>>  知らない笑顔






 ソロモン王の【召喚】を受けるまで、マルファスは普通の学生に過ぎなかった。
 人を寄せ付けず、本の世界に没頭し、いずれくるハルマゲドンを待つ。
 何かをしなければハルマゲドンは必ず起こると分かっていたが、大きな事を起こすには彼はあまりにも無力なヴィータだったのだ。

 ヴィータの一生はメギドの永遠に近い寿命と比べれば遙かに短い。
 いずれ寿命が来るか、寿命が来る前に運悪くハルマゲドンが起るかをして、死ぬのが運命だと、マルファスはどこか諦めのような気持ちを抱いて日々を過ごしていた。

 だからこそ、メギドラルと戦える力をもつソロモンの存在と、彼からの共に戦ってほしいという申し出は喜ばしいものだった。

 自分はいずれ、必ず死ぬ。
 それは変わらなかったとしても、濡れ衣で追放刑という最も重い処分を下したメギドラルに対し一矢報いるような気持ちになれる。

 それに、十七年という短い歳月の中で、マルファスはヴィータの親友と呼べる存在に出会っていた。
 ヴィータの残した沢山の書物は知識を埋没させまいと必死の工夫が読み取れ興味深かったし、今はメギドラルの荒廃した世界より知識溢れるヴァイカルトの方によっぽど馴染んでさえいた。

 この世界を守るために命を賭けるというのも悪くない。

 そう思ったマルファスはソロモンの手をとり、ともに戦い抜く事を誓う。
 こうしてマルファスは戦いの世界に身を投じたつもりであった。

 そのつもりであったのだが……。


「あっ、マルマルだ。マルマルも召喚されたんだね。よかったー、知っている人が来てくれて、嬉しい、嬉しい」


 脳天気な声が、マルファスの脳髄をかき回す。
 それは学生時代に散々とマルファスを悩ませた声であり、そしてある日、諸事情により旅に出ますと突然いなくなった、二度と聞かなくて済むようになったと思っていた声……学生時代のクラスメイト、シャックスのものだった。


「なんだ、シャックス。知り合いか」


 シャックスの隣には、見慣れぬ男が立っていた。
 赤いガウンをひっかけた細身だが筋肉質の男で、鋭い目つきのまだ年若い青年に見える。
 つけているベルトや装飾品は全て高価なものだから金回り良さそうだが、あまり真っ当な商売はしていない。
 むしろ裏社会に精通しているようなタイプの人間だろうと、マルファスはそう判断した。

 シャックスとともにいるという事は、彼もまた追放メギドの一人なのだろう。


「うん、リトリト。マルマルは、私の友達。学生時代に、いーっぱいお世話してあげたんだ、偉い、偉い?」


 シャックスはそういいながら、隣の男に笑って見せる。
 そこでマルファスはついにガマンの限界といった様子で口を開いた。


「別にキミと友達になった覚えはない。ただクラスメイトで、たまたま同じ追放メギドだったというだけだろ」
「えー、でも同じ追放メギドなんだし、友達友達」
「それにキミはお世話してあげたというが、どっちがお世話していたと思う? 毎回毎回赤点ギリギリのキミにノートをかせば返ってこない。学術書も帰ってこない、貸したペンもインクも、羽ペンも。キミに貸したモノは一つだって帰ってこなかったじゃないか。それの何処が友達だ、キミはただの疫病神だ」


 早口でそうまくし立てられ、流石のシャックスも肩を落とす。


「うえー、疫病神って言われたよぉ、リトリト」


 その時リトリトと呼ばれた男は、顎に手をあて考えるような素振りを見せながら。


「オレ様はむしろ、お前が学校行ってた事の方が驚きだぜ。学校で何を教えていたんだ」


 かなり真顔でそういった。
 だが、その点に関してはマルファスも全く同意である。

 シャックスは特定の分野。具体的にいえばキノコの生態に関しての知識は飛び抜けているが、日常生活においては3歩も歩けば全て忘れる本物の鳥頭だ。

 メギド時代、マルファスが耳にしたシャックスの噂には 「シャックスは不幸を呼ぶメギドである」 というものと、 「それ故に忌み嫌われついには不幸を恐れた上位メギドにより追放された」 という噂であった。
 だが今のシャックスを見る限り噂の真相は全く別の所にあるとマルファスは踏んでいた。

 つまり、シャックスは不幸を呼ぶメギドなのではなく、ただ単純に鳥頭すぎて何でも安請け合いした結果、尻ぬぐいを他のメギドがするハメになり、結論として多くのメギドを巻き込んだ不幸がおこるというのが真相だろう。

 それを示すかのように学生時代のシャックスはまさに悪魔的なヴィータであり、不幸を呼ぶ鳥頭の学生だった。
 その性格は逆にメギドらしくはないとも言えたが、大いに迷惑をかけていたのは間違いない。


「ぼくはマルファスというものだ。シャックスから紹介があった通り、王都で学生をしている。ハルマゲドンを止めるという話を聞いて力を貸す事にした、よろしく頼む」


 既知であるシャックスはともかく、彼女の隣にいる男とは初対面だ。
 相手がどんなヴィータ、いや、追放メギドだかは知らないがきちんと礼はしておこう。

 そう思い格式張って頭を下げれば、男はさも満足したように腰に手をあて笑って見せた。


「おぅ、このオレ様に挨拶するたぁちゃんとオレ様の価値を分かってるじゃねぇか。おい、シャックス。お前もすこしはこのガキを見習ってせいぜいオレ様の事を大切にするんだなァ」
「えー、やだやだ。マルマルのマネなんかしたら、息が詰まっちゃうよ」


 マルファスは、下手に礼をつくした自分をすぐに後悔した。
 目の前の男はいかにも派手好きで高慢なタイプの男に見える。しかもシャックスと友達になれる位なのだから、頭の程度も近いのだろう。
 きちんと礼をしたところで、礼節そなえた返礼があるはずなど最初から無かったのだ。

 下手に関わったら学校での時と同じように不幸の巻き添えを食うだろう。ここは早々に距離を置くのが得策だ。
 そう思い立ち去ろうとしたマルファスの前に、男は膝をつくとその手をとって笑った。


「オレ様はベリト、最強のメギド様だぜ。せいぜいその脳みそにオレ様の名前をしっかりと焼き付けておくんだな」


 そして自らの名を告げると、軽く手の甲に口づけをする。
 そんな大仰な挨拶をしてみせたものだから、マルファスは気恥ずかしいやらおかしいやらですっかり動転し、思わず手を拭いてしまった。

 まさか目の前のこの高慢そうな男が、ここまで正式の礼をしてくるなんて思ってもみなかったからだ。


「何だよテメェ、オレ様のキスは汚いってのか」


 怒りを露わにするベリトを前に、シャックスは呆れたように笑う。


「汚いというか、いきなりキスされたら拭いちゃうと思うよ。リトリトって何か挨拶が旧式なんだもん」
「うるせぇな。これはオレ様みたいな上流階級の流儀なんだよ」
「でもあたしたちは一般ヴィータ。じゃなかった、一般追放メギドだもん、リトリト、ちゃんと一般追放メギドの知識も勉強しないとダメダメ!」
「お前に勉強しろ、と言われるのは心外なんだがなぁ、シャックス……少しお仕置きをしてやろうか」
「やーだ、おしおきやーだー。キノコがいい!」


 思わず手をふくマルファスを見て、シャックスとベリトはそんな他愛も無いやりとりをはじめる。
 どうやらやはりこの二人は同程度の性質のようだ。だからシャックスとうまくやれているのだろう。

 マルファスは一人そう納得すると同時に、自分よりずっと以前に追放されたベリトという名のメギドについて思い出していた。

 傲慢で奔放、我がつよく身勝手。
 自分の言う事を聞かない相手にはすぐ蛮行に及び、筋骨隆々とした美しいメギド体を見せびらかすよう力を行使し続けて、まともに軍団をまとめる事などできず、邪魔に思ったメギドたちから追放の憂き目にあったという、冤罪や無実の罪で追放されたメギドが多い中、比較的真っ当な理由で追い出された追放メギドだと言えるだろう。

 最も噂は噂だ。追放された後、その理由付けに悪評を流されるという事もあるだろう。

 だが目の前のベリトという男は、マルファスが噂で聞いた通りの性格のように思えた。追放された理由もきっと聞いた通りだろう。その位、「いい性格」をしている。
 最も、今のマルファスも追放メギドなのだから他人の事を言えた立場ではないのだろうが……。


「何にせよ、オレ様の実力はソロモンも認める程だからな。今のうちにせいぜいオレ様を大事にしておけよ」


 いかにも尊大な口ぶりでそう言うが、ヴィータの身体であるためか。しかもヴィータにしては細身の部類に入る事もあってか、その言葉はどこか心許ない。
 ベリトは背丈こそマルファスよりずっと大きかったが、身体は細くどこか弱々しい印象すらあるため、どう見ても強そうには思えなかったのだ。

 とはいえ、それを告げれば腹を立てるだろう。シャックスと話が合う程度なら本気で相手にする必用もなさそうだ。適当にあしらっておくのが得策といえよう。


「わかった、覚えておけばいいんだろ」


 適当に扱う事に決め素直に従う素振りを見せたら、存外にベリトは嬉しそうに笑った。きっと普段から他のメギドにはあまり相手にされていないのだろう。


「おう。おまえは素直でいいな。ここの連中はオレ様の価値をぜんっぜん分かって……」
「ねー、リトリト。一緒にキノコとりにいくんでしょ。そろそろ行こうよー、もう待ちくたびれちゃったよー」


 話に飽きたのか、シャックスはベリトの袖をひく。
 彼女の手には大きめのバスケットが握られていた。

 学生時代からシャックスはキノコの採取を好んでいた。
 きっとあのバスケットいっぱいに毒なのか何なのか得体の知れないキノコをたっぷりと採ってくるつもりなのだろう。


「あぁ、そうだ……じゃ、いくか」
「えっ、ちょっとまってくれ」


 そうして連れ立って歩こうとするベリトを、思わずマルファスは留めた。


「ん、何だよ。オレ様に、何か用か?」


 訝しげにマルファスを見るベリトに、マルファスはそっと耳打ちをする。


「シャックスは、メギドラルでは不幸を呼ぶメギドと呼ばれていた厄介者なんだよ」
「不幸を呼ぶメギド……か」
「あぁ、何故かシャックスと一緒にいると厄介事に巻き込まれるというか……まぁ、殆どはシャックスが原因なんだけど、とにかく周囲を巻き込んで悪い事がおこるんだ。ベリトも命が惜しいならあんまり彼女の相手をしないほうがいいよ。これ、一応元クラスメイトの忠告だから」
「不幸を呼ぶメギドねぇ」


 ベリトはそう呟き、先に歩き出したシャックスの背中を眺める。
 ベリトが付いて来ていると思い込んでいるのだろう、その足は真っ直ぐ森へと向かっていた。


「確かにあいつと一緒にいると、岩が転がってきたり、突然檻がふってきたり、火矢がはなたれたり、色々ヤベー事があったな」
「うわぁ、以前にまして不幸が加速してるな」
「でも、面白いじゃねーか。結局オレ様たちはメギドラルが退屈だからコッチにきた口だろ。お前は違うだろうが、オレ様には刺激があるくらいが丁度いいぜ」


 それによ、といってベリトは遠くを見る。
 その目には、ベリトがついてきてないのに気づき手を振って笑うシャックスの姿があった。


「あんな風に笑う女に何かしてやろうって思うの、案外悪くねぇもんだぜ」


 ベリトはそう言うと、マルファスの肩を軽く叩いて走り出す。
 マルファスはそうして二人が森へ向かう姿をただぼんやりと見送っていた。


「シャックスの奴、あんな風に笑うんだな……全然、気付いてやれなかった」


 自分が気付かなかった笑顔を、ベリトは容易く引き出して見せた。
 その事実に何故か悔しい気持ちを抱いている自分に気が付いて……。


「何でぼくがこんな気持ちにならないといけないんだ」


 マルファスは誰に聞かすワケでもなくそう呟くと、ソロモン王たちのいる方へと戻って行く。
 そんな彼の背中には心地よい風が吹いていた。


2019年2月21日加筆修正



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