>> ボクと彼女と彼女の聖夜
時々、ふと思う事がある。
私がもし「出雲丸」のままだったら、今頃どうなっていたんだろう。
……一等の豪華客船に、私はなる予定(はず)だった。
豪奢なシャンデリアで飾られて、ホールには真っ赤な絨毯が敷かれ……。
室内の家具も一流品、磨かれた黒檀のテーブルは規則正しく並べられ、その間を縫うようにドレスを着飾った淑女が談笑を交わして、夜ともなればダンスを舞う。
船窓にはビロードのカーテンなんかがつけられて、昼とも夜ともまるで宮廷のように煌びやかだったに違いない。
私が今でも出雲丸だったらそう。
きっと一流のドレスを着て、沢山の拍手を浴びて、皆に祝福されるのだ。
少し高めのヒールをはいて、綺麗なネックレスでその肌を飾って……。
少し大ぶりの宝石をイヤリングにするのもいいかもしれない。
そうして僅かに甘いにおいのする香水とともに、人々の笑顔に包まれて……。
そうすれば、きっと私だけでなく、出雲丸に関わった全ての人が幸せだったに違いない。
誰も傷つく事もなくきっと私は世界中、どこの港でも笑顔で受け入れられたはずだ。
世界中どこの港でも、誰にも恐れられる事もなく……。
「攻撃隊、発艦開始! さぁ、ミッドウェーの仇をとるわよ!」
私の号令を待ちかねていたかのように、艦載機が一斉に飛び立つ。
爆音とともに火薬と漏れだした燃料のにおいが海の上に広がった。
「敵艦隊、撃沈したのです!」
そう叫んだのは駆逐艦は、電だったか、雷だったか……この二人は顔がよく似ているから時々区別がつかなくなる。
でも今はそんな事も悠長に考えている場合ではない、次の攻撃にそなえなければ。
ここは戦場で、今はまだ戦闘中なのだから。
そうこうしているうちに敵の空母からも複数の艦載機が迫る。
激しい爆音とともに、さっきまで隣に並んでいた駆逐艦の傍らで激しい水柱があがった。
「ちょ、ちょっと提督! 駆逐艦が一機やられたみたいよ、指示はどうなってるの」
私が慌てて無線をとれば、古ぼけた無線機からノイズの交じった声が途切れ途切れに聞こえてきた。
「心配……するな、飛鷹、電なら…………だ……それ……おま……来るぞ!」
来るぞ。
普段からあまり大声を張る事のない、どちらかといえば穏やかな提督が半ば怒声のような声を張り上げる。
かと思うと眼前に閃光が走り、飛行甲板に激しい炎があがっていた。
被弾したのだ。
飛行甲板に炎が、すぐに消化ポンプを準備し火を消さなければ。
他にも被害があったのなら、浸水してしまうかもしれない。皆もそれに気付いたのか、俄に船上が慌ただしくなった。
「みんな落ち着いて! ……落ち着いて、消化ポンプを! すぐに火を消して。他の場所に被害がないか確認を。早く!」
無線の向こうから提督の指示がしきりに飛ぶ。
程なくして戦艦が敵艦隊を沈めたが……私の身体はすっかり打ちのめされ、元よりあまり撃たれ強くはない身体は見る影もなく破壊されていた。
社交界で華々しく迎えられ人々の笑顔と拍手を浴びる私が、実際浴びてるのは爆撃と砲弾ばかり。
何時だって炎と轟音に怯えながら海の上を這い回る事しか、今の私には出来ないでいた。
出雲丸として生まれていれば、きっとこんな事は無かったのだろうけれど。
「みなさん無事で良かったです」
私の装甲は大分痛めつけられてしまったが、他の艦隊には思ったほど被害はなかったようだ。
大破したのではと思った駆逐艦に至っては全くの無傷だった。激しい水柱があがったが、運良く攻撃から逃れたそうだ。
結局、ボロボロになったのは私だけ。
提督が早めに出撃を切り上げたのも、きっと私が迂闊だったからだろう。
「全くもう、私ったら……」
脳裏に過去の幻影がよぎる。
無事に出雲丸として進水したら着ようと思っていた、オートクチュールの真っ赤なドレスの事。そのドレスにあわせた、少し高めのヒールの事。あまい香りのする香水の事……。
飛鷹と呼ばれてからもいつか着る事があるのではないか。
そう思って大事にとっておいた私の夢は……。
『いつまで客船のつもりなんだ?』
あの言葉で、うち砕かれた。
無骨な男たちの声。私を客船ではなく、空母にすると決めたお偉方の冷たい目は今でも私に突き刺さる。
『お前はもう豪華客船なんかでは無い。飛鷹。お前の名は飛鷹だ。出雲丸では無い』
私がドレスを倉庫の奥底にある古びた箱に押し込んだのは、その直後の事だった。
胸が張り裂けそうに痛むのをぐっと押さえて、私は何度も復唱する。
「わたしは、飛鷹。わたしは、飛鷹。わたしは、飛鷹」
豪華客船なんかじゃない、軽空母。飛鷹。
人に笑顔で迎えられる訳はない、火薬の臭いをまとった……無数の艦載機に指示を出す、私は飛鷹。
「さぁ、司令室に行かないとね」
私は無理に顔をあげ、提督の部屋へと向かう。
今日は出撃の後、顔を出すように……事前にそう言われていたからだ。
何か報告でもあるのだろうか……。
乾いた靴音を鳴らして重々しい扉を開いて司令室へ赴けば。
「メリークリスマス、飛鷹」
腑抜けた司令官の笑顔とともに、無数の拍手が降り注ぐ。
「待ってたんだぜー飛鷹! 遅かったじゃーん」
最初に私に飛びついてきたのは、隼鷹だった。
すでに酔っぱらっているのだろうか。顔はすっかり赤くなり、その手にはワインだかシャンパンだか……空っぽになったビンが握られている。
普段の私だったら一言二言、隼鷹を窘めていたのだろう。
だけどその時の私の目は、ただ提督の持つドレスに釘付けになっていた。
そう、それは私が倉庫の奥底に押し込んだドレス……「出雲丸」として着るはずだった、そしてもう二度と着る事は出来ないと思っていた、オートクチュールの赤いドレスだった。
「これ……は?」
戸惑う私に提督は、相変わらず腑抜けた笑顔を向けていた。
いや、提督だけではない。駆逐艦の少女たちも、夜戦夜戦と煩い川内も、皆笑顔で私をみつめている。
暖かな笑顔、優しい笑顔。
「いや、倉庫の大掃除をしてたら、ドレスが見つかって。隼鷹がいうには、飛鷹のドレスだっていうからさ。せっかくのクリスマスだろ? ……手直しして着れるようにしたんだ。生憎うちの艦隊はあんまり資金がないから大がかりな修繕はできなかったけど……」
私は出雲丸じゃない。
皆に拍手で迎えられ、無数の笑顔を運ぶ艦船ではなく、砲撃、爆撃、そんな言葉が似合う艦だ。
だけど。
「……ドレス、着てくれないかな? いいだろ、飛鷹」
私の周りには提督がいる。隼鷹がいる。
駆逐艦の子たちも、みんな私がドレスを着るのを楽しみにしてくれている、みんな私を、祝福してくれている、出雲丸でなく、飛鷹である私を……。
「もう、仕方ないわね。今着替えてくるから、待ってなさい!」
ドレスを抱いて走り出す。
私は出雲丸じゃない。軽空母、飛鷹……。
万人に祝福された存在ではない。
そんな事はわかっていた。
けれども、今はただこの艦隊の皆に笑顔で迎えられ、祝福されている。
その事実だけが嬉しくて……。
いつの間か私の胸から冷たい痛みは消え失せていた。