>> 残映






 ……つまるところ、どうあっても、あいつを殺したかったという訳だよ。
 と、その男はいった。

 悪びれる様子はなく、反省はもちろん後悔の色もその表情からはうかがえない。
 むしろ冷ややかに浮かぶ笑みは全てを成し遂げた充実感に満ち足りているようだった。

 きっと、この男は自分の欲望のためならどんな残虐な事でも平気で成し遂げる人物なのだろう。
 常識をもつ我々の倫理など、簡単に飛び越えてしまっているのだ。

 頭でそれを理解していても、それでも「私」は彼が……。
 伏樹直人が殺された理由を、受け入れられないでいた。


 「それでも、理解できません」


 生前の伏樹は……私にとってはいい友人だった。
 屈託なく明るく前向きで、人の恨みを買うような人間には見えなかったし、Mr.メンヨーとしての仕事にも誇りを持ち、師匠の事もとても尊敬していた。

 殺されるような悪事に手を染めていたとは、とうてい思えなかったからだ。


 「どうして、彼が死ぬ必要があったんでしょうか? あなたにとって、彼は……あなた自身の名をついだ、半身ともいうべき、愛弟子だったんじゃあないですか?」


 私の問いかけに、男はし黙って虚空をむく。
 その指だけがおちつきなく、しきりに動いていた。

 ……コインマジックの動きだな。
 拙いながら少しばかり手品をかじっている私には、その動きが何を意味しているのかが理解できた。

 被告として裁かれる立場にある男は、手元にコインの一つ持つ事すら制限されているのだろう。
 そして、男はその制限の下にあってもなお、己の技を磨く事を怠らなかった。

 だが悲しいかな。
 男の「左手」は巧みな指さばきを魅せるものの、「右手」はの動きはぎこちなく、到底「手品」としての動きはしていなかった。

 やはり、あの「事故」で、完全には回復しきれなかったのだろう。
 私はしばらく目を閉じて、男の無念を噛みしめる。


 「同情なんて、金にならんもんはいらないね」


 まるで男は、私の思いを見透かしたかのように笑う。


 「おまえなんかに、理解できるものか。ぼくの気持ちなんて……おまえなんかに、な」


 男はそう言うと、ふと視線を窓にやる。
 鉄格子の向こうから、鳥たちのさえずりが漏れ聞こえてきた。


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 「初めて、あれと会ったのは……そう、さして繁盛してない、冴えないバー……だったかな」

 そう、あれは「技術」を魅せるだけの腕を失い、そのかわりに幾ばくかの名声を得るようになってた頃だった。


 『……ひょっとして、あなたは』


 そう声をかけてきたのは、まだ年若いバーテンダーだった。

 ウイスキーとブランデーの区別もつかないようなひよっこのバーテンは酒よりも手品に熱心で、その時も店の客相手に、カードマジックなどを披露していたのは今でも鮮明に覚えている。


 『……あなたの選んだカードは、これ。では、次は……このカードをよくまぜて……』


 手品は何てことない。
 素人でもタネさえ知っていればすぐにできるような簡単なやつだったが、俺がそいつを見ていたのは……やはり手品をしていたから、というのが大きいだろう。
 酒を飲みにきている客たちは、素人だというのもあってか男の、さして珍しくもない手品に感嘆の声をあげていた。

 そう、さして珍しくもなければ上手くもない手品だ。
 俺からしてみれば素人に毛のはえた程度の芸だった。

 だがそれでも目の前で見せられたら楽しいものだったんだろう。
 客たちの受けがよかったからか、男は盛り上がる観客の一人として、俺の方へと近づいてきた。


 『……さぁ、お客さま。ではこのコインを見てください……』


 俺はそいつがやろうとしているマジックが何なのか、すぐにピンときた。

 なぜかって?
 そりゃ、その手品は元々、俺が得意な「タネ」だったからだよ。

 ……まさか、何年も前に「死んだ」マジシャンのタネが自分の目の前で見られるなんて。何というのかな。
 死んだ自分が生き返った気分というか……まさに「死体の顔」を見ているようでぎょっとしたよな。

 男は俺がそんな風に死体と対面しているような思いを抱いてるなんて気づきもしなかったのだろう。
 俺の前にコインを差し出すと 「さぁ取り出したりますは、この葬送銀貨……」 なんて、もったい付けた口上をはじめた。

 葬送銀貨というのは、異国の硬貨でいっとうに価値のない硬貨だが、マジシャンがコインマジックを披露するのにうってつけのサイズの銀貨の事だ。

 葬送銀貨と呼ばれるのはそう。
 このコインはもっぱら「死者を弔うため」につかわれているのが理由だという。

 こっちの死神も「三途の川の渡し代」できっかり6文もっていくっていうが、向こうにも似た風習があるようで、死体にこのコインをそえて送り出してやる事からこいつはもっぱら「葬送銀貨」と呼ばれているそうだ。

 ……とっくの昔に死んだマジシャンが差し出されるにふさわしいと、そうは思わないかね。

 ともかく、男は俺にコインを差し出した。
 このまま何も知らない顔で男の下手な手品にのって、やぁ驚いたしてやられたね……そんな演技をするのが礼儀だったのかもしれないが、俺だって元とはいえマジシャンだ。手品(マジック)には幻想(イリュージョン)でかえすのが儀容かと思い、あいつのマジックにチョイとばかし……ほんの少し、ただ葬送銀貨を500円玉にかえる程度の、わずかばかりの悪戯をしてやったのさ。

 手品は……俺がしたのはただそう、コインを入れ替えただけだから、観客は 「消えたコインがでてきた時にはべつつのものにかわっていた」 そうとしか映らなかったろうし、鈍感な客はコインが入れ替わっている事すら気づかず見過ごしていただろう。

 だけど、手品をやった当人はそうじゃない。

 首をかしげてしばらくは、平気なそぶりで本来の仕事……バーテンダーに戻ってシェイカーをふって、酒のはなしをぽつぽつと語って自分をごまかしていたようだったけどね。

 いざ客がはけ、俺が一人でウイスキーのダブルをやっつけてた時、目を輝かせて聞いてきたんだ。


 『間違えてたらすいません、ひょっとして……Mr.メンヨーじゃ、ないですか?」


 ……驚いたよ。
 腕を怪我して一線を退き、自分の名を葬ったマジシャンの名前を、そいつが知っていたのだから。

 なるほどねぇ。
 そいつの仕込んだ拙い技術(わざ)もどこかで見たと思ったが当然だ。

 以前自分が舞台の上で必死になって磨いてた、自分自身の技だったんだから。

 男は、俺の手品は「本物」だと……今の舞台には、手品なんてないと。
 俺の繰り出す「本物の手品」がみたいと、熱っぽくそう語っていたっけ……。

 俺は。
 俺はその時……男の望む「本物」の手品はもう……。

 ……。
 …………。

 手品について問われても曖昧に笑う事しかできなかった俺に、男は夢中で自分の手品を始めた。

 それは、さっきまで酔っぱらいに見せていたタネさえ知っていれば誰でもできるたぐいのものじゃない。
 タネを知って技術(わざ)を磨き、やっとの事で披露ができる単純(シンプル)だが難しい確かな技術のマジックだった。

 コインにカード、ボール……。
 一通りの技術を見せて、男は真顔で問いかけた。


 『……俺でも、マジシャンになれますか? あなたのような、天才に』


 ……今にして思うよ。あいつは。
 あいつは…………。

 …………無能だ。
 俺の全盛期になんか、足下にも及ばない……才能のかけらもない、凡才さ。
 つまらない、男だったんだ。

 さぁ、凡才とはいえ一応は練習する気概はある。
 素人の付け焼き刃とはいえ、基礎はもうできている。

 俺よりずっと下手な手品だが、それでも「戯れ」にかまってやるのはおもしろそうだ。

 もし上手いこと才能が開花(めざ)めれば、マジックショウの興業企画で一儲けできるかもしれないし、開花しなくてもそうだ。「へたくそマジシャンの一流修行旅」なんて企画、視聴率になるかもしれないだろう。

 そんな、軽い気持ちでね。
 俺は、そいつの「師匠」をやる事にしたのさ。

 ……その頃は、復讐なんて考えていなかった。

 いや、全く考えてないといえば、嘘になるだろう。
 そもそもマジシャンをやめ、舞台を降りた後も裏方とはいえテレビショウに関わっていたのは、かつてTVを華やかに飾り賑わしていた一座に対する意趣返しの気持ちがなかった訳でもないからな。

 だけど少なくても最初から……最初から、あいつを復讐の道具にしようって魂胆で近づいたのかと問われれば、そこまで俺は鬼じゃないと、そこはちょっと弁護しておこうかね。
 俺はそんなに残酷じゃないし、そもそもあいつの手品の腕は最初からモノになると思えるほど、達者なものでもなかったからさ。

 最初はそう……。
 時間があう時ほんの数分、長くても1時間程度だったか。コインマジックであいつについた、変な癖をなおしたり……俺しかできないタネを一つ、二つ教えてやる程度の、かわいい師弟関係だった。

 だけどあいつは、しぶとかった。
 一つの「癖」をなおせと言えば、ほかの悪い癖も二つ、三つとみつけてきてはなおしてくるし、一つのネタを仕込んでやれば普通ならモノにするにのに2、3ヶ月かかるようなモノでも一ヶ月もすれば形だけ仕上げてきちまってたんだよ。

 あいつは……練習バカというか、まぁ一種の訓練狂いだったんだろうな。

 そもそも、だ。
 正気だったら俺なんかの弟子になろうだなんて絶対に思わないだろうしな。

 ……練習していて「お、こいつは」そう思い始めたのは1年もすぎた頃だったか。
 その頃は俺自身、お茶の間を賑わす名物として有名になっていたが、その合間をぬってあいつと話のが楽しくなってきていた。

 人生の絶頂期だったとも、いえるかね。

 ……あいつはますます難しい技もできるようになっていた。ちょっと危険な手品のタネを仕込んでも、これなら事故はおこらんだろう……そう思える程度の安心感もでてきはじめてね。

 その頃から、ぽつ、ぽつ思いはじめていたのさ。
 こいつはひょっとして、俺のできなかった世界に行けるんじゃないか……本物の、マジシャンになれるんじゃないか……ってな。

 ……俺の名を継がせようとは、思ってなかったぜ。
 ただあいつから、もちかけてきたんだ。


 『もし、プロとしてデビューさせてもらうのなら……是非とも、あなたの名前がほしい……』


 あいつは、顔立ちこそ違うが背丈はほとんど俺と同じだった。俺のためにあつらえた仮面も衣装も、着させてみればまるであいつの為に誂えたものだったみたいに、ぴったりだった。

 ……多少、寸法なおしの必要はあったがね。
 まったく、今時の連中は手足ばかり長くなって仕方ないってもんだな……。

 それでも、あの衣装はまるであいつのために、あるようだった。
 眼前にいる男は、腕を失う前の俺のよう……いや、俺そのものだった。
 まばゆいばかりの白銀に彩られた光沢のステージ衣装も、毒々しいワイシャツも、奇妙な仮面も……すべてがすべて、最初からあいつのためにあるようにぴったりとおさまっていた。

 ……まるで最初から「俺」という存在がいなかったみたいにな。

 そうして、かつて俺が着た衣装を着て、俺が名乗っていた名をつかい、あいつは華々しいデビューを飾った。
 もうすでに俺があの名を使っていたから「デビュー」は表向き「再デビュー」で、腕の怪我からの奇跡の復活、という体だったがね。

 それでも、今や一流プロデューサーとして辣腕をふるっていた俺が後ろ盾してやったデビューだ。
 マジックという媒体でも、あいつの名は少しずつ知られていって……。

 ……誰も、気づかなかったのさ。
 中身がまったくの「別人」だったなんて事にはね。

 だからもう、その名が俺のものだったなんて俺とあいつしか知らない事だったろう。

 それでも……。
 それでも、あいつは俺の「弟子」であり続けた。

 俺こそが「本物」のマジシャンと思い、自分はあくまで俺の「後がま」として、俺の前だけでは「二代目」として謙虚なままだった。

 ……あいつは、いい奴だったよ。
 好男子なんて、まさにあいつのためにある言葉だったろうよ。

 顔もよければ礼儀もいい。
 誰がみたって自慢できる、一等のいい弟子さ。

 俺の名を語らない時は素顔のままで、決して自ら正体を開かすことはなかった。
 おかげであいつの本名は、表向きじゃぁもう解剖記録でしかお目にかかれないくらいだしな。

 素顔の時は俺の「弟分」として「番組を企画するのにあこがれている」と……俺の「マジック嫌い」を察してそう名乗り、俺の付き人紛いの仕事もいやがらず受けてくれたっけかね。

 仕事でミスなんかして、俺の機嫌が悪い時罵声を浴びせ無理強いしても逃げ出そうとも思わずにじっとそれに耐えてた姿なんて、まるで一座にいた頃の俺、そのものだったろうさ。

 ……あぁ、そうだ。
 あいつは、一座にいた頃の俺にそっくりだった。

 まじめで、努力家で、辛抱強くて……。
 一座の主である気まぐれな老人の戯れ事にも嫌な顔ひとつせずつきあって……。

 そしてとうとう、マジシャンの命綱である利き腕を失ってしまった、そんな愚かな男にな。

 そうだ、そんなお人好し……。
 俺が殺(や)らなくても、いずれ誰かに殺(や)られていたんじゃないかね。

 むしろ、絶望を知らずに死んだのは、あいつにとっての幸福だろうよ。
 あいつは、最後まで舞台で手品を見せたんだからな。

 あいつは、どんどん手品が上手くなっていった。
 元より練習好きな上、俺が苦労して生み出しタネまで吸収していって……とうとう、俺が十八番にしていた炎のマジックまで自分のものにしていった。


 『あなたのおかげで、今の俺があります』


 ……あいつは、いつも、そう……いっていた。
 あれだけ有名になっても、人に顔を知られても、決して奢らず、絶えず練習を続けていた。


 『あなたのようになるのが、俺の夢です』


 そうやって、そうやって、何度も何度も。
 もはや、俺のマジックはすべてあいつが奪っていった。


 『俺、あなたに少しでも近づけましたかね』


 あいつは。
 …………あいつは。

 ほかでもない、あいつを殺したのは俺だ。
 だが、俺を殺したのは、あいつなんだぜ。

 俺を、殺したのはあいつなんだ。
 あいつなんだ、そう……。

 最初に、殺したのはあいつの方だったんだよ。


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 「結局のところ、この計画では最初からあいつは死ぬ事になっていたんだよ。ショーが成功しようと失敗しようと。一座に復讐できようとできまいと、ぼくが一番殺したかったのは、ほかでもない、あの男だったんだからね」


 迷いなき目が、こちらを見据える。

 男のいう通り、そう。
 この計画では最初から「彼」が死ぬ事になっていた。

 名目上の動機は、復讐。
 自分の夢を途絶えさせた一座の跡取りともいえる少女に殺人が汚名を着せて、以後永遠と「殺人魔術師」のレッテルをはるのが男の目的とされていた。

 だが、それだったら復讐すべき少女を殺しても、よかったのではないか。
 むしろ、殺すべき相手は憎き一座の正当な後継者である少女の方だったのではないか。

 様々な疑問をぶつけるが、男は曖昧に笑うだけだった。


 「あの一座で本当に憎たらしい奴は、とうの昔に死んでるもんでねぇ」


 曖昧に笑い、飄々とこちらの質問をかわす男はお茶の間をわかせた道化のままだった。
 だがその目だけが、ひどく濁っている。

 ……そろそろ、時間です。

 面会時間がわずかとなり、看守がこちらにそう告げた。
 男もこちらと話すことなどないのだろう。促されるまま立ち上がり、再び牢獄へと向かおうとする。


 「本当に」


 あわてて私は問いかけた。


 「本当に、あいつを殺したかったんですか! そんなに、あいつが憎かったんですか!」


 その問いかけに、男は一瞬だけ。
 一瞬だけ虚を突かれたような表情を見せると……。


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 ……どんどん、自分になっていく。
 どんどん上達し、どんどん輝いて、そして自分より遙かに高みをどんどん上ろうとしていく。

 その姿がどれだけ恐ろしいのか、そして、いつか自分を追い越していく。その姿がどれだけ恐ろしいのか。
 一体誰にわかるというのだ、一体誰に……。


 ・
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 ・


 また濁った瞳を向けて……。


 「わからんよ、おまえなんかには、一生……わかって、たまるか……」


 ヘドロのように濁った目でそうとだけつぶやくと、冷たい鉄の扉が向こうへ消えていく。

 後には誰もいないパイプ椅子と、男の気配だけが残る。
 その陰は、驚くほどあの男とそっくりだった。






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