>> 真宵ちゃんのお留守番






 ……本当の事をいうとね、今日はおかしいなってちょっとだけ思ってたんだ。

 起きた時からずっとそう、頭はふらふらするし、喉は痛くて声を出すのも辛いくらい。
 関節の節々は動いていないのにずくんずくんと痛むし、ソファーの上で座って何もしていないのに何か熱っぽいんだもの。

 だけど今日はなるほどくんに、弁護の相談をしたいって言う新しい依頼人さんが来るんだって。
 なるほどくん一人だと心配だから、助手であるあたしががんばらないと!
 そう、思ってたんだけど……。

 「あー……やっぱりそうだ。ほら見てごらん真宵ちゃん。すっごい熱があるよん」

 なるほどくんは苦笑いをしながら体温計を取り出す。
 見せてくれたデジタル体温計には、37.8度の文字が浮かんでいた。

 でもね、あたし大丈夫だから!
 なるほどくんと一緒に出かけられるから……!

 もう声がかすれて普通にしゃべる事が出来なくなっていたから、あたしは必死で身振り手振りをしたよ。
 うまく伝わらないんじゃないかって正直心配したけれど、流石あたしとなるほどくんだね。

 「一緒に行きたい気持ちはわかるんだけどね」

 あたしの考えなんてもう、最初から全部お見通し。
 そんな風にふてぶてしく笑うとあたしの額を軽くつついて見せた。

 「でも、今日はダメだよ。そんな熱があって……依頼人の前でごほごほズルズルされたら困るのはぼくだからね? とにかく、今日は安静にして休んでて……そうしないと心配で、こっちも仕事にならないからさ」

 そうして、事務所で一番日当たりのいいソファーをベッドのようにしてくれる。
 退屈じゃないように、テレビにはあたしの好きなトノサマンのDVDを流して……あまり動かなくなっても大丈夫なように枕元には薄めたスポーツドリンクまで置いてくれた。

 なるほどくんを一人で行かせるのは心配だったけど、ここまで丁寧に準備をしてくれたのに無理をするほどあたしだって子供じゃない。
 ……それに、正直な事をいうと歩くのだって億劫なほど身体はだるくなっていたからあたしは素直に横になる。

 「おなかへったら、冷蔵庫にレトルトのお粥もあるからね。じゃ、行って来るよ。真宵ちゃん」

 冷蔵庫にレトルトのお粥をいれたのはあたしなのに、なるほどくんは相変わらずあたしの事何も知らない子どもみたいに扱うんだから。
 元気になったら「子どもあつかいしないでよ」って思いっきり文句を言ってやろう。

 そんな事を思いながら、ソファーの上からなるほどくんを見送る。
 なるほどくんも「無理して起きなくてもいいよ」って言ってくれたし、もうとても起きてお見送りできるほどの元気はなかったから。

 「行ってくるね」

 なるほどくんは少し笑って小さく手を振り、事務所の重いドアを閉じる。
 がちゃりと鍵のかかる音を最後に、あたしの意識はまどろみの中へと沈んでいった。

 ……時間はいつもより、ゆっくり流れている気がする。
 ビルの隙間から太陽がのぞき、暖かな日差しが頬にふれた。
 
 なるほどくん……ちゃんと依頼人と会ってお話してるのかな?

 窓の外から聞こえる音が、小鳥たちの囀りから車が行き交うエンジン音に変わる。

 ……なるほどくん。
 あたしがいなくても、ちゃんとお仕事できるのかな?
 それともあたしがいない方が、なるほどくんは気を遣わなくてお仕事ができるのかな?

 あたしがいなくても……?
 ……あたしがいないほうが。

 あたしがいない方が、なるほどくんは楽なんじゃないかな……?

 身体が弱っているせいかな、何だか気持ちも落ち込んでくる。
 あたしの目から自然と涙がこぼれ落ちていた。

 どうしてだろう?
 いつも一緒にいて何でも話して毎日飽きるほど同じ顔を見ているのに、なるほどくんと一緒にいれないのが今日はなんだか、とても寂しい。

 なるほどくん…………。
 …………早く、帰ってこないかな?

 こぽこぽと音をたてながら、コーヒーのいい匂いが漂ってくる。
 微睡みはじめていたあたしはふらふらする身体をおこせば、コーヒーメーカーのランプが点滅しているのが見えた。

 なるほどくん、コーヒーをいれっぱなしで出かけちゃったんだね。
 もう……あたしがいたから気づいたけど、いなかったらこのコーヒー、沸騰しちゃってたんだから。

 あたしはふらつく身体を無理にささえて、コーヒーメーカーの電源をOFFにする。
 コーヒーメーカーからは、いっぱいのコーヒーのかおりが……いつもなるほどくんが飲んでる、なるほどくんの匂いがしたから。

 「なるほどくん……」

 何だかなるほどくんがすぐそばに居る気がしたから、そのコーヒーいっぱいの匂いにつつまれて、またソファーの上でまどろむ事にした。

 目が覚めたらなるほどくんが、帰って来てればいいな……。
 そんな事を想いながら。

 「……真宵ちゃん、真宵ちゃん」

 気づいた時、空は茜色に染まっていた。
 あたしが思っていたより、あたしの身体は疲れていたみたいで、夕方までしっかり眠ってしまっていたようだ。
 お昼ご飯を食べるのも忘れてたっぷり眠ってしまったけど、そのぶん身体は朝よりも少しは楽になっていた。

 「おはよ、真宵ちゃん」

 夕焼けで赤くなったなるほどくんを見て。

 「おはよ、なるほどくん」

 あたしはなんだか、安心する。

 「もう、遅いよなるほどくーん、おなかへった! あと、あとね、留守番つまらなかった!」

 なるほどくんの顔を見て、あぁやっといつもの日常が戻ってきた……そんな気がしたからだろうか。
 一人で眠っていた時はあれほど会いたかったなるほどくんなのに、会うとなんだか気恥ずかしい。
 「子どもあつかいしないで」ってガツンと言うつもりだったのに、今はそれさえそういうのも全部どうだってよくなる。

 それに、お腹もへってきた。
 一人でお粥を頬張るのは寂しい気がしたけど、なるほどくんと一緒なら美味しいものが沢山食べられそうな気がするんだ。

 「ごめんごめん……はい、おみやげ」

 なるほどくんはそう言いながら、小さな箱を取り出す。
 中には色とりどりのアイスクリームが箱にいっぱい入っていた。

 「喉が痛そうだったし、冷たいもののほうがいいかな、と思って」
 「うわぁっ、ありがとうなるほどくん! いま、なるほどくんの分のスプーンももってくるね!」

 「ぼ、ぼくはいいよ、別に……」
 「いいでしょ、二人で食べた方がおいしいよ!」

 少し風邪っぽさが抜けてやっと歩けるようになったあたしを、なるほどくんは心配そうに見ている。
 そんな心配しなくても、あたしはもう大丈夫なのに……なるほどくん、普段結構あたしの事をけっこう雑に扱ってる癖に、案外心配性なんだから。

 「今日の、お仕事どうだったの?」
 「今日はね……そうだな。依頼人とおもって行ったけど……ぼくの担当するタイプじゃなかったんだよね。民事だったし……」

 なるほどくんは言葉を濁す。
 どうやら、依頼は受けてこなかったみたい。

 「……うーん、真宵ちゃんもいっしょにいてくれたら、もう少し楽しかったんだろうけどね」

 なるほどくんはそう言いながら、まだかちかちのアイスクリームをスプーンでほじくろうとしている。
 ちょっと待てばいいのに、なるほどくんって本当にせっかちなんだから。

 「ほんと? えへへー……やっぱり、なるほどくんはあたしがいないと駄目だね!」
 「ほんとほんと……だから、早く風邪なおすんだよ?」
 「はーい!」

 まだ風邪気味のあたしには、なるほどくんがお土産でくれたアイスクリームの味もよくわからなかったけれども、あたしの事を必要としてくれる。
 そんななるほどくんの言葉は特別のお土産よりも何よりも、今のあたしを元気にしてくれて……。

 今日いちにちあたしが横になっていたベッドには、うっすらと月明かりが注ぎ込んでいた。







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