるしたらやだよ? ……おさとうと、ミルクがほしいな。おさとういーっぱいいれて、甘いコーヒーにしてね」


 そうやって甘えて笑えば、乱歩さんはシュガーポットを差し出して穏やかに語る。


「はい、どうぞ……本当に必用でしたら、好きなだけお使いください」


 本当に、必用でしたら。
 その言葉で、ぼくの心臓がどきんと揺れる。

 ……乱歩さんは、気付いているのかな。
 ひょっとして、ぼくの事……ぼくが本当は、こどものふりをしているけど、大人のする事もできるって事……。

 でも、そうだったらどうしよう。
 ぼく、ぼくは……。

 ……乱歩さんには、嫌われたくない。
 本当のぼくの姿を見せて、乱歩さんに幻滅されて愛想つかれて離れていかれるのは、ぼくはものすごく怖かったんだ。


「ふふ、いーっぱい使っちゃおう」


 そういうぼくの指先が震えて、お砂糖はぽろぽろテーブルに零れる。


「あれ? あれ? しっぱいしちゃった……すぐ片付けるね」


 今のは演技ではない、本当に震えてお砂糖が零れてしまったんだ。
 心がドキドキして、手が緊張して震えて、お砂糖がうまくすくえない。
 そんなボクの姿を見て。


「……南吉くん、いつもなら片付けは私にお願いするのに、今日は自分でやるんですね」


 そんな事を言ってみせる。
 なんだろう、なんだろう、とてもこわい。
 まるでその口ぶりは、乱歩さんの書く探偵が犯人を追い詰めていくような口ぶりで、ぼくはまるで犯人にされたみたいに何となく、怖くなったんだ。


「じ、自分でやれることは自分でやるよ? ……いつも乱歩さんを頼ってられないもん」


 ぼくは慌ててそう言うと、零した砂糖を片付ける。
 そうして砂糖を3ついれて、ミルクいーっぱいにして薄茶色になったコーヒーを美味しいな、と思って飲む姿を、乱歩さんは黙って見つめていた。

 黙って見つめて。
 黙って見つめて……その目は何かを見透かされているみたいで、ぼくの心はふわふわしてくる。

 やっぱり、黙ってるのはずるい事なんじゃいかな、そんな風に思えてくる。

 乱歩さんに可愛いと思ってもらえなくなるのは、いやだけど……。
 ……乱歩さんをずっと騙しているのは、きっとよくない事だから。

 多分ぼくは、可愛いと思ってくれるより、乱歩さんをだまし続けている方がずっとずっと苦しいから。


「あのね、乱歩さん」


 だからぼくは、口を開いた。


「聞いて欲しい事があるんだ、ぼくのこと……」


 ずっとずっと思っていた、本当のぼくのこと。


「ぼくね、みんなから可愛いよね、南吉くんはって。そういう風に言われるけど……本当は、すっごくずるい子なんだって」


 乱歩さんは何もいわずに、ただぼくの話を聞いている。


「ぼく本当は、この方が可愛いから、そう思ってやってる事、たーくさんあるんだよ? お洋服も、男の子らしくなく、スカートはいたりして。そうすれば可愛いって思ってくれる人がたーくさんいるって知ってるからそういう風にするんだし……悪戯しても、可愛くわらえば仕方ないなぁって許してくれる。そう思ってやって……でも、本当はそういうの、わかっていてやってるんだ。ぼく、かわいいぼくのふりをして……それってとってもずるい事だってわかってるのに。だから、ね、ぼく……乱歩さん。乱歩さんが思ってるみたいな……かわいくて、純粋で、優しいなんきちじゃ、ないんだと……そう、思うんだ」


 乱歩さんがまるで、全てを見透かしたような目をしていたから、全てを話したら楽になるかな。そう思ってぼくの「本音」を全部吐きだしてみたけれど。
 どうしよう、言ってしまった今、ぼくはとても後悔している。

 ……乱歩さんに嫌われたらどうしよう。
 かわいい南吉くんじゃなければ興味ありませんって、そんな風にいわれたら、ぼく……。

 ぼく、やだ。
 きっとぼく、耐えられない。

 賢治くんも、未明もともだちだけど……乱歩さんは「とくべつ」だから……。

 ぼくが何も言わないのをみて、乱歩さんはふっとため息をつくと顎を指先で押さえながらゆっくりと口を開く。
 その時間がぼくには、とてもとても長い時間に思えたの。今でもよく覚えているんだ。


「エー……人は誰しも、仮面を被って生きているものです。それが、大人でも子供でも……自分の都合のいい仮面をネ。ワタクシも、奇術が好きな変人の仮面を被って皆々様の前に出ておりますが……ふふ、これで案外恥ずかしがり屋な所もあるんですよ」


 乱歩さんはそういって、にこりと笑う。
 そしてぼくの頭を撫でると。


「だから、なんきちくんが『かわいいと思って貰える』、そんな仮面を被っていたって、ワタクシめは全く構いません……そもそも、そのような仮面は得てして見破られるものですから……南吉くんが隠そうとしていたそれは、とっくにワタクシめはお見通しでし、た……といえば、南吉くんはすこしは安心してくれますでしょうか?」


 そんな事を言って、ぼくの顔をのぞきこむ。
 ぼくは、なんだもう知っていたのかという安心感で、何だか隠していた自分が馬鹿馬鹿しく思えて、でも心の中にあった黒いモヤモヤが溶けて行くような気持ちになって……。


「そっかぁ……良かった」


 ぽつり、そう呟いていた。


「えぇ……ですからそれほど気にする事はありません。そもそも、小さい頃からでも、自分というものを隠して生活するのはよくある事ですから……それよりも、ワタクシが気になるのは……そう、どうしてワタクシめに、そのような告白をする心持ちになったのか。ワタクシはその方が興味がありますね」


 乱歩さんはそう言うと、コーヒーにまた口をつける。
 どうして、なんで。そういわれてボクはすこし考えると。


「……乱歩さんに、嘘ついたままでいるのがいやだったからだよ。なんでそう思ったのかわからないけど……ぼく、乱歩さんに嘘をついていて、嘘のぼくのまま、乱歩さんがぼくをかわいがってくれるの、何となくいやだったんだ」


 ぼくの気持ちを、素直にこたえる。
 すると乱歩さんは嬉しそうに笑ってぼくをぎゅっと抱きしめると。


「はは、そうですか……ふふ、嬉しいですよ、南吉くん。ワタクシは……あなたが、ありのままのあなたの姿を私に見せようとしてくれて……本当の姿を見せようとしてくれて、その事実が、とてもとても嬉しいです」
「ほんと? ……乱歩さん、本当はずるいぼくのこと、嫌いにならない?」
「……あなたが、ワタクシにそれを告げてくれたのなら。嫌いになんてなれるものですか」


 ぼくは乱歩さんの言葉の意味が、よくわからなかったけど……。


「……ワタクシに嘘をつきたくないなんて……最高の思いを頂けたのですから」


 乱歩さんが優しく笑ってくれて。
 ぼくはもう、乱歩さんに嘘をつく必用がなくなって……本当のぼくでも、乱歩さんは構わず「新美南吉」であるぼくと一緒にあそんでくれて、悪戯をしてくれて、導いてくれる……。

 それがわかった時、ぼくは何だか恥ずかしいような。
 だけどそれが、とても幸福なことのような気がしたんだ。






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