>> 夢と本と西瓜と風と
それは、じっとしているだけでも汗が噴き出るような暑い夏のある日の事だった。
その日、厚藤四郎は本丸の書庫へときていた。
他の藤四郎兄妹たちが借りた絵本をまとめて帰してこよう、そう思ったからだ。
そうして絵本を本棚へ戻している途中、不意に誰かが声をかける。
自分と同じ短髪で額に傷を持つその姿は、同田貫正国その人であった。
「何だ、厚。おまえ本なんて読むんだなァ」
今かえしたばかりの本をとり、ぱらぱらページを捲りながら同田貫正国は暢気な口調で言う。
たった今、誰かと手合わせを終え吹き出した汗をおさえるために水でも浴びてきたのだろう。
その黒髪は僅かに濡れていた。
「いや、これは俺が読んだ本じゃないぜ? 弟たちが読みたいっていうから、借りてきただけだって」
最後の一冊を棚に戻し振り返れば、彼はなるほどと頷きながら手に取った本を元の場所へと戻す。
「確かになァ、お前が読むにしては、随分とガキっぽい話ばかりだと思ったぜ」
「ガキっぽいってバカにするけど、絵本も結構面白い所あるぜ? 弟たちに読んでやると、結構俺も楽しんでるもんな」
「へェ……そんなもんかねぇ」
同田貫正国はまた別の本を手に取ると、ぱらぱらとページを捲る。
色鮮やかな絵本の色彩が、厚藤四郎の位置からも見てとれた。
「しかし、弟たちの絵本を読んでやるって言うがお前は本とか読まねぇのか?」
そして急に、そんな事を聞いてきた。
「いや、嫌いな訳じゃないぜ。けど……」
そういえば、最近は弟たちに本を読んでばかりで自分の読みたい本は殆ど後回しになっていた事に、厚藤四郎は気付く。考えてみれば、久しく小説の類は読んでないかもしれない。
「……最近は、弟たちに本を読んでやるばっかりで自分では全く読んでないな」
思った事をそのまま口にすれば、何を察したの同田貫正国は「心得た」といった顔になってうなずくと。
「だったら、俺が何か小説の一つでも読んでやるぜ。……実戦刀だが、別に学がねぇって訳じゃないからよ」
そう言って、雑多な本が並ぶ不規則な本棚を吟味しはじめた。
わざわざ読んでもらわなくても、読みたい本があったら自分で読む。子どもじゃないんだから、余計な気遣いは無用なのだが、すっかり本を読む気になった同田貫正国の申し出を断るのも気が引ける。
厚藤四郎はそういう意味でも「大人びた」少年だったのだ。
「お、これなんか面白そうじゃねぇか」
手に取った本は偶然にも、厚藤四郎がまだ読んだ事のない、それでいて以前から読みたいと思っていた本だった。審神者がいうには「慢心した人間が虎に堕ちる話」だという。
偶然ながらも読みたかった本を誰かが読んでくれるのだから、その親切は受けておこう。それに。
「じゃ、行こうぜ。縁側で御手杵が西瓜冷やしてたはずだからよ」
……冷えた西瓜がついてくるなら、尚更断る理由はない。
「おう、ありがとうな大将!」
厚藤四郎は屈託ない笑顔を浮かべると、先を歩む同田貫正国について縁側へと向かうのだった。
縁側では西瓜を井戸水にさらす御手杵がおり、厚藤四郎と同田貫正国を見付けると「何だよ、取り分が少なくなるだろう」なんて口を尖らせて言いながら、それでも仲間と喰う西瓜はまんざらでもない様子で、いつもより大きめに切った西瓜を2人にも差し出す。
「この西瓜はさ、他のをより早くあかるんだ奴を内緒でとってきた奴だからな。他の連中に……特に長谷部には言うなよ! バレたら今度こそ俺、殺されちまうからなッ」
弟たちに内緒で西瓜を食べる事に対して厚藤四郎はいくばくかの罪悪感があったけれども、御手杵があんまりに大げさに怯えるものだから「わかったわかった」そうやって苦笑いする同田貫正国につられて結局3人の秘密としてそれを食べる事にする。
そうやって西瓜を楽しんだ後「それじゃあ」と前置きをして同田貫正国は本を開き読み始めた。
「じゃぁ、始めるぜ。えぇっと……」
「何だ、お前が本なんて珍しいな? 字、読めるのか」
「当たり前だっての、実戦刀だって読み書きくらい心得てる」
からかう御手杵に憤慨しながら、同田貫正国はページを捲る。
だがまだ一文字も読まないうちから。
「えぇっと……ちょっとまて、これ、何て読むんだ御手杵」
早くも御手杵に助けを求めていた事に、厚藤四郎は思わず苦笑した。
「んぁ? 俺は刺すしか出来ないからそういうの苦手……あぁ、それは『ろうさい』だ。昔の地名で……」
一丁前に『読んでやる』と言った癖に、同田貫正国の読み聞かせは随分と拙く、幾度も幾度も御手杵に読み方を教わって読むものだから、話のあらすじは途切れ途切れ。ちゃんと読めていると思えば時々、読み方が出鱈目でてんで意味の分からない事を言い出す事もある。
これなら自分で読んだほうが早く読み終わっていたし、意味がよくわからないなんて箇所も殆ど無かっただろうなと厚藤四郎は思っていた。だが同時に考える。だけど自分で読んでたなら、きっとこんなに楽しく本と接する事など到底出来なかっただろうと。
「まったく、何やってんだよ同田貫の大将!」
厚藤四郎は段々とおかしくなってきて笑えば、同田貫正国もまた楽しそうに「全くだな」そうやって白い歯を見せる。
西瓜を一杯に食べたせいで腹も満ち足りていた。
縁側は風が心地よく、大樹の梢が夏の鋭い日差しを遮る。同田貫正国の辿々しい声は心地よい子守歌に変わり果て……。
同田貫正国が俺をまるで子どものように、膝に乗せて本を読むからその体温が心地よかったのもあったのだろう。
気付いた時、厚藤四郎もすっかり微睡みに魅入られて呼吸は寝息にかわっていた。
「ははッ、何だよ。読書ってったって、30分も持たないのか」
御手杵は呆れたように笑うと、何処からか薄手の綿毛布を2人にかける。
そうだ、その時はもう同田貫正国も疲れが出たのか、柱にもたれかかって寝息をたてていた。
厚藤四郎を前に兄貴ぶって本を読んでやるなんて立派な事を言ったのに結局2人とも寝てしまうとは、他人がきけば随分と呆れた話なんだろう。
だが厚藤四郎も同田貫正国も、2人とも不思議と悪い気はしなかった。
何もないこの平和な時を穏やかに過ごす今が、とても大事に思えたからだろう。
「じゃ、おやすみな。お二人さん」
半ば夢の中で、御手杵の声が響く。
同田貫正国の手からこぼれ落ちた本が風に吹かれ、ページのめくれる音だけが周囲には響いていた。