>>  戦場の魔女





 重々しい鉄球の先に無数の棘がついたその武器は俗に「モーニンスグター」と呼ばれているものらしい。
 元々は「刃物をもっての殺生を禁止する」という僧侶たちが、それも屈強な男たちが扱うその武器を、彼女は両手に持ち容易く扱っていた。
 明らかに女性の細腕には似つかわしくない暴力を具現化したような武器だったが、追放メギドであるフルカスはその武器を酷く気に入っているようだった。

 曰く、剣のように一刀で断つのは飽きた。
 槍で刺し貫くのは馬に乗っている時は役立つが、狭い洞窟の盗賊団などを相手にするには心許ない。
 その点鉄球は振り回していれば威嚇にもなるし、何より相手の頭を捉えた時、腕から肩にまで鈍い感触がはしり、あぁこれで命が潰えたのだという実感があるのが喜ばしい。
 ヴィータであったものが見る間にただの、血と骨だけの肉袋になっていくのも面白い。

 将軍でも兵士でも、平民でも貴族でも、等しく赤い血と肉に変えていくのだけが、今の自分の喜びだ。
 フルカスはそう語ると、いつでも楽しそうに笑うのだった。

 どこか空虚な笑顔を見せて。



 戦場の魔女。
 それが、彼女の「通り名」であり、今でもソロモン王の呼び出しを受けなければ彼女は戦場へ向かう。
 そして、まるでショッピングでドレスやヒールを選ぶように、強そうな男たちをなぎ倒して進むのだ。

 傭兵でもなく、また守るべき祖国もない彼女は忽然と戦場に現われ、ただ「強そうなもの」と戦い、駆逐していく……。

 ヴィータの肉体に封じられたとはいえ、メギドとしての本性……。
 血と殺戮の日々の記憶だけが色濃く残った彼女は、その本能に命じられるがままに血を浴びて、肉を裂き、断末魔の合唱の最中、鋭い殺意に射貫かれている時だけに安息を覚えているようだった。

 フルカスは、自分が「戦場の魔女」になる以前どんな生活をしていたのか、よく覚えていないようだった。
 ソロモン王の召喚に応えたとき、すでにヴィータだった頃の名は完全に忘れ自分が過去ヴィータとしてどのように生まれ育ち、どのように生活していたのかさえ覚えていなかった。
 その愛らしい外見と、人形のように飾られた服装からおそらくは愛された少女だったのだろうと推測はできるが……。

 その愛された少女の薔薇のように色づいた唇から語られるのは、血なまぐさい戦いの日々だけ。
 血と闘争だけが「フルカス」という魔女のおくってきた「生涯」の全てだったのだ。

 ソロモン王に召喚され、無理矢理命令に従わされるようになった当初、フルカスは酷く不機嫌な日が多かった。
 時に無意味に暴れ、ブネやウェパルを困らせる事も多く、その都度ソロモン王が指輪の力で彼女をなだめるというのが日常的に行われていた。役
 血と殺戮に溢れた戦場と比べ、ソロモン王のような「平和のための戦い」を求める事は、彼女には退屈に思えたからだ。

 王の指輪がなければきっと皆、今頃挽肉にされていただろう。とは、ブネの言葉だ。
 それほどまでに彼女は戦場を、殺戮を……強きものとの戦いを渇望していたのだ。

 そうでなければ「あの男」にも申し訳が立たないから。

 しかしその不機嫌さも、「ソロモン王が各地で幻獣と戦っている」という事実を知り、そして実際幻獣との戦いが命のやりとりをするに値する緊迫した戦いである事を知ってから、いくらか薄らいだようだった。

 大半が自分より脆弱なヴィータであり、ごく稀に「手練れ」と呼ばれる戦士と出会ってもほんの僅かな時しか楽しめない。
 そんな脆弱なヴィータを相手にするより、自らの本体であるメギド体になってでも倒しきれないほどの強さをもち、また何処からか現れ続ける幻獣たちとの戦いの方が、彼女にとってよっぽど「面白い」と、そう思えるようになったからだろう。

 実際彼女は「ヴィータの姿になって良かったのは、幻獣と戦える事だ」とよく言っていた。
 「これまで戦場ばかりに行ってたのが馬鹿げていたくらい、幻獣との戦いは楽しい……もっと早くこの喜びを見つけたかった」ともだ。
 最もそれでも彼女は召喚されていない時、戦場に行くのをやめてはいないようだったが。

 これで暫くはあの女王サマが暴走しなくて良くなるわ、安心ね。
 とはヴェパルの言葉だ。

 それほどまでに彼女の気性は激しくまた、その戦闘力は恐ろしく高かった。

 暴走しなくて良かったね! でもバルバルはきっとほっとかないよ。
 だってフルカス、あーんな美人だもん!
 シャックスは冗談めかして告げ、ソロモン王は「いくらバルバトスでもあんなに恐ろしい女性には声なんてかけないだろう」と思っていたが、バルバトスはその想像を容易く飛び越えていった。

 ある日の夜。
 幻獣との戦いが夜にまで及び、野営をする事になった時、皆から離れて遠くで空を眺めるフルカスに真っ先に近づいていったのは、他でもないバルバトスだった。
 バルバトスはカップに入ったスープを手渡すと、美女と話す時にいつも浮かべるお得意の笑顔を見せる。


 「はい、これ。あったかいスープだよ……いつもみんなと離れて食事をしてるけど、一人で物思いにふけってるのかい。女王サマ」


 差し出されたスープとバルバトスの姿をフルカスは暫く不思議そうに見つめていた。
 自分が召喚された時散々に暴れ回った事をバルバトスも知っているはず。だからあの時ソロモン王の周囲にいたメギドは、決して自分に近寄らないだろう。
 そう思い込んでいたからだ。


 「物思い……ではないな。そう……ただ、戦場が。血の臭いが恋しくて……ふふ、ここにいるメギドはみんな強い……一緒にいると、あぁ、私どこまでやれるのだろうな? ってウズウズしてきて……これでも、気を遣っているんだぞ。そばにいると、お前達を殺したくなるからな」


 妖しく笑うフルカスの言葉に、冗談めかした所はない。
 機会があれば本気でメギドたちと戦ってみたいと思っているのだろう。
 だがバルバトスは特に恐れる様子も、怯えた様子も見せずに隣にすわるとまた穏やかに笑って見せた。


 「でも一人じゃ寂しいだろう? ……もっと仲間と傍にいってもいいし、話をしてみるのもいいと思うよ? ここにはキミをさらに強くできるメギドもいるし、戦いに独自の理念をもつメギドもいる。一見して戦えないようなメギドでも、メギド体は強力な姿だったりして意外性もある……それに、皆といれば戦場への渇望も紛れるかもしれないし、ひょっとしたら、恋の一つも芽生えるかもしれないよ。ふふ……俺なんか、お相手にどうかな。キミは可憐な姿をしているから、こっちはいつでもOKだけど」


 その笑顔を見て、フルカスはふっと遠くを見つめた。
 すでに夜の帳は降り、空には星が瞬いている。


 「面白い申し出だが……それは、無理だな」
 「なんでだい? ……キミほど美しい人なら、恋をすれば誰だって虜になるだろう、女王サマ」
 「ふふ……実はな、私は以前恋をした事があるんだ。とても強い男がいて……あぁ、これがときめきで、これが恋だと疑わなかった……でも、違った。私はね、そう……ただ、その強い男と真剣勝負をしたかっただけ。お互い最高の殺意をぶつけ合って、どちらが死ぬか競って……そうしてヴィータではとても私に及ばないという絶望を味あわせて、そうやって殺すのが好きなだけ……私はどこまでも、血と殺戮を求める戦場の魔女なのさ」


 そして、その血濡れた言葉に似合わない美しい微笑みを浮かべる。


 「だから愛だの恋だのを語るのなら、私じゃないほうがいい……あるいは私がその気になるほど強くなれ。その時は敬意を込めて殺してやる」
 「そうかな、美しい人。キミは恋を、していたんだと思うよ」
 「無理だったと言っただろう? 好きだと思った相手に抱いていた感情は、殺意だけだった……ただ戦ったら強いだろう、私を殺せるか? そんな気持ちだけだった私には……」
 「それなら」


 バルバトスはフルカスの頬に手をやり、その顔についた雫を拭う。


 「……なんでキミは、泣いているんだろうね」


 頬に伝う雫に触れて。


 「さぁ、なんでかな? わからない、わからないが……今日はあの時の古傷が、やけに疼いて痛む……あぁ、きっと星が綺麗だからだろうな。あの人を殺して、私は恋なんてできないと知った日の……あの夜も、綺麗な星が出ていた……」


 フルカスは淡く笑い、満天の星空を仰ぐ。
 その目からは止めどなく溢れている雫が「涙」というものだという事を彼女はいつか知る事になるのか。

 それは、誰にもわからなかった。





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